思い出の鳥人間コンテストを語ろう!!
長く飛んだ記録を出した人も印象に残っているが、パフォーマンスで派手な飾りをつけていた人たちも記憶に残っている 初期のころはハング・グライダーばっかりでショボかった(w 36000メートル飛行はすごかった。天候によって飛行距離が
大きく異なる。 >2 3
昭和50年代は、人力飛行機が
琵琶湖対岸まで飛ぶ、と誰も想像していなかった? 滑空機がメインだったから琵琶湖対岸は夢物語。
だから誰でも参加できる仮装部門っお笑いもあった訳だ。 批判され覚悟でかきます
(^o^;)
この前のテレビ見ましたよ
機体のクオリティが上がって(制作費凄そう)飛距離凄くて感動しました
でも、自分的には昔の鳥人間コンテストのが見ててほのぼのしてて、おもしろく感じたね
放送の編集もつまらん
10メートルぐらいしか、飛ばなかったチームは、エンドロール見たいな放送で数秒の時間扱いで流してたし…
飛距離がでたチームだけアップで扱い、制作から操縦士の紹介で時間稼いでた気がします
結局は、制作費が沢山かけれる大学対抗的な扱いで構成されてて、見てて少しがっかりでした
一昔前の鳥人間コンテストは、仮装部門や色々な部門があり親子で参加してて、笑いあり涙ありでおもしろかったです
初期の人力プロペラ機は実績不足の複雑、重い、バランスが悪いで失敗が多かった記憶が・・・・ WE ARE ONEってスローガンかかげてたチームあったな。 琵琶湖対岸が夢物語であったころが結構面白かった、と感じている人
が多いのでしょうか? 昔は機体が「飛ぶ」というよりも「跳ぶ」あるいは「落ちる」
と感じている人はいるのでしょうか? お笑い部門で風に乗って300メートルぐらい綺麗に飛んだ人がいたのを覚えてるww
正反対に風の影響で逆戻りして墜落した人もいた。 お笑い部門やってたの20年近く前(10年ほど前にも復活したが)で、
実施された回数は数年なのに、この人気 ギャルだけのチームというのもあったような(全員ミニスカートのワンピース姿で飛び立った後すぐ落ちた) ここ数年は、天候に恵まれていて、比較的大記録続出しているけど
一昔前は、悪天候とかでロクに飛ぶことが出来ない年とかが
よくあったなぁ・・・。
>>17
一回、台風接近の影響により全面中止となった回があったよな? 第8回の優勝者、楠正彰選手がその後事故死されたと知ったときはショックだった。 初期の頃は派手な空中分解に
爆笑するとともに爽快感を覚えたもんだが 炭素系複合材の普及により強度が上がり、飛距離が大幅に伸びた。
>>21の発表が無かったら今月中に「鳥人間コンテスト2009」の模様が
放送されるはずだったんだよな。
せっかくの楽しみが…orz >>21・>>25
一番辛いのは過去の鳥人間見てきて、
鳥人間のパイロットになるために大学の研究部に入部し、
「来年のパイロットはお前だ!」といわれ喜んで挑もうとしたら、大会中止を宣告された学生だよな。
彼らにはその次の年は無いわけだから人生棒に振るし。 今年は開催されるみたいだぞ。
ソースはテレビサロン板の改編情報スレに有る。 鳥人間コンテストで、1983年の長野県から来た高校生の18歳の男子が、出場しましたか。女子の友達は、身長164cmですか。1983年頃、動画を、見てください。 鳥人間コンテストで、1984年の熊本県から来た大学生の18歳の女子が、出場しましたか、16歳の時、身長164cmですか。1984年頃、動画を、見てください。 人力部門は炭素繊維等の複合材が使用される様になってから飛躍的に距離が伸びた。 滑空機部門終了後に天候が悪化してプロペラ機部門が中止になって、
出場予定者が飛行機を解体(或いは破壊)して帰っていった回は淋しかったな。 滑空機部門終了後に天候が悪化してプロペラ機部門が中止になって、
出場予定者が飛行機を解体(或いは破壊)して帰っていった回は淋しかったな。 これは正に環境破壊のなにものでもありません。
今すぐやめるべきだ! さもなくば将来・・・ 万次郎ひきいるドボン会優勝
桂ひきいるウインドノーツ優勝
伝説です
あれ…あとなんかいたっけ >>5
>滑空機で500メートル超えはきわめて難しい。
そうだね(^_^;) >>18>>20
1997年大会は台風9号の影響で全面中止となりました。
その3年後の2000年、当時の日大チーム(チーム タイフーン#09)に堺風車の会のパイロットがリベンジしました。
チーム タイフーン#09は離陸直後にチェーンが外れ万事休す。堺風車の会は8キロ飛んで優勝。 風車の会がどっかのやはり常連強豪との連合軍チームになったのはその後だよね。
まだプロペラ機で8Km飛べば優勝だったのが今や4倍の30Km以上飛ばなきゃ
優勝出来ないからなあ。
確かあまりに飛びすぎて琵琶湖大橋潜ろうとして本部が危険だからと
強制着水させたチームもあったね。 >>5>>48
>滑空機で500m超えはきわめて難しい。
しかし、今年滑空機の500mフライトが実現。
>>50
2003年に日大チームが琵琶湖大橋まで到達したため、2004年に折り返しルールが導入された。 1984年の第8回鳥人間コンテストに、熊本県から来た大学1年生の女の子が、出場しましたか。 1983年の第7回鳥人間コンテストに、長野県から来た高校3年生の男の子が、出場しましたか、18歳ですか。 第8回鳥人間コンテストの熊本県から来た大学1年生の女の子が、出場しましたか、年齢は、19歳ですか、 1983年の第7回鳥人間コンテストに、長野県から来た高校3年生女の子が、出場しましたか、身長163cmに、いますか。テニス部を、入っていますか、年齢は、18歳ですか。 1988年第12回鳥人間コンテストに、熊本県から来た大学4年生の女の子ですか、出場しましたか、年齢は、23歳ですか、身長163cmですか、スポーツは、エアロビクスを、していますか。 1983年の第7回鳥人間コンテストに、静岡県から来た高校3年生の男の子が、出場し安したか、友達は、高校3年生女の子が、年齢は、18歳に、なりましたか、身長163cmに、いますか。 1983年第7回鳥人間コンテストに、長野県から来た高校3年生の男の子が、出場しましたか、友達は、高校3年生の女の子が、年齢は、18歳に、なりましたか、身長163cmに、いますか。 1983年の第7回鳥人間コンテストに、新潟県から来た高校3年生の男の子が、来ましたか、友達は、高校3年生の女の子が、年齢は、18歳に、なりましたか、身長136cmに、いますか、1983年頃、動画を、見てください。 1988年の第12回鳥人間コンテストに、熊本県から来た大学4年生の女の子が、出場しましたか、年齢は、23歳に、なりましたか、身長163cmですか、スポーツは、テニスを、していますか、動画を、見て下さい。 本格的に航空力学ができる人が賞金目当てに絡んできて駄目になったな。 週刊誌【女性自身】7月2日号(今週号)
⇒決意の提訴「『鳥人間コンテスト』の事故で私は動けない身体に」
http://zasshi.com/zasshiheadline/joseijishin.html 私は4週間のハイブリッドトレーニング(研究段階)により、気付かないうちに8キロ筋肉が増加しただけで、最初から太っていた訳ではありません。
しかも本番3日前にはちゃんと本当は体重55キロあるんですけど、と伝えたので、当日に予想外の重量オーバーがあったということはないのです。
私の体重計が壊れてたけど面倒で買い換えなかったんです。 >>65
体重詐称疑惑の挽回を狙ったコメントで、研究段階の「ハイブリッドトレーニング」により、たった4週間で筋肉のみ8キロ増加で体脂肪率9%という辻褄合わせを吐いたところ「オリンピック選手でもあり得ない」とつつかれ、
ついに「宇宙飛行士」が登場wwwww
Twitterで
>馬鹿発見器で体重8kgサバ読みと体脂肪9%について
>実際、データとしてMRI撮ってたんだが
>宇宙飛行士が『長期宇宙滞在するときに使いたい』って言ってくれた
>たぶん2ちゃんのキモデブ男には女性が体脂肪率一桁なんて認めたくないんでしょうね。
>嫉妬って嫌ですね。
と、のたまう有り様。
宇宙飛行士から採用を持ち掛けられる研究段階の「ハイブリッドトレーニング」をしていても、体重計は壊れていて「面倒で買い換えなかった」から体重は測っていなかったと…… >>68
「オマイ」こそ肥溜めへ落ちろよスカトロデブ。 >>62>>67
プラットホームは高さが10mあるからね。
離陸した直後に墜落して、打ち所が悪いと大変なケガになる。 昔はウルトラクイズと並ぶ秋の2大特番だったよなぁ〜w 8月下旬に放送されたNHKのドキュメンタリー「新島誕生 西之島〜大地創成の謎に迫る〜」
の録画を観てたら、西之島火山の調査チームの一員に、あの中山浩典さんがいた。
(観測用の無人ヘリの遠隔操縦を担当) 余談ではあるが、ナウシカの父親のジルも若い頃はメーヴェに乗って風に乗っていたもんだな。
メーヴェもエンジンを使わずに上空から飛び降りて滑空することも可能。
グライダーにおける滑空比は小さいほど操縦が難しい。 1988年の第12回鳥人間コンテストに、長野県から来た大学4年生の女の子が、出場を、しましたか。 >>79
五味は>>68の千葉の戦士と同様に(ry