テレ東でやってた世界のプロレス
ロードウォリアーズの暴れっぷり、フレアーのNWA世界戦、エリック一家とフリーバーズの
抗争、アメリカでのカブキの試合
懐かしいなあ... 3月ワイ「面白くなってきたな…」
4月「非日常感楽しスギィ!コロナキャッキャッw」
5月「なんだ、祭りはもう終わりかw」
6月「あーあ、また日常に逆戻りかw」
7月「ん?まだ続くのか?」
8月「なんや、まだやるんか!でもそろそろ飽きてきたンゴ!」
9月「全然収まらんやんけ…さすがに飽きたわ」
10月「もうさすがにええやろ…疲れてきたわ」
11月「もうやめてくれや…」
12月「コロシテ…コロシテ…」 鶴田は頭が柔らかかったし、技術、体力と抜きん出ていたからね。 さまざまな媒体でジャンボ鶴田が史上最強プロレスラーと定着しつつある。 ジャンボ鶴田はテーズ以上に
ノーモーションバックドロップができるのだ。
だが、相手への配慮で滅多に使わない。
試練の7番勝負だから出したのだろう。
史上最強。ジャンボ鶴田。 越中詩郎
「本当に凄いと思う選手って鶴田さんぐらいしか思いつきませんね。
俺が全日本にいた7年間の中で、しんどそうな顔してるのなんて見たことない。
涼しい顔してるんだよ。
それだけの体力を持って生まれてきたんだろうね。
筋肉隆々じゃないのに、どんな選手よりも力が強かった。
人間vs人間になった時に発揮するんだよ。
引く力とか、持ち上げる力とか、そういうところがズバ抜けてたね。
道場にハンセンやブロディーが来た時もあったけど、彼らに匹敵してたから。
跳躍力も凄かったし、身体も柔らかかったし、ブリッジもハイアングルだった『怪物』だよ。
〜
リング上では見せないけど、腕を極めるのが得意だった。
でも、決して強さを誇示しない。
『俺は強いんだ』なんて一言も言ったことがないよ。
〜
付き人や後輩に雑用はさせずに自分で出来ることは自分でやっていた人だった。
優しくて人柄が良かったよ。」 鶴田の怪物伝説はあの頃から始まった感じかな
本気にさせたら凄い奴って 日増しに浸透するジャンボ鶴田最強。
SNSでは仲野をKOした動画が好評を得ている。 ジャンボ鶴田は史上最強のプロレスラー。
鶴田ファンの軸は変わらない。
あと、プロレス界でも最強はジャンボ鶴田だから。 全日「皆が格闘技に走るからプロレスを独占します。」
鶴田最強説はこの全日から生まれた。
最強はプロレスファンの鶴田に対する評価の言葉である。
最強は1人。ならば鶴田がプロレス創成期以来の逸材と言う者がいてもおかしくは無いだろうね。 30年前の試合が現在までプロレスファンに鶴田最強説として語り継がれている。
鶴田って本当に凄いレスラーだな。 鶴田の
バックドロップで長州悶絶。30秒起き上がれず。
鶴田、鬼神の表情でノッシノッシ。
あの時点で勝負はついていた。 谷津、川田、ブロディ、小佐野、梶原一騎、
レスラー、マスコミも認める日本人史上最強のプロレスラー。
その名はジャンボ鶴田。 鶴田はアマレスで五輪。自衛隊という軍隊の集まりで
レスリング習得。もう次元が猪木とは違う。
知られていないが柔道のポイントも熟知。
世界的にMMAと言ったらブルース・リーだからな。 ジャンボ鶴田は史上最強のプロレスラー。
これが真実。 ■怪物とはジャンボ鶴田のこと
越中「バーベルなんかは、ある程度しか使わない。好きなのは、タオルでの引っ張り合いね。俺も必死に相手したけど、『越中君、こんなもんかね?』と笑ってるんだよ。跳躍力も凄かったし、身体も柔らかかったし、ブリッジもハイアングルだったから、『怪物』とはあの人のことだよ」 ■しんどそうな顔をしている所見たことない
越中「俺が全日本にいた7年間の中で、しんどそうな顔してるのなんて見たことない。『他人に疲れを見せるのが恥ずかしい』というタイプの人じゃないからね。ずっと涼しい顔してるんだよ。それだけの体力を持って生まれてきたんだろうね」 ■極めの技術もあった
越中「・・・リング上では見せなかったけど、何でもわかってて、特に腕を極めるのが得意だった。でも、決して強さを誇示しない。『俺は強いんだ』なんて一言も言ったことがないよ。面」しろコ若手が入ってきたら、こう指導しろ」というような話は一切されたことがない。アドバイスをされたこともないんだから。先輩面もしなかった。『もっと練習しろ』『若手が入ってきたらこう指導しろ』というような話は一切されたことない。アドバイスもされたことないんだから。唯一、『ガイジンの汚い英語は覚えちゃいけないよ』というくらいかな(苦笑)」 ■引く力、持ち上げる力がズバ抜けていた
越中「それと、今は日本の選手でも筋肉をキレイに出しているヤツがいるけど、ジャンボさんは筋肉隆々じゃないのに、どんな選手よりも力が強かった。器具を持っての強さじゃなくて、火事場の馬鹿力というか、人間vs人間になった時に発揮するんだよ。引く力とか、持ち上げる力とか、そういうところがズバ抜けてたね。道場にハンセンやブロディが来た時もあったけど、彼らに匹敵してたから。馬場さんや猪木さんを加えても、日本人選手の中では一番だったと思うよ」 ピート・ロバーツは、聞かれてもいないのに鶴田の凄さを自ら吐露している。 鶴田のアマレスの強さ云々だけど、アマチュア時代はキャリア一年半なんだよな
長州が鶴田と対戦するまでは、大学の途中までバスケの選手だった鶴田に負ける訳ないと半ばバカにしてだ訳だが、いざ対戦したら鶴田をアマレスの技術でひっくり返そず、試合中「チクショウ、チクショウ」って呟いてたって話だから、鶴田はプロになってアマレスもより強くなった可能性があるんだよ 鶴田最強を語るツイートは沢山ありますよ
今ではプロレスファンの共通認識ですから どのプロレス動画見ても
ジャンボ鶴田の評価高いんだよね
世間は日本人最強は鶴田だと思ってるってことだな 天龍「現役含めて、ジャンボ鶴田が史上最強」
佐藤昭雄「ジャンボが最強?まあ、そうだろうな」 新日本プロレスが1981〜82年に人気爆発した要因は、「タイガーマスクの功績」と「外人選手の充実」に尽きると思うな。
この時期、確かに新日本プロレスは観客動員数とTV視聴率で隆盛を極めたが、反面、皮肉なことに、エースである猪木の身体能力は衰退期に入っていたと思う。
そして、リング上の猪木の衰えを補って余りある活躍をしたのが、タイガーマスクとスタンハンセンで、この二人のファイトを目当てにチケットを買った人、チャンネルを合わせた人は多かったのではないかと思う。
当時、猪木について充実した外人選手よりも、ラッシャー木村等の国際軍団とのマッチメークが優先されることにつまらなさを感じ、自分の場合、「猪木vs国際軍団の抗争」は、新日本プロレスの人気爆発の要因ではなく、レスラー猪木の落日の始まりとして記憶されているな。 そういえば、本紙に掲載された、鶴田が決めた連携技の写真を見てUWFのある選手が「これすごいね。こんなの絶対タイミング合わないよ」。思わず感嘆の声をあげた。
それは、88年6月10日、鶴田が谷津嘉章と組み保持していたPWF世界タッグ王座を賭け、インタータッグ王者ロード・ウォリアーズとのダブルタイトル戦で初公開した合体技だった。谷津がブルドッキングヘッドロックに決めているホークの側頭部に、鶴田がジャンピングニーパットを決めるというもの。
ジャンプした谷津が抱えるホークに、ピンポイントでヒザを当てるというこの技は、鶴田がやるととても簡単そうに見えた。しかし、翌日UWFが興行を行った札幌に新聞を持参すると、その紙面を見た選手が思わず、そう発したのだった。
難しい技をいとも簡単にやってしまう鶴田は、やはりプロレスの天才なのだと再認識させられた(敬称略)。
やっぱり凄えわジャンボ鶴田は。 渕さんと鶴田さんの出会いは全日本プロレスよりも前、1971年に和歌山県で開催された国民体育大会(国体)。渕さんは高校3年生で鶴田さんが大学3年生の時だった。その大会で優勝した鶴田さんを練習場で見かけた渕さんは、ひときわ体も大きく目立つ存在で、練習相手を圧倒する怪物レスラーだったと、当時を振り返る。
渕正信が間近で目撃したジャンボ鶴田“怪物覚醒”の瞬間
試合でビンタの張り合いとかやるでしょ、元相撲取りの天龍さんのゴツい手でやられると、落ちそうになるくらいの威力。そういったビンタやチョップを夢中になって仕掛けてくる天龍さんと、外国のトップレスラーと渡り合ってきた鶴田さんとの試合を見ていると、どの団体もかなわないなと思った。
さすがは我らの渕。ジャンボ最強。 マスカラス相手に年間最高試合をできるのはジャンボ鶴田しかいない。
お前を錯覚させるほど鶴田は上手いんだよ。 「ジャンボ鶴田の怪物性は闘った者でないとわからない」“狂虎”タイガー・ジェット・シンが語った日本人プロレスラー十傑<2>【週刊プロレス】
<ジャンボ鶴田>
ジャンボ・ツルタほどファンタスティックなレスラーはいなかったな。
体も大きいし、テクニックも素晴らしかった。さらにタフでもあり、ハートもあった。
レスラーとして必要な要素すべてを兼ね備えていた男だった。
彼と対戦したレスラーならわかると思うが、こちらが攻撃してもどれだけ効いているのかわかりづらい。
怪物といわれていたが、まさにその通りだった。
ツルタの本当の強さは、闘った者でないとわからないかもしれないな。 天龍は鶴田が相手の時に最大に輝いた。
三沢は鶴田のお陰て本当のトップになった(鶴田もまた三沢の受けがあるから最大限な攻めが出来た)
今のフェアな目で過去のレスラーを見たら鶴田は最強と呼ばれる。 思うんだけど暴走族とか厨二病の極致じゃね?wwwwwwwwww
基本的に中高生って平和な日常送って大学生になっていくんだけど
その裏で突然ゾンビが街にあふれてサバイバルすることになった、とか島でクラスメイトと殺し合いすることになった、みたいな非日常の設定を夢想してたりするじゃん
スパイミッションのごとく、寄るの量販店に忍び込んで売り物かっさらう、とか神奈川統一に向けてリアル戦争ごっことか、バイクという戦闘マシンを操るエースパイロットの俺が先陣をきるぜ!とかwwwwwwwww
もう厨二汁全開で楽しそうな人生送ってるじゃんwwwwwwwww
お情け頂戴で
早朝にガス交換してるんよ、回収
早朝に新聞配達とガス回収の仕事
同情してほしくて
ガス回収、早朝の仕事
分かる??
自らを泉南最強の輩(笑)で泉州連合の総長は俺様の舎弟だ!!(ドヤァ♥
と豪語する元暴走族のハルシオン中毒の他にもアル中、ヘビースモーカーの身の程知らず!wwwwwwwwww
真性DQNの割には実際の喧嘩はスッゲー弱い上に上のモンには知られるのを恐れるビビリで隠蔽体質のチキン野郎(笑)で
メンタルもチョー弱えークセの暴力沙汰は日常茶飯事のパワハラ、セクハラ、モラハラに
ヤニ臭えー息でのスメハラヤり放題の
自己満足オナニード低悩クズデブホモキモ豚野郎(笑)
その人相はもはや麻原彰晃そのもの!!wwwな自称ゴンさん(笑)呼びの『広岡雅史』♥wwwwwwwwww 「ロッキー3」のテーマ「アイ・オブ・ザ・タイガー」を背景にアンドレがパートナーのアイスマン・キング・パーソンズを対戦相手のスーパーデストロイヤーズに投げつけるEDが印象的
アイスマンは、その涼し気な名前とは裏腹に、顔が暑苦しいと評判だった ジャンボ鶴田。
早熟なのに大器晩成。
実力プラス人気も抜群。
向かうところ敵なしだ。 そんでもってめでたくキリ番600を(σ・∀・)σゲッツ!!
あらためてクソスレなので終了しようw >>595-600
血葉のス××ロ××ンポー××ッツの怒涛の6連投、やかましいw ジャンボ鶴田といえば、後楽園ホールに観に行った時、一緒に「オー」の連呼をした事が最高の思い出
まさか、数年後に帰らぬ人となるとは、当時は知る由も無し
心優しき無敵の怪物帝王だと思ってたのにな・・・ >>603
現在幼稚園児に元気にポー××ッツを喧伝中の血葉のス××ロ××ンED大王、降臨w >>604
くにのゆほなぬよゆのゆけりやなやこやぬなぬやぬぬのやこゆこゆこんのゆかゆぬぬやぬのゆのゆかよゆなこゆ >>605
貴様こそ、俺の代わりにあの世へ逝けばよかったのに… 長州はぁ健介ををぉかなりぃ可愛がっちょったかんな。
ジャパン新弟子第一号っちゅう事もありぃ大事に育てちょったらしいぞぇ。
そぉゆぅ親しみからぁ下の名前のぉ健介っちゅうにぃ呼び始めたんだろぉ。
馳もぉ同じくぅ先輩の健介をぉ健介っちゅうにぃ呼んでおりぃ。
それがぁー自然とぉマスコミにもぉ伝わったんよぉー。
そこぁそんなにぃ難しい話でもないかんな。
健介は健介でぇ元はぁ大長州ファンだったからだぞぇー。
そんでぇ長州をぉ慕って忠実に何でも聞いちょったんよぉー。
まぁお互いにぃ信頼が強かったっちゅう関係だったかんな。
だからぁ長州政権下でぁ健介はぁ一時期はぁあんだけプッシュされたんよぉー。
有り得ないプッシュだったかんな。 確かぁ健介の方がぁー2ヶ月位早いぞぇー。
しかしぃ長州からもぉ『馳を立てろ』っちゅうにぃ言われたんよぉー。
馳はぁエリートっちゅう立場だかんな。
そんでぇ本来はぁ健介がぁ先輩なのにぃー同期扱いを越えて馳の方がぁー先輩扱いにぃ。年はぁ馳がぁ5歳上だがぁー。
健介からすりゃあ納得でけなかったっちゅう。
リングの扱いもぉ馳が優遇されちょったかんな。
健介はぁ前座経験しちょるけどぉ馳はぁ前座経験ナッシングだぞぇ。
健介ん中にゃあ『コイツにゃあ絶対に負けん』っちゅう反骨心がぁー。
そいからぁ五輪ピック出場っちゅう経歴へのぉ嫉妬もぉ。
健介はぁ馳に対してぁそぉゆぅ感情をぉずっと抱きングだったかんな。 最強と言われた鶴田がお笑いプロレスに出たのは凄いよね。 キミもぉようつ動画見たなぁ。
キミにネット環境あったのはぁ意外だぞぇー。
アンドレを投げたのがぁーあんだけおったっちゅうのぁ知らんかったぞぇ。
日本だとぉ猪木がぁ一番多く投げちょるはずだがぁー。
アメリカだとぉホーガンがぁ一番投げちょるっちゅうにぃ思うたがぁ。
藤波もぉアンドレを投げるっちゅうにぃ思うちょったがなぁ。
結局はぁ投げんかったぞぇー。
まぁあんだけ体重あっちゃればぁアンドレもぉ投げられんのぁ怖いゎなぁ。
一歩間違えたらぁ自身がぁ大変な怪我負わされるしぃー。
失敗して頭から落ちたらぁアンドレならぁヤバイぞぇー そいからぁブッチャー シン×ファンクスもぉ見たかったんよぉー。
これもぉ入れ違いだったかんな。
87最強タッグにゃあファンクスもブッチャーも参加したぞぇー。
しかしぃこん時ゃシンはぁ参加しちょらんかった。
そんでぇ88最強タッグでぁブッチャー シンで参加だかんな。
しかしぃファンクスはぁ参加せずぅ。
89最強タッグもぉブッチャー シンは参加してもぉファンクスはぁ参加せんかったかんな。
そんでぇ90最強タッグだとぉファンクスとブッチャーはぁ参加したぞぇ。
しかしぃシンはぁ参加せずぅ新日にぃUターン後だかんな。
本当に入れ違いだったんよぉー。
このカードが組まれたらぁかなりぃ盛り上がったっちゅうにぃ思うちょるぞぇ。
四人の全盛期を彷彿(ほうふつ)とさせたはずだしぃー。
ファンクス ブッチャーはぁ流血してシンはぁ流血せずっちゅう試合になんだろぉ。
88最強タッグか89最強タッグどちらかで見たかったぞぇー。
どぉせならぁ両方で見たかったかんな。
結果的にゃあ入れ違いっちゅうのぁ悔やまれたぞぇー。
このカードならばぁ最終戦の武道館か大阪がぁベスツだかんな。 ローラー バリアント ドゥガン スローター ダンカン
彼等はぁ日本でぁイマイチかぁそれ以下だったかんな。
アメリカでぁそれなりの立場でもぉ日本でぁ客はぁ呼べんしぃー。
後々のぉWCW連中もぉそぉだったかんな。
スティング ルーガー ビッグショー
結局はぁ日本にゃあ合わんかったっちゅう。
スタイナー兄弟はぁ日本でもぉ合ったけどぉ。
あの派手な投げがぁー当時の日本ではぁかなりぃ受けたんよぉー。
ウォリアーズを越える存在っちゅうにもぉ言われちょったしぃー。
WCW勢だとぉ日本受けしたんはぁスタイナー兄弟位だろぉ。
そいからぁヒガンテはぁ大きさだけでぇ金を取れたけどぉ。 やっぱぁ浜口だとぉ全日ではぁかなりぃ小さすぎたかんな。
実際にゃ長州ですらぁ全日でぁかなりぃ小さかったしぃー。
浜口のバワイはぁその長州よりぃ更にぃ小さかったぞぇ。
んで結局はぁ谷津がぁー長州の正式なパートナーんなったかんな。
マサやカーンが日本定住ならぁどちらかがぁ長州のパートナーだったろぉがぁ。
しかしぃ長州はぁ全日でもぉかなりぃ重宝されちょったかんな。
でもぉ長州にゃあ最強タッグ優勝はぁ与えられんかったぞぇー。
タッグタイトルやシングルタイトルはぁ与えられたがぁー。
流石にぃ最強タッグ優勝っちゅうのぁ馬場もぉ躊躇っただろぉしぃー。
反則ながらもぉ長州はぁシングル タッグとタイトルを巻かせて貰えたしぃー。 ヒガンテはぁ勿論、シルバやカリもぉアンドレよりゃあ大きいかんな。
大きいっちゅうのぁ身長がぁーアンドレより高いっちゅう意味だかんな。
しかしぃ全体的な身体の厚み、ボリューム、更にゃあ存在感がぁ違ったぞぇ。
実際にぃアンドレのバワイはぁ人間とゆぅ概念をぉ超越しちょったしぃー。
身体の厚みっちゅうてもぉただ太ってるだけでもなかったんよぉー。
そんであの身体でもぉ全盛期にゃあ素早い動きをぉしちょったかんな。
ただぁ太ってるだけならぁカルホーンやマグガイア兄弟がぁーおったしぃー。
やっぱりぃアンドレのバワイはぁ他の巨人 巨漢とぁ次元がぁー違ったんよぉー。
アンドレもぉあの身体でかなりぃ動けたりとぉ物がぁ違ったっちゅう感じだぞぇー 列伝がぁーあのまんまぁ続いちょったらぁ長州編とウォリアーズ編はぁ確実だぞぇ。
そいからぁ後々にはぁ前田もぉやったっちゅうにゃあ思うちょるんよぉー。
後はぁ鶴田編がぁあったんならぁ藤波編もぉやったとぁ思うちょるかんな。85年辺りならぁマスク脱ぎそぉだったマシーン編もぉやったっちゅうにぃー。
90年頃までぇ続いちょったらぁ三銃士編やら三沢編もあったとぁ思うぞぇー。
そぉなりゃあ川田編や小橋編もぉ付随してやらんといかん様になっちゃるぅ。
そん時代ならまずはぁぁベイダー編もぉ欠かせなくなってもぉちゃるかんな。
それ以外ではぁあんま思い浮かばんけどぉライガー編はぁあったとぁ思うかんな。 85年頃の谷津が繋ぎ技としてスピニング・トーホールドをたまに使ってたけど、それなりに説得力があった。
フィニッシュ技として使ってなかったからボロが出なかっただけかもしれないけどw
鶴田が言うにはあの技をかけるにはタイミングとスピーディーさが必要ってことで、
あの技の華である見栄えと効き目を両立させるには身体能力の高いレスラーじゃないと難しいんだろうな。 おぉっ、確かにぃ長州、カーンとのタッグはぁ良かったっちゅうにぃ思うぞぇ。
あれはぁウォリアージュ初来日ん時のぉ最終戦の名古屋での試合だったかんな。
鶴龍よりもぉ長州、カーンとの試合の方がぁー良かったとぁ思うちょるぞぇー。
鶴龍ん時ゃあウォリアージュもぉかなりぃ緊張しちょった感じだったしぃー。
後はぁマシーン、カーンとの試合もぉそれなりにぃ良かったと思うちょるかんな。
ありゃあ高野がぁ奇襲で戦線離脱でカーンの突然の登場っちゅう流れもぉ。
ウォリアージュの試合としてもぉかなりぃ良かったっちゅう感じだけどもぉー。
でもぉあの試合はぁウォリアージュよりもぉカーンの試合っちゅうイメージだぞぇ。 ありゃあなぁ、最初はぁアウトローズとサモアンズがぁ対戦予定だったぞぇー。
しかしぃサモアンズがぁー途中で帰国してもぉたからぁカード変更したんよぉー。
そんでぇたまたま空いちょった??ラッシャーと戸口を組ませた流れにぃー。
でもぉアウトローズとサモアンズの試合もぉかなりぃ見たかったかんな。
アメリカでもぉその対決はぁ恐らくはぁなかったっちゅうにぃ思うちょるぞぇ。
サモアンズもぉもぉちったぁ活躍の場を与えたら良かったとも思うかんな。
サモアンズとアンドレやハンセンの対決はぁ見たかったっちゅうにぃ思うしぃー。
サモアンズの帰国前の公式戦でぁアンドレやハンセンはなかったはずだしぃー。 197センチ、125キロだった鶴田と192センチ、125キロの戸口。それぞれの師と組んだジャイアント馬場、鶴田組VS大木金太郎、戸口組のインターナショナルタッグ選手権、そしてUN王座を巡る王者・鶴田と挑戦者・戸口の抗争は、1970年代後半から80年代前半の日本マット界を沸かせている。
2度のUN戦は60分時間切れ引き分け、78年9月の一戦は5分の延長戦も闘い抜いている。2人は巨漢でありながら、テクニシャン。ともに米マットでも活躍しており、ド迫力の豪快な試合は「これぞ本場のプロレス」とファンをうならせた。いまだに名勝負と語り草である。
若手時代からお互いを知る、まさにライバルだった2人。鶴田が「絶対エース」と呼ばれる前「若大将」時代から、プロレスを語り合う同志でもあった。鶴田がデビューして2年目の74年に、米修行中の鶴田とテキサス州サンアントニオのバトルロイヤルで初対戦している。
「そのころは、さすがにまだまだだったけど、若いときからプロレス頭があった。後々彼が間違いなく最強になる、という感触はあった。彼はバスケットからアマレス、俺はバスケットから柔道と経験していたけど、運動能力と地の力がすごかった。本当に天才だった」と戸口は感慨深げに振り返る。
いやあ戸口はブレないね。
ジャンボが最強! 猪木VSホーガンっちゅうのぁそれなりの試合でもぉイマイチ感あったぞぇー。
過去のVSハンセン VSシンみたいな名勝負にゃあならんかったんだよなぁー。
VSホーガンっちゅうたらぁやっぱりぃIWGP決勝の失神がぁー印象強いしぃ。
しかもぉ後々にゃあ猪木の自演っちゅうのがぁ発覚したからぁ尚更だぞぇー。
ホーガンはぁVS猪木以外だとぉVSアンドレ位しかぁいい試合はなかったなぁ。
そんでもぉVSアンドレもぉホーガンよりハンセンの方がぁー良かったかんな。
個人的にゃあVSブッチャーは良かったっちゅうにぃ思うちょるんよぉー。
あれがぁーホーガンの日本でのぉ大ブレイクのきっかけんなった試合だぞぇ。 スヌーカはエースになれた逸材だと思いますね。
81スーパーパワーシリーズで全日初登場しました。
シークのパートナー、リッキーの抗争相手という立ち位置での参戦でした。
結果的にシークやリッキーを越える高評価を得たのです。
人を誉めない王者の鶴田さえもがスヌーカを大絶賛してました。
スヌーカは本当にいいレスラーですね。
シークは反則封じたら大した事ない。
でもスヌーカは簡単にはいかない。
あの跳躍力、パワー、ラフと本当に強敵ですね。
僕のUNに挑戦してきたらヤバイです。
人を誉めない王者の鶴田がこれだけスヌーカを絶賛。
しかしそんなスヌーカはブロディと組んでからは霞んでしまった。
勿体なかったと思います シークはぁ本当にぃ凶器や反則一辺倒で支持された希有な存在だったかんな。
まぁ全日時代でもぉ既にぃ高齢だったっちゅう事もあったっちゅうにぃ思うがぁ。
あんだけぇー高齢だとぉ普通に戦う事ぁでけないっちゅう見られ方でぇー。
テーズやゴッチはぁ高齢なのにぃ普通以上にぃ戦えたけどぉありゃ例外だぞぇ。
シークはぁ新日にもぉ来日して猪木とのぉシングルまでぇやっちょるかんな。
日本ではぁブッチャーと組んだっちゅうのぁシークに取っても良かったしぃ。
ブッチャーとの仲間割れ後の抗争でもぉシークの醍醐味はぁ発揮されたしぃー。
シークはぁ81最強タッグん時もぉそれなりにぃ存在感出しちょったぞぇー。
でもぉハンセン移籍に伴ってぇシークの存在意義はぁ無くなってもぉたぁ。
ハンセンとシークの対決なんかもぉ全日のリングでぇ見たかったのになぁ。
ハンセンとシークはぁアメリカでもぉ対決しちょらんっちゅうにぃ思うぞぇー。
ブロディとシークはぁ日本やアメリカでぇ何度もぉ対決しちょるがぁー。
あの81年82年時点でもぉシークの商品価値はぁまだまだあっちゃるかんな。 鶴田がラリアットで轟沈したのは最強タッグリマッチだったか。
いずれにせよバチーン!と一発!
あっぱれな負けっぷりでハンセンの株を上げた。
ブッチャーの地獄突きからの毒張りエルボードロップで轟沈したのもあっぱれ。
馬場の好敵手相手に轟沈するのがヘビ級ー同士のど迫力で
全日本プロレスの醍醐味だったなあ。 むしろ難しくなったのはフレアーが NWAチャンプになり
馬場はフレアーとやるのは嫌だ。尊敬するバディロジャースの劣化版と拒否し。
ジャンボが招聘毎に挑戦せざるを得なくなった事だな。
ガニアからニックになり馬場がやらなくなったのも大きい。
馬場の格、チャンプに勝てない条件でジャンボ鶴田はよくやったよ。
ニックの試合も玄人ファンにしかウケないし、フレアーはのらりくらりだし。
1−0でフレアーに勝ったNWA戦は最後フレアーが4の字優勢、鶴田がばてて(ご愛嬌)終わり、
あの一戦で、日本でのリック・フレアーの価値が爆上がりした。
学校でもフレアーはやっぱええよ。と新日派ですら言ってたな。
フレアーを日本でoverさせたのは紛れもなくジャンボ鶴田だ。