逝去したミュージシャン情報★19
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ファンだったミュージシャンが何年も前に逝去していたのを知ってショックを受けられた方は少なくないと思います。 そういう事のないように弔報をすぐさまキャッチし故人の素晴らしい足跡を偲び追悼するスレになればと思います。 <前スレ> 逝去したミュージシャン情報★18 https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/natsumeloe/1667214198/ イタチとかいっている連中は、こうやってスレチなことを書いて、 煽り行為などの迷惑行為を自己満足にやりたがる荒らし常習者たちです。 会話よりも落書きが得意なのも特徴。 AKA, いたち野郎, 鼬先輩などはいつから言われたのかわからない。 そもそも鼬って何なんだ? 経緯がよくわからん イタチニキなんてこいつらが勝手に言い出した言葉。幼稚さが染みじみてセンスがない >>395 シンガー・ソングライターだろ 「もうすぐ30」知らないか? 60年代を代表するソングライターコンビMann & WeilのCynthia Weilが1日、 82歳で死去。相方のBarry Mannは彼女の夫。 この時代のGoffin & King, Barry & Greenwich,と共に夫婦のソングライターチームとして 有名。前者2つのコンビはその後離婚したが、この夫婦は現役であった。 夫のBarry Mannとの作曲の名曲はきりがないほど数多い。R.I.P. ChatGPTより シンシア・ワイル(Cynthia Weil)は、アメリカ合衆国のソングライターであり、1960年代を代表するソングライターコンビ「Mann & Weil」の一員です。彼女は1937年10月18日にニューヨークで生まれ、幼少期から音楽に親しんでいました。彼女は高校時代に作詞活動を始め、その才能が開花しました。 彼女はバリー・マン(Barry Mann)と出会い、恋人から夫婦となりました。二人は卓越したソングライティング・チームとして知られ、共同で数々のヒット曲を生み出しました。彼らの曲は、ロック、ポップ、R&Bのチャートで成功を収めました。 シンシア・ワイルは、深い感情を描写する力強いリリックとメロディを組み合わせた作品で評価されています。彼女の作品には、「You've Lost That Lovin' Feelin'」(The Righteous Brothers)、 「On Broadway」(The Drifters)、 「We Gotta Get Out of This Place」(The Animals)などがあります。 彼女は多くの賞を受賞し、ソングライターズ・ホール・オブ・フェイムにも選ばれました。彼女のソングライティングのスタイルと才能は、音楽業界全体に影響を与えました。 >>403 「We gotta get out of this place」はBlue Oyster Cultがライブアルバム「暗黒の狂宴」でカバーしてたな。 98年頃に出ていたBarry Mannのデモを中心に収められた3枚組のCDには Cynthia Weilが歌ってた"The Home Of The Boy I Love"が収録されていたな。 これは貴重モノ。 シンシアさんで好きな曲と言えば ディオンヌ・ワーウィックがオリジナルで セルジオ・メンデスがカバーして大ヒットさせた Never Gonna Let You Goかな? シンシア・ウェイルで憶えていたのにいつの間にかシンシア・ワイルになっていた こういうことはよくある フィル・リノットもいつの間にかフィル・ライノットになっていた。 以下chatGPTより Kaija Saariaho(カイヤ・サーリアホ)は、フィンランド出身の現代音楽の作曲家であり、世界的に高い評価を受けている。1952年に生まれた彼女は、パリで音楽を学び、長い間フランスで活動してきた。 彼女の音楽は、電子音楽とオーケストラの組み合わせを含む独特なサウンドスケープと、感情的な表現との融合が特徴である。彼女は豊かな音響世界を創り出し、その作品はしばしば詩的で夢幻的な雰囲気を持っている。 サーリアホの作品は、劇場音楽、オペラ、室内楽、協奏曲など多岐にわたる。彼女は現代音楽の分野で数々の賞を受賞し、ヴェネツィア・ビエンナーレ音楽祭やサルツブルク音楽祭など、世界中の重要な音楽イベントで彼女の作品が上演されている。 彼女の代表作には、「L'amour de loin」(遠い恋)や「Graal théâtre」、「Aile du songe」などがあり、これらの作品は国際的な舞台で高い評価を得ている。 また、サーリアホは現代音楽の作曲家としてだけでなく、教育者としても活動しており、多くの若手作曲家に影響を与えてきた。 彼女の音楽は、独自の美学と革新性によって広く称賛され、現代音楽の重要な作曲家の一人とされている。 >>408 確かに昔はシンシア・ウェイルって言っていた フライング・ブリトウ・ブラザーズはフライング・バリット・ブラザーズ アイズレー・ブラザーズはアイズリー・ブラザーズ スプリームスはシュープリームス フリーダ・ペインはフレダ・ペイン バック・オーエンスはバック・オウエンズ etc... 名前の言い方の違いは多い。 言い方が違ってても、意味が通じれば別に問題はないと思うが。 >>416 最初はアイレー・ブラザーズだったようなと思い検索したら ビクターのロックン・ロール・ベスト24というLPレコードでそうなってた >>418 昔MLではオルリンズ表記もあったような気がする。 そういやOrleansが売れたらスカート履いて逆立ちして有楽町を歩くとレコード評で書いた湯川れい子は実行したのか >>422 サウンドはウェストコーストっぽい感じだったけどね。 オーリアンズと言えばアサイラムだけど 元々はウッドストックのバンドで マッスルショールズで録音したり >>423 元々のジョン・ホールやウェルス・ケリーが志向した アメリカンルーツミュージックに根差した アーシーな音楽性のままだったら 通好みの評価はされただろうけど売れなかっただろうね ラリー・ホッペンがイーグルスやドゥービーズみたいな ウエストコーストサウンドを持ち込んでようやく売れたけど ジョン・ホールは脱退してソロ活動へ移行することに ブラジルの女性シンガー、Astrud Gilbertoが5日死去。83歳の高齢であった。 ボザ・ノヴァの先駆者João Gilberto(1931-2019)は彼女の元夫。 63年に渡米、João(g), Stan Getz(ts), Antônio Carlos Jobim(P)のレコーディングに参加。 それまでは歌を歌うことがなかったが、プロデューサーのCreed Taylorが目を付け、歌うことに なった。それが彼女の代表曲でもあり、ボザ・ノヴァのスタンダード"イパネマの娘"である。 この曲はGetz & Gilberto名義でリリースされ、64年全米5位の大ヒットとなった。 Joãoとは60年代の半ばに離婚、Verve, A & M, CTI etc...のレーベルでアルバムを残した。 彼女の歌った曲は"イパネマの娘"の他にも、"いそしぎ"," おいしい水", "サマー・サンバ"などがある。 海外では評価されているが、本国ブラジルでは評価は高くないのも事実。R.I.P. >>429 歌がうまくないからでしょ 故中村とうよう氏など歌はシロウトとまで酷評している 中村とうようは歌が下手で評論家にならざるを得なかった ChatGPTより (死亡日など違っているが原文ママ) Astrud Gilberto(アストルド・ジルベルト)は、ブラジルの女性シンガーであり、ジャズボーカリストとして知られています。彼女は1940年3月29日に生まれ、2021年12月10日に亡くなりました。 Astrudは特にボサノヴァ音楽のアイコンとして著名であり、「The Girl from Ipanema(イパネマの娘)」という曲で世界的な知名度を得ました。この曲は彼女の最も代表的な作品であり、彼女の独特な歌声とリラックスしたスタイルが際立っています。 彼女はリオデジャネイロの出身であり、その都市の魅力的な雰囲気を反映した音楽性で知られています。彼女の歌声は魅力的で、聴く人々を魅了しました。 1964年、Astrudはアメリカに移住し、アントニオ・カルロス・ジョビンとスタン・ゲッツの共同プロジェクトに参加しました。このプロジェクトによって、彼女はブラジル音楽のジャンルをアメリカと世界に広めることに成功しました。 彼女の最初のアルバム「The Astrud Gilberto Album」は、1965年にリリースされ、大きな成功を収めました。このアルバムには「Corcovado(コルコヴァード)」や「Agua de Beber(アグア・ジ・ベベール)」などの名曲が収録されています。 その後もAstrudは数々のアルバムを制作し、長いキャリアを築きました。彼女の音楽は心地よく、リラックスした雰囲気を持ちながらも、豊かな感情を表現しています。 1964年のビートルズ旋風の中で ブラジル発信のボサノバみたいな音楽が流行ってたのは興味深い ピアニスト、George Winston逝去。公式Twitterより。 60年代から活躍していたイギリスのブルース・ロックバンド、The Groundhogsの ギタリストTony McPheeが6日、79歳で死去。73年にはソロアルバムも出していた。R.I.P. ロバートジョンソンのトリュビュートアルバムは良かったな グランドホッグスはスピリットとライブアトリーズ ChatGPTより Tony McPheeは、イギリスのブルース・ロックバンドであるThe Groundhogsのギタリストとして知られています。彼は1944年に生まれ、1960年代から音楽のキャリアをスタートさせました。McPheeは力強く情熱的なギタープレイで有名であり、その才能と音楽的な表現力で注目を浴びました。 The Groundhogsの中心人物として、McPheeはバンドのサウンドに独自の要素をもたらしました。彼のギターソロは迫力があり、技巧的なプレイスタイルが特徴でした。また、彼はバンドの主要なソングライターでもあり、独自の曲を数多く作りました。 代表作としては、1970年にリリースされたアルバム『Thank Christ for the Bomb』が挙げられます。このアルバムは地元イギリスで成功を収め、バンドの人気を確立しました。特に「Strange Town」という曲は、McPheeの力強いギタープレイと心に響く歌詞が組み合わさった名曲として知られています。 さらに、1971年のアルバム『Split』も注目されました。このアルバムには、バンドの代表曲となった「Cherry Red」という曲が収録されています。McPheeのギターリフと独特なヴォーカルが組み合わさったこの曲は、後の年代においても多くのリスナーに愛され続けています。 マクフィーはグランドホッグス前のセッション時代が長かったからそっちも評価されるべきかな マクフィーとロビントロワーは顔で損をしている >>438 80年代の「ニューエイジ」ミュージックの旗頭的扱いされてたけど、個人的に格落ち感(対70年代以前比)と当時あまり好みじゃなかったのもあって大物呼びはちょっと抵抗ある 今ざっと調べ直したんだけと…ウィンダム・ヒルが2007に活動停止?するもカタログは結局親方ソニーグループの手に落ち?ウィンストンのCDは今でも入手容易、と 正直うらやま…WHと共にニューエイジ専門レーベル扱い?されてたペーター・バウマンのPrivate Musicなんか1996買収→再発の気配皆無っぽいもんなぁ >>429 訂正 Verve, A & M, CTI etc...のレーベルでアルバムを残した。と書いたが、 実際はA & Mでは出していない 書き間違いだった。すまない。 >>435 まじかよ 日本でもバカ売れしたの思い出す 残念 ブロンディがヒットさせた「Hanging On The Telephone」を作曲 ザ・ナーヴスのジャック・リー死去 https://amass.jp/167282/ アストラッド・ジルベルトとか ジョージウィンストンみたいな 音楽ジャンルを確立したパイオニアの訃報でも たったこんだけのレスって やっぱ5ちゃん、終わってるなあ ここはやっぱりロックやR&Bやアメリカンポップスみたいな 英語で歌われるポピュラーミュージックが 中心の板だからなあ ジョージ・ウィンストンじゃなくて ジョージ・クリントンの訃報だったら数倍は話題になってたと思う ジョージ・クリントン氏ももう80代だから お元気かどうかは気になる ジョージ・クリントンもR&B・SOUL板じゃねーかとか言われたら ぐぅの音も出ないけど・・・ QTY singer and guitarist Dan Lardner has died https://www.nme.com/news/music/qty-singer-and-guitarist-dan-lardner-has-died-3456665 以下chatGPTより Dan LardnerはQTYのボーカルとギタリストであり、独自の音楽的アイデンティティを持つ才能あるミュージシャンです。彼は幅広いジャンルの要素を取り入れた音楽スタイルで知られており、彼の楽曲は多くの人々に愛されています。 代表作の一つは「Rodeo」です。この曲はQTYのデビューアルバムであり、独特のエネルギーと情熱を感じさせる楽曲です。「Rodeo」はダイナミックなギターリフと力強いボーカルが特徴であり、QTYのサウンドを象徴する曲となっています。 また、彼らの曲「Dress/Undress」も人気があります。この曲はキャッチーなメロディと感情的な歌詞が魅力であり、Danのギタープレイも際立っています。彼の音楽は多様な要素を組み合わせながらも独自のサウンドを作り出し、聴衆を惹きつけます。 さらに、QTYのアルバムには「Michael」という曲もあります。この曲はメロディックなギターパートと洗練されたボーカルが特徴であり、聴く人を感動させる力を持っています。 名前や地名にぱぴぷぺぽが入るのは珍しい 札幌、別府、日暮里… 458は野球のフォークを音楽のフォークと強引に結びつけやがる 馬鹿か 漫才師なら邦楽のほうだろうが ここ洋楽だぞ。RIPごっこも大概にしとけ イタチはここに人生を賭けているからな ちょけてると怒られるのは当たり前 別に人生賭けているわけでもないのになんでそういう発想が出てくるんだ? イタチは60年代ロック、ポップスが大好物。 毎日毎日関連するあらゆるスレにカキコしている。 ラスカルズ、フォーシーズンズあたりは超大好物。 文体ですぐわかる。 嗜好が俺と全く同じだから >>468 わざわざ書くほどの内容か? レス主を探索してもここでは意味はないぞ。 だいたい何でイタチってなんだ? 普通ならスレ奉行とかスレ警察とかだろ。 便所の落書きの匿名掲示板でやらずに SNSや個人ブログでやったらって話。 イタチ君、本日60'sサイケ/ガレージやバーズのスレに出没。毎日お勤めご苦労さん! イタチ君、今日も朝から乙。 今聴いてる懐洋楽の曲名をひたすら書き連ねるスレ30 912 :ベストヒット名無しさん[]:2023/06/20(火) 06:38:46.68 ID:tI5m7JQb 仰るとおり、"See You in September"は映画「アメリカン・グラフティ」のThe Temposの ヴァージョンでラジオで知った。その後The Happeningsのほうを知って馴染んだ。 イギリスでは The HappeningsタイプのThe Symbolsというグループもカヴァーしていた。 The Happeningsも90年代前半まではヒット曲も滅多に聴けることはなかったな。 バットホール・サーファーズのドラマー テレサ・テイラー死去、映画『スラッカー』に象徴的な役で出演 https://amass.jp/167565/ 473は何が言いたいのかな? 言いたいなら本スレで言えばいいのに。やってることが惨めで幼稚だな。 イタチよ、「See You in September」と云ったら 昔からオールディーズマニア連中の間では コーテイションズが昭和38年に「涙のセプテンバー」の邦題で出したレコードが人気があったのを知らんのか? お前がまだ生まれる前だ。 テンポスやハプニングスやシンボルズも悪くないが もっとお勉強してから出直してこい! 好みや知識は人それぞれ、十人十色。 コーテイションズは名前だけくらいであんまり知らないな。 シンボルズなんて2000年頃にCD化された時に知った。 詳しくは知らんが当時の日本語表記はコーテイションズでも、 今ならクォーテーションズ (quotations) なのかも、失礼しました。 イタチよ、実は俺もシンボルズは同じくEMレコーズで知った。 ハーモニー・グラスとかT.リヴァース&キャスタウェイズとかもな。その後RPMからも出てたな。 最近はGFからも出ているがな。 この辺はお前も相当詳しいようだな。 今後は引き続きこのスレはお前が何とかしろ。 陰ながら応援してるぞ(笑 さらばぢゃ! >>479 その通りぢゃ 彼らが古巣のヴァーヴで出した最後のシングルA面。 その後はレーベルを転々としている。 アージ・オーヴァーキルのジョニー・“ブラッキー・オナシス”・ローワンが逝去。享年57歳 https://nme-jp.com/news/130402/ ザ・ポップ・グループの創設メンバー ギタリストのジョン・ワディントン死去 https://amass.jp/167606/ 40年代から活躍していたブルーグラス界の大御所デュオ、Jim & Jesseの Jesse McReynoldsが23日死去。93歳の高齢であった。 相方のJim McReynoldsは2002年に死去しており、これで2人共鬼籍入りになる。R.I.P. イタチさんは訃報を肴に呑む男。 居酒屋オフ会まだー^_^ 往年のブルーグラス界の大御所デュオ, The Osborne BrothersのBobby Osborneが27日、 91歳の高齢で死去。弟のSonny Osborneと共に、The Osborne Brothersとして50年代から 2005年まで活動し、MGM, Decca, MCAでは数々のヒットや名盤を残した。 弟のSonnyは2021年に他界、先週に亡くなったJim & Jesseと同様、このデュオも 2人ともいなくなったことになる。R.I.P. メガデスの元ドラマーであるリー・ラウチが逝去。享年58歳 メガデスの初期にドラマーを務めたリー・ラウチが亡くなった。享年58歳だった。 1984年のメガデスのデモ・テープに参加していたリー・ラウチの訃報は兄弟のクリス・ラウチによって発表されている。 「今日はすごく悲しい日です。兄弟のウィリアム・リー・ラウチが亡くなりました」とクリス・ラウチは述べている。 「リーは非常に信念の強い人で、今は神と一緒にいるのでしょう。彼は素晴らしいドラマーでした。デイヴ・ムステイン、ケリー・キング、デイヴィッド・エレフソンと共にメガデスの初代ドラマーとして、史上最大のメタル・バンドの一つとして歴史に名を刻む手助けをしました。 彼の心は大成することへと向けられ、何度もあと一歩のところまで行きました。リーは素敵な人物で、懸命に努力をして人に与える人でした。彼は人生において教会でその後もドラムを続け、そのことが彼にとっては幸せでした。彼は愛すべき息子で、非常に立派な人物でした」 「そして、何より彼は私の兄弟で、常に連絡を取り合っていたわけじゃないですが、彼のことが大好きでした。彼は大いに惜しまれることになるでしょう。兄弟、大好きでした。いい旅を」 https://www.facebook.com/chris.rauch.391/posts/1732959660475957 リー・ラウチが参加した1984年のデモ・テープは『ラスト・ライツ』というタイトルで、“Last Rites/Loved to Deth”、“The Skull Beneath the Skin”、“Mechanix”という3曲が収録されている。 リー・ラウチは1984年の年末にメガデスを脱退しており、後任は1987年まで在籍することになったガル・サミュエルソンが務めている。 5,60年代に活躍したヴォーカルグループThe Four Coinsのメンバー、 Jack Mahramasが 24日、82歳で死去。The Four Coinsは"Memories Of You", "Shangri-La"などのヒットを出した。R.I.P. Shinichi Yanagisawa R.I.P. >>493 Yanagisawa Singo さんは御健在のようです イタチよくねえな 電光石火で突っ込んだあの頃のイタチはどこ行ったんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる