【トンスル】ドアーズについて語ろう part II【アスペンゲルガー】
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スンゲェーとってもとってもとっても超ウルトラ楽しいぞ どちらかというとマッコリが好きだな
真露や鏡月は苦手
焼酎は九州物がいいな 昔は3枚目と4枚目あたりのロビーが作ったポップな曲が好きだった
モリソンホテルはブルースっぽいなと思っていたけど今聞くとポップだね
LAはポップじゃない TENGAとは、株式会社典雅が販売するオ〇ニー関連商品のブランド名。
使い心地がサイコーで、一度ハマると嫁要らず、生涯童貞、一生独身。 カフェ・喫茶
ドライカレーはスープが付く。辛さは控えめ。レーズンが入っているのは、自分にとってはイマイチ。決済は現金のみ。 Singles買ったついでにOtherVoices+FullCircleのカップリングCDと
WeirdSceneInsideGoldmineも買ってみた
やっぱ面白いバンドだったんだなと思う
ジムが欠けてもそれは変わってなかった オレは顔がストラビンスキー、性格がシド・バレットだと人にいわれる ニジンスキーの動画は必ず観てください
あれは凄いです パリのペールラシェーズ墓地にあるジムモリソンの墓参りに行った際には
モンマルトルにあるニジンスキーの墓参りにも行くべきである
何しろこの2人は魂の双生児である ニジンスキーとは神秘の領域に飛翔したイディオットサヴァントである ニジンスキーはなぜ踊らなくなったのか?
これはグレン・グールドがなぜ舞台でピアノを弾かなくなったのかという問題に通じる ニジンスキーは、いまなおあらゆるところに生きている
跳び撥ねている
ぼくにはその装置が『牧神の午後』の舞踊譜の独創性に秘められていたようにおもわれる
誰も1950年にニジンスキーが61歳で死んだとは想っていないのだ
ニジンスキーがまだ舞踊譜のなかで踊っていると信じられているのだ
これはアントナン・アルトー伝説とはべつのこととして語られていかなければならない
ニジンスキーとは様式の始原なのである ストラヴィンスキーとニジンスキーとピカソとディアギレフ ノヴァーリスの青
セリーヌの黒
アントナンアルトーの赤
ニジンスキーの白
の4次元から音楽というものを捉えることが重要 ジム・モリソンとヴァン・モリソンはどちらの方が偉大ですか? ジムモリソンの頭上には太陽が見える
太陽っていっても古代の太陽
対してヴァンモリソンの頭上には月 明日17日木曜昼に例の場所へ行きます
お会いした際は宜しくお願い致します 今日は三軒茶屋フジヤマに行ってました
マルコシアスヴァンプ、ティラノザウルス、GDフリッカーズ、スクールデイズ、ヒステリックグラマーを購入しました
すべてアナログ盤にて 店内で爆音でかかっていた赤痢のBEST OF 赤痢が非常によかったんですが
これは売り物じゃないから売れないとのことでした
凄まじいキラーチューンが何曲かありましたな タイトルが【トンスル】ばっかって、なんなの?
大体、【トンスル】ってなんなのぉぉぉ〜!?
みたいな。 トンスル(똥술、糞酒、Ttongsul)は、人糞を使った朝鮮半島(韓国・北朝鮮)の薬用酒。韓方薬。 >>87
解説ありがと・・・おえぇぇぇぇぇ〜!!マジ?? トンスルの製法
・田舎の汲み取り式便所に竹を差込み竹の中に排泄物が詰まって出てきたものに
お酒を混ぜて飲む
・竹筒に小さな穴を開け、松葉できっちり穴を塞ぎ、便壺に入れておき、
3-4ヶ月経つと、竹筒の中に清い液が溜まるので、それをマッコリと混ぜて熟成させる
・急ぎの場合は直接に酒と大便を混ぜて3日程度で飲む場合もあったが、
急造されたトンスルは薬としての効果は弱く、非常に臭いがきつく飲みづらい
・赤ちゃんの排泄物を焼いた物と複数の韓薬)を酒に漬ける。全ての疾患に治療効果を発揮するとされる
・6歳の子供の大便に水を混ぜ、丸1日発酵させる。
次に、炊いた白米と酵母、糞尿を混ぜて酒にする。骨折・打撲・腰痛のほか、
てんかんにも効能があるとされる ■赤痢のあやちゃん(Dr)とくーちん(G)フジヤマにて
赤痢のあやちゃんがカナダに引っ越してしまった。
アルケミーレコードの前半期をささえた素晴らしいバンド・赤痢。そのボーカリストであったみゆちゃんは、現在はサンフランシスコに在住。そしてその後のアルケミーの経理を担当し、アルケミーブックストアで働いてくれた、赤痢のドラマーであった、あやちゃんもカナダという遠国に去っていってしまった。
もちろん14才という年齢で結成された赤痢も、2001年には彼女たちは30才を超えているわけで、結婚にしてもなんにしても、人生を選択してゆくのは当然。それに対して我々が何を言う資格もないけれど、やはり素晴らしき仲間であった彼女たちが、この日本を離れていくことには、寂しさと同時に、何かしら、自分自身を考え、まわりを見つめ直す機会を与えてくれていることに気づいた。
みゆちゃんにしても、あやちゃんにしても、もちろん魅かれる人がその国にいるからそこに行くわけで、別に日本という国を捨てて米国とかカナダとかいう国を選択したわけではない。しかし結論からすれば、やはり日本に彼女たちが魅力を感じる人がいなかった、ということに尽きるような気がしてならない。
私から見れば米国もカナダも凡庸で退屈な国に見えるが、ようするに日本こそがつまらなくて、そこで起こっている現象も、そこに住む我々の全ても退屈でつまらない、という結論を彼女たちに突きつけられた気がする。
こういった感情は僻みに属するもので、もちろん彼女たちがそんなことを口にしたこともなければ、思ってもいないことである可能性は高い。彼女たちにすれば、たまたま選択した人が外国人だっただけで、今という時期だけ日本を離れているだけにすぎないのだろう。もちろん日本だって好きだろうし、日本の仲間たちを、つまらないなんて思ったこともない、と言うに違いない。
それでも、私は思わないではいられないし、言わないわけにはいかない。我々が愛し、愛すべき、そして素晴らしい音楽演奏者であり、純粋な精神の持ち主であり、信じられる、そんな彼女が、彼女たちが、1度ならず2度までも、『おまえたちはつまらない』というアンサーを呈したのだ、と。
選択に値しない、のだと。
そして取り残された我々は、この悲惨なまでに退屈で、つまらなくて、終わった国である日本で、ダメなやつらと、さらにダメなやつらのために、徒労を繰り返しながら、自分の手を見つめながら、威張りながら、蔑みながら、それでも止められない手慰めを、ほんの少しの誇りを信じて、ただ毎日を生きていくのである。そう思いたい。
そう思え、と、あやちゃんが言っている。そう、思いたい。
2001.7.18. ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています