NHK朝の連続テレビ小説「芋たこなんきん」 ★3
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>>102
土曜日以外は週替わりで色々な番組を再放送。
土曜日は『美の壺』(再)。 >>92
実際の弟さんは昭和5年生まれ
(聖子さん昭和3年生まれ、妹さんは昭和6年生まれ)
戦争末期に生まれた弟はいない
だから命名「聰」も従兄は関係ないと思われる
ちなみにこの聰さんは聖子さんの葬儀で喪主を務めた、当時89歳だったはず >>104
え、今うちでは芋たこの前は美の壺で駅ピアノはBS1だ
地方で違うんだね 知らなかった 読者からお聖さんって親しみを込めて呼ばれるほどに
人気のあった人だから、このスレにも詳しい人多い気がする。
若い頃にジョゼと虎と魚たちしか見た事ないので
色んな作品に触れていきたいな。
おすすめの本などありますか? >>106
BSは地方で変わらない。全国同じ番組しか流さない。
番宣か何か見てここに書き込んだのかも
駅ピアノは基本的にBS 1ですし >>106
今は平日も固定なの?
『マー姉ちゃん』の時は『グレートトラバース』や『岩合光昭の世界ネコ歩き』miniを週毎にランダムでOAしていたものだから。
それはそうと仲直り出来て良かった。 >>95
ほら、お前が「ではない」と「であるかでないかは分からない」の区別が付いてなかっただけじゃん
時代考証の先生が名前と顔を出して「実際激弱だった」と言ってるのが何よりの証拠(俺に反論はない)
これに対し「いや激弱じゃなかった」と言い張るなら、論証責任はお前さんにしかないんだよ おじいちゃんが息子たちのためにがんばってくれただけでも十分感動なのに、戦争で失われて行くものを留めようとしていたとわかるのがさらにいいね
町子とキクちゃんの仲直りもカンジ君のことにはあえて触れず「前みたいにまた話したいねん」「しゃあないなあ」のやり取り、さらにお約束の言い間違いと「わざとやねん」
言葉の選び方が上手くていつも感心する お爺ちゃんが居なくなって、代わりに信夫がこの世にやって来るのね。
信夫、実在していたら父や義父と同年代だったりするのか……。 藤山直美のナレーションが微妙にへたで、いつもちょっと笑ってしまう 朝ドラの直前にやってる番組で好きだったのはぷちはぴ
1分で細やかな幸せをドラマ仕立てで毎日披露していた
おぎやはぎの矢作に似ていた無名俳優が主演だったなw ABCラジオサクサク土曜日のジングル、
どこかで聞いたことあると思ったら
芋たこなんきんのBGMだった ひゃっこいは家の婆ちゃんもよく言ってたな
俺の地元の方言だと思ってた関西でも使ってたんだな 茨城だけどすごくナチュラルな方言でした
妹さんも上手かった
そして夏木マリも今よりずっと上手いw >>112
どっちかわからないから激弱だったと断定できないという話なんだけど
理解できないみたいだな
>大阪出身の兵士で構成された部隊は激弱で有名だったそうだし、(>>16)
>でも時代考証の先生がそう言ってるからなあ (>>29)
時代考証の先生が名前と顔を出して「実際激弱だった」と言ってるなんてどこにも書いてないがな
で、その先生は具体的な例をあげて激弱だったことを証明してるのか
ちなみにそういう事実がないという件に関しては大阪師団抄史というのを自費出版した人がいて
その中で8連隊が実際に弱かったといえるだけの根拠はないと明らかにしてるし
激弱説に関してかなりの紙面を割いて反論してるらしいから読んでみたら?
ちょっと調べればわかるが弱いと言われてるけど実際は弱くなかったというのがむしろ定説なんだけど 城島リーダーのお芝居が温かくて、それだけでも泣けるね
俳優も上手いからもっと出てほしいけど、社長やったり新たな開拓や農業に忙しいからなあ >>107
ドラマの下敷きになっている作品を読みたいなら小説よりエッセイになるけど、
今の戦中編なら「欲しがりません勝つまでは」とか「楽天少女通ります」
写真館の家族の本物の写真(ツンツンのお見合い写真も)が見られてエピソードも読めるのは「田辺写真館が見た昭和」とか
だけど、やっぱり脂ののった40代後半くらいから50代くらいに書かれた「カモカのおっちゃん」シリーズのエッセイが一番面白いかな いずれ分家する次男の為に土地を買っておく
奥さんには言ってなかったのかな
当時は長男総取りの時代ではあったけど、財産がある家は次男以下にもきちんと残した
それを担保に借金して工場を建てたその落成の日に関東大震災ですべてパーになったのが竜三 >>121
「分からない」でなく「激弱じゃなかった」と言ってるのはお前なんだからお前に論証責任があるんだよ
「読んでみれば?」じゃなくて、お前はその書籍で示されてるらしい「根拠」を示して論証する必要がある
相手に絡んだなら、せめて最後まで自分の言葉に責任を持とうな >>80
邑野みあ?
あの子は曲のある顔立ちだけどブスでもないような
個人的にはエロくて好きw 昭和18年の孝子役の子
見覚えがあると調べたら、てるてる夏子の幼少期だった
いしだあゆみ繋がり >>107
前スレで『孤独な夜のココア』を勧められたので図書館で借りた。
一緒に借りた『ああ、カモカのおっちゃん』を読み終えたら読む予定。 おじいちゃん死んでしもた…(´・ω・`)
商売に精を出してた理由が次男への土地で
お客さんが撮りたいと思った時に撮ってあげなきゃいかんが劇場の思い出に繋がるの着地がうますぎる
あと女優さんきたシーンでお茶出す町子と頭を下げる女優さんどちらも所作が綺麗でよかったな 「私の大阪八景」
女学生編のエピソードはここから取ったものが多い
「自伝的小説」だからあくまでもフィクションなんだろうけど芋たこより毒が強めで、芥川賞作家っぽいと思った >>129
平日がへんてこドラマなので、この土曜がより秀逸 じいちゃんのお通夜、平常時どおり弔問客に食事やお酒振る舞う形式でやったみたいだね
それで何事も無く穏便に済んだ
カーネでは善作が亡くなった時にそれやって
近隣の手伝いに食糧ごっそり持っていかれた上、翌日からあそこは闇をやってると噂を流され非国民扱いだった
善作死んだ方が半年ぐらい早いのに
今はどこも歩くだけで済ませてはるんです!って昌ちゃんが叫んでたわ
福島区と岸和田の違いなのか 家族が集って楽器を弾いたり歌ったりするのは最初奇妙に思ったけどいいね
>>134
ほんまのとこ、かな
変だなと思うほど使うようになったよね 舞台女優の人がお礼を言うとき、スッと座布団から畳に降りる所作がきれいだった
自分言葉と常太郎の言葉を、落語で上下(かみしも)つけて話すみたいにしたのが面白かった 大阪市の北部と岸和田は全然違うだろ
大和川以南は修羅の国と言うかただの田舎 土曜でしっかり纏める巧妙さには恐れ入る
きっと町子の軍国少女ぶりも跡形もなく消え去ることだろう >>134
逆で、工場の男の子の「ほんまのとこ」って口癖が町子にうつったんだけど大丈夫だよね? ばあバアバアちゃんが縁側で消えて亡くなるシーンは朝ドラの定番だな 軍国少女なのにキリスト教?と思ったけどこれも田辺聖子の経験談なんだね 先生も「信仰にはとやかく言えませんけど」と言ってたからね
戦前からの名門私立校はミッション系多いし、キリスト教そのものを禁止するわけにはいかなかったんだろうな 日本で映画「風と共に去りぬ」が公開されたのは、戦後7年経ってからだ
女学生3人が3人とも原作を読んでいたのか
日本語訳の本が戦前に出版されてはいたが、「明日は明日の風が吹く」って映画の中での訳と思う
仮に戦前の翻訳版でそう訳されてたにせよ、キクちゃんがあの長編読んでたと思えない 芋たこのドラマ内で出てくる実名の本はどれも女学生時代の田辺聖子の愛読書
「風と共に去りぬ」は町子と梅原さんは全編読んでキクちゃんは拾い読みしたと脳内補完 >>147
ロマンチックなとこだけ拾い読みとかしそうだよねw今まで見てると
食卓すっかり寂しくなっちゃったな人数減って見たことないアングル出てきた >>145
だって同盟国のドイツやイタリアもクリスチャン多いもんね 技師の人に赤紙が来た後だったか人が減った時
家族が大きいテーブルなんだからもっと広がって食べたらいいのにと言ってて
そうだよねーと思ったけど
今日の画面も含めて人がだんだん少なくなっていってる表現だったんだなと気づいた >>64
戦争だからつまらないわけではない
ヒロインの女優がミスキャストで
いままでの雰囲気ぶち壊したとおもう
あと、マー姉ちゃんは戦争中でも面白かった 家族は少なくなって食卓は寂しくなったけど、相変わらず食事は豊かだ
昭和19年、一人一切れずつ大きな魚の切り身
戦時中の日常生活の酷な描写は控えめでいくのか
ポパイの供出をやるのかと思ってたが、それも無さげ
名札、カンジに漢字がない、姓は野村
大阪市西区川口の子と判明、花岡家からわりと近い >>105
カモカのおっちゃんの弟さんの設定を二分した存在が、信夫(年の離れた弟)と晴子(職業が医師)なのかな?
そもそも昭一の人物設定がおっちゃんの兄に父親の遊び人気質を加えた存在だし。 町子役がくっそかわいい
おっぱいもあるしグラビアしてたのか >>154
町子の弟の年齢を離したのは回想編に子役を出しすぎると徳永家の子役の印象がボケるとか、現代編に若い男性の出番を作るためとかじゃないかと思ってる >>157
そうだとすると、モデルに合わせておっちゃんの弟さんを出す方が無難にも思える。 家族がどんどん減る中で新しい命が誕生するのは希望を感じさせるいい改変だと思う スカーレットオハラってめっちゃ自己中クソ女なのになんで憧れるんだろう 路面電車で町子の隣に座っていた国民服を着た親父は
山田久志並みにシンカーがよく曲がりそうな顔をしてやがったなw >>161
自己中が許されない時代だからじゃないかな
今の人は絶対憧れないし共感もできないタイプの女性だよね >>159
でも杏樹、赤ん坊抱えた未亡人になってしまう
家焼けて食べ物も無いのに
実話通りなら、子供たち17,15,14
もう手のかかる子はいないからお母ちゃん自由が利く、働きにも出やすい
それでも食うに困ったようだけど >>159
なるほど、それも念願の男の子の誕生だったら希望だ。
その観点が抜けていた……。
ちなみに大阪大空襲が起きる前後から終戦にかけて、実際のカモカのおっちゃんは鹿児島で機銃掃射から逃げ回っていたそうな。
母は幼かった弟妹を連れて疎開、おっちゃんと父は手と手を取り……合うどころか、追い越し追い越されを繰り返したり、互いの懐に潜り込んで盾にしたりして必死で駆け抜けた、と。 >>160
わたしも見逃したか?というか思ったけど
どこ行っちゃった? >>164
当時は赤ん坊を背負って働いた女性はたくさんいたし、一番苦しい時期に学費がかかる子供が一人少なかったとも言える
リアルの田辺家は家が焼けて母子家庭になっても子供三人とも上級学校をちゃんと卒業しているんだよね >>160
岸部一徳が独立用意してくれてたから、そこに行った? 幼稚園で椅子壊したお母さん。澤穂希さんによく似てた 町子が言ってた「もうチャリ言うてー」ってどういう意味? 花岡家の食生活が恵まれている理由、出征写真の撮影が軍関係の仕事に当たるからか。
カンジの喜びようからして、一般家庭の食生活はかなりシビアになってきていそう。 「日本国民の大み親は両陛下」という前提と「われらが父はイエス様」という教えのあいだで混乱する町子が面白かった
皇族の子がICUに進学するなんて2006年放送当時ですら考えもしなかったよな キクちゃんみたいな髪型した男顔のモデルがプチトマトにいたな 1945年になると大阪は度重なる空襲でほとんど焼け野原になってしまうんだな >>161 >>163
原作を読んだ時にスカーレットオハラは頭が悪すぎで変な行動をしてイライラした >>179
その中でも健次郎が通い婚の場として買ったマンションのあるという設定の中之島や北浜は、空襲の被害を受けていない建物が今も健在だったりする。
とりわけ北浜はモダンで上品な一面を持っているから、メディアはもっと大々的に紹介しても良いのに。 >>170
教会の椅子を3回も壊すハットトリックを達成 中学校に進学する子も少ない時代、さらに高等学校となると学校自体が少ない
(高等商業や高等工業も含めるとたくさんあるけど)
大阪から通うとすれば、選択肢は
第三高等学校(京都)
大阪高等学校
大阪府立浪速高等学校
甲南高等学校(兵庫、私学)
4つしかない
どこに行くか迷うほど選択肢無い
今の高校進学と混同してると思う
ナンバーでも地名でもない八万寺(はちまんじ)高校って、私学ぽいな
カンジの家は金があるのか無いのかようわからん 城島リーダーがいいお父ちゃんで、この後のことを思うと泣ける >>174のせいで女学生の町子が川島に見えて仕方ねぇw 写真教室で最初に来た4人のうち一人、徳永ゆうきだった
小学生町子と同じクラスにいたのに時空を超えて再登場
使いまわしエキストラ
気に入られたのだろうなスタッフに
この時代にしてはプクプクに太ってる カンジが徳一からカメラを教えて貰う件も、実は今後の伏線だったりする。 おとうちゃんが写真館の跡継ぎができたって喜ぶの切ないな 見てたのにリーダーとカンジ君がソノゴどうなったか覚えてないな…
今週はせつね >>181
米軍が接収して利用する予定の建物は温存かと >>197
調べてみたら、米軍が接収した建物は大半が御堂筋界隈との事。
中之島ホテルは昭和27年まで接収されていた。
けれど、北浜はもともと空襲の被害を受けておらず、米軍もあまり使わなかった模様。 芋たこの昭和40年前後には、ロケでレトロ建物いくつか使われてる
芝川ビル、綿業会館、中央電気倶楽部
3つとも北浜界隈でないが
綿業会館が接収されてたのは結構有名だが、他のはよくわからない おとうちゃんはもし生まれてくる子が女の子でも、カンジ君が町子に婿入りして後を継いでくれないかくらいのことを妄想しているかも ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています