プロレス界のドス黒い歴史を語るスレ(-ω-)/
ドス・カラスは、いい人だとボクは思う(-ω-)/
兄のミル・マスカラスは、世界中で評判が悪いようである(-ω-)/ ドスにやられた力道山。
飲酒して車を運転して銀座から熱海まで1時間で着いたとか、当時の交通事情を考えてもハチャメチャな男で、知れば知るほど嫌になる男。
弟子のジャイアント馬場・アントニオ猪木の悪口も一部で世間からは聞こえてくるが、
性格的には彼らのほうがよっぽど「まとも」だと思う。
アメリカ帰りの弟子のジャイアント馬場の人気に嫉妬して、ザ・デストロイヤーに、こっそり「馬場を潰してくれ」などと依頼していたというエピソードまである。
ザ・デストロイヤーは、たいへん立派な人格者。顔がイケメンでないことだけが残念
な人だった。 2000年の分裂騒動・ノア誕生みたいな事態が近い将来、5ちゃんねるにも発生することだろう。
どういうことかというと、5ちゃんねるから他の掲示板に移籍するユーザーが続出するであろうということ。
勘違いして「長いモノには巻かれろ」「寄らば大樹の陰」とばかりに、大勢の側に付く輩が多いと思うが、ノアの失敗は「塊で動き過ぎたこと」に尽きる。
せいぜい10人程度に絞り込んで、新団体を立ち上げていたら、特に何も仕掛けを施さなくても、全日本との差別化が図れたことだろう。
逆に川田利明と渕正信がノアに行かなかったことで、全日本は完全には潰れないだろう、ともある程度は先読み出来た。太陽ケアも馳浩も動かなくて大正解だった。
動いた方が全日本みたいで、動かなかった方が新団体のような錯覚感があった。
ピンチのようで、実はそれほどピンチじゃない全日本。
5ちゃんねるに分裂騒動が発生したら、より人のいないほうに動こうと思う。ノアの教訓である。 忘れじの国際プロレス。
知床の羅臼が最後の興行場所。最果て感あふれる地が国際の終焉を飾ったのは
1981年の8月9日。
もう国際が潰れることを知っていたジプシー・ジョーは、それから2週間経つか
経たないかの同じ8月に全日本プロレスにジャンプ。 1981年6月15日。テキサス州ダラスでの極秘会談。 ハンセンのほうがシンよりも3日早く移籍が決まっていたというのは驚き。 ラジャ・ライオン氏と小錦の実兄のアノ・アティサノエ氏の一騎打ちを
やったら、全日本vs新日本。団体の威信を賭けた戦い・・・・・・・
とは絶対にならない。 ディック・マードックは所かまわず脱糞する癖があったという(-_-;) 1981年6月の馬場さんは生涯で一番暗躍した、と言えなくもない。。。 サムソン轡田は90年代も全日本プロレスの会場にちょくちょく現れていたらしい。。。 鶴見五郎さんが亡くなってしまった。冥福を祈る(-ω-)/ 鶴見選手はレスリングが巧い。便利屋という感じの立ち位置だった。 (;・`ω・)ナ、ナンダッテ-!!(・ω´・(・ω´・;)