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将棋界のちょっとダークな歴史を語るスレ
0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/03/02(水) 18:00:05.08
藤井聡太竜王(王位・叡王・王将・棋聖)の大活躍で、かつてないほどの華やかな
話題に包まれている将棋界。
今でこそ幸せ一杯の業界ですが、一時は斜陽になりかけていた時代も確かに存在
しました(-ω-)/
0101名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/10(日) 08:13:28.50
意外だったのが、米長邦雄追悼特集で林葉直子の追悼コメントがあったこと。
これを読む限り、もう関係は修復している。
逆に衝撃的だったのが、中川大輔が師匠の最晩年に絶縁状態で、関係が修復する機会が
失われてしまったまま、死別してしまったこと。
史上最年長名人で、さんざん世間からもてはやされた時期に盛んに持ち上げていた(師匠のほうが)弟子が、ボタンの掛け違いと思うが、気まずい関係になってしまったことを初めて知った次第。
私は中川大輔のことは「男の中の男」と見なしている。最晩年の米長邦雄は、どこか
独裁者になってしまっていて、さわやか流と言いながら、ちっともさわやかな人間には思えなくなっていた。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/10(日) 08:43:41.48
林葉父のくだりはどこかで読んだことがあるが、まあ、しょうもない父親だったな、と。
林葉直子本人も父親のところに居たくなかったのだろう。内弟子生活は福岡時代よりは、
ずっと良かったか。

米長邦雄の弟子は、いろいろ個性的だが、本当に残念だったのは伊藤能が師匠の死から
数年後、この世を去ってしまったこと。実力的には年齢制限ギリギリで、今ならば規定で
プロになれない年齢でのプロ棋士誕生、とエリートに程遠い棋士だったが、見るからに
好人物そうな「ほのぼの」した雰囲気の持ち主だった。
棋士米長邦雄名言集も買って読んだ。この伊藤能が既にこの世に居ないのが信じられない。
「能ちゃん。お前がそこにいるだけで、オレは十分幸せなんだよ」
米長邦雄の胸中を察すると、こんなコメントが確かに聞こえてくる。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/10(日) 23:49:00.33
女流棋士の歴史
1962年、蛸島彰子が女性として初めて奨励会に入会(昇級基準は大甘。初段で退会)
1974年、女流名人位戦開始、それに伴い6人の女流棋士が誕生。
1982年、林葉直子、14歳で初タイトル女流王将を戴冠(以後10連覇)、林葉が世間から話題になる。
1989年、女流棋士会発足
1994年、林葉直子が失踪騒ぎ(実際は突然の休場届けから連絡不備で騒ぎになったのだが)。悪い意味で世間の注目を浴びる

2007年5月30日、日本女子プロ将棋協会設立。中井広恵が初代代表理事に。参加者17人。39人は参加せず。
2009年、「マグロ名人戦騒動」
2010年5月27日、石橋幸緒が2代目の代表理事に就任。
2009年4月 渡部愛がLPSAツアープロとして登録され、2012年7月にLPSAより女流3級として認められる。
2012年12月18日、米長邦雄永世棋聖死去

2013年1月28日。石橋がマイナビ女子オープンの本選準決勝をボイコット宣言。
理由は「女流棋士認定で、マイナビに言ったら『連盟と話せ』と言われた、あの馬鹿どもは言うことを聞いてくれない。それなのに、『まとまらないようなら、来年からあなたたちを主催から外す』と言われた、人権侵害だ!密室だ!将棋界は糞だ!だから今、ボイコットする」とのこと。
0105名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/10(日) 23:53:55.90
責任者逃亡、ただのDQNだった石橋
2014年1月23日、中井がLPSA退会・フリー転身。2014年1月28日、石橋が引退・代表理事辞任・退会を発表。どうみても逃亡です、ありがとうございます。
石橋は「もともとこの年齢で引退するつもりだった」とコメントしているが。どうみても追い込まれてどうしようもなくて辞めるのは明らかです、ありがとうございます。
さらには、理事等の執行部がほぼ総取っ替え状態、どうみても「アホどもは引っ込め」状態です、ありがとうございます

しかも、石橋は退任の日にLPSAの資料というナニカをHPに垂れ流し。「連盟が不当な圧力を掛けていた」「私はまったく悪くない」「連盟はアホ」「事実を伝えないマスコミも馬鹿」「謝罪なんてしなければよかった」と馬鹿丸出しの主張。最初から最後まで、自分の立場・状況・世間の流れ・世間からの評価・正悪の判別・常識等なにもかもがわかっていなかったことが判明。そして、こんなどうしようもないアホに代表理事を任せていた、LPSA所属全員のアホぶりも明確となる。そもそも、これらの資料が事実だとしても、このアホがしでかしたことを支持する人など誰もいない。
組織がまともでなく、崩壊しきっていたことを、組織のトップが(自称)内部資料を流出することで完璧に証明してくれました

2014年2月25日、中倉宏美が3代目の代表理事に就任。そして2014年4月にようやく、マイナビ問題について謝罪。そして同年6月に連盟と棋戦運営に関する合意書を再締結。ようやく問題が解決する。まあ、両団体のトップでこれまでのいざこざに最初から関わっており、今なお幹部クラスにいるのが誰もいない
0106名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/11(月) 00:02:05.59
石橋幸緒四段 現役引退とLPSA退会のお知らせ

平素より、日本女子プロ将棋協会(以下LPSAと表記)に
ご理解とご支援をいただきまして、誠にありがとうございます。

 この度、当協会所属の石橋幸緒四段(現代表理事)より、女流棋士引退届と退会届が
提出されたことを受け、当協会理事会は受理しました。
よって石橋四段は来る2014年1月31日付をもって現役女流棋士を引退とし
、 来る2014年2月25日に執り行われる平成25年度定時総会での理事任期満了をもって
LPSAを退会することとなりましたので、下記の通りご報告させていただきます。

・石橋幸緒四段のコメント
「このたび突然の発表となりまして、私事でのお騒がせを失礼いたします。
 今月末をもって女流プロ棋士の現役生活を引退します。
 もともと自分の中で現役生活は35歳までを目処に考えておりましたので、予定より若干早めのところ、まだいい思い出が残っていて将棋を嫌いにならないうちに自ら幕を引くことと致しました。
 1月26日に対局させていただいた第56回1dayトーナメント「アカデミックカップ」は女流棋士として最後の対局となりました。偶然にも自分の引退の時期と同棋戦の開催が重なり、全国各地大学の先生方から当協会への熱いご支援の中で指させていただけた事は誠に光栄に存じます。
 20年間の現役生活で一番印象に残っていることは第18期女流王位を獲得できたことです。また、一番悔しい思い出は小さい頃から目指して来た女流名人位戦で、挑戦者にすら一度もなれなかったことです。
 これまで多くの皆様に教えていただき、支えていただいて楽しみながら女流棋士道を歩み進めて来ることができて、何よりも有難いことでした。この場を借りて心より感謝と御礼申し上げます。今後は一アマチュア愛棋家として、将棋に親しんでいきたいと思います。
 協会役員としては、まだひと月足らず役員任期が残っておりますので、最後までやるべきことを粛々と務めてまいります。
 これから先、女流プロ棋士を目指す人にとって、女流棋界が健全に発展し、正しい道筋が示されることを祈念しております。皆様、ありがとうございました。」
                                2014年1月28日     石橋 幸緒
http://joshi-shogi.com/lpsa/news/news_20140128_ishibashi.html
0107名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/11(月) 00:08:00.35
石橋の駒ビジネスのパートナーが、駒込の駒職人・鵜川善郷
鵜川は、LPSAが独立直後の相談役であり、LPSA初代事務所の大家でもある
マグロ事件は鵜川が仕掛けたものだが、石橋が(事実上の)解任をされると、
LPSAはマグロ名人戦から外された

鵜川の友人が弁護士の錦織淳で、顧問弁護士兼名誉理事長となる
この辺は石橋母の人脈であり、石橋母と石橋の個人スポンサーである西脇善孝なる人物が
LPSAに金を出していた関係で、石橋母は表には出ないが絶大な権力を持っていた

北尾は「LPSAは騙されている」として総会において鵜川と錦織の解任動議を出したが
失敗し、逆に退会する羽目となる。直後に鵜川も相談役を辞任
後任として庄田育夫なる不動産投資屋が理事に就任

最終的に中倉宏美は石橋を代表理事から降ろし、錦織と庄田を解任する方針で
水面下で仲間を集めた
これを知った石橋は、指し初め式の挨拶で「クーデターの動きがある」と
中倉と大庭を名指しで非難して動きを牽制しようとしたが止められず、
自ら引退・退会した
錦織と庄田は解任された石橋の駒ビジネスのパートナーが、駒込の駒職人・鵜川善郷
鵜川は、LPSAが独立直後の相談役であり、LPSA初代事務所の大家でもある
マグロ事件は鵜川が仕掛けたものだが、石橋が(事実上の)解任をされると、
LPSAはマグロ名人戦から外された

鵜川の友人が弁護士の錦織淳で、顧問弁護士兼名誉理事長となる
この辺は石橋母の人脈であり、石橋母と石橋の個人スポンサーである西脇善孝なる人物が
LPSAに金を出していた関係で、石橋母は表には出ないが絶大な権力を持っていた

北尾は「LPSAは騙されている」として総会において鵜川と錦織の解任動議を出したが
失敗し、逆に退会する羽目となる。直後に鵜川も相談役を辞任
後任として庄田育夫なる不動産投資屋が理事に就任

最終的に中倉宏美は石橋を代表理事から降ろし、錦織と庄田を解任する方針で
水面下で仲間を集めた
これを知った石橋は、指し初め式の挨拶で「クーデターの動きがある」と
中倉と大庭を名指しで非難して動きを牽制しようとしたが止められず、
自ら引退・退会した
錦織と庄田は解任された

酷い闇歴史、LPSA
0110名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/11(月) 21:11:20.78
大山康晴の盤外戦術
0111名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/11(月) 21:21:35.93
次に▲5一飛車成りとすれば、キレイに王手飛車が掛かる場面。
素人さんでも見逃さない、いや、素人さんだからこそ喜んですぐに飛びつく一手を15世名人は指さなかった。
▲5三桂成りと、4五にいた桂馬を成り込んで、6二の飛車に当てた。
△9二飛と飛車が逃げた後に、15世名人は、じっと▲6三成桂と寄っておく。
ここで、たまらず、対戦相手の二上達也九段は投げた。
深手の重傷を負っている相手に、バッサリ介錯せずに、のこぎりで首に当てるような独特の指し回し。
真部一男が「こういう指し方をする人を好きになれますか?」と本気で怒っていたという。
そういった場外の空気を15世名人は意に介さなかっただろう。徹底的に盤上では、人の悪さを貫き通してきたから、歳をとっても、なお勝てた、のかも知れない。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/12(火) 08:26:05.15
この手のスレはタイトル見ただけで、大部分の人間は拒否反応を起こす。
一つハッキリ言えることは「永久に不滅のスレ」ではない、ということ。
1000まで行かないで倉庫行きになる可能性が非常に高い。
将棋板は、それでなくても保守が非常に難しい。
1日に10レスあるかどうか、の地味な板のココのように、過疎であるがゆえに
保守も非常に楽、という性質の板ではないのだ。
また24時間以内に一定のレスが付かないと、たちまち将棋板では倉庫行きの
筈である。
将棋板は積極的に書き込みに行くような板ではない。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/12(火) 09:06:58.73
昭和35年の名人戦第5局。
3勝1敗と防衛まであと1勝と迫った大山名人が勝勢で終盤へ。
自玉は矢倉で手つかずの鉄壁の布陣。素人目にも差がついている形勢に見える。
後手の加藤一二三八段は、入玉に一縷の望みを託すしかない状態か。
手番の大山名人だが、▲1四銀と縛って、2五への脱出口を阻止するのが味良く
見えるのだが、実際、それで悪くないようだ。
しかし、大山名人は自然に見える▲1四銀を指さなかった。
形勢に差があり、▲1四銀でなければならない、という局面ではないので、指し手は
色々ありそうだ。底意地の悪い考えの持ち主ならば、わざと加藤八段に入玉させて
しまい、その代わりに取られそうになっている加藤陣の5一にいる飛車を取りに行く
手もありそうだ。
入玉されても飛車を詰ましに行けば、加藤八段は既定の「24点」に届かないだろう。手数は掛かるが、ミスさえしなければ、大山名人の負けはない。
勝勢になったところで、かつ勝ち方が色々ありそうな局面こそ秘かな楽しみがある。
その人の思想がハッキリと指し手に現れる感じがするからである。
横浜駅から列車に乗れば、後は最終目的地の東京駅まで列車に揺られていればいい、という場面で、ノンビリ八王子を経由していこうと考えるのが大山流のやり方で、
常人には真似をしたくても出来ない。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2022/04/12(火) 13:52:29.73
「加藤さん、喧嘩を売っているの?」の中原16世名人のくだりは、将棋世界誌で読んだ記憶がある。16世の対戦相手は真部一男だったが、目の前で、この発言を聞いて縮みあがってしまったらしい。
目の前の対局者(真部)は眼中になく、横の加藤一二三と中原16世は戦っていたことになる。
長期政権を得る者はどこか圭角のある人柄、とは聞いたことがあるものの、藤井聡太は違う! と信じたい。
頂点に立ったことのある人で、嫌なエピソードを聞かないのは塚田正夫実力制第二代名人。晩年は酒を愛しすぎて年がら年中、将棋会館の前で酔っ払っていたというが、盤外戦術その他の嫌味な話は聞いたことはない。あまり欲もなかった感じがする。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/12(火) 14:00:56.83
>>112
このスレと同様の「痛いスレ」をどんどん紹介して、ココに貼ってください。
書き込みに行くことはありませんが、拝読させていただきますよ。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/12(火) 14:29:37.78
渡辺三浦事件はまだ?
0121名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/12(火) 15:08:37.60
https://zaitakudemamawork.com/2020/10/06/hayashibanaoko-2020-genzai/
林葉直子 不倫、整形、自己破産、余命1年宣告 27歳で引退した理由…激動の人生を告白
[ 2020年2月28日 12:20 ]

98年の30歳の時に、男性棋士との不倫が報じられたことには「ちょっとだけ不倫してまして…」と言い、3冊のヌード写真集を出したことには「3回目は変わってた方がいいかなって」と豊胸手術をし「(Bカップが)Fカップになった。(手術費は)200万円」と明かした。その後、1億円近くの借金を抱えて自己破産。棋士の頃から銀行の通帳と印鑑を父親に預けていたと言い、父親にマンションや高級車を購入されて借金が膨らんだと説明した。

 また、2014年には肝硬変が発覚し、余命1年を宣告されたことを「妊婦さんみたいにおなかが腫れちゃう。足も紫色になっちゃう。移植しなくちゃいけないと言われた」と言い、アルコール飲料を断つことで症状は改善してきたという

https://encrypted-tbn0.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSvX-BrqtMhexNUSOvj75hKUKE9hNFUTBJRHQ&;usqp=CAU
0124名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/12(火) 23:23:54.70
東 公平(ひがし こうへい、1933年 - )  日本の将棋観戦記者でチェスプレーヤー。

兵庫県神戸市に生まれる[1]。木見金治郎九段に将棋を師事する。将棋棋士を志し灘高等学校を中退し、上京して梶一郎九段門下で奨励会に入るが、初段で退会。その後、日本将棋連盟職員となり、さらにその後朝日新聞社と観戦記者契約を結んだ。「紅」のペンネームで多くの観戦記を執筆

2009年4月10日、第67期名人戦七番勝負第1局の2日目、観戦記者として記録係と並んで座っていたところ、対局中の名人羽生善治に白い扇子とペンを差し出しサインを求めた。羽生は44手目を考慮中であったが、依頼に応じ扇子にサインした。一連のやりとりはNHK BS2で生放送された。後に、主催者から厳重注意を受けた。
0125名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/13(水) 06:43:47.57
【米長永世棋聖の少年時代エピソード】

・米長が中学生の時、将棋一筋で頑張ってほしい師匠(佐瀬勇次)は「高校に進学するならば破門する」と言った。それに対して米長は「私を破門すれば恥をかくのはあなたですよ」と言ってゲンコツを喰らう。
・「1日に5、6時間も将棋の研究をしていた」と言った師匠に対して「私は3時間も将棋の研究すると頭がボッーとなります。5時間も6時間もできるような生ぬるい研究をしたことがないです。」と言ってまたゲンコツを喰らう。
・師匠に「あなたと同じようにやったのでは、あなた止まりの将棋になるじゃありませんか」と言って、やはりゲンコツを喰らう。
・師匠が真剣に高校進学に反対しているのを見て米長は「これは絶対に高校に行かねばならないはずだ」と決意を固める。
・中学生の米長が「師匠が高卒はいけないと言っているがどうしたものだろう?」と母親に相談したら「佐瀬先生(師匠)の言うことは当たりまえだ。お前は間違っている。これからはどんなところでもいいから大学ぐらいは出ておきなさい。高卒はダメだ」と言われる。
このあと米長は高校に進学し、大学にも進学している。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/13(水) 06:47:50.12
【米長永世棋聖の下ネタエピソード】

・.加藤一二三との十段戦。トイレで一緒になった観戦記者の山田史生に「ここだけは加藤さんには負けないんですね」と逸物を見せつける。
・瀬戸内寂聴と対談して「先生は最後にセックスしたのいつ?」と質問。
・弟弟子の沼春雄と八ヶ岳に登頂。天狗岳山頂で「ああいいねえ」と言いながら自らの天狗を開チン。
・タイトル戦の打ち上げで、お酌に来た芸者に、おもむろに浴衣の裾を開いて、自分の米長玉を見せる。
・米長「私の特技はセクハラで訴える女性かどうかを瞬時に見分けられることです。」
・一番弟子の伊藤能が三段リーグで不振に陥っていた頃に、喝を入れた米長「最近、お前はだらけている。目がな、目が死んでいるんだ!オマ〇コを見るような目で、将棋盤を見ろ!!」
米長の喝が功を奏したのか、伊藤能の闘志に火をつけ、三段リーグを2位で終え、見事に四段昇段を果たした。
0127名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/13(水) 07:02:18.44
矢内「豊島六段への印象はいかがですか?」
佐藤紳「豊島? 強いよね。序盤、中盤、終盤、隙がないと思うよ。だけど、俺は負けないよ。」
矢内「本局への抱負をお願いします。」
佐藤紳「えー、こまたっ、駒たちが躍動する俺の将棋を、皆さんに見せたいね。」

引用元:第62回NHK杯テレビ将棋トーナメントより


矢内「羽生NHK杯への印象はいかがですか?」
橋本「羽生さん? 強いよね。序盤、中盤、終盤、スキがないと思うよ。だけど、オイラ負けないよ。」
矢内「本局への抱負をお願いします。」
橋本「えー、こまたっ、駒たちが躍動するオイラの将棋を、皆さんに見せたいね。」

引用元:第62回NHK杯テレビ将棋トーナメントより
0128名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/13(水) 20:27:31.22
「米長玉」とは玉を香車の上に寄せる形で、先手なら▲9八玉、後手ならば△1二玉、とする形である。米長玉の1号局は昭和52年のA級順位戦(当時は名人挑戦者決定リーグ戦の呼称だったか)における大山15世名人戦(当時は大山棋聖だったか)とされるが、定かでない。
玉は「固さ」が重要視されていたが、それに「遠さ」を重視したのが「米長玉」で、「玉の早逃げ八手の得」を地で行った一手とも言えるかも知れない。
近年の藤井聡太に代表される玉の囲いは「広さ」が重視されていると感じる。固く見えないのだが、終盤の揉み合いになると、妙に玉の逃げ道が広くて、捕まりにくい。
0129名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/13(水) 20:50:36.29
将棋とは、よく出来た競技で、玉と金がくっついた状態で対局が始まる。
そのことからしても男向きの競技なのである。
「将棋は女には向かん。女は『おみおつけ』のことでも考えていればいいんじゃ」
と、のたまったのは、升田幸三実力制第四代名人だが、暴論とは思えない。
『玉は金にくっつけよ』は私が考えた将棋の格言だが、我ながら名言だと思う。
理屈の分からない人には、ズボンとパンツを下ろして、玉と金で築いた「囲い」を
見せてあげると納得するのではなかろうか。私の理論を実践すればアマ初段までは
少なくとも行けると思う。
0130名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/13(水) 22:13:26.09
米長玉の米長邦雄は「香車」の使い方が抜群に上手いという。
香車の田楽刺しを食らって愉悦の涙を流した女性は多いようである。
林葉直子が師匠の香車の田楽刺しを食らったかどうかは知らない。
ただ一つ、確実に言えることは、林葉直子は「桂使いの名手」中原誠の桂馬のフンドシ
を食らって、悶絶したことが何度もあったということだ。
「中原先生! 最後は先生のたくましい槍(香車)で直子を串刺しにして!」
と言ったかどうかは知らない。
余談ながら林葉直子は、非常に辛いカレーにひと頃凝っていて、30倍辛いカレーを
食べていた時期もあるらしい。トイレで用を足した後は、お尻の穴がヒリヒリするとコメントしたこともあるようだ。ひょっとしたら、ア○ルに香車の田楽刺しを食らった可能性もないとは言えない(-ω-)/
0131名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/13(水) 23:26:41.90
昭和58年度のA級順位戦で2連敗スタートとなった中原十段(当時)。
大山15世名人が「永世名人は、A級から落ちたら辞めなければいけない」と
中原十段に直接言ったそうな。
たぶん本当の話だと思う。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/14(木) 07:17:28.84
斎田晴子には弟が二人いるが、上のほうの弟・純一がひっそりと奨励会を去った。
小学5年で臨んだ82年の小学生名人戦では1学年上の森内俊之少年と3位タイ。優勝は羽生善治少年。
将来を嘱望された斎田純一が奨励会を去った理由を知って慄然とさせられた。それは退会せざるを得ないだろうと感じた。
森安秀光九段の死因と同じく、「語らないほうがいい」事件だった。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/14(木) 08:07:30.09
齋田純一は高柳門下
22歳で三段リーグ連続降段点をとり二段へ降段。
その後奨励会退会。
奨励会員へナイフで切りつける事件を起こしたらしい
0135名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/14(木) 09:08:19.28
【大山康晴のちょっといい話】
ある時、新幹線に大山康晴が乗っていた時に、おばちゃん連中が話しかけてきた。
広島の人たちで、同郷の桐谷広人を知っているおばちゃんたちである。
おばちゃんに話を振られた名人は
「桐谷さんのことなら知っていますよ。彼は八段までは十分に行ける素質があります」
と言ったという。
これは、驚きである。当時の桐谷青年は奨励会員。20代前半。
プロになれるかどうかの保障もない一介の若者のことなど名人が知らなくても不思議ではない。20代の時点でプロになっていなければ、将来、自分の地位を脅かす存在に昇りつめる可能性は限りなくゼロに近い。
そんな若者のことを「知っていますよ」と言っただけでなく、「彼は八段までは十分に行ける素質があります」というのは、物凄く高い評価である。
きょうびのように「お情け八段」を量産する時代と異なり、当時は八段と言えば「A級棋士」の響きがある時代。
おばちゃんの口から大山名人のコメントを聞かされた桐谷青年は大いに感激し、終生大山康晴に対しては恩義を感じていたようである。
桐谷広人は升田幸三の弟子でもある。
「大成する可能性は低いが、非常に真面目な男なので、必ず将棋界の役に立てると思い、弟子にした」と升田幸三は評している。
まさか、別の方面で有名人になるとは、さすがに想像できなかっただろう。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/14(木) 09:13:24.14
>>96
この記事、一カ所、間違いがあります。
林葉直子には確かに姉もいますが、弟もいます。
将棋世界誌上で本人が語っていたので、間違いありません。
0137名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/14(木) 11:36:10.05
藤田優(藤田綾の弟・89年生まれ)は、プロ棋士になれると思っていたが。。。
9歳で奨励会入り。中学生プロ棋士の可能性すら感じたものだ。
不明を恥じる。
0138名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/15(金) 10:43:53.73
昔の将棋世界。
「新しい手合い係になりました」という全く同じ写真の広告を5〜6年は続けて出していたような気がする(´;ω;`)秋葉原将棋センター。
「吉田碁盤店」の広告は、恐らく10年以上も全く同じ写真(´;ω;`)
0139名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/15(金) 14:02:39.24
6度名人に挑み跳ね返され、7度目の挑戦で悲願の名人位をつかみ取った米長邦雄。
たかが2度の失敗などモノの数ではない。頑張れ、小室圭!
ボクはただ、コムちゃんマンの栄光を願っている(-ω-)/
0140名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/15(金) 15:09:47.23
「お前と一緒にいると落ち着いてメシが食えん。お前は一人で食え」
大山康晴にこういうことが言えるのは升田幸三だけ。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/15(金) 18:51:52.95
大山
「(中原相手に2日制タイトル戦とかやってられんな)もう4時か、どうせ1日目なんだから早くやめて麻雀にしようや。おい、記録係、時間は適当に計算して加えおけ」

中原
「・・・」
0142名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/15(金) 19:08:23.98
【大山康晴の名言】
「将棋は自陣を麻雀は敵陣を見よ」
逆のことをやっている人が多い、という戒めの意味があり「なるほど」と感じさせられる。
0144名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/16(土) 22:26:48.77
>>132
齋田純一は小6時、1983年度第8回小学生将棋名人戦で優勝
1984/12/10 6級で奨励会入会
1994/06/10 奨励会退会
0145名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/17(日) 11:01:30.79
斎田晴子は湘南高校在学中の1984年に高校の全国大会女子の部で全国優勝。
凄いのは神奈川県下屈指の進学校を出ていながら、大学には進まず、女流棋士の道を選択したことだ。
タイトルも獲得したし、大成功、と言いたいが不貞の弟で苦労させられた。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/18(月) 00:47:13.00
桐谷広人七段は棋士としては升田幸三門下であったが、プライベートでは米長邦雄に傾倒し、米長の著作の代筆を行うなど20年以上仕えた。しかし、米長のために婚約者と破局を迎えたことが一度ならずあったといい、後に米長の裏面をマスコミに告白した。

1975年に桐谷のライバルとされた沼春雄と共に四段昇段を果たしプロ棋士となった。当時まだ珍しかった、研究派の棋士で「コンピューター桐谷」の異名をとった。

1996年度の第9期竜王戦で5組に昇級した。2000年には現役勤続25年表彰を受けた[1]。第55期順位戦でフリークラスに陥落、復帰できないまま10年が経過したため、2007年3月末に引退した。通算成績は327勝483敗。

米長の弟子の先崎学はC級2組時代、9勝1敗の好成績を上げながら頭ハネで昇級を逃した際に「何でおれがこんなクラスで指さなきゃいけないんだ。順位戦の制度はどうなってんだ?」と口を滑らせたために、C級2組の棋士全員を敵に回した。第51期順位戦(1992年度)9回戦の桐谷-先崎戦では、闘志を剥き出しにして挑んだ桐谷が快勝し、先崎の昇級を阻んだ。直後、自戦記において「こんな男に負けて悔しかったら、新宿で安酒飲んで道路に寝るがよかろう、それが似合いだ」と罵って反省を促した。

1984年、東京証券協和会に設置された将棋部の師範をしていたことをきっかけに、独学で株式投資を学び始めた[12]。失恋をきっかけに株式投資を始めたとも言われる。その後「財テク棋士」として著名になった。
0149名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/18(月) 01:03:58.10
田中寅彦九段は、羽生善治が若手だった1990年代中期に、彼に勝ち越していた数少ない棋士でもあり、“羽生キラー”と呼ばれていた[7]。まだ当時は若手棋士であった羽生をいじって注目を集める序盤戦術で、1996年には「羽生必敗の法則 あなたにも天才が倒せます」を「九段・対羽生勝率8割 田中寅彦著」名義で出すほどだった。

田中寅4〇〇〇〇●●●●●5羽生 生涯対戦成績では田中寅は羽生に負け越し
0150名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/18(月) 07:49:14.60
田中寅彦はA級棋士だった昭和59年の12月頃に将棋世界誌上の座談会で放言。
「谷川とか米長とか、あんな弱い将棋」「中原さんは普通の男の子になってしまった」
世間から袋叩きにされた。
しかし、私が気になったのは、次の発言だった。
「僕は調子が悪い時は精神は石田(和雄)、将棋は桐谷(広人)になってますよ」
私には、そちらの発言のほうがよっぽど失礼ではないかと思うのだが、そのことについてツッコミを入れた人は皆無だったようである。
0151名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/18(月) 08:13:57.65
将棋世界で連載をしていた田中寅彦八段(当時)の連載コーナーから。
「(駒音コンサートというイベントがあった時の話)気に食わないのは、『昴』という
高尚な曲を歌った私の歌が「四段」と判定されたのに対して、哀愁のかさがどうしたか
こうしたか、というお経みたいな歌を歌った神戸の谷なんとかいう男が、なんと「五段」
と判定されたことである。
これには温厚な性格で知られる二上先生も激怒されたと聞く。ちなみに『マイク二上』
と異名をとる先生は「三段」と判定されていた。
どうも将棋界には昭和58年の6月15日以来、「正義」というものがなくなって
しまったようである。私が一刻も早く世直しに立ち上がらないといけないと
思っている。

(同じ号での講座で)この理屈、アマチュアでも三段くらいの棋力があれば理解して
頂けると思う。もっともプロでも神戸の谷なんとか君には難しい理屈かも知れない。

次の号で芹沢博文九段が大激怒。「斬り捨て御免」というコーナーで田中寅彦八段を
大非難。
大人になった今だから分かるが、芹沢九段は
「マズイ! このままではトラが世間から袋叩きにされてしまう!」
と機転を利かせたのに違いない。自らが大激怒することで、世間の怒りを鎮めて、
同門の21歳下の弟弟子を救済しようと考えたのに違いない。
田中八段の講座は終わり、ほどなくA級から陥落して、数年間B1に燻っていた。
「強くなりたい。誰にも有無を言わさないほど強くなりたい」
講座の最終回での田中寅彦の決意表明のセリフである。
プロレスでの「てめえこの野郎」調の挑発に慣れていた私には田中寅彦の失言は
非常に面白く映った。
田中寅彦の発言が掲載された翌号の米長邦雄(三冠から四冠になる頃の黄金時代)
自戦記には「田中ホラ彦がこれだけのことを言ったり書いたり出来るのは、背後に
中原誠がいるからではないかと考えた」「トラに威を貸す狸ではないかと考えた」
とある。
0152名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/18(月) 09:09:23.78
田中寅彦と言えば、A級に昇級した頃、
「これだけの人がまだ名人になれないでいる!!」
と自戦記に書いていた。
それだけならばよかったのだが、続けて
「逆にあのくらいで名人になれる男もいる」
と書いていた。
これを読んだ中原十段(当時)が
「これは私のことじゃないのかね?」
とコメントして、横に居た谷川名人(当時)を爆笑させた。
0153名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/18(月) 22:37:24.02
記者:
前に中原(誠)名人が森内(俊之)さんにこういうことを言っておられたのを知っているんですが、
「羽生さんはどうしてやらないんだろうね」とおっしゃってたんですね。
それはなにかというと、名人戦に特化して、
いろんな研究の成果やひらめきやいろんなものを名人戦用にとっておいて、
それを中原さんの場合は名人戦にぶつけて、
それで名人の記録を確保していたという経験がおありなわけなんですね。
そして渡辺(明)さんも竜王についてはそういうような、
経験をそこに集中しているような、そういうふうに見ていたんです。
それに対して羽生さんは各7つのタイトルをどんどん真剣に闘ってお獲りになっていたので、
1つのタイトルに特化していないように私には思えたんですね。
それで、今回の最後のチャンスとお思いになったときは、やはり相当特化して、
今までの研究の成果を他で使わないでとっといてそこにぶつけたという対策をおとりになったのかどうか。
つまり、棋風が変わったって言うとおかしいですが、
そういうことがおありになったんじゃないかなと思います。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/19(火) 11:04:04.26
先ちゃんこと先崎学はハタチそこそこで将棋世界の「公式棋戦の動き」のコーナーを担当していた。
ある時、天王戦という、のちに棋王戦に吸収合併された棋戦のコーナーで、「老師」こと河口俊彦を取り上げていた。
34歳年長の老師を「浜っ子・河ピー」などと呼んで、「何を血迷ったのか、森下を破る大金星を挙げてしまった。このまま天王になったらオモロイけど、まあ無理やろな」
と書いていた。
老師は、たぶん「しょうのないワルガキだな」などと言いながら大爆笑していたと思う。
間違いなく怒っていない。
死んだ芹沢博文にそっくりだな、とも感じたことだろう。
老師は、何故かワルガキぽい男と非常にウマが合った。
残念だったのは、藤井聡太のデビューに間に合わず、亡くなってしまったこと。
生きていたら「諸君。脱帽したまえ。真の天才が現れた」などと言って、大喜びした
のではなかろうか。
地味に大物キラーで、順位戦で谷川浩司や村山聖に勝ったこともある。
中原誠には、お互いにプロになりたての頃、しょっちゅう対戦して老師の連戦・連敗。
昭和57年に初めて中原誠に勝った。というより、中原誠の出来が酷すぎた。
思い当たることと言えば、加藤一二三に名人を獲られた直後であり、その後遺症というか、ダメージが大きすぎたと推察される。
0156名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/19(火) 20:26:44.47
日浦市郎がある時、後輩棋士の対局態度にブチ切れて「ちゃんと座れ!」と
怒鳴りつけたことがあるようだ。「対局は当然のことながら僕が勝った」
みたいに書いてあった。
私は、この「態度が悪い」という後輩棋士が誰なのか、非常に気になって、
将棋世界の「公式棋戦の動き」の欄で調べた。
直近の対局に違いなく、日浦勝利・相手は後輩棋士、と条件に合った棋士を
調べていくうちに

田村康介

という名前が浮かんできた。
これならば矛盾点がない。
0157名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/20(水) 00:17:02.95
郷田は第65期順位戦A級8回戦(2007年2月1日)に勝利し初の名人挑戦を決めたが、対局終了後、当日朝に父が死去していたことが知らされる。「大事な一戦の最中に余計な心配をかけたくない」という家族の意向によるものであった。その第65期名人戦第1局1日目(2007年4月10日)の午後、森内俊之の手番で郷田が扇子音を鳴らし、苦情を訴えた森内が鼻血を出すというハプニングがあった(結果は勝利)。同第3局、亡くなった父親が好きだったという升田式石田流を採用したが、敗北を喫する。
0158名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/20(水) 05:48:48.80
森内は18歳当時で既にA級の技量があると感じたが、まさか永世名人まで昇りつめるとまでは読めなかった。羽生がいるので、名人になれないままで終わるのでは、とさえ思っていた。
不明を恥じる。
佐藤天彦もA級までは行くが、名人になれるとは予想もしていなかった。
これまた不明を恥じる。
丸山忠久もしかり。ただ、名人挑戦を決めた時は、「もしかしたら名人になるのでは」の予感もあったが。
これまた不明を恥じる。
渡辺明は名人になるのが予想よりも10年遅かった。竜王戦の実績は文句なしだが。
次の永世名人になれない可能性が非常に高い。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/20(水) 10:30:29.29
「えっ、食事ですか? 先に風呂に入りましょうよ」と中原名人。
周りの人がみんな若き名人に従い風呂へ。
ひとり取り残されたのが大山15世名人。
それまで、場の空気を支配し「ワシに逆らうか?」という無言の威圧で周囲を従わせていた15世名人が、意のままに従わせることが出来なかった。
言いたいことをハッキリ言った中原名人が、見えない大山15世名人との争いに勝った勝負。
場所は神奈川県の鶴巻温泉・陣屋。今でもタイトル戦などで、たびたび登場する宿で知られる。
0160名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/20(水) 15:54:17.85
https://allabout.co.jp/gm/gc/447701/
将棋界のステルス戦闘機と呼ぶべき挙動不審者〜森内俊之〜

「Q&A」におけるステルス
前掲のムックに「Q&A」が掲載されている。ファンの質問に森内が答える形式だ。ここでもステルスが味わえるので、少し紹介しよう。

Q1. 得意な家事は何ですか
A1. 水やり

私はひっくり返った。水やりとは家事なのか。たとえそうだとしても、得意か不得意かに分けられるようなものなのか。森内は家事をどうとらえているのだろう。まさしく家事においてもステルスだ。さらに続けてお読みいただきたい。

Q2. 好きな花は何ですか
A2. 白い花 ww

Q3. 犬や猫を飼ったらどんな名前をつけますか
A3. 飼おうと思ったことがないので思いつきません

Q4. 一番苦手なことは何ですか
A4. 人前で話すこと

Q5. 一番得意なことは何ですか
A5. アウアウスピーチ
0161名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/20(水) 16:04:28.99
山口絵美菜女流1級が退会
更新: 2022年03月30日 17:00
https://www.shogi.or.jp/news/2022/03/1_56.html

山口絵美菜女流1級より3月30日付での退会届が3月29日付で日本将棋連盟に提出され、常務会にて受理しました。
現在進行中の棋戦については不戦敗となります。
0163名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/21(木) 12:03:09.83
↑森下卓は大山康晴に6勝0敗だったとボクは思う(-ω-)/
0164名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/21(木) 12:36:42.85
森信雄門下女流棋士

名前 女流2級昇級日 段位、主な活躍
室谷由紀 (29) 2010年 7月17日 女流三段、タイトル挑戦5
山口絵美菜(27)2016年 4月21日 元女流1級
石本さくら(23)2016年 9月 1日 女流二段、棋戦優勝1
大島綾華 (19) 2021年 5月 1日 女流初段
佐々木海法(17)2021年12月 1日 女流1級

https://plantationbelow.buzz/index.php?main_page=product_info&;products_id=26389
自称女流名人扇子
0165名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/21(木) 15:08:27.97
田丸昇の著書「将棋界の事件簿」によれば、
「14歳で奨励会六級を受験したが、アマチュア二段程度の実力だったので二連敗した。当日の夕方、師匠の佐瀬勇次七段に誘われて新宿の釜飯屋に行った。奨励会幹事の芹沢(博文八段)も連れ立った。(中略)やがて芹沢は少しばかり威儀を正すと「よろしい。君は学生服を着てきちんと正座して対局していたので、試験は合格にしよう」と言ってくれた。
これは後で知ったことだが、師匠と芹沢の間には「芹沢くん、うちの弟子を何とか頼むよ」「わかりました。佐瀬さんには麻雀でいつも稼がせてもらっていますからね」というような話の密約があり、最初から合格が決まっていたのだ。昔の将棋界は、幹事の独断や有力棋士の働きかけで奨励会入会を認めることは珍しくなかったという。」とのこと。
0166名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/21(木) 16:09:10.20
田丸昇はA級1期だけど、うまくチャンスを生かした。
A級に上がった時は島朗との直接対決を泥試合の末に制したのだが、てっきり初代竜王の島朗が勝つものと先読みしていた。
A級では2勝7敗(不戦勝1を含む)で1年でB1に逆戻りだったが、米長邦雄との将棋は名局。
0167名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/21(木) 16:37:34.49
田丸昇著の「名人を獲る 評伝 米長邦雄」を読んだが、中川大輔の注釈(92ページ)のところ、1968(昭和43)年、宮城県の生まれ。1996(平成8)年に
NHK杯戦で準優勝。2009年に王座戦で挑戦者決定戦に進出。同年に八段の昇段。

と、あり、米長邦雄門下であることは、ひと言も記されていない。
ここにも絶縁状態のまま、修復することなく終わった師弟関係が影を落としているのか。
「私こと田丸」というのが、一つの特徴。

生の田丸九段を見たことは、一度だけある。2013年だったと思うが、将棋文化検定試験の3級(不合格)を受けた時のことで、会場は明大付属高校だった。
女流の誰それの趣味がどうとか、将棋の文化にかけ離れた問題が幾つか見られ、馬鹿馬鹿しくなって、将棋文化検定を受けるのは、この年限りでやめた。
それはさておき、試験後の指導対局で、田丸九段が将棋を指しているのを間近で見た。
駒落ちのハンディを付けているが「王手飛車に気を付けてくださいね」と声をところどころで掛けながら、相手の力をうまく引き出していた。
やがて、田丸九段が投了。
(うまく斬られるものだなあ・・・・・・)と感心しながら見ていた。
将棋文化検定は、その前年も受験しており、折を見て、その時の様子も記そうと思う。
0170名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/22(金) 00:32:19.80
田丸 昇(たまる のぼる、1950年5月5日 - )は、将棋棋士。2016年10月、引退。長野県北佐久郡北御牧村(現・東御市)[1]出身。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号109。

順位戦A級在籍1期。A級初昇級時の41歳は、木村義徳の初A級44歳に次ぐ史上2位の年長記録。また、「タイトル挑戦・棋戦優勝・将棋大賞受賞いずれの経験もないA級棋士」は、史上初であった。しかし、順位戦では安定した強さをみせ、B級1組には通算16期にわたり在籍し、47歳までB級1組を守っていた。
1989年度棋王戦で挑戦者決定戦に進出するも大山康晴に敗れる。これが大山最後の、そして史上最年長66歳でのタイトル戦となった。
1996年、現役勤続25年表彰
2005年4月19日、通算500勝達成(竜王戦6組、対松浦隆一戦)
2008年度順位戦ではC級2組で10戦全敗を喫し、2個目の降級点を取得。2009年4月1日付でフリークラスへの転出を宣言をした。

30代後半にしてすでに総白髪であった。長髪にしていたこともあり、「ライオン丸」と呼ばれた。
0171名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/22(金) 05:15:32.00
B1に戻った後もかなり長くB1のポジションは維持。
順位戦に特化した棋士だった田丸昇。
86年度の順位戦で10勝3敗で上がれなかったこともあった。
0172名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/22(金) 08:48:37.56
B1が鬼の住み家とか言われたのは門番芹沢の全盛期か
芹沢は14歳の時に入門。19歳で四段となる。1年目の順位戦こそ惜しくも昇級を逃すが、2年目からは4年続けて昇級し、24歳でA級八段となる。ちなみに、C級2組から4年続けて昇級を果たしたのは、芹沢の他に加藤一二三、中原誠、谷川浩司の名人経験者3名に、田中寅彦の計4名しかいない。
A級は2期で陥落。その後B2陥落する1982年まで18年B1で指す
1987年12月9日、現役B2のまま逝去。51歳没。死因は肝不全であった。
0173名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/22(金) 08:53:02.33
芹沢は無類の酒好きで知られたが、晩年は酒量が増え、対局もままならないことが少なからずあったという。そんな中、将来の名人候補と目された谷川浩司との1981年度のB1順位戦での対局は、酒断ちをして体調を整え谷川と対峙し、完璧な指し回しで谷川を破った(谷川はこの年10勝2敗でA級に昇級)。
また、谷川浩司の棋才と人物を早くから認めて「将来の名人」と断言し「谷川の応援団長」と自称していた。

芹沢の死去の2年前にデビューして活躍していた羽生善治については、その「筋にこだわらない」棋風を嫌い評価しなかった。羽生と同世代の若手棋士で芹沢が評価していたのは「筋に明るい」将棋を指していた阿部隆であった。

若き日には自らを将棋の天才と信じていたが、あるとき才能の限界を自覚し(中原は自分が届かない場所に行き、米長にも抜き去られたと感じ「前に2頭いれば連対できない」と競馬の勝負に例えて言った)、それ以来酒におぼれるような生き方になった。晩年になると、朝からシャブリを食事なしに飲み続けた。尋常ではない酒量で体調を崩した結果の早逝であり、その死は「時間をかけた、ゆるやかな自殺」とも喩えられた。
0174名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/22(金) 10:22:00.25
芹沢博文は神谷広志の将棋のことは「代わりばんこに指してるだけじゃねえか」と言っていたらしい。
神谷広志は「トシとってりゃ、何を言っていいってもんじゃないぞ」と、
さすがに怒ったようである。
晩年は芹沢博文は、口が過ぎる面は間違いなくあった。
0175名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/22(金) 10:53:41.15
芹沢博文の師匠の高柳夫妻は自分の長女(芹沢九段よりも8歳下)を芹沢博文と
結婚させたがっていた節があるという。
だが、芹沢博文は近所の和子さんと恋仲になって結婚。
無念の気持ちはあったと思うが、高柳夫妻は祝福。
芹沢自身も師匠には申し訳なかった、と気持ちは終生持ち続けていたようだが、
和子さんも立派な女性だった。
いい意味で将棋を知らず、夫のことを信頼していた。

「今度、入門した中原って、男の子、強いの?」
「ああ、強いね」
「あなたとどっちが強いの?」
「バカ! いくら中原が強いったって、今更お前さんは中原に乗り換えるわけには、いかないんだよ」

昭和45年の話
「負けたよ。中原がA級に昇級だ」
「あら、良かったわね。何かお祝いをあげなくちゃね」
芹沢博文は、そうなんだ、高柳一門にとって、これは素晴らしいことなのだ、と
夫人の一言で救われる思いがしたらしい。
芹沢vs中原の大一番で、途中から東公平記者が盤の前に座り動かなくなったのを見て、
(大阪では米長が勝ったな)
と芹沢はピンときた。
「余計なところに気が付くところが俺の欠点だった」
と語っている。
投了した直後、
「おめでとう。これでお前はA級だな」
と言って、
「そうでしょ? 公平さん」
と奨励会での修行仲間でもあった東記者に声を掛けた。
0176名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/22(金) 11:16:01.06
王位戦の観戦記者だった能智記者は酒を愛しすぎて、ある時、階段で足を踏み外し、頭を強打。
そのまま帰らぬ人となった。
能智さんの最晩年に5年連続で王位戦に登場して「王位戦男」と異名をとった高橋道雄九段は、
我が子同然に可愛がられていた。
今でも高橋九段は能智さんに感謝しているという。
0177名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/22(金) 13:04:44.73
芹沢は当時の将棋界でも屈指の競輪好きとしても知られており、競輪中継番組のゲストとしても多数出演歴がある。
ただし、若かりし頃には競輪が原因で億近い借金を作った。

弟子に佐藤義則八段がいるが、佐藤は奨励会時代、芹沢に「呑む・打つ・買うはプロになるまで厳禁」と厳しく言われていたにもかかわらず、佐藤が京王閣競輪で遊んでいるところを、芹沢本人に見つかってしまい破門されそうになったことがある。この時芹沢は「佐藤が弁解がましい事を言ったら本当に破門するつもりだった」と後に語っている。
佐藤義則の父親は警視庁捜査二課の元刑事。芹沢は後年「お父さんが刑事だったから君を弟子に取ったんだ(笑)」とよく口にした。
佐藤義則は師匠の芹沢博文と一緒に競輪場にも足を運んだ。
0178名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/22(金) 13:23:47.35
佐藤義則の父親が芹沢博文のところを訪れた際、
「その頃、法律に触れるようなこともしていたので、てっきり捕まえに来たのかと思ったよ」

息子を弟子にしてください、という依頼だったとは思わずに縮み上がった話。
0179名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/22(金) 14:44:21.70
佐藤姓最強は康光かなあ
天彦も捨てがたい。
なんと言っても名人経験者だし。

加藤史上最強の棋士は一二三
治郎や博二や桃子も捨てがたいが。
0180名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/23(土) 08:44:49.79
「昨年のままで結構 女房殿」
升田幸三は静尾夫人という賢夫人に恵まれた。
二人の男の子を設けた。優秀な子供で慶応大学を出ている、とどこかで読んだ。
(兄弟二人揃ってなのか、片方が慶応大学出なのか、細かいことは忘れてしまった)
長男は「升田幸三の息子」ということにかなりのプレッシャーを感じていたそうだが、
実は日本有数のマジシャンでもある。「勝負師の血」はやはり受け継がれていたようで
ある。
0181名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/23(土) 18:16:21.58
囲碁の藤沢秀行は米長邦雄邸の前に来て
「米長いるか〜オマ●コ、オ●ンコ!」
と大声で叫ぶので、米長邦雄は困ってしまったらしい。
藤沢秀行には子供が何人いるのか正確には分からないが、藤沢秀敏という男が
奨励会に在籍していた時期がある。秀行氏の息子。
0182名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/24(日) 08:00:03.19
米長邦雄が健在ならば、さすがに谷川浩司あたりに今頃は会長の座を禅譲していただろうか。
abema あたりの生中継で「この手は腐ったオマ★コみたいな一手ですね」とか失言したら、逆に「神」扱いされたと思うのだが。
0183名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/24(日) 12:08:13.12
斎藤、渡辺に勝つ

こんな見出しだったら、名人戦と勘違いしてしまいそうだが、今日放送のNHK杯の結果。
しかも斎藤さんも渡辺さんも名人戦とは別人。
0185名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/26(火) 11:03:44.63
「塚田が攻めれば道理が引っ込む」の塚田泰明がフリークラス転出。
55年組は一世を風靡した時代もあったが、天下を取るまでには至らなかった。
南芳一と一緒に95年春にA級から降級したのだが、まだ若いし、じきに二人とも
A級に戻るだろうと思っていたが、一度もA級に返り咲くことがなかったのは意外。
0188名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/29(金) 08:00:01.86
男・桐山清澄、最後の対局を終える。
通算996勝。惜しくも1000勝達成にあと4つ及ばなかったものの、
堂々の歴代10位の勝ち星。
弟子にも恵まれ、豊島将之は竜王・名人になり、三冠王にも短期間ながらなった。
偉大なる大棋士の完全燃焼に拍手。
0189名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2022/04/29(金) 08:58:34.53
升田幸三実力制第四代名人宅で生活した時期もあった桐山九段。
最後の対局は『御上段の間』を永世名人の谷川九段に譲られての対局でした。
0190名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/04/30(土) 09:05:35.05
真剣師・小池重明氏が森プロ(棋聖のタイトルを獲得する直前)に平手で勝利
したのは、今から40年前。角落ち→香車落ち→平手ときて、全て小池氏が
勝った。角落ちの手合いでは、トップアマに勝って欲しいところ。ここは内容は
苦しかったが、なんとか粘り抜いて勝利。
香落ちは、平手に近く、ハンディは小さい。もし、プロ側が負けたら、ショック
小さくないと思うが、これは小池氏が快勝。
最後の平手は▲5八歩と、持ち駒の歩を打ったところ、これを△同竜と取って
しまった手が悪手で、体が入れ替わってしまった。同竜に対して▲4八金打が
堅実無比な一着で「大駒は近付けて受けよ」の格言通り。
ただ、△5八同竜は、そんなにヒドイ手とも思えず、元がそんなに差がない形勢
だったのだ。普通に銀を取っていれば、後手玉は案外逃げ道が広くて、波乱は
起きなかったものと思われる。
0191名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2022/05/01(日) 10:36:02.55
小池氏はプロ編入試験を受けさせてあげて良かった。
30局やって20勝すればプロみたいな高いハードルを課して。ダメならば本人も納得だったろう。
0193名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2022/05/03(火) 07:26:35.49
▲7六歩△3四歩に対して3手目▲6八銀と指してしまい4手で投了した
プロ棋士が昔いたという。名前は知らない。
0194名無しさん@お腹いっぱい。
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2022/05/03(火) 10:43:27.50
後手番なのに初手△3四歩と指してしまい反則負けの人もいた模様。
さすがにプロとして恥ずかしい。
0195名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2022/05/04(水) 09:01:13.05
小池重明氏は、真剣の時は最初の一番はわざと負けてあげたことが結構あるらしい。
0197名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2022/05/05(木) 19:13:21.63
「コイツならばオレでも勝てる」と思わせるのがコツ。
小池氏が有名だが、加賀氏も真剣師上がりでアマ名人戦2回全国優勝の実績を持つ。昭和39年と昭和54年。
0198名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2022/05/06(金) 07:00:49.05
加賀敬治氏はインテリで温和な性格だった模様
小池氏との通天閣での勝負の2年後の昭和56年に50歳の生涯を閉じる。
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