在日コリアンと高校野球
福士敬章は張明夫→松原明夫が改名したケース。
福士とは奥さんの姓で、結婚を機に国籍も日本に変えた。 今から40年前のドラフトは在日選手が二人ドラフト1位指名 同じ東大阪のパクさんなのになぜ差が付いたのか?
【東大阪の英雄】朴和夫→松井和夫→松井稼頭夫「日本代表のユニフォームに袖を通した時には、胸に何か熱いものが去来しました」
【東大阪の汚物】朴虎吉→桶作虎吉→PL親父「京都韓学球児のキュッと締まったお尻が好き」 姓は日本人ふうでも下の名前見たら在日と想像つく人が結構おりますな。 しかし、本来日本人の名前だったのを在日があとからよく使うようになったせいで在日と勘違いされて困った人も結構いるだろうな。 特に、イ・スンヨプが原監督にシーズン中にこっそり、「あなたは韓国系なのですかって聞いてみたら、違うって言うんですよ」という話の部分が面白い。
その間、読売の原辰徳監督には”韓国系”という噂が出回ったはず。原辰徳監督の漢字表記、「原 辰徳」を私たちの発音でそのまま読めば「ウォン・ジンドック」だ。原監督が韓国系だと主張する者は、「ジンドック」という名前だけ見ても韓国系だと話した。
もちろん原監督がたとえ韓国系であったとしても明らかにしなかった可能性があるが、本人は「事実無根」と話したという。 「柳さん」とか「南さん」とか「林さん」とか、在日と勘違いされてしまった姓の人は案外多いかも。
あと「新井さん」もそうか。 下の名前でも。別に元々日本人が普通に使っていた名前なのだが、在日がよく使うものにもなってしまったもの、漢字、
運悪く朝鮮読みが出来て苗字もそれっぽいとか 日本から朝鮮半島に渡り、そのまま現地に住み着いて帰化した人が少数ながら存在する。
「荒木」「藤井」姓はわずかに5人が確認されるという。また「岡田」姓は2000年の時点で51人が存在。日本人が先祖。
「松本」姓だったのが本を消して「松」として生息しているケースも確認された。
秀吉の朝鮮出兵の際に捕虜となり、現地に定着した人が始祖の姓も若干あるという。 日系韓国朝鮮人か
荒木、藤井は何と読むのだ
岡田なら田はジョンだろう それか日本発音で読んでるのか? 金城基泰は此花学院(現・大阪偕星)出身の韓国系日本人(帰化)
74年オフに交通事故であわや失明の危機(目の中にガラス片が残っていたという)
大惨事からなんとか立ち直ったが、古葉監督との相性がもう一つで南海へトレード。
最晩年は巨人でもプレイした。 岡田(カンジョン) 荒木(ファンモク)
藤井氏の現地での読み名は分からず。 韓裕(マルハン社長)。「西原」という通名もあったが、本名で甲子園でプレイ。
前橋工業戦で渡辺久信から2塁打を放つ。現在は日本国籍。
他に鄭昭相(ちょん・さそん)も本名で甲子園でプレイ。
金村義明(報徳学園)「お前ら、本名で出ているのか、すげえな」 通名のランキング第1位は新井さん(朴氏だった人が名乗っているケース)
新羅の王様の朴なにがしの出身地の名前に「井」の文字が入っていて、そこから
とった通名とされている。 「原」姓の韓国・朝鮮人はリストにないようだ。
「星(ソン)」姓は意外とある。巨人の星の主人公は実は在日説があるが、
ドラフトを経ないで入団したのが、当時の規定からするとおかしいのだが、
外国籍ならば当時の規定でドラフト経由でなくても入団出来るから(巨人の
新浦=当時韓国籍で長男誕生を機に日本国籍取得=がこのドラフト外該当)。
星飛雄馬(ソン・ビユンマ)で、父親は星一徹(ソン・イルチョル)となる
のだろうか。 「金」の字を充てる通名は以前からすると激減。
やはり在日と疑われたくないのかも知れない。
金子姓は殆んど半島系の人はいない。 そうすると、在日でない日本人の金が付く人にダメージ倍増か 森本稀哲は苗字は日本の姓だが下はヒチョリという異例のタイプだったな
実際の朝鮮語発音はフィチョル(L)のような感じのようだが日本人にはヒチョリが言いやすいのでそうしたんだろう 「張」というのが元々の姓の人は「張本」と名乗るケースが普通だが「弓長」と名乗る場合もある。 京都商・呉本治勇。この名前から「本」を取り除いてみると(甲子園準優勝メンバー) 81年国体から日本国籍を有していなくても国体出場がОKとなった。
報徳学園(3人)と京都商(4人)が在日なくしては成り立たないチームという事情があったのだろう。 昔、阪神にいた益山性旭は、半島とは関係ない人なのだろうか・・・・・ 金田正一はそのまま田を抜いたらキムジョンイルなんだが、実際の韓国名はまた違うらしいな。
在日は名前をなんぼでも持っとるな
和田アキ子も、元の本名は金でアキ子は現子と書くというからこれは読み方が分からなくて、キムゲンコwと思ったが(現代がヒュンダイだから敢えて読むならヒュンジャか。)
実際は
出生名
金 福子(김복자)Kim Bokja
別名
金海 福子(帰化前の通名)
和田 現子(帰化後の旧姓)
(わだ あきこ)
飯塚 現子(再婚後の本名)
で、多過ぎる。在日は三つ名前がある場合が多いみたいだ 日本球界唯一の400勝投手の「キムやん」
しかし、これだけ自分勝手な男を探すのは難しい。
「監督を監督していた男」と評されるくらいだから、監督としても、幾ばくかの
能力はあるのかも知れぬ。一応、監督として日本一にもなってはいるし。
しかし、監督時代のキムやんの真骨頂は90年くらいに勃発した「ある出来事」
だった。
ろって対きんてつ戦での出来事。死球を食らったかどうだか、詳しいことは覚えて
いないが、きんてつの「とれーばー」とかいうアメリカ人(たぶん)が暴れ出した。
止めに入る人などでごった返す中、何かに躓いてしまったか、四つん這いになってしまった「とれーばー」のアタマにキムやんの目の覚めるようなキックが炸裂
「とれーばー」は母国では育ちのいい「おぼっちゃん」だった。それなのに、
異国の地で「キャネダ」なる粗暴な日本人(国籍上は)にアタマに蹴りを入れられるという、屈辱的な行為を味わう羽目に遭わされた。
怒り心頭に達する「とれーばー」くんの気持ちはよく分かる。
「キャネダ、キャネダ、キャネダ!」と叫ぶのも無理からぬことである。
いっぺん、この犬猿(?)の二人を同じチームの監督と選手として合体するシーンを見てみたかった。「仲間割れ」「内部崩壊」は私の大好きな「心ときめく」
シーンだからである。 金田家はきょうだいが多く、正一と名付けられたが、続柄は次男。
恐らく長男は夭折したのだろう。
星雄だか、そんな名前の実弟ふたりが国鉄に入団したが、完全に兄の七光りで大成せず。
しかし、末弟の留広は見事に大成。兄弟4人がプロに行ったことになる。
また甥の金石昭人(正一の妹)もプロとして、そこそこ実績を残した。 力道山(金信洛→金村信洛→金村光浩→百田家の養子になって百田光浩)
なお、国籍は、生まれた当時日本(朝鮮半島が当時日本の統治下)で、戦後も日本の
国籍を選択したため、国籍上は一応、一貫して日本人ではあった。
何人かの女性との間に子供を儲け、北朝鮮に実の娘がいるほか、日本にもプロレスの
百田兄弟を始め、何人か子供がいる。
10年以上前(08年)に慶応義塾が甲子園に出た時に田村という投手がいたが、力道山の孫にあたる。 張勲(チャン・フン)氏は日曜朝の番組から退くとか。 在日として甲子園優勝監督になった人は桐蔭学園の奇本芳雄氏だけかも知れない。 金光大阪は、「かねみつおおさか」で在日系の学校だと思っていた。 >>85
やはりそうでしたか。「沢」の字を除去してみると。 故・伊良部秀輝氏の奥さんの名前は旧姓・金光京淑(かねみつ・きょんす)という名前だった。 伊良部は在日の妻のせいで自殺し、無縁仏にされそうになったがなんとか無縁仏は免れたんだっけ? かつて金優作(キム・ユザク)という男がいた。
韓国人の母親が日本人の男性と関係を持ち「未婚の母」となった。
片親だったので、子供は韓国籍になった。
のちに金優作は俳優となり「松田優作」としてビッグネームになった。
昭和50年頃日本国籍取得。若くして亡くなったのが惜しまれる。 金村義明氏の母親の名前は、かね子さん。
元々は「金子」という下の名前だったが、金村家に嫁ぐに際して「金村金子」という名前に違和感があって、平仮名表記にしたとか。 81甲子園優勝メンバーの岡部道明を在日扱いにしている向きがあるようだが、これは間違い。
片親は韓国人だが、生まれた時から日本国籍を有している。
むしろ、当時2年生で控え捕手だった松本という選手がいたが、この人が在日であることを強調しておきたい。 金光京淑て、ちょっと調べたら、とんでもない人物に思えてきた。 高原広秀(高広秀)
報徳学園優勝メンバー。1番サード。81年日本代表メンバーとして「母国」の土を踏む。
法政大学卒業後、韓国プロ野球でプレー。 永川英植。73年春の選抜優勝投手。ヤクルトドラフト1位。
35歳での若すぎる死が惜しまれる。 永川英植氏は亡くなった時の国籍は日本だった。
プロになって、コーチが変にフォームをいじるので、悩みまくって、高校の
恩師の渡辺元智氏のところに頻繁に相談に来ていたという。
高校の時は貧血持ちだったので、少し練習を早めに終わらせて、ステーキを
食べさせていたという。自身の体験をもとに投手コーチをやらせたら面白い
存在になっていたと思う。 広島カープは本当にアチラ系が多い。
監督経験者の達川光男氏もそうか。 >>86
学校名を「金玉大阪(きんぎょくおおさか)」と改めれば、全国から親しまれる高校に
なれると思う。 金光教とかいうのがあるのか… 神道の新宗教か…。
韓国系では無いみたいだが、怖いな。 81年日韓親善試合には、金村義明、高原高秀、鄭昭相(チョン・サソン)の三人の在日選手が日本代表として訪韓。
家族で揃って韓国を訪れた金村一家。父親が現地で生き別れになっていた姉二人と再会を果たし、寡黙な父親が号泣しているのを目の当たり
にして金村義明は衝撃を受ける。
北朝鮮国籍だった一家だが、現地での対応ぶりに好感を持ったことで帰国後、韓国籍に国籍を
変更する。
金村義明が日本国籍を取得したのはプロ野球の現役を引退した後のこと。 金村なんでも面白おかしく話すけど、在日がどうこうの話もするかな? 金村母「(パート先での面接で)私、朝鮮人なんですけど構いませんか?」
「全く関係あらへん」
金村義明中学時代
父兄の陰口「あんなセンチョウにエースの座を奪われて………」
センチョウとは船長ではなく、朝鮮の隠語だと気が付いてしまった、かね子さん、全身の血が逆流したことだろう。
わりと民族差別のない地域のようだったが在日コリアンが生きて行くのは、簡単ではなさそうだ。 在日韓国人ではないが、選挙があった時、若い記者が王貞治氏に
「王さんは誰に投票されたんですか?」と聞いた。
場の空気が凍り、中には、その若い記者を睨みつけた者さえいたという。
王さんは、「僕には投票権がないんだよ」とサラリと言ったとか。 王さんは若かりし頃の新浦投手が異常に汗をかいていた時に
「そのザマはなんだ!」と一喝したらしい。
お互い国体に出場出来なかった同志。
新浦選手(金日融)が日本国籍を取得したのは、77年だったか78年だったか
定かではないが、長男が生まれた年。 九州国際大付からプロに指名された柳川大晟は、もしかしたら在日?
「川」を除去すると日本人の名前に見えないが。。。 >114
法務省告示 第五百三十号
左記の者の申請に係る日本国に帰化の件は、これを許可する。
平成二十一年十一月十三日
住所 大分県速見郡日出町以下略
梁大晟 平成15年8月21日生 「たいせい」と言う名前は、必ずテソンという在日なのかな? 黄本創星=黄創星(恐らく)=ファン・チャンソン(恐らく) 夏の甲子園準優勝メンバーで現在はマルハン社長の韓裕は法政大学2年時に日本国籍取得。
「西原」という通名を親は持っていたが(母親はもともと日本人)現社長は、本名のまま
帰化した珍しいケース。 アニキ・キム本が広島カープ在籍時(阪神移籍直前の頃)
テレビを見ていた私の父親が「このカネモトはハーフなのか?」と
訊いてきた。顔が日本人離れして見えるらしい。
私は「在日だよ」とだけ答えておいた。
週刊ポストによると結婚した2000年に日本国籍を取得したというから、
この時は既に日本人になっていた。奥さんは完全に日本の人で、国籍を
日本にしたほうが自由が利くと考えたそうだ。
確かにキム本は目が細くて、独特の顔付きではある。 光山英和・在日説は結構聞くがソースがない。
国籍は日本なのは確か。 金本は在日でもエラが張っとらんタイプじゃのう。
ほんで、ABCテレビの渡辺いうアナウンサーが金本によう似とる。 西武などの監督を務めた伊原春樹氏は在日だと思う。下の名前は以前は在日ぽい名前だったのを改めたもの。姓は恐らく尹(ゆん)が元々の名前だと思う。 82年の簑島高校にも在日が複数人存在していた。
出自を隠していたら、在日代表メンバーとして召集されて、グラウンドで
知っている顔に鉢合わせ。
お互い「エッ?」となったらしい。 矢沢永吉在日説があるけれどソースが不確かなので、よう分からん。
キャロルの関係で言えばジョニー大倉氏は在日韓国人であるのをカミングアウトしていたが。 通名:吉田光雄。民族名:郭光雄。ミュンヘン五輪には韓国代表で出場。
早くに日本国籍に帰化したがっていたが、親族の大反対に遭って、泣く泣く断念。
反対派があらかた亡くなって、障壁がなくなってから、日本国籍を取得した。
一般的には、「長州力」のリングネームで有名な人物。 プロレス関係は結構いるかも知れない。
星野勘太郎は在日韓国人だった。
呂建夫(ヨ・コンブ)が本名。 >>135
こりゃ勉強になったわ。まさか韓国代表でオリンピック出てたとは知らなんだ。
長州国籍だと思うとったわ。5年前に帰化したんだな 民族名:高日明(コ・イルミョン)は在日韓国人として1959年に大阪で生誕。
北朝鮮に行って離れ離れになっている親戚がいるとか。
20代で日本国籍を取得。前田日明として知られている。 吉田光雄は高校時代、国体に出られた。
当時の規定では、日本国籍を有する人しか国体に出られなかったが、
顧問の先生が吉田少年の国籍を知っていた上で、国体にエントリー。
後になって「国籍のことを知りませんでした。申し訳ありません!」と平謝り。
「しゃーないわ」で御咎めなし、と相成った。顧問の先生の見事な作戦勝ち。
日本国籍を有していない人でも国体に出られるようになったのは81年から。
この年の夏の全国優勝校の報徳学園のベンチ入り選手に在日選手が3人いて、
(部全体では7人)準優勝校の京都商業は在日選手4人がレギュラー。
彼らを排除したらチームとして成立するのが非常に困難となる。
吉田光雄ことのちの長州力は国籍の壁を(顧問の先生の戦略だが)見事に突破
して国体に出られた。「革命戦士」の土壌は既にこの時、培われていたのである。 >>136
与昆布って面白いな
字面だけだと台湾人っぽいのに