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【火縄銃・マスケット銃】鉄砲・大砲の歴史 【種子島・ライフル】
0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/14(月) 15:41:58
種子島をマスケット銃などという人もいるけど
マスケット銃はもっと後の時代だという人もいる
あれってどうよ?

銃の登場でどういう事が起こったか?
騎士階級や、刀剣や槍での戦闘をどう変えたかなど等やるスレ
0002名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/14(月) 15:43:17
ガトリング砲やアームストロング砲もね
0004名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/15(火) 00:01:42
このスレは落ちさせたくないのであげ
0005名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/16(水) 14:57:01
>>3
オスマントルコが、
応仁の乱と同じくらいの年代に会戦で使ってるはず。
0006名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/16(水) 15:24:26
どのくらいのを大規模っていうのかな

イタリア戦争を忘れてはなるまい
西欧で小火器がはじめて効果を発揮したチェリニョーラの戦いもあったし
フランスの攻城砲のおかげで築城法にも変化が起こったし

>>5
白羊朝のウズン・ハサンを破った戦いかな
何十年後かのチャルディラーンと似たような感じだったんだろうか
メフメト2世のときにイェニチェリの鉄砲装備率がかなり上がったみたい
0007名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/16(水) 21:43:54
タンネンベルクじゃない?
これはタッチホールだろうけど
しかもどれくらい使えば大規模になるんかよくわからんが
0009名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/17(木) 19:40:00
屈強な軍人も銃があれば女の細腕でも倒せます
0012名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/18(金) 16:04:51
まさか、それ以前の戦闘の体格での有利さが
大柄>小柄だったのが
小柄>大柄になったんで
スウェーデン軍が弱くなったというのはないの?
0014名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/20(日) 09:24:39
銃の歴史だと銃剣も重要じゃない?
鐙と一緒で何でもっと早く思いつかないよのって位単純な発想で、かつその兵種の使い勝手をかなり向上させた存在
0016名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/20(日) 13:04:09
いちおうあることはあったみたいよ
普及はしてなかったけど
どっちにしろ銃口にはめるタイプだとそんなに柔軟な運用はできなかったろう

やっぱり銃剣つけたまま撃てるリング式の発明がひとつの画期だったんだろうな
ヴォーバンが考えたと言われてるね
001815
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2007/05/21(月) 22:05:50
>>17
そうか、すまん
0019名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/06/13(水) 08:27:53
行政管理室に電話をしました。中渡瀬氏のことも聞くために。
担当者、西氏と電話が繋がりました。
流出の件を聞くと、担当の者(上の者)がいないと言われました(まただw)
担当者は、何名いるのか聞くと4名だと回答をもらいました。
中渡瀬氏については、今回の処分で最終だということでしたが、任天堂のROMの件。
被害者女性の画像を削除しないで、自分だけの画像を削除した件や、県の職員が第一発見者なのか聞いた所、私個人はそこまでわかりませんという回答でした。

中渡瀬氏に電話を代わるように伝えると、えつだ氏という人が電話にでました。(さっき上の方はいないといってましたが、いましたね。また嘘ですか^^;)
中渡瀬氏は、行政管理室にいないので代われないと言われました。
熊毛支庁に電話をすれば対応してもらえるみたいです。

今回の1300名〜1400名の情報流出と裏金の資料について問い詰めました。
そうすると調査中とのことでした。
情報を流出した疑惑の人についても事実確認と調査中との回答でした。
電話は、17分(録音済み)しましたが、まぁ予想通りの回答でした。
流出した件についての対応はどうするのか聞くと、個人については、対応を検証中。
流出した情報は一生ネット上で出回りますが、どう対処するのか聞くと、それについてはそのような専門部署があるのでそちらでと言ってました。

嘘で固められた鹿児島。
身内擁護の鹿児島。
県民の皆さんには大変失礼ですが、この鹿児島県庁は、本当に終わっています。
腐れすぎです。
今後も間違いなく、流出は続くと断定しておきます。
http://www.mudaijp.com/wp/?p=405
0022名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/06/15(金) 21:30:33
知らなかったけど人力鉄道の歴史サイトがあった。
http://www.kk-net.com/~tabuchi/JINSHA.htm
0023名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/06/15(金) 22:13:35
長篠の300年後にもなって
刀槍で鉄砲に立ち向かおうとした連中って何を考えていたんだろうね

近代の真っ只中になって同じ轍を踏むとは・・・
0024名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/06/17(日) 01:04:13
武士の誉れ だったんじゃないか?飛び道具は卑怯なり・・・


哀しいですね。


でも、火縄銃などの事実上単発銃を想定していると(組織的運用をした長篠合戦もあるけど)
ゼロ距離に近づいてしまえば(装填している間に)ブッスリバッサリ!という考えもあったのかな。

明治維新時は、連発式も国内にあったそうだから・・・・ どうにもならんよねえ。
0027名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/07/11(水) 11:59:19
>>1
火縄銃の普及で騎士階級が戦場の主役から退いたのでなく
14後期〜15世初期紀頃にスイス傭兵などが槍方陣を欧州に復活させて
やっと歩兵が騎士に対抗できるようになったからなんだぜ?

もし野戦築城も長槍兵も用いず火縄銃単品で運用したら
鈍重な重騎兵なら近づく前に大口径の銃で倒せるかもしれんが
東欧や中央アジアの本場の軽騎兵相手にしたらフルボッコにされちまうぜ

>>23
後装式までの銃兵ってのは銃剣つけてもやっぱり白兵戦は苦手
事実ヨーロッパでは18世紀から19世紀後半にかけて
銃剣を装備した歩兵を狩るために槍騎兵が復活している。
槍に攻撃されると銃剣では対抗できないからだ

これと似たように錬度の低い歩兵相手なら乱戦さえしてしまえば烏合の衆
個人技能の高い武士階級の抜刀突撃は意外と効果的だったのかもしれないべ
0028名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/07/25(水) 06:28:58
なぬ、中世は歩兵戦術を忘れた時代ということなのか〜

戦術にもルネッサンスがあったのか・・・
0030名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/07/25(水) 23:43:51
十六ささげや衝撃隊みたいにゲリラ戦に特化すれば、刀で銃器と戦えるのかもね。

まぁ、西南戦争後半みたいに錬度が充実して斬り込みを受けたら即座に小隊単位で円陣を組んで銃剣を突き出すようになっちゃうと、切り込みも効果がでないらしいけど。
0031名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/20(月) 10:20:47
戊辰戦争のころの歩兵どうしの撃ち合いってどんなんだったの?やっぱり横隊
組んで一斉射撃?
南北戦争みたいのが近いのかな?それとも案外ラストサムライの陸軍歩兵が
一番近いのか?
0034名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/26(日) 01:28:03
先日放送された「幸せって何だっけ?」で、例の偉い占い師が
鉄砲伝来と憲法9条の関連性(?)について独自の見解を展開していました。

要約すると
「鉄砲が伝来して以来、数多くの戦国大名が戦さで使用したが、江戸時代になると
日本人は鉄砲を捨てた。鉄砲を使用しなくなった。
その理由は日本人が平和主義者だから。
だから日本は、(銃を開発した欧米諸国と同じような)銃社会にならなかった。
これはとても素晴らしいことだ。」

周りのタレント・司会者は皆、納得顔でした。
皆さんはどう思われますか?
0035山野野衾 ◆CXSSL1llHI
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2007/08/26(日) 18:50:18
『鉄砲を捨てた日本人』の内容に影響されただけでしょう。
あの本は、銃規制派の著者が「技術の進歩に軍事技術の進歩は必要ではない」
という持論を展開するために、日本を「好例」として持ち出したものですか
らね。著者は歴史の専門家ではありませんし、怪しいところや恣意的な所が
見受けられます。
0036名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/27(月) 10:40:32
おととい花火大会があったんだけど、自宅で音だけ聞いてたら(聞こえてきた)、怖いね何か。
火薬は最初殺すためじゃなく脅かすために使ったっていうのが何となく分かった。
0037名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/16(日) 16:48:59
江戸時代鉄砲がすたれたのは
単に江戸幕府が大名の軍事力をそぎたかっただけのことじゃん
お城作るのもNGなんでもかんでも軍拡はNGだった

でありながら削いでも削いでも陸軍力は高くおかげで日本は諸外国に侵略されることなく貿易だけの関係を300年も続けられた



0038名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/18(火) 18:38:56
>江戸時代鉄砲がすたれたのは
というよりも260年の太平で軍事力そのものがすたれた。
その中で最も軍事力が低下したのは幕府自身。
直参は官僚化し、江戸の生活費高の為軍役人員確保もできない。
0039山野野衾 ◆CXSSL1llHI
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2007/09/18(火) 20:32:07
>>36
火薬が発明されたのは10世紀ですが、当初は専ら延焼させるために用いら
れたもので、爆発力が高まるのは、13世紀以降のようです。
それ以前は、竹を使って破裂する音を出していました。

>>37
廃れたというか、技術的なことはともかく、数だけはありましたよ。
狩猟用には(農民の害獣駆除も含めて)使われていましたし、鉄砲屋も繁盛
していました。
一般農民が許可なく所持することは禁じられていましたが、なにかトラブル
があった時に、庄屋の無許可所持が判明したといった記録が、割とあります。
大体、近世の法自体が、苗字帯刀に代表されるように、「見ているところで
やるな」といった傾向が強かった。
件の庄屋も、「急度叱」程度で済まされたようです。役人も面倒は嫌う。

軍事技術が進歩しなかったのは、まあ当然といえば当然の結果。
17世紀には欧州で騎兵≠騎士が成立し、騎乗者が特別な立場から兵の一角
になっていたのに、幕末になってフランスから軍事顧問を呼んだ時に、騎兵
という身分とは関係しない概念が理解出来ず、騎乗が許されていた与力以上
を集めて編成しようとしたという話があります。と、これは一例ですが。
0040名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/19(水) 09:17:54
>>39
>軍事技術が進歩しなかったのは、まあ当然といえば当然の結果。
進歩しなかったというより退化してしまった。
戦国時代には鉄砲や騎馬の集団戦法も確立していたのにそれが崩れた。
本来は兵卒である足軽がいつのまにか、武士身分?となり兵卒としての用を成さなく
なくなった。(特に幕府)
0041山野野衾 ◆CXSSL1llHI
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2007/09/19(水) 09:55:40
>本来は兵卒である足軽がいつのまにか、武士身分?となり
明治には藩によって士族になったり、卒族になっていたりしたようですが。
正規の武士が指揮を志向するようになり、足軽や武家奉公人が実務的な警備
を担当させられる傾向があった、江戸後期の海岸防備などのことですか。
それでも、武士と足軽・武家奉公人は別れていたようです。

>戦国時代には鉄砲や騎馬の集団戦法も確立していたのにそれが崩れた。
大坂夏の陣まで、各陣営に雇用されていた兵力の相当数は、臨時雇いの傭兵
だったらしく、太平の世に入ると共に失業したようです。
集団戦法というのが、南北朝〜室町にかけて成立した歩兵のそれであるのな
ら、そうした集団戦法に動員されていたのは、ほとんどが傭兵だったようで
すから、戦国期のような合戦の度の動員がなくなったのであれば、雇用する
対象も消える訳で、無理もありません。
「特に幕府」と名指しする理由は分かりませんね。
騎馬の集団戦法というのは、何のことでしょうか。
勿論騎馬隊などありませんでしたし、南北朝時代以降、戦国時代までの間に
下馬戦闘が増加していたようですが。
鉄砲の集団戦法というのは、どういったもののことでしょうか。
0042名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/19(水) 10:26:28
>それでも、武士と足軽・武家奉公人は別れていたようです。
これが不明確ですね、藩によってもまちまち。
幕府において足軽は御家人に編入されたのでしょうが、武士と足軽の区分けは?
譜代席(世襲)=武士、お抱え席(一代限)=足軽と考えるのが妥当かもしれま
せんがお抱え席も実質世襲化し武士化、一般的にも御家人=武士という認識でし
ょう。



   
0043山野野衾 ◆CXSSL1llHI
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2007/09/21(金) 19:31:06
>武士と足軽の区分けは?
話の始まりに立ち戻ってお話すると、足軽・同心と武士というか「士」との
違いは、騎乗が許されるか、許されないかです。
旗本が士分・士格にあたり、御家人が軽輩=卒にあたるという説もあります
が、通常は、足軽(同心)や中間・小者といった武家奉公人が、明治維新後
に一旦は卒族に配され、改めて士族に列した場合でも、「新士族」呼ばわり
されて軽んじられた「卒」にあたるとされています。

与力が馬上、騎馬の同心、馬上同心などと呼ばれ、「騎士」と称されたのに
対して、同心は歩卒、歩同心、歩行同心などと呼ばれました。
江戸後期には馬を飼育している家も少なく、幕末にいざ与力が乗ったらすぐ
落馬したという思い出話も記録されていますが、身分的に戦場で乗ることが
許されたのは、与力以上です。
0044山野野衾 ◆CXSSL1llHI
垢版 |
2007/09/21(金) 19:34:51
それで、なんでこの点にこだわるのかというと、要するに騎乗が士=騎士の
身分に付属して許されていたからなのですよ。
ヨーロッパでも、古くは戦場における騎乗は(あちらの文化圏でいうところ
の)騎士にのみ許された特権であり、誇りでした。
14〜15世紀以降は、騎士が下馬して戦うことも出て来ており、これは我
が国にも見られましたが、16世紀末以降、戦場における騎乗を特定の身分
に限定せず、歩兵や工兵や砲兵と対等な兵科である騎兵を成立されています。

馬に乗ることが許される人間が戦場で限られていては、有効な活用はできま
せん。砲兵の秘密主義や蔑視されていた工兵の地位向上に努めたのも、大き
な「進歩」でした。
つまり、馬というものを兵器よりは身分表示として認識し続けていたという
点において、日本は立ち遅れていたと申し上げたかったまでの話です。
御抱席というなら、与力もそうでしたが。
まず申し上げたかったのは、「近世における武士とは」という大袈裟な話で
はなく、単純に言えば、16〜19世紀間に東西の馬の扱い方に生じた「進
歩」の間隔のことです。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/25(木) 11:22:27
火縄銃兵衛
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