【極限】遭難・漂流物語【飢餓】
異常な状況は人間をどう変えるのか。恐怖の記録を語れ。 605 名前:コピペ :03/02/11 00:47
ミイラ船「良栄丸」資料。
1927年10月31日、 カナダ西海岸バンクーバー島。
ワシントンのシアトル港への帰路についていたアメリカの貨物船「マーガレット・ダラー」号は、行方不明になっていた小型漁船「良栄丸」を発見した。
ボロボロに朽ち果てた船体、ミイラの転がる甲板、激しい氏臭、白骨体、足の無い氏体。
船室には、頭蓋骨を砕かれた白骨体とミイラがあった。
船室奥の部屋には、おびただしい血痕が染み付いていた。
船尾の司ちゅう室では、海鳥の白い羽が至るところに散らばっており、コンロの上にあった石油缶の中には、人の腕が入っていた。
船内には食物も飲料水も無く、エンジン機関部は全て破損していた。
ところが、船長室から見つかった3冊のノートには、信じられない惨状が書かれていたのだった。
そのノートによると、良栄丸の情報は以下の通りだ。
重量は19tで1本マスト
船主は和歌山県の藤井三四郎
船長は三鬼時蔵
機関長は細井伝次郎
乗組員は12名
神奈川県の三崎港を出港したのは1926年12月5日
約1年間漂流していた
ここで疑問が浮かぶ。
発見されたし体は9体、記録には12名とある。
3名はどうなったのだろうか。 606 名前:コピペ :03/02/11 00:47
●不幸な漁船
1926年12月5日、神奈川県の三崎港を出港した良栄丸は、千葉県銚子沖にマグロを求めて進んでいた。
天候も思わしくなく、エンジンが調子の悪い排気音を立てていたため、翌12月6日に銚子港に寄港した。
しかし、エンジンに故障はなく、銚子の沖合いで大量のマグロを水揚げした。
が、暴風に見舞われて航行不能に陥ってしまった。
そして12月15日、銚子の東方沖合い1000マイルほど流された時、紀州船によく似た船が現れたので、信号を送ったり船員が叫んだりしたのに、応答も無く通り過ぎてしまったという。
三鬼船長は漂流を決意、記録には「4ヶ月間は食べられる」と書いてあった。
12月16日にも「東洋汽船」と書かれた船が近くを通ったが、応答はなかったという。
なんとか日本へ戻ろうと努力したが、どうやっても逆に流されていった。
記録にはこう書かれている。
「どう工夫しても西北へ船は走らず絶望。ただ汽船を待つばかり。反対にアメリカへ漂着することに決定。帆に風を七三にうけて北東に進む・・・・。しかし、漁船で米国にたどりつこうとするは、コロンブスのアメリカ大陸発見より困難なりと心得るべし」 607 名前:コピペ :03/02/11 00:49
●恐怖の記録
ここからは説明は要らないだろう。
記録文のみで充分に迫力が伝わってくる。
「12月27日。カツオ10本つる」
「1月27日。外国船を発見。応答なし。雨が降るとオケに雨水をため、これを飲料水とした」
「2月17日。いよいよ食料少なし」
「3月6日。魚一匹もとれず。食料はひとつのこらず底をついた。恐ろしいうえとしに神がじょじょにやってきた」
「3月7日。最初の犠牲者がでた。機関長・細井伝次郎は、「ひとめ見たい・・・日本の土を一足ふみたい」とうめきながら死んでいった。全員で水葬にする」
「3月9日。サメの大きなやつが一本つれたが、直江常次は食べる気力もなく、やせおとろえて死亡。水葬に処す」
「3月15日。それまで航海日誌をつけていた井沢捨次が病死。かわって松本源之助が筆をとる。井沢の遺体を水葬にするのに、やっとのありさま。全員、顔は青白くヤマアラシのごとくヒゲがのび、ふらふらと亡霊そっくりの歩きざまは悲し」
「3月27日。寺田初造と横田良之助のふたりは、突然うわごとを発し、「おーい富士山だ。アメリカにつきやがった。ああ、にじが見える・・・・。」などと狂気を発して、左舷の板にがりがりと歯をくいこませて悶死する。いよいよ地獄の底も近い」
「3月29日。メバチ一匹を吉田藤吉がつりあげたるを見て、三谷寅吉は突然として逆上し、オノを振りあげるや、吉田藤吉の頭をめった打ちにする。その恐ろしき光景にも、みな立ち上がる気力もなく、しばしぼう然。のこる者は野菜の不足から、
壊血病となりて歯という歯から血液したたるは、みな妖怪変化のすさまじき様相となる。ああ、仏様よ」 608 名前:コピペ :03/02/11 00:50
「4月4日。三鬼船長は甲板上を低く飛びかすめる大鳥を、ヘビのごとき速さで手づかみにとらえる。
全員、人食いアリのごとくむらがり、羽をむしりとって、生きたままの大鳥をむさぼる。血がしたたる生肉をくらうは、
これほどの美味なるものはなしと心得たい。これもみな、餓鬼畜生となせる業か」
「4月6日。辻門良治、血へどを吐きて死亡」
「4月14日。沢山勘十郎、船室にて不意に狂暴と化して発狂し死骸を切り刻む姿は地獄か。人肉食べる気力あれば、まだ救いあり」
「4月19日。富山和男、沢村勘十郎の二名、料理室にて人肉を争う。地獄の鬼と化すも、ただ、ただ生きて日本に帰りたき一心のみなり。同夜、二名とも血だるまにて、ころげまわり死亡」
「5月6日。三鬼船長、ついに一歩も動けず。乗組員十二名のうち残るは船長と日記記録係の私のみ。ふたりとも重いカッケ病で小便、大便にも動けず、そのままたれ流すはしかたなし」
「5月11日。曇り。北西の風やや強し。南に西に、船はただ風のままに流れる。山影も見えず、陸地も見えず。船影はなし。あまいサトウ粒ひとつなめて死にたし。友の死骸は肉がどろどろに腐り、
溶けて流れた血肉の死臭のみがあり。白骨のぞきて、この世の終わりとするや・・・・」 609 名前:コピペ :03/02/11 00:51
日記はここで切れている。
だが三鬼船長は、杉板に鉛筆で、以下のような家族宛ての遺書を残していた。
「とうさんのいうことを、ヨクヨク聞きなされ。
もし、大きくなっても、ケッシテリョウシニナッテハナラヌ・・・・。私は、シアワセノワルイコトデス・・・ふたりの子どもたのみます。
カナラズカナラズ、リョウシニダケハサセヌヨウニ、タノミマス。いつまで書いてもおなじこと・・・・でも私の好きなのは、
ソウメンとモチガシでしたが・・・・帰レナクナッテ、モウシワケナイ・・・ユルシテクダサイ・・・・」 610 名前:コピペ :03/02/11 00:52
●奇妙な事実
しかし、記録を調べるうちに、奇怪な事実が浮かびあがった。
数十回に渡って他の船にであっていながら、救助に応答する船は一隻としてなかったことだ。
そして、吉栄丸は太平洋横断の途中、たった一つの島さえも発見できなかったのである。
しかし、アメリカの貨物船「ウエスト・アイソン」号のリチャード・ヒーリィ船長は、次のように述べている。
「1926年12月23日、シアトルから約1000キロの太平洋上で波間に漂う木造船を発見したが、
救助信号を送っても返事が無いので近づきました。しかし、吉栄丸の船窓や甲板に立ってこっちを見ていた10人ほどの船員は、
誰一人として応えず、馬鹿らしくなって引き上げたのです」
だが吉栄丸の記録にこのことは書かれていない。
一体、彼らにはなにが起こっていたというのだろうか。 121 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2006/12/03(日) 19:57:53 ID:J9NKQr9D0
信じようと、信じまいと―
1998年、探検家のシール=アイメがウイグルのタクラマカン砂漠で遭難した。
食料の尽きた彼は時折見かける虫や蜥蜴を食べて飢えをしのいでいた。
命からがら母国に帰った彼は、ある時図鑑を見ていて仰天した。あの時食べていた生き物たちが図鑑に載っていたのだ。
見ていた図鑑のタイトルは「アフターマン」。人類が滅んでから五千万年経った後の生物を想像で描いた図鑑であった。
信じようと、信じまいと―
496 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/01/23(火) 08:22:18 ID:dFwSEMNf0
信じようと、信じまいと―
ある年の冬、岩手県の山中で男性の遺体が発見された。別の行方不明者を捜索している時、偶然に発見されたのだ。
顔以外の部分を土に埋めた状態で「溺死」していたが、遺留品の日記を根拠に「事故」として片づけられた。
雪山で遭難した男性は、寒さをしのぐために顔だけ出して埋まる「土のベッド」を作ろうとしたらしい。
彼にとって計算外だったのは、顔に積もった雪が呼吸で溶け、どんどん鼻から肺へと入っていったことだった。
信じようと、信じまいと― 462 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/01/18(木) 02:07:39 ID:rbZ0Vzej0
信じようと、信じまいと―
19世紀末、北極海でロシアの捕鯨船カタリナ号が遭難した。食糧が尽きた船員達は氷原の上を歩いて
脱出を試みたが、2ヶ月後、8名のうちわずか2名だけが奇跡的に救助された。食料もなしにどうやって
生き延びたのか聞かれた彼らは、途中で倒れた仲間の遺体の一部を食べたことを涙ながらに告白した。
ところが、後に見つかった死体はすべて五体満足であり、しかも船の中に残っていた。
信じようと、信じまいと―
461 名前:本当にあった怖い名無し 投稿日:2007/01/18(木) 02:07:07 ID:rbZ0Vzej0
信じようと、信じまいと―
1972年、ルーマニアの片田舎で3名の女学生が行方不明になる事件が起きた。数日後、付近の丘で
奇妙な中年女性の死体が発見される。死体は動物の革製のひどく粗末な服を身につけていたが、
なんと女学生の一人と指紋が一致したのだ。その後の調査で、その女性は生涯に何度もひどい栄養失調を
経験していることなどが分かったが、今では指紋の一致は鑑定技術の未熟さによるものとされている。
作り話っぽいけど面白いので貼り 『ロビンソン・クルーソー』が刊行された1719年(享保4年)、奇しくも同年、遠州荒井(静岡県新居)の船が九十九里浜沖で遭難、
漂流を続け、無人島に漂着、日本にもロビンソン・クルーソーの物語がうまれている。
その無人島は、今の鳥島といわれている。八丈島から南下すること、約300キロ。火山島である。
一時、気象観測所が設けられたことがあったが、火山爆発の危険があるため撤収、現在も無人島である。
食物も水もない小さな島である。
もちろん、遠州船が漂着した享保4年当時も、水もなく、ほとんど草木もない、岩ばかりの小さな島であった。漂着した者たちは12名。
さしあたりの食料は岩礁にのりあげた船から運んだが、それもやがて尽きてしまった。
しかし、ここは「鳥島」というだけあって、岩肌を隠してしまうほど、何千羽何万羽の鳥が群がっていた。
アホウドリの棲息地なのである。近づいても人間を恐れるふうもなく、逃げることもなかったので、彼らは手掴みで捕えた、とある。
そんなある日、無人の船が漂着する。その乗り捨て船には、米60俵がばかりがあった。その中にモミ米が1俵あったので、
それを蒔き毎年何俵かの米の収穫が可能となった。 そして――、20年が経った。と簡単に20年と書いてしまったが、壮絶でやりきれない人間と自然の、
そして人間と人間のドラマが展開した、筆舌に尽くしがたい20年であっただろう。
その間、12名のうち9名が死んでいる……。
1739年、新たな漂流者が流れ着く。江戸堀江町の17名である。
遠州船の者が彼らに「オレたちは日本人だ」と声をかけると悲鳴をあげて逃げてしまった。
無人島だと思っていたところに人がいたという驚きからではない。彼らの風体の異様さだ。
「20年あまり、鬢はみだれ長髪にて、湯もつかい候こと御座無く、不断日に照らされ、
潮にて顔色は赤黒く黄色く、眼中光り、まことに鬼とも存ずべく……」とある。推して知るべし。
とても日本人とは思えなかったのだろう、いやとても人間とは思えなかったのかもしれない。
江戸堀江町の船も大破しており航海不能であったが、幸運にも伝馬船は助かった。
順風を待って、一行20名はこの伝馬船で鳥島を脱出。3日後、八丈島にぶじ辿り着いた。
――という物語である。 この島を舞台にもうひとつ有名なロビンソン・クルーソーの物語がある。
これは、吉村昭著の『漂流』という小説にもなっているし、
また映画化されたりしたので、ご存知の方も多いだろう。土佐の生まれ、長平の物語である。
ときは、1785年(天明5年)、遠州船が漂着してから約70年近く後のことである。
藩米をおろして空船なったところへ大西風が吹き荒れ、長平たち4人は漂流を続け、鳥島に漂着する。
この話の凄いところは、発火器を難船のさい失っていたので、火のない原始生活を3年間、生き抜いたことである。
特に、長平は仲間の3人が病死した後の1年半は、ひとりで生き抜いた。魚を生で食らい、鳥は干物にした。
絶海無人の孤島で何を思い、何を考え、何をして、生きたのか。
われわれの想像も及ばない絶対的孤独と絶望の極限に苦悶し、のたうちまわったことだろう。
発狂しなかったことが不思議なくらいだ。 そして、長平が漂着して3年後。肥前国の船が漂着する。
さらに2年後、今度は薩摩国の船が漂着する。
ちなみに、この鳥島には多くの漂流者が流れ着いている。
たとえば、先に述べた遠州船と今回の長平の漂着までのあいだに、まず1755年に和泉国の船が流れ着いている。
在島4年のあいだ、5人のうち2人が死んだ。そして、そこへ同じ和泉国の船がまたもや漂着する。
この船に生き残った2人は、助けられ、今まさに出航せんとする間ぎわ、土佐国の船がまたまたやってくる。
彼らも一緒に助けられ、めでたく鳥島脱出となった。
漂着するのが1日遅れていたら、いや、1時間遅れていたら、土佐国の漂流者たちにも長平と同じ運命が待ちうけていたことだろう。
他にもこの鳥島には、1841年(天保12年)、あの『ジョン万次郎』も漂着して『小便を手に溜め、飲みて渇きを凌ぎしが、
それとても飲物少なければ、小便も至って少なくなりし』と苦労しながら5カ月間そこで生活している。
彼は、この島に正覚坊(海ガメ)の調査に来た米国の捕鯨船に救出されている。 ところで、長平の物語である。
薩摩国の船が漂着してから約8年間、16人の共同生活が始まる。
長平にとって、たったひとりの生活から年月を経るごとに仲間が増えていったことは、
己に取り憑いた宿命をすべて許してしまうほどの歓喜がわき起こったのではないだろうか。
孤独は癒され、絶望は相対化されたはずである。
のち2人が病死。14人で3年がかりで小船をつくった。船をつくるにも、気が遠くなるような苦労話が伝えられている。
流木を利用して船をつくるのだが、錨から釘をつくるためフイゴをつくることから始まった。
船板の隙間には貝殻を焼いて石灰をつくり、それを塗り込んだ。
「ぐゐみ」という灌木の樹皮で、網をつくり帆布をつくった。船づくりには全員が素人であったが、
驚くべき忍耐と知恵を集結してつくりあげたのである。
1797年(寛政9年)長平にとっては12年ぶりに鳥島から自由になった。
波まかせ、風まかせの航海であったが、5日後に幸運にも青ヶ島に着き、助けられた。
ここまで鳥島をめぐる漂流記をみてきたわけであるが、記録に残っている漂流者たちの存在は氷山の一角であろう。
なにしろ、非情な運命に弄ばれながらも己を失わず、生還することが前提である。
そして、幕府の役人や学者たちに事情聴取されてはじめて記録となって後世に伝えられるのだから。 実に興味深い話ですね。
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大いに語れ >>21
あれは殺したとも言われてますが事実はどうなんでしょうか? 遭難船なら、タイタニックとか、名前は忘れましたが19世紀の誰も乗っていなかった船も不気味ですね マリー・セレスト号事件だね
そっちは名前と概略くらいは知ってた
wikiにもあるみたい >>28
そう、それです。
思い出しました。あれにはどんな説があるんでしょうか? >>30
アルコールの樽爆発し救命ボートで脱出説
海賊説
波にさらわれた説
泳いでいる船長を見ていたら重心が傾き全員落下説
バミューダートライアングル説
乗組員反乱説
UFOにさらわれた説
竜巻説
その他もろもろ。 >>31
最近は一番上のアルコール爆発説が有力みたい >泳いでいる船長を見ていたら重心が傾き全員落下説
サイテーw タイタニックにも不気味な兆候がいろいろありましたね 煙突から人が出た話と、神父の夢の話ぐらいしか知らないぞ
中学生のときタイタニックにはまって調べまくったんだが、
数年経ち、詳しくは忘れてしまった。 >>36
あとキャンセルも続出してますね
>>37
死者は数人だった気がします
当時としてはかなりの大事業だった訳ですから仕方ないのかな? 当時としては異例の大型船とよく言われてるが、
全長もほとんど変わらない姉妹船のオリンピック号も… 両船ともホワイトスターライン社の目玉だったですね
豪華客船を2つ造るなんてよっぽどお金があったのかなあ >>40
しかしわずか1回の航海でパーw
オリンピック号は長命だったけどね >>42
スクリュー(違ったかな?)に、オリンピック号の記しがあるんですよね。
という事ならば、つい最近まで走ってたオリンピック号は実はタイタニック号だったというか… 最近だとメタンハイゾレート説が有力っぽいらしいですね
ロマンはないけど・・・ >>46
バミューダトライアングル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%8
3%80%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB
メタンハイドレートでしょうか? バミューダトライアングルって言ったら、
「ドラえもんのび太の海底奇岩城」を思い出すなあ 単に掃除してただけじゃないのか。
男が出たのは飾り煙突の方だったかな。 それより俺は近世の未解決事件切り裂きジャックが気になる その犠牲者の惨殺写真を開いてしまった。
気分が悪くなった。 遭難といえば大黒屋光太夫とか津太夫とかもある。
彼らはロシアから帰国出来たけどさ。 やったー携帯小説できたよー(^o^)ノ
───アタシの名前はアイ。心に傷を負った女子高生。モテカワスリムで恋愛体質の愛されガール♪
アタシがつるんでる友達は援助交際をやってるミキ、学校にナイショで
キャバクラで働いてるユウカ。訳あって不良グループの一員になってるアキナ。
友達がいてもやっぱり学校はタイクツ。今日もミキとちょっとしたことで口喧嘩になった。
女のコ同士だとこんなこともあるからストレスが溜まるよね☆そんな時アタシは一人で繁華街を歩くことにしている。
がんばった自分へのご褒美ってやつ?自分らしさの演出とも言うかな!
「あームカツク」・・。そんなことをつぶやきながらしつこいキャッチを軽くあしらう。
「カノジョー、ちょっと話聞いてくれない?」どいつもこいつも同じようなセリフしか言わない。
キャッチの男はカッコイイけどなんか薄っぺらくてキライだ。もっと等身大のアタシを見て欲しい。
「すいません・・。」・・・またか、とセレブなアタシは思った。シカトするつもりだったけど、
チラっとキャッチの男の顔を見た。
「・・!!」
・・・チガウ・・・今までの男とはなにかが決定的に違う。スピリチュアルな感覚がアタシのカラダを
駆け巡った・・。「・・(カッコイイ・・!!・・これって運命・・?)」
男はホストだった。連れていかれてホストは突然として逆上し、オノを振りあげるや、
吉田藤吉の頭をめった打ちにする。その恐ろしき光景にも、みな立ち上がる気力もなく、しばしぼう然。
のこる者は野菜の不足から、壊血病となりて歯という歯から血液したたるは、みな妖怪変化のすさまじき様相となる。
ああ、仏様よ
4月4日。三鬼船長は甲板上を低く飛びかすめる大鳥を、ヘビのごとき速さで手づかみにとらえる。
全員、人食いアリのごとくむらがり、羽をむしりとって、生きたままの大鳥をむさぼる。
血がしたたる生肉をくらうは、これほどの美味なるものはなしと心得たい。これもみな、餓鬼畜生となせる業か。