「かわいそうランキング」上位のみを支援対象にする日本の絶望社会

いわゆる「コラボ問題」があらゆる方面に波及し、大きな騒動となっている。
もはや「ツイッターの一部界隈のバトル」といったスケールをはるかに超え、
行政や政府やNPOなどの「女性支援」という事業あるいはジャンルそのものに
対する怒りにまでその規模を拡大させている。

Colaboという団体の健全性が追及される過程で副次的に明らかになってきた、
行政や政治によって公認され後押しされている「救済対象の偏り」は、
人びとの人情や共感では救済され得ない「透明化された人びと」からすれば
「きっと『公』なら『私』よりもずっと平等で公平な救済をしてくれるはずだ」――という、
最後の望みを完全に潰されてしまうような形になってしまったからだ。

人情や共感を持たない、言ってしまえば「融通の利かない救済」を達成するからこそ
平等や公平を担保すると期待されていた「公」が、実は生身の人間さながらに人情や共感を
ベースにしてシステムをつくり、制度的にも予算的にもより大きなスケールで
「かわいそうな弱者」を助けようとしていた――この身も蓋もない現実は、
「かわいそうランキング」によって社会の辺縁部に棄て置かれ、
置き去りにされてきた人びとから見れば、絶望以外のなにものでもないだろう。

この問題について、SNSのジャンルやクラスタを問わずさまざまな方面から
男性たちの怒りの声が上がっているのは、自分が公的にも私的にも差別され、
語弊をおそれずにいえば「下級市民」扱いされていたことをはっきりと気づかされてしまったからだ。

私たちはおめでたいことに、自分では心からの「善行」のつもりで、助けたい者だけを助け、
その結果として世の中に憎悪や分断の種を播いている。

私たちの「善意」や「やさしい心」や「共感性」や「良心」はこの社会の調和を乱し、
融和を壊し、分断を煽り、軋轢を強め、憎悪を蓄積させ、絶望を深めている。
こんな愚かで罪深いことが他にあるだろうか。

この世界が壊されてしまうのは、「悪意の存在」ではなく「善意の偏在」によってだ。

PRESIDENT Online (一部抜粋)
https://president.jp/articles/-/65673