検面調書や裁面調書は、オウム真理教事件では事実上、村上春樹と森達也が
書いている(1Q84など)。
しかし、村上春樹は「敵味方社会の到来」と言い、森達也は「暴力への回帰」と言った。
今となっては、「もっと別の感性があってもよかったんじゃないかな」と思う。
オウム真理教としては不満の残るものであったし、マイノリティ宗教への偏見だけが残った。
私は、安倍晋三狙撃の第一報を聞いて「散弾銃」=ショットガンを医学書で調べた。
やたらと「遺伝子操作」の記述があり「要するにスタンガンだ」と発言した。
「安倍の命への楽観論」を唱えたのだ。
夜中にメディアが「散弾銃」について警察に追求したが、警察は「自制の銃」
と見解を変えた。
しかし、三原じゅん子も生稲晃子も私の見解に涙を流し、
自民党は改選過半数を制した。
公明党の山口那津男が、夜中に「自民党はそれで結束していたのか」と驚いていた。
自民党参議院には「19名の女性議員」がいる。
話し合いの男性パートナーとして「19名の男」を野党から連れてくることができる(パーシャル連立)。
それでも、私は公明党との連立の維持を表明した。
無極(子育て)について詰めていくことにしたのだ。
たとえば、英語の医学書で私は「サリン」という単語を普通に「ポカリスエット」と今でも訳しているが、
当時の事件の第一報で「スポーツドリンクだ!」と言ってくれた医者がいたら、
オウム真理教は「暑さの中で熱中症患者をなくそうとした」という美談になってしまうではないか?
しかし、当時は「野茂英雄がメジャーに挑戦」という時代だったのだ。
まあ、関東大震災の時に、朝鮮人が「井戸に漢方薬を投げ入れた」のを「毒」と翻訳し、
日本軍が銃剣で朝鮮人を殺しまくった事件もあった。
国家レベルで「間違い」を引き起こしやすいのはなにしろ二週間前に起きた話であることから、
皆さんも心してほしい。