>>640-641
熊本県人は上に媚びへつらい、下にきびしく当たることが世に広く知られています。
しかしこれは本来の県民性ではありません。
かって戦国時代末期に領民は統治者佐々成政の圧政に叛旗を翻し、肥後国衆一揆(1587年)を起こしました。
一揆勢は緒戦では雄々しく戦いましたが、天下人豊臣秀吉が派遣した大名によってことごとく鎮圧されました。
その戦後処理として、秀吉は徹底した粛清を命じました。
一揆加担者は一族郎党ともことごとく斬首となりました。中立を守った者も容赦なく処刑されました。
そのトラウマが県民に代々引き継がれ、いまも奥深く残ります。
その所以で、本能的に強者に媚びへつらい、弱者をいたぶるわけです。
占領軍の棟梁加藤清正を崇拝するのも鬱屈した心境の裏返しです。
第二次世界大戦後、焼け野が原の日本国民が進駐軍の最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥にひれ伏したのと同じです。
県内いたるところにはびこる陰湿ないじめはそれが形となって現れたものです。
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