なんで尾崎豊は落書きの教科書と外ばかり見てたの?
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>>38
尾崎の世代だとスペースインベーダーがどストライクだったと思うが 未だにバイク盗んだのを窃盗だ!犯罪だ!と叩く奴いるけど
実際は兄貴のバイクを無断で借りただけだからな
それを盗んだと表現しまう尾崎はマジで天才だと思うわ 15じゃ原チャリ免許も取れないんだから無免許運転で犯罪なのには変わりない 正直この時代の狂い方からしたらチャリ盗みや窓割りなんてない学校がないレベルだった 「バイクを盗んで走り出せ」じゃないからな
「盗んだバイクで走り出す」ものの「行く先も解らない」とか「暗い帳の中に行ってしまうぞ」とか「自由になれた気がした(気がしただけ)」だからな?
そんなんしてもダメだよ?敷かれたレールの上を歩むだけの様な人生にムシャクシャする気持ちは分かるけど
って意味合いだろ 未だに尾崎を蔑むのに必死な奴って30年間何も成長しなかったんだろうな でもいまだに尾崎を超えるソロアーティストが出てこない現実 未だに尾崎を持ち上げるのに必死な奴って30年間何も成長しなかったんだろうな チンピラ犯罪者「でもいまだに尾崎を超えるソロアーティストが出てこない現実」 マジで理由が分からないの?
犯罪者心理は理解できないわ 尾崎の曲を間に受けてバイクを盗んだり窓ガラス壊したヤツが居たとしよう
それは相当な大馬鹿者だけど
歌詞の意味が理解出来ず嫌いと言ってる人は同レベルの大馬鹿者って事なんだけど 修辞とかレトリックがわかんないんだろ
1980年代前期の10代のリアルもわかんなきゃ
まあ無理もないがね 逆なのに
隅で丸まってるダンゴ虫や登校拒否の歌だぞ 勘違いお笑い芸人
普通の人は客観視して自制するのにその知能がないだけなのに自分に酔ってて気持ち悪い
演技がかってる厨二病のアホだから殴りたくなる 盗んだバイクも窓ガラスも全部フィクション
80年代当時は才能関係なくイケメンだからデビューできた
サンボマスターレベルのデブサイクがデビューするまで20年以上掛かった むしろあのキャラで不当にsageが多いだけで
10代作品はほぼ神曲やろ 時代と出方がちょっと違ってたら
多分福山雅治みたいなもんだし 尾崎豊は覚醒剤で捕まった後に一回夜ヒットに出ただけで他にテレビ出演したことがないから福山雅治とか的外れすぎるんよ 幻冬舎社長 見城徹 (当時角川書店社員) と尾崎豊
尾崎は覚せい剤で逮捕され、角川の見城と尾崎の関係も一度はそこまでになった。全てを失ってボロボロの尾崎との再会はジムだった。
白髪交じりで、ダボダボの体の青年?から「見城さん?」声をかけられた。「尾崎ですよ」でも、余りにも自分の知ってる尾崎とかけ離れたその姿に尾崎豊とは分からなかった。
当時見城は仕事に対する情熱を見出せなくなっていて、尾崎の再生を自分自身の仕事の情熱の再生とダブらせて、再び尾崎とどっぷりの関係を始めた。尾崎のために会社に内緒で銀行からお金を借りたりして、まさに尾崎と心中するくらいの勢いだった。
尾崎は見事「誕生」というアルバムで、新生尾崎としての再スタートを飾り、初登場オリコン1位という結果。二人で抱き合って泣いた。
でも、尾崎の深い孤独というか、信じた人にはとことん自分を愛して欲しいというわがままというか、それに見城がついていけない感がここら辺から出てきた。
ツアーには全部ついてきて欲しいだとか、今のレコード会社には信じられる人がいないから、見城さんレコード会社作ってよ・・・尾崎は唯一信じられる見城に、真っ向からぶつかった。しかし見城はそれを受け止め切れなかった。そこから二人の関係は疎遠になった。
尾崎が亡くなる3週間前に尾崎から久しぶりに電話があった、その時も見城は尾崎に対してそっけない態度を取ってしまった。あの時「今から来いよ・・・」と言ってやれば良かったと今でも後悔している部分もあるが、それでも、あれで良かったと思う。
尾崎の訃報を知らせる留守番電話が34件入っていた。その中で唯一、尾崎再生に向けて一緒に闘ったSONYのスタッフにだけは電話をした。その人が見城に「正直、ホッとしました」という言葉を言った。普通に考えればひどい言葉に聞こえるが、見城も同じ気持ちだった。 たしかに 少し時代があとならhydeみたいなことやらされてたと思う 独立した後メディアに出る準備もしてたらしいテレビで喋る尾崎見たかったな 学校がどうとか社会がどうとか下らねぇ
この人に共感するのは15歳までとそのまま大人になったキチガイだけ 尾崎は陰キャじゃねえよ親友の坂上忍もあんな陽キャな奴も珍しいと言ってるくらいなのに >>102
あきらかにボコボコにされた後の遺体なんだよな直接死因になったかはわからないけどリンチ受けてた後はある まあ、社会に出たら学校なんかよりもっと過酷な生活待ってるからな、、 平家みちよは幼少の頃から狂信的な尾崎信者だっま
6歳のときには早くも三重県名張から大阪球場のライブへ
親に頼み込んで連れて行ってもらったそうだ 尾崎豊 1965年〈昭和40年〉11月29日 - 1992年〈平成4年〉4月25日(26歳没) もし生きていたとしても創作活動に行き詰まってどうにかなっちゃってたろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています