「真田家は西軍と東軍に分かれるという奇策によって関ヶ原を生き残りました」←ズルやんけ
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>>11
おかげで 滅ばないで 今も 関ヶ原以降の代々の領地である 秋田を支配している >>14
アホの盛親が長宗我部家の本領安堵に奔走してくれた実の兄貴殺すからだろ 島津も同じことして生き残っている
義久は東軍
義弘は西軍 真田は石田大谷上杉と並ぶ西軍のオリメンなのに後から生き残るための策として東西両軍に分かれたとか言われて可哀想 大阪人が徳川憎しでこの信州人を祭り上げてるのが滑稽 >>5
しかし息子に父の首を斬らせた例もあったような 源頼朝を支えた板東武者は東下りした平氏ばかりだったな 島津は幕末にも朝廷幕府双方と政略結婚している
両張りは全滅は防げるが両方助かる可能性は低くなる
命を捨てることを美化する洗脳が必要になる >>15
鎌倉から続いた名門は徳川には潰せなかった
伊達とか関東にずっといた足利分家なんかもそう @
真田昌幸は居城・上田城を徳川家の助力を得て築城した事はよく知られているが、その築城工事の指揮を執ったのは大久保忠世であった。忠世からすれば上田城を騙し取られた挙句、第1次上田合戦でも痛い目に遭わされ、昌幸に良い感情を持つはずがなかった
これが真田クオリティなんよ
自分さえ良ければいい >>22
朝廷が下手打ったんだよ
いつも通りに源為義の助命を認めてやれば良かったのに
処刑なんてさせたもんだから恨みが残って後に義朝に武力で朝廷を制圧されて
武士にあれ?軍事力があれば朝廷なんて怖くなくね?って気付かせてしまった 山口県は今は辺鄙な県だけど幕末の頃は日本一裕福な地域だった
そこを領土としていた長州藩は圧倒的な資金力があった 毛利はあの減封でも上出来よ
主力温存に水軍銀山港鉄に朝鮮半島でも連戦の戦慣れした大兵力とか長期戦やる余裕タヌキにはない 毛利って西軍総大将なんだよな
なんで何もしなかったの >>17
アニキは元親からも疑われて幽閉
次男で胡散草い高虎と繋がってるから自分が取って代わろうと画策していても何ら不思議でない >>34
取り決めで家康来たら出陣する約束で輝元も出陣しようとしたが
留守部隊No.2増田長盛が家康に内通疑惑出て取り止めになった 関ヶ原 才能あるが若輩秀元&裏工作の吉川広家
大津城攻め 主戦派の秀包&末次元康
配置が逆だったら歴史変わってたかもな
毛利本軍が動けば長宗我部長束安国寺も後方から攻撃
となると秀秋と側近は裏切りたくても隆景以来の家臣団のが多く宗家に組するべきになるは必定 前田利長。大軍擁しながら大谷に翻弄され金沢に帰陣
徳川秀忠。まあ仕方ない、リスク分散で日程掛かる東山道進路
最上義光。裏工作しすぎて味方からも疑われる
政宗。欲掻いて扇動しまくり疑われる
東軍使えない大将 秀忠は真田にひと当てしてそのままサラッと通過しとけば間に合ったのに
固執し過ぎて無駄に時間潰したのが悪い 有澤は見えない強力なコネがあったんじゃね?
知らんけど お前らのゲームや小説だけで得た浅い知識最高!(笑) 前田家って織田家中でも柴田勝家軍団麾下でも豊臣政権下でも関ヶ原でも大して役に立ってない空気だよな
空気ゆえに目立たず警戒されず漁夫の利で100万石を得て生き残った 前田利家が春日井堤で奮戦しなければ織田軍は壊滅して下手したら信長は死んでいた 元々、後継だから家康と同じ場所避けるリスク回避目的に
まさか半日で趨勢決まるとは全国大名皆思ってなかったから仕方ない面ある 三成挙兵後、毛利輝元自身はめさ積極的に動いてたんよな
伊予攻めに讃岐阿波占拠と
ただ毛利家は合議制の体制なため、家康派の広家福原VS反家康派の恵瓊秀包らで
意見が割れてしまいgdgdに >>49
合議制の軍隊がまともに機能するわけないよな 800人とかちょっと大きなライブハウスの客ぐらいなので問題ない 福田と田村は一時期やたら一緒にいたけど最近は疎遠なのかね 最初はいろいろやってたけどきりがないからやめたんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています