一番都会出身のハロメン一番田舎出身のハロメン
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都会候補
譜久村
北原
北川
小林
田舎候補
下井谷
井上春
筒井
福田 >>570
お父さんが富津の製鉄会社勤務だとすると話が合いそう 劇団四季て面白いんか?
何が良いのかわからん なあ、弓桁顎さんよ >>578
当時出てた説は親がガソリンスタンド経営者説だったな 譜久村が1番都会って言われてるけど一岡の渋谷のほうが都会じゃないの?すまん自分田舎者だから東京詳しくないんだ 譜久村が文京区だとすると古くからの街なので落ち着いたご家庭と予想される
渋谷区は比較的だが新住民が多く現代的なご家庭である可能性が高い
何を読み取るかは各自に任される いっちゃん渋谷のソースなんてあるのか?
東急沿線の可能性は高いけど 川名の名前で検索すると千葉女子って出てくるけど高校そこなの?
もうちょさんは佐倉高校だけど >>547つばきの岸本や秋山は北摂出身と聞いてちょっと驚いた。てっきり大阪市南部堺泉州出身だと思っていた。 長尾のはーちんは河内っぽさがあんまないけどな
出身は宮崎らしいし >>591
あの船木も阪急沿線だからな
どう考えても南海沿線にしか見えないのだが 千葉で水産科ある高校は銚子商業と館山総合だけ
館山説は初期の舟パDマガの発言から
この周辺は川名性が多い地域でもある >>588
中央線のE233系が好きって言いまくってないか?
東急はタイアップ期間だけ >>508
名前だけで仕事を取ってきた加賀という人が居たとか居ないとか >>518
これは誰がどこ住みなの?
品川杉並調布府中日野日野
島倉里吉
2人しか分からんかった >>538
富津市という市か千葉県に有ることを初めて知った件 >>551
一岡渋谷かよ…いいトコ住んでるんだな
あと
島倉と里吉は日野市だろ >>582
渋谷の方が街的には都会だけど
文京区の方が東京の中心地なんだよな >>591
守口は北摂じゃないし秋山の摂津○○も町工場の多い微妙な場所 >>611
摂津市?
町工場いたるところにあるけど もうちょさんによると川名は小学校で習志野に転校してきたらしいぞ 今日波佐見町に行ったけど田舎だったよ
有田町も同じ位 文京区白山なんてプロレタリア文学の傑作「太陽のない街」の舞台になった貧民居住地だったんだぞ >>624
東京も山と谷が多いから山に高級住宅街で谷には貧民wの下町があるんだね
東京小石川(現在の文京区)の谷間の町に住む印刷労働者が,巨大資本をもつ会社を相手に,血みどろになってぶつかっていく大ストライキをえがく。 戦前は山手線内も貧民窟はいっぱいあった
確か市ヶ谷とかあの辺もそうだったはず 関東大震災後は郊外の村だった今の杉並区や世田谷区のほうに新興サラリーマンとかが流れてく
中央線文士なんてのも家賃とか安かったからそっちに住んだんじゃないかな そもそも新宿でさえ江戸時代郊外に新しい宿を作ったのが発展した 参勤交代で新宿に泊まるより自分の藩の下屋敷でええやん 江戸っ子たちは、地方から江戸へ出てきた田舎侍を「武左衛門(ぶざえもん、略して武左とも)」、「浅黄裏」と呼び、野暮の代表として扱いました。武左とは、田舎侍は武左衛門と言う名前が多かったことからの命名。浅黄裏とは、田舎侍は、丈夫であるからとの理由で、浅葱色の木綿の裏地をつけた着物を着ている場合が多かったことからの命名です。浅葱は薄い水色で、浅黄は薄い黄色です。田舎侍が来ていたのは、浅葱色の裏地なのですが、江戸では浅黄裏と書く慣習がありました。
地方のお大名に仕えるお侍さんで、江戸にいる方は、三通りあります。一つめは「江戸詰め」と言って、江戸に住み、大名の江戸屋敷に勤務している方です、江戸支店勤務と言うところですね。二つめは「立ち帰り」と言って、殿様が大名行列を組んで江戸へ来る時に、大名行列を豪華に見せるため、随行して江戸へ来る方で、殿様が江戸へ着くと、すぐに国元へ戻ります、江戸への短期出張と言うところですね。そして、三つめが「国侍」「勤番侍」と呼ばれる方で、大名の参勤交代に随行して、国から江戸へ出て来た方で、大名が国へ帰る時までの一年間江戸にいます。江戸への単身赴任と言うところですね。一年間、江戸屋敷に住み、江戸屋敷で勤務するのですが、たいした仕事はありません。ルーチンワークは、江戸詰めの方達がさっさと、てきぱきとこなしていますから、手を出しても邪魔になるばかり。殿様の江戸城への登城の時の警護ぐらいしかすることはありませんが、殿様の登城などは、二〜三日に一回あれば良い方で、とにかく、する事がない暇な方達です。
そして、この「国侍」「勤番侍」が野暮の代表として扱われ、江戸川柳でも、格好の嘲笑の的。武骨で乱暴、女性への思いやりなどは皆無です。「浅黄裏手をこまねいて待っている」、粋を重んずる吉原では、性欲処理しか頭にない田舎のあんちゃんはもっとも軽蔑されました。「こりゃ喜助身共枕は買いに来ぬ」、花魁の張りも廓の粋も通じませんから、花魁が来ないとすぐに怒りだします。「まだあとにこれやと四、五両浅黄裏」、おいどんが金をもっていないとでも、見くびっているのか、金ならこのとおりあるぞと財布を見せる。金で女を自ままにしようとするなんて、花魁からもっとも軽蔑される行動だと言うのがわかりません。あげくの果てには、「亡八に見参さんと武左怒り」、亡八(ぼうはち)とは、妓楼の主人の事で、仁義礼智忠信孝悌の八つの徳を忘れた者との意味です。女が来ない、お前じゃ話しにならん、社長を呼べと叫んでいるなんて、田舎者丸出し。振られるのも、吉原の面白さのうちとわきまえている江戸っ子から見れば、眉をひそめたくなる光景です。 波佐見は四方山に囲まれているので隠れ里の雰囲気があった
進撃の巨人の壁に囲まれたような
立派な棚田もあるよ 正確に言うと北品川と青物横丁の間に越えられない断層が広がっている >>619
そういえばハロショ千夜一夜でいつか知らないが引っ越したって言ってた 真琳は最初から隠す気がないんだよな
そういうところ好きだけど ろこちゃんも有田アピールすればいいのに
素敵なところなのに 佐賀出身のアイドルなんて珍しいからぜひ観光大使就任よろ 佐賀駅周辺には佐賀出身の偉人の像がところどころに配置されてるけど
そのうちろこちゃんの像もできると思う >>606
とみつ市って有名人皆無だからアンジュルムの子が出身地公開したら初の女性アイドル誕生になりそう 浜辺美波 河北郡津幡町
宮崎由加 かほく市
中山夏月姫 加賀市 副島種臣は佐賀新聞の題字書いてる
義祭同盟のリーダーだった枝吉神陽の弟
島義勇は確か親戚(いとこ?) 平地の田舎って今では田舎ではない 山奥とかが本当の田舎 東大本郷の敷地は加賀藩や中山の大聖寺藩の江戸屋敷があったのは有名か 単純な田舎度では大江町だろうが、波佐見町や有田町は長崎や佐賀の僻地といった地理的な位置から田舎感がより出るよな 戊辰戦争で上野暴れてた彰義隊を
佐賀から持ってきたアームストロング砲を今の東大あたりからぶっ放してやっつけた
佐賀の技術力まじで凄かった 都道府県庁所在地との差だと京都市と大江町はエグい差だぞ >>662
副島と読むソエジマ
俺のお婆さんの家系は大隈家で俺の父親の代までは早稲田は無試験で入れたと言ってる 幕末の佐賀藩は最も裕福な藩だったんだぞ
明治維新が成功したのも佐賀藩の資金力があったかららしい
そのせいか最初の大蔵卿に大隈重信がなってるだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています