■飯田圭織

夏先生、圭織です。本当にありがとうございましたとしか、言葉が出てこないんですけど、何もダンスも歌も知らない北海道の田舎から出てきた私をイチからご指導してください、あきらめずに心と心を通わせ、飯田圭織の魅力を引き出してくださり、そして何もできなかったモーニング娘。を25年続けられるよう、初期メンバーとして育ててくださったこと、夏先生が心をこめて愛情豊かに育てくださったからだと思っています。ありがとうございます。

夏先生との思い出、出来事いろいろありすぎて、なにをお伝えしたらいいかわからないんですけど、いつも私たちを愛してくださり、時には音楽と向き合えないときがあっても、ちゃんと愛情込めて、そんな気持ちじゃダメだとお叱りをくださったこともあります。夏先生が「君たちみたいに個性もバラバラで意思が強くて、身長もバラバラでまとまりのない君たちをまとめるのは大変、世界中探しても私しかおらへんで」おっしゃっていたんですけど、こんな大変な私たちをいつも愛情込めてご指導いただき、そして愛してくださり、そしてたくさんの作品を作り出し、たくさんの方に感激していただいたこと、私たちで作り上げたあの時間を一生忘れません。もし、またそういう日が来たら、夏先生が教えてくださった魂を引き継いで、しっかりと頑張ります。心よりありがとうございました。

■保田圭

夏先生、圭です。夏先生が亡くなられたと聞き、どこか信じられない思いでいましたが、こうやってきょう先生の写真と対面して…先生がもういらっしゃらないんだということを受け止めなければいけないんだなと感じています。早すぎます。まだまだ、夏先生にいていただきたかったですし、恩返しもしたかったです。

夏先生と出会った日のことが、きのうのことのように思い出されて、本当に何もできなかった私たちに愛をもって厳しく指導してくださりました。その中で、足を上げる腹筋をして、夏先生がやめと言うまでしなきゃいけないのをしたことがあったんです。当時の私は、根性がなくて、やめと言う前に足を下ろしてしまったことがありました。そうしたら、夏先生が「なんで自分であきらめるんだ、なんで自分で戦わないんだ」と、自分と戦うということを最初に教えていただきました。

デビュー当時の私はめげてしまうことも多く、毎日泣いてしまうこともありましたが、厳しく指導してくださったおかげで、あきらめずに前を向いて頑張ることができるようになったと思います。私がひとりになった時、夏先生が私の舞台に足を運んでくだることがあり、直筆の手紙を送ってくれたことがありました。これまで保田と呼んでいましたが、そこには「圭ちゃん」と書かれており、お褒めの言葉が書いてありました。お褒めの言葉をいただくことはなかなかなかったので、そのお手紙は、本当に本当にうれしくて、今も私の宝物ボックスの中に大切にしまってあります。夏先生からいただいた愛情と言葉を胸に、これからも大切に後輩たちとつないでいきたいと思います。夏先生、本当にありがとうございました。

■矢口真里

夏先生、おはようございます。夏先生との出会いは25年前で、あの当時はうちの親よりも一緒にいる時間が長くて、本当に育ててもらったと思っています。ハロープロジェクトが25周年を迎えました。見てくれていますか?こういう大切な年はいつも一緒に過ごしてくれていた夏先生だったので、今年は勝手に会えると思って、ワクワクしておりました。もう一度お会いして、抱きしめてほしいです。夏先生はとても怖くて厳しい先生でしたから、プライベートでお誘いすることは、私みたいなものがと思っていましたが、今思うと、夏先生としてではなくて、育ての親の夏まゆみさんとして、一緒に御飯に行ったり、プライベートのお話をたくさんしたかったです。

こんな形で改めて伝えることになりましたが、15歳からのこの世界に入った私たちに、たくさんのことを教えてくださり、たくさんの愛情を注いでくださり、本当にありがとうございました。夏先生の思いと人を幸せにしてくれるダンスは、これからも後輩たちとOGで大切につないでいきたいと思います。手を抜いているひとがいたら、怒ってやってください。