https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1383459068

「あたい」は、元々は郭言葉であったことから、使う女性には「蓮っ葉」、「あばずれ」、「世間の荒波に揉まれた」、「メランコリック」、「酸いも甘いも噛み分ける」、「桃井かおりの若い頃」等々、要するにイノセントとは真逆のイメージが付くのですが、一方で幼児語としても使われます。美空ひばりの「波止場だよ、お父つぁん」(昭和31年)における「♪せめてあたいが男なら 親子二代のマドロスなのに」の「あたい」ですね。これは明治期後半に、東京下町の花柳界から周辺地域へ広く「あたい」が伝播していったためと思われます。ですから幼女が使っても「(下町の)下品な言葉」と蔑視されたことは変わりありません。

2012年現在、一人称に「あたい」を使う女性のイメージをストレートに連想できるのは、おおむね40代以上でしょう。若い方だと「ながされて藍蘭島」のりんとか、「東方PROJECT」のチルノとか、「おじゃる丸」のアカネとか、とりあえず変わった一人称にしとけ的に割り振られたキャラクターでしか触れ得ないので、イメージ形成もへったくれもないと思われます。
というか、そもそも「あたい」的女性キャラクターというのが21世紀に生存というか残存しているのか?という疑問すらあります。西岡恭蔵氏が昭和46年に発表した「プカプカ」という曲がありますが、これに出てくる「俺のあん娘(あの娘)」が、まさに「あたい」キャラのイデアというか(笑)ど真ん中キャラです。この曲、一昨年くらいまでやってた小栗旬のオールナイトニッポンで毎週エンディングにかかっていたり、桑田佳祐やら奥田民生やら福山雅治やらがカバーしていたりという隠れた名曲で、そのことからも「あたい」キャラに対する(おっさん男性の)ニーズというのは、今もけっこうあるのではないか、とも思えるのですが。