黒澤丈夫さんは事故当時、上野村の村長さんで現場を指揮し、救助と遺体収容に最も尽力された中のお一人です。
黒澤村長は元海軍少佐で実戦経験豊富なゼロ戦パイロットでした。
 
現場でご遺体の収容に尽力された陸上自衛隊隊員も、この時代には旧陸軍出身で戦場経験のある隊員が居りました。
こうした方々は、惨状にも動じず、着実に遺体を収容し若い隊員が食事が喉を通らない中、黙々と飯を食べたと記録が残っています。

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高濱雅己機長、佐々木祐副機長、福田博航空機関士、三名の
ご遺体発見場所。
 
高濱機長のご遺体は顎の骨が見つかっただけだそうです。
 
高濱機長は海上自衛隊出身のベテランパイロットで日本航空入社前は海上自衛隊のYS-11を操縦していました。
 
全ての油圧系統が失われたとなったボーイング747型機はアンコントローラブル(操縦不能)を宣言しました。
「油圧系統オールロス」すなわち尾翼のフラップ操作が不能となれば、上昇、下降は出来ません。このような前例はありませんでした。
 
そこで高濱機長と佐々木副機長は、エンジンの推力コントロールのみによって上昇、下降(失速)操作を試みました。
ジェットエンジンは馬力はありますが、プロペラ機と違い、レスポンスが悪く自転車で例えるなら、一番重いギアでゆっくりゆっくり増速するような例えをすれば良いでしょうか。
目の前に山があっても、それを飛び越える為にスロットル全開にしても、それが反映されるのは長い時間の後です。大型機なら尚更です。
 
失ったフラップの代わりにギアダウン(格納した車輪を出す)して、フラップの代わりにしよう、という手段を思いついたのが福田博航空機関士でした。この様子、ボイスレコーダーにも残っています。
「あのー、ギアダウンしたらどうでしょうか?」
  
高濱機長の言葉は「もうだめかもわからんね」と「どーんというこや」という二つだけが切り取られ、報道されたので、大きく責任を問われました。
ところが、ボイスレコーダーの全編を聞いてみると、油圧系統オールロスで32分間機体を操り、最後まで諦めなかったことが理解できます。
 
高濱機長は最後の瞬間まで冷静で乗客の命を救う事を考えていました。