娘。コンを言語化する前にアンジュコンから先にするか

別に誰が悪いってわけじゃないんだが、結論から言えば感性的に合わない感じ
楽曲の音は確かに強いが一過性で、非常に抽象的になるが
娘。コンのように終わった楽曲の"感性的痺れ"が、次の楽曲に積み上がっていく感じが無い

濃いんだけど濃いだけ、みたいな
ケチャップやソースをベースに味付けすればパンチの効いた味にはなる
でも「ずーっとその味か?」みたいな飽きがコンサ途中に来るんだよな

おそらくアンジュと娘。のライブに於けるコアになる楽曲の歌詞を幾つか並べて
分析吟味してみれば、もっと明晰に言語化出来るんだろうがさすがにそのモチベは無いw

それと楽曲以外のことについて
楽曲ごとにクラップの入れ方が細かく違うのが気になるね
無視すれば済むが、気にはなるw

あと今回だけの事象なのかもしれんが
コンサ始まる前に会場全体に響く位の大音量でクラップのリハするヲタが居て閉口
ああいう周りを顧慮しない独善的ヲタが居ると、それだけでコンサに斥力が働く

オレはああいう行動が理解できない
ペンライト付ければ誰推しか判るわけじゃんか
なので「秋山推しはデリカシーが無い」とオレは絶対に思われたくないし行動には気を付けてる

まおぴん「文化レベルの高い人が来てくれた!」(2019/2/27 なんばOCAT りりいべより)
この言葉は、今もオレの戒めだ