手塚治虫、赤塚不二夫、藤子不二雄A、藤子F不二雄、石ノ森章太郎が一緒に住んでたトキワ荘って凄くね?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
手塚はそこらへんのメンバーが住んでた頃にはとっくに出てて
たまに遊びに来てた程度 出版社の意向でヒロくんが意図して漫画家集めたのがトキワ荘だからねぇ
漫画家集めときゃ原稿落ちそうな時に誰かがヘルプに入れるからってね
運命的とかそういうんじゃないのよ マガジンは創刊にあたってまだ新人だった藤子不二雄にオファーしたが
その数日前にサンデーと契約していた
数年後マガジンに投稿した作品が選に漏れた高橋留美子は
サンデーに原稿を持ち込んで連載が決まる 【追悼】「テラさんがいなかったら藤子不二雄は存在していません」 手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、寺田ヒロオ…“青春の殿堂”だったトキワ荘での日々
https://news.yahoo.co.jp/articles/ccf67588563d0aa80447a7a8d01ea75ac2dc2f1a >>9
半分以上無名な漫画家じゃねーかよww
奇跡的に有名漫画家達が集まったアパートじゃないの?ワラワラ >>19
水野先生は少女漫画家だから少年誌掲載のまんが道では出す出番無かったんじゃない?
てか水野先生はトキワ荘の漫画家の集まりの新漫画党にも事実入ってないし なお水野英子はまだ存命してるからトキワ荘出身の漫画家唯一の生き残りは彼女だけになったのか 当時のトキワ荘と無関係で
存命の漫画家って誰がいるの でも藤子不二雄は持ってた連載全部すっぽかしてしまった時各雑誌社からそっぽ向かれて漫画家廃棄の危機になった時にテラさんがある雑誌社にかけあって藤子不二雄に仕事持ってきてくれた恩があるから藤子不二雄二人とも生涯テラさんには頭が上がらなくなった 晩年関わらなくなっただけで陰キャではないだろテラさん 存命の大御所漫画家
わたなべまさこ(93)
細川智栄子(87)
牧美也子(87)
楳図かずお(85)
つのだじろう(85)
松本零士(84)
つげ義春(84)
望月あきら(84)
ちばてつや(83)
水野英子(82)
川崎のぼる(81)
みつはしちかこ(81)
永井豪(76) 川崎のぼるって生きてるんだな
巨人の星のイラストは書かないらしいけど テラさん最後の同窓会 これで思い残すことはないと以降は当時を知るものとの関係を断ってしまった
https://www.youtube.com/watch?v=WS_6sYGvLq0 つげ義春が手塚治虫に会うためトキワ荘を訪ねている
「寺田さんはまじめ一方という感じで学校の先生みたいでしたね。
印象ではずいぶん無口で内向的な人なんだなと思いました。
まわりの連中はちょっと子どもっぽいなという感じをもちました。
明るく騒ぐというか、おちゃらけるというか
ちょっと違和感がありました」 やなせたかし__ 1919〜2013
長谷川町子___ 1920〜1992
水木しげる___ 1922〜2015
手塚治虫____ 1928〜1989
藤子・F・不二雄 1933〜1996
藤子不二雄A__ 1934〜2022
横山光輝____ 1934〜2004
赤塚不二夫___ 1935〜2008
松本零士____ 1938〜
石ノ森章太郎__ 1938〜1998
ちばてつや___ 1939〜
中沢啓治____ 1939〜2012
水島新司____ 1939〜2022 その水野ちゃんて漫画家はセクハラとかされなかったの? つのだじろうとか楳図かずおとか
怪奇漫画ばかり描いてるから祟られそうなのに意外とに長生きしてるなw 松本零士のツイ垢って本人かよw
有名人の割にフォロワー数も少ないしRT数も少ないから
ファン垢かと思ってたわ。 地方の泡沫議員に公式マーク付けるぐらいなら
こういう人に付ければいいのに >>44
日野日出志もツイート見ると意外と明るい人っぽい ジョジョの作者が受賞パーティーで手塚治虫に宮城出身の漫画家いないから頑張れ的な事を言われて
石ノ森先生がいますって言った途端にどっか行ってしまったとか書いてたけど仲悪いの? 手塚治虫はすべての漫画家にライバル意識燃やしてた人だから >>56
その場面映像残ってるけど
荒木に石ノ森先生がいますって言われて
手塚「あーまあそれくらいだよね」って普通に答えてたけどな 石ノ森章太郎の出身地だっていう
中田町ってとこに行ったことがあるけどガチのマジで田舎だった
自分も田舎の人間だと思っていたけど井の中の蛙を実感した 都合が悪くなってフリしてるだけだから相手にするなよw >>56
石ノ森章太郎のwikiより
小学生の頃は単行本や雑誌を読むのが好きで、あるとき手塚治虫の『新宝島』に出会い衝撃を受け、以後手塚治虫の大ファンとなる。
1950年(昭和25年)、中学生になり手塚治虫にファンレターを出したところ返事が戻ってきたことでますます漫画に夢中になり、2年生のとき初めて4コマ漫画を「毎日中学生新聞」に投稿したところ入選、以後投稿マニアとなる。
高校在学中の1954年(昭和29年)手塚治虫の仲介で、石ノ森は『漫画少年』でデビューすることになる。
1964年、手塚治虫の仲人により結婚
1967年(昭和42年)より虫プロ商事発行の『COM』に石森が連載した『ジュン』は、姉への愛情とその喪失を主題に、明確なストーリーを描かずに絵とコマの流れだけで叙情的な世界を表現した実験的な作品であり、当時の漫画読者に熱狂的に迎えられた。
しかし、この時に手塚と石森の両方のファンであるという某読者が手塚に『ジュン』についての感想を求めた手紙に対し、手塚は「あれは漫画ではない」と『ジュン』への批判ととれる内容を返信した。その読者は、それを「手塚治虫はこのように評しています」と石森に送った。それを読んで衝撃を受けた石森は『ジュン』の打ち切りを宣言したが、直後に彼の住むアパートを手塚が一人で訪れ、「なぜあんなことを言ったのか分からない」と謝罪したというエピソードがある[39]。結局、『ジュン』はそれ以降も描き継がれ、『佐武と市捕物控』とともに1968年の小学館漫画賞受賞作品となった。
その後に手塚と石森の関係は修復し、手塚は何度か石森を自身の漫画に登場させている。手塚が亡くなる少し前には、対談も行なっている。 >>4
当時すでに超売れっ子だった手塚を取材しにきた記者に「まだこんなボロアパートに住んでるんですか?」と言われて憤慨して引っ越したんだっけ 晩年に近い手塚先生のドキュメントだけどサブの仕事場はなんでもないマンションの一室
https://youtu.be/yULt_h3E_Ag?t=45 >>72
今年BSプレミアムで再放送されてたNHK特集だね 何の変哲もないマンションの廊下を手塚治虫が歩いているという非日常感 ある記載によると手塚さんがトキワ荘を出た頃の年収は217万円 赤塚はシャイで大人しいFは寡黙で神経質Aは気さくで陽気な遊び人と漫画とキャラが合ってないのが普通 若い頃の赤塚はモテモテで女を取っ替え引っ替えだったとか聞いたが >>8
だとしても凄いよ
こんなメンツ狙ったって出来るもんじゃない 新宿の落合に住んでいた子供の頃にチャリに乗った赤塚先生を何度か見たわ
俺より母ちゃんの方が喜んでいたけどw >>44
最近はわからないけど
楳図先生すごいかくしゃくとしてるもんな 水木しげるのエピソードのせいで
長生きの漫画家は徹夜せずにちゃんと寝てると
思い込むようになってしまった >>69
つげセンセは先月
文化庁日本芸術院の会員に選出されて伝達式に出てたよ >>10
晩年の顔からは想像できない赤塚不二夫のハンサムっぷり >>77
こないだの世界ふしぎ発見で水野英子氏が赤塚さんの若い頃は大変な美男子だったと言ってた
>>80
中井にずっと住んでたのは有名だったね トキワ荘出た後も西新宿の同じビルにフジオプロと藤子スタジオとつのだプロがあった
つのだが厳格なんでつのだのアシスタントはみんなフジオプロに遊びに来てたとか ビートルズにジョンレノンとポールマッカートニーの2人がいたより凄いな
4人だもの >>43
赤塚がオサワリして「無礼者め!」とめっちゃ怒られた
さすが赤塚氏 >>22
学研漫画でおなじみのよこたとくお氏もトキワ荘住人 つげ義春は赤塚不二夫と友達でトキワ荘に出入りしてたけどトキワ荘住民にはあまり良い印象持たなかったみたいだ 貸本ガロの人と少年誌の人じゃ住む世界が違いすぎるもの トキワ荘居住漫画家
手塚治虫(1953年初頭 - 1954年10月)
寺田ヒロオ(1953年12月31日 - 1957年6月20日)
藤子不二雄(藤本弘、安孫子素雄)(1954年10月30日 - 1961年10月)
鈴木伸一(1955年9月2日 - 1956年6月1日)
森安なおや(1956年2月 - 1956年末)
石森章太郎(1956年5月4日 - 1961年末)
赤塚不二夫(1956年5月4日- 1961年10月)
よこたとくお(1958年 - 1961年)
水野英子(1958年3月 - 1958年10月)
山内ジョージ(1960年9月 - 1962年3月) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています