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自虐史観が解ける魔法のサイト - 2/2

【ブン・トモ インドネシア情報相】
あの戦争は、本当は我々の戦争だった。我々自身で戦うべき戦争だった。しかし、我々は日本に全てを背負わせた。そして、日本はその為にほぼ全滅しかけたのだ。本当にすまない。

【オーウェン・ラティモア 蒋介石のアドバイザー】
日本が勇敢に最後まで成し遂げたのは、西洋による植民地支配を終わらせたという事である。

【ジャワハルラール・ネルー インド初代首相】
日本は我々に謝罪しなければならない事は何もしていない。だから、我々は、サンフランシスコ講和会議に出席する事を拒否し、その講和条約に署名する事も拒んだのである。

【イギリス歴史学者 アーノルド・J・トインビー氏 】
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。
イギリス最新鋭の戦艦2隻が日本により撃沈された事は、特別なセンセーションを巻き起こす出来事だった。それはまた、永続的な重要性を持つ出来事でもあった。なぜなら、1840年のアヘン戦争以来東アジアにおけるイギリスの力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵ではない事を決定的に示した。この啓示がアジアの志気に及ぼした恒久的影響は、1967年のベトナムに明らかである。

【マハティール・ビン・モハマド 第4代マレーシア首相】
もし、日本が糾弾されるべきと言うなら、西洋諸国が我々に対して行った、あの非人間的な支配と搾取は一体どうなるんだ。

【パク・チョンヒ 元韓国大統領】
私は極貧の農家の家庭に生まれた為、学校に行く事は夢みたいな事だった。
両親に私を小学校へ通学させるよう説得してくれたのは、日本人の役人だった。そして、私を陸軍大学校へ推薦してくれたのは、日本人の先生だった。
私が今日ここにいられるのは、日本が確立してくれた義務教育制度のお蔭であり、清廉で正直な日本人のお蔭である。

【パク・テルジュ 韓国文化研究所】
現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものでは無かった。平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り組んだ。
それまで日本はアジアのホープであり、誇り高き民族であった。日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。それは、大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争 ――― 。この二つの捨て身の戦争が歴史を転換し、アジア諸国民の独立をもたらした。この意義はいくら強調しても強調し過ぎる事は無い。
大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗れたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。彼らはこの戦争によって植民地を全て失ったではないか。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝ったのであり、日本の戦争こそ"聖なる戦争"であった。ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが、こんなものはすぐに回復出来たではないか。
二百数十万人の戦死者は確かに帰って来ないが、しかし、彼らは英霊として靖国神社や護国神社に永遠に生きて国民尊崇対象となるのである。

【台湾実業家 許文龍氏 】
戦前の日本の台湾統治に対し謝罪する必要などありません。
台湾の基礎の殆どは日本統治時代に完成したものであり、日本人が来てまず治安が一挙に良くなり衛生状態も良くなった。守るべき法ができ、税金も清朝統治時代に比べてかなり良くなった。
しかし残念な事に戦後の日本政府は、深い絆を持ちながら 世界で一番の親日国家である台湾を見捨ててしまいました。謝罪すべきは台湾を統治してきた事ではなく、台湾を見捨てた戦後の日本外交なのです。