(続き)

海外各国の数理統計学の専門家も、統計学的または確率論的な数理からタグチを
解釈、代数学的または解析学的な数理から解釈する姿勢は希薄です。

タグチでなければ数理統計学というのではなく、むしろ、タグチでなければ
代数学または解析学という対立をまじめに考える必要があります。

タグチの文章(=哲学)すなわち、技術・経営・思想とタグチの数式との間の距離を
正確に認識し、床屋の政談で膨張した錯覚・思い違い・思い込みを振り払い、
タグチの数式で DrT. が主張しようとした事実を、代数学または解析学の真実の
数式として、正確・精密に描写する、その作業にタグチ関係者は全力をそそぐ、その
必要があります。結果として、タグチにそれほど実質的な内容がなく、食わせ物、と
わかる場合も多いかもしれませんが、それは認めるほかないでしょう。

数理統計学とは関係なく、代数学的または解析学的な初等数理から、タグチの数理を見直し、
真正面から単純率直に見つめ、タグチの神秘性を根元から排除する必要があります。

理解を 「わかりやすく」 と主張すると 「わかりやすい症候群」 とからかわれ、
数式はおいてきぼり、床屋の政談・素人哲学だけがおおはやり、この風潮は放置できません。

戦略などと愚劣な言い逃がれはあまりにも大きな損失を社会・企業・個人に与えます。
タグチ幻想商法は、数十年間を費やして、終わりの時を迎えたのです。

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