麻布中学に入学、勉強には全くついていけず、常に圧倒的最下位だったが、
政治家の息子なので同級生の誰もが裏口入学だと暗黙の了解事項として
理解していた。安部譲二も当時の同級生。
中学時代殆ど0点ばかりだったにも関わらず麻布高校に何故か合格。
そして慶應義塾大学法学部政治学科にも何故か入学、そして何故か卒業。
急死した父、橋本龍伍の地盤を受継ぎ、1963年の総選挙で衆議院議員に初当選。
初登院の時に継母が付き添ったことから、マスコミからは「大学入試ばかりでは
なく、国会議員も保護者が付き添う時代になった」と評した。