>>578

原始仏典にも既に「習合」の萌芽が見られる。パリッタ、護呪の存在は知らなかったのかな。
釈尊自らが護呪すなわち「民俗信仰」の一部を黙認していたとすれば、その後中国、東南アジア、日本における習合の展開は普通に予想できる。
仏教史全体から見た時、何も天台における習合だけを論ずる意味はない。