日本仏教は小乗戒より大乗戒に意義を見出し受容し永く三宝を形成してきた歴史的事実がある。

ここで華厳/梵網経所説の戒壇院に入壇したことを以て「比丘の要件とは認めない」「故に日本の多くの僧侶は
サンガではない」という主張は一応論理的にあり得る。

今この主張を一旦受け入れたとして、大乗戒を受けた僧と在家信者の集まりに対し、不当に、或いは僅かな知識を以て不和を齎さんとする行為があったとしたらその意味は何であろうか。
それは善業なのだろうか。悪業なのだろうか。それはあなたに楽果を齎す行為だろうか。それとも苦果を齎す行為だろうか。