>>59
明治以前は神仏習合だったのは知ってるよね?
長い間、神と仏はあまり区別されていなかった

そして稲荷さんは鎮守(境内の守り神)として寺によく祀られていた
習合時代には伏見稲荷大社の境内にも寺があり、荼枳尼天などが拝まれていたのでそこから勧請できた
おそらく江戸時代までは稲荷神でも荼枳尼天でも(あるいはお狐さんでも)違いを意識せず、好きなイメージで拝めたのだろう
本地(正体)は観音とされていて、それがどのような姿で顕現していると考えても同じことだったのだ

鎮守稲荷は現世利益で人気を集め、寺の本尊より有名になるところもあった
稲荷が有名になりすぎて、豊川稲荷の別名で呼ばれることになったのが妙厳寺だ