>>56

> 政治的にきちんと動かなければ、天皇の重用を受けることはない。

政治的に動く人間が処罰を承知で二十年の入唐期間を破って僅か二年で帰還する訳がない

> 密教一押しなんて全く政治的ではない。 優れた謀略家なら他宗との融和路線をとり、その中で密教を押し上げるはず。

優れた謀略家の最澄は真言宗だけを残して南都六宗を冷遇しているから それも違う

> 「一つの道を二人で行くなかれ」というのは、効率的に布教活動を行うためでもある。
> また、弟子が弟子を取ることも許し(三帰具足戒)、それまでの沙門に見られた 一人一党型のサンガとは異なる組織作りを行った。あきらかに広く布教することが目的だ。

それにしては弟子の数が少なすぎる
インドなら初期信者百万でも可能だった筈だ

> また折伏といえば、一部の日蓮系新宗教の野卑な勧誘を思い浮かべるが、相手を論破し間違いをただし、仏道に引き入れる折伏なら釈尊も行っている。

論破された相手は殆どが入信していない 様子を見ていた弟子が入信した事は有ったが
>
> そんなことは誰でも知っている。
> それは「世間を厭う」ということとイコールではない。 釈尊が単に世間を厭うだけの人ならば、我々が仏教を信じることは出来なかった。

悟った結果として厭世が正しいと確信したのだよ

> 良い物は黙っていても広まるなどという寝言を言っているから、

ごく最初のお膳立てをしただけで後は殆どが為政者の篤信と風評だよ‥それに密教みたいな視覚に訴えかける宗教ならではだが 威力を目の当たりにすれば言葉による説得は必要ない