【狐】神社仏閣の眷属【蛇】
カエルはカエルでもミカエルはどうじゃ
英語読みはマイケルね
マイケル・ジャクソン、、 >>62
注連縄/しめ縄ですが、
あれの元々の成り立ちは雌雄の龍蛇神さまがお互いに絡み有って交合(交尾)なさっている姿らしいです。 >>70
いろいろな説があって一概には言えない
縄は垂れ込めた雲、シデが稲妻のようでもあるな 注連縄の紙垂の間に前垂れがついているバージョンがあるけど、あれば何なの? >>76
なるほど。恵みの雨はアリかもですね。
ありがとうございます。 >>84
動物のキツネさんは油揚げも食べる
稲荷のキツネさんがどうかはわからないね >>84
食べないことはないが、好んで食べるわけではない。
むしろ狸が油揚げを好む。 守護霊は現実界で言うと学校の先生や親に相当します。
しかし先生や親にも体罰や暴力を振るう者がいるように、
守護霊にも同様のタイプが存在します。
守護霊は人霊なので性格や個性があり、また執着心もあります。
多くは数学や理科と言った分野は不得意なので、守護霊の言うとおりに生きると
文系に導かれてしまいます。
その中で最も問題になるのが、封建時代の先祖の守護霊です。多くは元禅僧です。
この手の守護霊は生きている本人が幸せになろうと努力しても、
それが守護霊の気に入った方向性でなければ、そんなことは無視して、
「けしからん」と人生を暗転させるのです。
結局、本人は一生不遇で終わるか、自殺してしまうわけですが、
守護霊は「勝手に自殺した。わしは悪くない」と開き直ってしまうのです。 >>87
象頭の神=ガネーシャ尊。聖天/歓喜天=サルタ彦大神(サルタは大きな(立派)な鼻を意味します) >>102
ガネーシャはインドでもご利益が凄い反面
祟りもきついって言われてる。
この神様は不浄を嫌うので、トイレの近くで祀ったり
汚い手で触れただけでもバチが当たるそうだ。 ヒンドゥーの神々は日本の神々と似ていて不浄とかはいけないが
比較的気楽に付き合える
ガネーシャは人気なのでインドに行けば絵姿や人形もたくさん売ってる
一方、密教の聖天さんは行者以外は供養できないし土産人形にもできない
障ると普通に死人が出る取り扱い厳重注意の護法神だよ
今ではまったく別の神と思っていいだろうね マハカーラー(シヴァ)は日本で大黒様になって随分丸くなったけど
インドのガネーシャ神は日本で聖天様になっても怖いままだと思う。
http://chaichai.campur.com/indozatugaku/ganesha.html >>107
インドでは親しみの神
日本のように綺麗に掃除も少ない 荼枳尼天様、聖天様を信仰するようになってから良いことばかり起こる。 >>113
怖い!怖い!その良いことが信仰する天部のお陰によるものであるなら、
大きな代償を求められる。
今が良ければ良いほど先々が恐ろしい。
下手したら家そのものが根絶やしになる。 >>113
しかし荼枳尼天様、聖天様を同時に信仰するって、お祀りするだけでも大変だろうに。
お二方とも実類の神様だから一生涯信仰してお世話しなければならない
チャレンジャーすぎる。 >>118
その代わりと言ってはなんだが、御加護はしてもらっている。
商売をやっていて、これがコケたらもう生きて行くことはできないし
元の魂が魔物だから僧に帰依することも難しい。
本質的に気性が荒すぎて人並みの生き方は不可能。
もしまだ心臓をお召し上がりになるのであれば、商売がコケて道が完全に絶たれた暁には
生きたまま持って行っても構いませんよ、とまで話はしてある。
他に選択肢が無いのだから、あまり大変だとは思わないかな。 一生涯信仰はもちろんで、他の信仰などに目移りしただけでも障りが出る。
特に「荼枳尼天」は、人間側にしてみれば理不尽にも思えるような「ヤキモチ焼き」だし
子供や孫も同じように信仰を続けないと大変なしっぺ返しを食らう。 礼儀さえちゃんと尽くせば荼枳尼天様は神仏の中でも寛容なお方だよ 「 阿闍梨蒼雲 」の解説で
仏像を拝むのを自分の代で終わらせる場合は勧請するときに
「 私一代限りで終わりにしますがお招きします 」
と最初に約束しましょうって、解説してるね まぁ、体験も感じ方もひと夫々だから、押し付けるつもりはないが、
荼枳尼天が寛容だとは思えないよ。
私一代限りで終わりにしますがとお断りして、それに応じてくれれば良いが、
その約束が果たされない事もあるし、そもそもその約束を交わせる、意思疎通の
できる行者は少ないですよ。
私一代限りで終わりにしますがお招きしますと言うなら、もしその条件が
受け入れて戴けないなら、お招きしませんと言って勧請の祭祀は行わない事。
だが、来たか来ないか見極めをどうするのかね? 113、118だけど
俺は家に祠建てたり勧請はしてないよ。
私一代限りで終わりにします、と言っても儀式を行えばお降りになられるし
お御霊抜きの儀式もしないと居なくなることはないんじゃないかな。 >>123
勧請、発遣するのは僧侶だからね、僧侶を信用するしかないと思うけど
豊川、最上と言った有名所は信者の要請があれば御真体を授与してるわけだし 公園でアオダイショウに会った
樹に上り始めたので触ろうとして回り込んだらもう消えていた 信仰って言うか眷族だからなぁ
キツネを崇めてるわけじゃなくてお稲荷さんを崇めてる訳でその姿がキツネだという… 三輪神社へ行き始めてから蛇を見る回数が増えた気がする >>44から>>56への流れ興味深い
庚申懇話会の本、図書館にあるかな >>137
単に北日本はキツネが多く南日本にはオオカミが多かったという印象(実際は知らない) >>143
大須の山王鳥居あるとこ?メルヘンだよね >>140
その本なら手元にあるよ
それによると猿田彦大神が庚申さんになったのは山崎闇斎によって説きだされたからだ(93〜94頁)
闇斎は江戸時代前期の儒学者、朱子学者で垂加神道の提唱者だが元は禅僧で仏教側から来た人
つまり思想学者の提唱により門下の人たちなどによって広まった
猿田彦を庚申塔に刻むことが流行ったのは江戸時代中期以降と同書にある
猿田彦を祀る神社が江戸後期に政治的な意図で庚申信仰にねじ込んだとの言い分は全くのデタラメ
>>56が言うように江戸時代後期になると政治神道家は神仏分離に向かっていた ちなみに自然石や丸石を道祖神、興玉神とすることについては
室町時代より古い文献に出てくるようだ
おそらく猿田彦のみを道祖神とする考え方ははるか昔からあった 肉体を持つ実際の狐や蛇に神格をもつけん属霊が憑いている場合がある >>137,142
昔はどこの山にも狼や狐がいた
オオカミ=大神で、アイヌがヒグマを神と見たように、本州のどこでも
狼のような強い動物に神気を感じるということはあったのでは?
でも西日本(中央)では藤原氏が権力を持っていた
藤原の氏神神社は春日大社、春日大社の神使は鹿だ
狼は鹿を食べるから西では狼を崇めるわけにいかない
だから西日本では伏見を中心に狐を神使にするようになった…とも言われてる
関東では三峯のような狼神社が残ってるのも藤原の力が届かなかったからという話も 三峯のおいぬさまは眷属というか事実上の祭神のようだ
イザナギ、イザナミの両主祭神を意識して行く人はほとんどいない
そこが一応豊穣神を意識する人も多い稲荷神社との違いかな 烏が神使いで烏に飯喰わせる儀って熊野あたりで良く聞くけどさ、神社によっては烏の頭を使った儀式ってあったりする? カラスはスサノオ尊の神使らしいね
諏訪大社は鹿の頭を供えるが、烏の頭は聞いたことないな >>143
滋賀の三井寺の近くの三尾神社はうさぎが眷属 日本むかし話で見たけど、埼玉県入間(射る魔)の民話で、ヤタガラスを魔物あつかいして京都から弓の名人を呼んで打ち落としたやつが面白い
先住民が既に別の何かを信仰していたところにヤタガラス系が乗っ取ろうとして迷惑した話なんだろうな