>>52
純粋に石造物に関するニュートラルな民俗学上の調査結果だと、庚申塔に「猿田彦云々」が刻まれるようになったのは江戸後期以降の話なんだよ。
それまでは「庚申」または「青面金剛」で、神仏習合というより道教と仏教の習合だった。神道が政治的意図をもって割り込んで来たのは新しい話。