パシフィック電鉄
あのまま残っていたらボーイングの欠陥電車を買わされていた悪寒 イリノイセントラルとかシカゴのサウスショアなんて参急2200のパクリみたいな電車が走ってるしな 海外じゃ参急2200なんて誰も知らないって。(笑) >>84
だから、逆だってーの。
日本の昔の電車は、みーんなアメリカのパチモン。 だいたい、今のアメリカのステンレス客車なんて東急7000当たりのパクリだし(東急車両から技術流出したんだろうな)、
それをいうならイタリア国鉄だって小田急NSEのパクリ走らせてるし。
ドイツだって近鉄アーバンライナーをパクってる。
ほんとにオリジナリティがないよな海外の鉄道って。
ところでパシ鉄のブリンプやバニーカーみたいのは日本では見かけないね。日本のはどれも小さくまとまり過ぎてるよ。PCCも後期の一部にはエアコンもついてたらしいけど、日本のはなかったでしょ。 よく知られる日本との比較もいいけど優劣論は不毛なのでスルー推奨よろしく。
日本の電車の独自の展開と呼べるものは、アメリカが自滅して学ぶべき新技術が
無くなったからやむなく始まったものなのかもしれませんね。
バニーカーは利用客の低迷と人件費高騰による産物じゃなかったっけ?
マイカーも無ければ人件費も安い当時の日本では無用でしょう。
それでも都電1000型などの車体の小型化に影響があったかもしれない。
経費削減例としてアメリカの先例を真似て小型化したがワンマンの必要は無かった。
なんとなく顔もバニ臭いでしょ。
>>91
日本独自の技術によって、完全にオリジナリティーのある電車ができたのは
東日本のE231・233が初めてなのかもしれない。
>>92
ネタなんだろうけど、>>88のように日本中心で主客が転倒した認識は、あっちこっちにありそう。 ネタでしょう。でも新幹線についてなら先入観を持っている人は多そうだw。幸いPEには関係ないけど。
IFの話ですが戦後、ロス市内の高架線が出来るなど活発な設備投資が行われたとしたらシカゴのL並みの
高速電車が投入されたりしていたんでしょうな。他の大都市よりも都心の密度が低かったのが災いした。
神戸にいたな>日本版バーニーカー。
個人的には横浜市電の大型単車軍団にも近い香りを感じる。
>>90
エレクトロライナーにもエアコン乗ってたね。 >91
京都市電の200・300はもろバニーカーがモデル。
バニーガールは生足じゃないんだよな、どういう訳か。
必ず黒ストッキングを履いている。 オレンジエンパイア鉄道博物館
33°45'36.64"N 117°13'53.85"W
いいページだ
ttp://homepage3.nifty.com/tract/pe.htm
>>88
おいおい・・・おまいの好きなSS(NICTD)といっしょに走ってるMetra / Electricも
相当特殊な形してるぞ。
NICTDのほうは、確かに日本製だねって感じだが。
Metraの方は、日車に注文したときも運転室つけて欲しい2階に頼むとか
特殊なこといってたりするしな。
http://www.n-sharyo.co.jp/business/tetsudo/pages/zusametra2.htm
トピックスが死んでるみたいだから、機関車向けのを乗っけとくわ
http://www.n-sharyo.co.jp/topics/1996-2003/tp01222.html
例のページが久々に更新されているぞ。相変わらず陰謀否定派だけど、オイル産業がPEを潰したって何で分からないのかな? >>103
まぁ肯定でも否定でもいいじゃん。
確固たる証拠は無いし、そこは考え方だと思うぜ。
(とはいえ、俺もAurora&Elginのところに突っ込みいれたいw) オイル産業陰謀説はWho Killed The Electric Carでも大きく取り上げられていたね。20世紀の始めにも電気自動車があったなんて知らなかった。 まあ、陰謀説はそのほとんどが嘘なんだけどな。
真珠湾とか911とか National City LinesがPEを潰したといっても過言ではない。少なくとも彼らがきっかけとなったいる。
GM、オイル会社、タイヤ会社等などによって組織された会社なんだけど、彼らによって潰された電気鉄道はPEだけではない。彼らによって買収され、バスに転換された電鉄は100にもおよぶ。
廃止後の一つの例として、
PEのグランデール/バーバンク線等は最後までポピュラーな路線であったのにも関わらず、廃止直後に鉄橋が取り壊された。まるで将来、市電を絶対復活させないようにと。
なぜそこまでしなければならなかったのか? 電車の無くなった後、町はまるでゴーストタウンのようになり多くの店が潰れた、その後に道ばたに出現したのはGM、フォード等の自動車のディーラーであった。町は活気を取り戻すのに30年かかった。
いまでもロサンゼルス川には鉄橋の土台だけが寂しく残っている。サブウェイ・ターミナルがアパートになった今、復活は決してない。
因に当時20分で行けたグレンデール市だが、今は30分かかる。
National City Linesが組織された理由な何だろう? 一体何の為に全米各市の電鉄を買収したのか?
1936年に合衆国議会によって、各州における一定の電力使用制限が可決された。それにより各地の電力会社による単独電鉄運営が事実上不可能になる。
その翌年、National City Linesの誕生。ことごとく全米各地の電鉄を買収し、50年に解散している。
民主党と共和党
電気とオイル
電鉄と鉄道
電鉄は滅びたけど、ディーゼル等の鉄道は残っている。電化は殆どされていない。
辛うじて電気鉄道が存続している場所は民主党が有利な場所が多い。
いつも共和党が勝つとオイルと電力の値段が上がり続ける。
GMの電気自動車がスクラップにされたのは共和党支配の年。
アルゴアが選挙に敗れた理由は?
そもそも、潰すためじゃなかったら、ただ競合バスを走らせるだけでよさそうだしなぁ。 PEのターミナルビル
34° 2'40.67"N 118°14'58.78"W
ここまでの空き地に高架線の幻は見えますか?
34° 2'30.73"N 118°14'44.27"W
この交差点を曲がって。
34° 2'14.08"N 118°15'1.16"W
ここから真南へ向かいます。
34° 1'44.68"N 118°14'27.48"W
ここからブルーラインに沿ってロングビーチまで、
複々線あるいは信号所の面影が判ります。
グーグルアースで見てみてください。
サンペドロのレプリカRed Carに乗って来た。意外にも乗り心地いいのでびっくり。車内には運転手の他、車掌もがんばっていた。 サクラメントノーザン鉄道の車庫
http://people.virginia.edu/~ggg9y/shafter.html
ここですね。
37°49'43.99"N 122°15'34.48"W
ベイブリッジを渡ってきた路面電車から直角に別れてゆく
インターバーンのジャンクションです。
有名なフェリーの桟橋はどこでしょうか。
地名で探したところ案外簡単にフェリーの桟橋の痕跡が見つかりました。
南側の桟橋
38° 2'32.26"N 121°55'12.39"W
北側の桟橋
38° 3'0.49"N 121°55'0.99"W
ここからサクラメントまで、またサクラメントから北側に向けて廃線敷が
明瞭に残っています。
>>117
できればGoogle Mapのリンクにしてもらえるとありがたい。 各地の路面電車は廃止になったけど、長距離鉄道は細々でも存続しているんだよね。もちろんその殆どはディーゼル燃料機関車で、GM製なんだよん。 >>118
出来た座標を見るだけならマップのほうがお手軽なのでしょうが、グーグルマップで廃線跡探しは疲れます。
グーグルアースからマップへの変換も面倒くさい。
アースの場合は次々と座標を入力してゆけば経路の上を通るわけですから、わかり易い。マップの紙芝居にはならない。
どうしてもマップがよろしければ、どなたかマップに変換していただく人が現れるのを待つか、無視してください。
廃止された地下鉄ということで一部で有名なロチェスター市電。
大まかなルートはわかったものの、荒廃が進んでいます。資料を漁るとこの路線の周辺はインターバーンの
ターミナルだらけで、6つもの乗入れ線が認められます。
元々運河だった溝を埋め立てたということで、西北から南東へ溝が続いています。
43°10'49.91"N 77°39'0.00"W
カーブした線路の向こう側の駐車場が車庫らしい。
43° 9'12.46"N 77°36'33.20"W
この川の前後がトンネル区間で、しかも複々線でした。
西北側の入り口は見つからないが東南側は橋のたもとにそれっぽい構造物がある。
43° 8'37.96"N 77°33'6.38"W
この地点から直角に折れて南へ進み、インターチェンジのあたりにループ線の終点があった模様。
郊外のインターバーン網の総合ターミナルとして路線網の最も末期に建設された地下駅、ということで名鉄
名古屋駅のお手本なんじゃないかと思いました。 郊外ではそんなに運行本数が多い訳ではなかったんだ。
もっと頻繁運転かと思っていた。 サクラメントノーザンってグーグルアースで最初探したときはよく判らない部分が多かったのですけど、
資料をそろえて改めて当たってみると、非電化貨物営業線になって線路が残っているところがたくさんあるんですね。
廃線跡ばかり探していて活きている線を見逃していた。
サクラメントの中心部とサンフランシスコ近郊の宅地化された所を除けばほとんどの線がつながります。
>130
同じく。経営サイドにそこそこやる気があれば生き残ることが出来たのに、
何故か理不尽に(ナントカ報告書は眉唾だと思ってるよ)消えた辺りは共通するものを感じるな。
で、擦れ違いですまんけど、札幌市交通局がゴムタイヤなんて馬鹿な規格採用せず、
DC1500V架空線で地下鉄作っておけば……と思ったりする。
そうすれば、定山渓・夕張鉄道・国鉄(交直両用車必要だが)辺りと相互直通で
かなり有機的な交通網整備できただろうに。 >>129
つながります、っつうかRio Vista Junctionから南はWestern Railway Museumが所有/管理しているよ。
WRMのスタッフは現時点では途中までしか架線が張れてないから定期運転はそこまでだけど、渓谷まで線路は全部残ってるし、
定期的にディーゼルやモーターカー走らせて点検してるって言ってた。将来的に全線に架線張って電車運転させるつもりだ、と。
足りないのは金だけ。 >>133
>定期的にディーゼルやモーターカー走らせて点検してる
>将来的に全線に架線張って電車運転させるつもり
金が足りないと言ってもすごいと思う。
オレンジエンパイアのPEブリンプはいつまで下塗りのまんまで走らせるつもりだろうね…
金がないのはWRMもOERMもイリノイも同じだろうが、情熱を注ぐ対象が地元ゆかりの車輛メイン
になるのはいずこも同じ。ブリンプの車体保有量だけならWRMが一番多いんだけど、
レストアに取りかかっている数ゼロ。
対してKey Systemの連接車やSacramento Northernのインターアーバン車のオリジナル復元の粘着具合は半端じゃない。
ブリンプもPE時代の姿じゃなくベイブリッジ時代のSPインターアーバンラインに復元するつもりなのかしらねぇ。 サクラメント・ノーザンの話も少しはしていいことにしようよう。
だめならカリフォルニアあぼーん電鉄スレでも立てようか? 過疎ってるからペンシイの電化区間の話でも俺は許すw
バーニーカーが超走るんですな代物だと知ってちょっぴりがっくり。
ロンちゃん世代の日本の鉄がさんざ持ち上げていたのを知ってただけに。
それとも日本の鉄ヲタは遺伝的にあの手の車に弱いのかなw。 小型軽量コンパクト。シンプルゆえにメンテも楽。維持費も安い。
4輪車のためフランジが傷みやすいがそれさえ交換してやれば80年以上経ってても全然余裕で走る。
ってWRMのおっさんが言ってました。そういう意味での名車といっていいのでは。
凝った機構やオーバーデザインだけが名車じゃないですよ。鉄道版T型フォード。 43° 8'12.92"N 93°21'11.65"W
高解像度のぎりぎりにあるのがアイオアトロリーパーク。
貨物専業となって今も架線の下で営業中の貴重なインターバーン、アイオア・トラクションの路線の西の終点。
http://donsdepot.donrossgroup.net/dr145.htm
現役というところがいい。行きたいなあ。
ようつべにトロリー関係の動画が充実している。
バーニィカーやPCCもどんどん走るぞ。
ロサンジェルスの
下町の路面電車復活計画どうなった? >>140
あちこちに何度も書いたが、リアル子供のころ
スリーマイル島原発ジコのTVレポートで
バックにGG1が走ってて萌えた。 ここにも一瞬キーシステムのブリッジユニットが
ベイブリッジの下段走ってるよ。
http://youtube.com/watch?v=gAa-aLIOgzw
1100、1200が1両も残ってない(1299は別として)のが残念で仕方ない。
もはや現存など望むべくもないが、南米へ売り飛ばされてからの画像って
無いのかな? 今のLA市内の移動は免許もっていないときついのかなあ? >>149
これとか?
http://www.geocities.com/matrodante/CochElectFCGU.html
中段2枚が1100っぽいね。ただしここの注釈、間違いだらけであてにならん。
Key Systemがロスアンゼルスの鉄道だって表記してたり。
>>150
ダウンタウンだけだったらバスとかLRTでなんとかなるけど
ちょっと郊外になるときついんでない?
うちの母ちゃんは買い物できないからって50歳で免許とったよ 英語は読めてもスペイン語は読めないんだよな。その写真に出ているPCCはリオ・デジャネイロのかな? おそらく今はスクラップだろうけど。 >>151
そのページよく貼られるけど
中古ってそれだけしかいってないんですか? PEから行ったのはこれだけ。Key Systemからもこれだけ。
あとは保存されたのを除いてスクラップされた。
それでもよく使ったものだよ。KeyのBridge Unitは車体こそ1930年代製だけど
台車や機器は1903〜からの発生品だもの。70年以上現役でこき使われたことになる。 >>151
GJ!サンクス!
1100、1200は勿論、路電やPCC、それに鍵電まで逝ってたのか。。。 1200は海を渡ってないよ。
特別車1299と1258の車体を除いて全車1951年までにKaiserで解体された。 アメリカのインターバンより新京阪や参宮急行がカコ良くみえる
希ガスるのは、ヤパーリ身内びいきのひきたおし? 身びいきというより四角い顔(と時代)が好きなのかも。
日本の車両でも阪神、京浜、大軌などの丸っこい車両が好きな人もいるしね。 >>158 そうか…好みの問題かもね。
>>159 うん、わかった。とりあえず俺はやめる。 アメリカの電鉄=インターアーバンじゃないんだよね。
ストリートカーとインターアーバンは向こうでも別カテゴリー。(でも大型車が導入されたりとか、曖昧な路線も多い)
ニューヨークからボストンまで電車を乗りついて行けたけど、インターアーバンで行けるとはいわない。
シカゴのインターアーバン網にストリートカーの路線網をかぶせると地図が真っ黒になるw
インターアーバンの定義が余りにも狭いことに(電車王国の住人として)辟易する訳だが・・・
諸事大雑把なアメリカ一般社会で、そこまで厳密に区別されてるんだろうか?
折れにはアメヲタが定義付けしてるに過ぎないと思えて仕方ない・・・英語が理解できないので
謎のままだがw
日本でインターアーバンの定義を厳密に当てはめると京津線だけになってしまうんだよな。。。 出版物を見る限りでは日本語で言う路面電車と地方鉄道の違いぐらいはありますよ。
もちろん路面電車と地方鉄道の中間があるように曖昧な存在もあるのですが、インターアーバンの一覧からはストリートカーは抜けています。
PEとロサンゼルス市交通局の関係を見れば判るかと思います。
PEにもPCCカーが走る路線があるのですけど全区間インターアーバン扱いなのが面白い。
勘ですけど、1920年代の市街化区域の中に納まる事業体がストリートカー、市街地の外に出るのがインターアーバンという感覚ではないでしょうか。
これは事業体ごとの分類で、市街地の外に出る会社の市内線はインターアーバンの中に数えられる。
不思議な事に単車で営業する路線は郊外に出てもストリートカーの分類らしく、インターアーバンに数えられない事があります。
>>163
今でも、世界中の鉄軌道の分類を見ると、結構理不尽なのがあるからなあ・・・。 サンフランシスコで言えばキーシステムがストリートカーで、SPの電化区間は路面区間さえありながらインターアーバンではない、となります。
定義は深く考えないほうが良さそうですけど、見る範囲を大きく広げないと面白いものを見落としそうです。
デンバーの山奥の鉱山町など、こんな所に電車を走らせてどうなると思うようなところに電化路線があります。
"interurban"という英単語を見ればアメリカ人の感覚がわかると思うが。
inter(間とか相互という意味)とurban(都市)つながってできてんだから
都市間鉄道というってことなんじゃないの、単純に。
例え車両が路面電車型の単車であったとしても。 そうなのよね。末尾u8+さっきから当り前のこと長々とうぜぇ。ちったぁ整理しろ垂れ流し。 >>165
>デンバーの山奥の鉱山町
ぜひ詳しく。
>>166 もし単車が例外ならその時点でそれだけ複雑だと思うのですが。
>>168 文句ばかりでネタを用意しない167がそろそろ怒るので無理です。
ひねてるなぁ。そんなに自分一人の天下でなきゃ不満かい? 他人がレスを続けていると、何も言うことがなくても邪魔したいんでしょうね。
話題があるのなら勝手に始めればいいのに。
戦後(という概念がアメリカにあるのかどうか知らんが)に至るもポール
集電に釣掛駆動で冷房なし。
中間駅は、煉瓦か木造の掘っ建て小屋があるだけで風雨を遮るものが無い。
これでクルマを捨てて利用しろと言ってもなぁ。。。 電気鉄道は・・・
ドイツで種が蒔かれ、アメリカで花開き、日本で実を結んだ。 >>168
これジャマイカ?
ttp://www.davesrailpix.com/odds/co/htm/denver01.htm >>174
斜陽のインターアーバンを視察し戦後の京急を作った日野原保氏は
30分以上乗るお客さんを立たせてはいけない、という考えで
日本の電鉄が自分の理想からはまだ遠いと語っていたそうだよ。
173のように客がクルマに逃げられないから日本では生き残れたけど
快適さと経営の両立という点ではまだ実を結ぶに至ってない気がする。 >>175
これなんてオネアミスw?
リイクニがその辺に立ってそうだ。 DVD 「Electric Rails of UTAH」
たまらん。いわゆるインターアーバンから宇宙から見えるという大規模な岩塩露天掘り鉱山鉄道まで多種多様です。
>>176
理想というのは追い求めるものであって、実現してしまえば理想ではなくなるんだがw
全員が着席できないような利用率(人口密度)が日本に電鉄を定着させたとも言えるね。
それでも有料ながら混雑時の着席を保障する列車(京急ウイング号が正にそれ)の設定
は、理想に一歩近付いたと捉えることもできると思う。
数十年で衰退・・・どころか消滅にまで追い込まれた米国のことを思えば日本では実を
結んだと言っても間違いではないと考えるんだが・・・。 >>179
>理想というのは追い求めるものであって、実現してしまえば理想ではなくなるんだがw
ホームドアとか女性専用車とかな・・・日本の場合・・・・
実際問題として、公共性とかおかまいなしに実現したから後はもういいや
・・・みたいな所はありそうな気がするなアメリカは 着席といえばインターアーバン車両の室内画像を見ると、クロスシートの巾が
意外と狭い。
急な需要増時の立客も考慮した結果かも・・・だが、これで巨大なアメリカ人
が並んで座れるの!?と一瞬思ったものの、驚くなかれ当時の画像に写ってる
人にはデブが殆ど居ないのだ!
自動車の普及で体を動かす機会が減り、歯応えが無く、満腹感を得るまで食すと
とんでもなくカロリーオーバーになるファストフードの蔓延が、電車のステップ
すら上り切れるか?てな巨体作りに大いに貢献したことは想像に難くない。
病める国アメリカ。。。 >>181
安い肉をコーラで流し込んでいるからな・・・。 あっちのデブはスケールでかいからな
日本のデブなんて屁でもないらしい それでも昔のインターアーバン(動態保存車)に巨体をならべてぎゅうぎゅうで座ってました
飛行機の3人席に3人並んでほとんど四角く変形しながら耐えて乗ってもいました
けっこう辛抱強いですアメリカのデブ 地域や時代別に公共交通の充実度と成人病患者や医療費の関係調べたら
面白い結果が出るかな? >>181
おまいいいとこ突いたw。
古きよきアメリカの映像見ていると、確かにデブが少ない。
いても陽気なカントリー系のデブなんだよな。
今と違って日照不足気味の白ブタはほとんどいない。 高頻度運転路線でもダラで1〜2連、急行で2〜3連、特急は朝夕のみ。
1日数本運転といった超ローカル線も抱えていたとなると・・・
輸送力は名鉄以下だな、これでは儲かるわけない希ガス。。。 >>192
突っ込んでくれて、ありがとう。
思いを上手く表現できないが、社名にエレクトリックと付いてるのが珍しくて
印象に残っていたところへ、国内のサイト&このスレでは、ほぼ直訳して電鉄
と呼ばれてる。がために折れの脳内でエレクトリック電鉄という呼称が閃いた。
それをちょっと書いてみたくなったのさ。。。 つニューヨークエレクトリックレイルウェイ(変則第三軌条集電式路面電車) 当時の感覚で斬新な動力を使う場合、会社名にその名を入れたくなるのはよくあること。
日本では瀬戸自動鉄道と言うのを思い出す。
明治時代の日本語では自動と言うのはかなり斬新なイメージだったはずだ。自動ドアなんかないんだからね。
どことなくスター○ックスのマークにも似た「安い速い旨い」ならぬ「速い安全快適」の
マークが少し今となっては悲しい。徐々に「復活」はしてるけど。
ttp://www.brimac.com/~brianmac/images/pemap01a.jpg
大阪市電の拡大版風
ttp://www.ednasantiqueshop.com/PE5128DSC66.jpg
>>197
遺された画像を見て、いつも思うのは・・・
やたら殺風景なところばかり走ってるなあってこと。
乗っててもつまらんかっただろな。 イリノイターミナルのC型電機ってB型を台枠の上に乗せただけのようなものだから、運転台がカブースのキューポラ並みの高さにあるのなw
模型見るとやけに背が高く見えるんでいろいろとカブースを並べて比べてみたら屋根高さがほぼ同じだった。屋根が深い分だけ視点の高さにはまだ差があるが。
>>195
まあ「ルフトハンザ航空」みたいに定着して固有名詞したらこっちのものなんだから、目くじら立てるほどのことでもないかと。 やっぱりカラー写真はいいなあ。
赤いから京急を思い出すけど、京急のお偉いさんが戦前・戦後に視察してるのは
シカゴらしいね。 赤い電車に白い線の京急はともかく、戦後すぐの230形等の窓回り黄色い
ツートンカラーはPEのハリウッドカーを参考にしたらしい。ってか進駐軍
の働き掛けがあったとか?ずっと昔の趣味誌で読んだ覚えがありますな。 戦後の日本の鉄道は欧米のパクリが多い。ロマンスカーと新幹線はゼファーとM10000のパクリだし。 新幹線がM10000のパクりなんて初めて聞いたけど
USAにはそんな主張する人がいるのかな? どこかでM10000を模型で見たような気がしてたが
いま思い出した。ト○タ博物館だ。 >>206
戦後より戦前のほうがわかりやすい例が多いと思うけどな
パクというよりデッドコピーだけど。
流線形系が似るのは仕方ないよ。世界的トレンドだったものね。
もちろんM10000/9900はパイオニアだから参考にされまくってるでしょう
新幹線0系はM10000よりNYCをはじめとする弾丸系蒸気機関車の造形に近い気がする ロマンスカーのパクリ元はエレクトロライナーだろう。 新幹線とロマンスカーをデザインした人はアメリカに鉄道視察にいっているんだよね。動画探したけどない。
ttp://www.all-railroads.com/M10000.html
ttp://en.wikipedia.org/wiki/M-10000
M10001のほうが新幹線ににてるかな? 「こだま号」はきっとエアロトレイン入ってると思うんだ。 この間、廃線巡りしてきたけど、結構古い線路が残っているんだよね。1945年の線路とか古い駅舎も結構残っていて、まるで遺跡発掘みたいで面白かったよ。ちなみに最近の線路は日本製が使われているんだよね。Nipponって文字を見たときびっくりしたよ。 >>213
向こうはいらなくなったらほったらかすからねえ。
昔は日本が線路輸入してたのに今は逆なのは面白い。 >>213
ぜひPEの廃線巡りサイトを立ち上げてくれ!
最盛期40万キロあったというアメリカ鉄道も、現在は23万キロだっけ?
廃線跡がゴロゴロしてるんだろうな。 現在走っているメトロリンクの一部の路線もPEの廃線を利用してたりして、あれだけの膨大な廃線跡を目の当たりにすると、当時のロスは全く違う世界だったんだなと実感するよ。
数年後にはオレンジ・エンパイア博物館にもメトロリンクで直行できるようになるみたいだし、PEファンにとっては面白くらると思うよ。
それに現在の鉄道事情は衰退しているかのように見えるけど、アラメダ・コリドーとか新しい貨物専用の路線も最近建設されたりして、カホンパスも整備拡張されたりして、鉄道ファンにとっては今後が楽しみだよ。 PEの廃線巡りサイトの立ち上げはちょっと無理、立ち上げても見る人は20人もいないと思うし。例のサイトの人にお願いしてみたら?
PEはある程度有名だし資料も残っているけど、他の消え去った数多くの中規模都市の路面電車は写真すら残っていないのもあるからね。実際どのようなルートで走っていたのかとか、探すのに苦労するよ。 >217
シカゴのPCC試作車(厳密に言うとプレPCCだが)ですら1両は写真はあるがもう1両は見つからないな。
後、PEと混同されがちけどロスの市電のほうはどんな感じで残っているのだろうか? http://www.btco.net/ghosts/streetcars/
ボルチモアの市電の廃線探索HP
何十年昔の廃線か判らないが線路が埋めたまま地中に残っている所が面白い。
>>218
もしかしてプルマン製4001とブリル製7001のこと?
ChicagoSurfaceLinesという本に出てます。事業用車両からバスまで写真を丹念に集めた恐ろしい本。
>218>219
シカゴの4001は保存されているけど7001はスクラップになったんじゃなかったかな?
ロスの市電は狭軌だが車体が標準サイズのPCCがあった気がする。 ロス市電のはOERMにて三台動態保存されています。 >223
>224
THX。
4001も7001もいかにも試作車然としているところがなんとも。
PEは今でも続いていたらシカゴの高架電車みたいなのが走っていたのかな? 黄色いタテ目の電車はシカゴのSouth Shoreだね
ttp://www.youtube.com/watch?v=1Hd4qqWZM4s
>>228
ありがとう。
動画の最後のほうに出てくる、チェサピーク&オハイオの
カブースのNゲージ持ってたのを思い出した(バックマンなw)
>>234
GJ! よく見つけた。
古い建物の保存は、悩ましい問題だけど
住んで残すとはね。 PEの貨物列車の運行系統ってどうだったんでしょうかね。 三浦和義容疑者が大変な事になっている、” ロス郡地裁支部”ってトーランスにあるのねw
地名の知識がPEに汚染と言うか侵食されてるので、どうでもいいニュースの中の普段さらにどうでもいいと思っている細部に聞き耳を立ててしまったw >メーシーストリート工場の脇の緩く曲がった土地はかつての路盤でしょうか。
そうだよ、そこからSoto street へとPEが走っていたよね。高速道路10へ続く跡地は今ではメトロリンクが走っているよ。
googleのstreet viewでは結構PEの廃線が探せるよね。 wikiの英語版のインターアーバンの記述に日本の事情が入りましたね。
乙です。 エアー式のポールについて考えてみました。
PEの電車の屋根上にのみ、ポールを下から持ち上げるようなやぐらがポールフックの傍にあります。
これはエアーが抜けてしまうとポールの姿勢保持さえできなくなり落ちてしまうので、フックとやぐらでポールを挟んでいるのだと解釈しました。
ポールが一本しかない車両は常時上げて置くのでやぐらがないのでしょう。
エアー式ポール採用の理由は、トンネル内等の架線高さの違いに対応するためではないでしょうか?
スプリングと違い、エアーシリンダーはどの角度でもポール押上げ力を一定にできると思います。
つまり任意の架線高さにあわせてポールの角度を調整する必要があったから、エアー式のポールを使っていたのではないでしょうか? Lines of PACIFIC ELECTRIC 東北編と南西編の二分冊
これPEを理解するには外せない書物ですね。
Cars of PACIFIC ELECTRICの三分冊とあわせて5冊、必携です。 http://maps.google.co.jp/maps?ll=34.179301,-117.27122&z=16&t=h&hl=ja
このハイウェイのカーブの内側を走る未舗装路も廃線跡。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=34.110144,-117.27961&z=17&t=h&hl=ja
非常に判り難いがこの池の東側の6thStから池の北をかすめて東西にPEが走っていた。
池の東側の事業所の駐車場の土地区画に注意。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=34.085513,-117.24389&z=16&t=h&hl=ja
これは判りやすいが、PE現役時はジェット機ではないので基地滑走路の位置が違う可能性が高い。
1本だけ長い滑走路は当時はなく、PEの引込み線が入っていたはず。ゴルフコースで潰れている。
川の南側の工場の石油タンク二基の角の曲線も廃線の痕跡。 http://maps.google.co.jp/maps?ll=34.163608,-118.05057&z=17&t=h&hl=ja
画面中央の不自然な斜めの土地区画線から南側がSierraMadre貨物ヤードの跡地。
旅客駅は南西方向の交差点に不自然な斜めの道があるところ。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=34.089888,-118.33956&z=17&t=h&hl=ja
ハリウッドにも貨物駅があった。サンタモニカ通りとハイランドアベニューの角に
不自然な曲線を描く路地があるのだが、まさにここが貨物駅の筈なのだけれども
引込み線と考えてよいのだろうか。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=33.993323,-118.4755&z=17&t=h&hl=ja
OceanPark車庫跡地のバスの車庫。東側に専用軌道の廃線跡が宅地化してずっと続いており
建設途中の高速C-90号線の入り口あたりまでつながる。そこから先はちょっと難しい。 >>250
そうです。
SPの関係会社だったみたいですね。
今は廃線になってますがATSFの幹線も通っており、集荷のためには翼下に納めねばならなかったのでしょう。
架線を外した後も北部へ向かう線は貨物線として1970年代まで残っていたようです。
北部へ向かう線の痕跡は南部よりも明瞭、てか現役鉄道線としてグーグルアース上にデータがありますw 東部に近いのですが面白い痕跡。
http://maps.google.co.jp/maps?ll=40.015162,-83.00103&z=17&t=h&hl=ja
右下のSummit通りからE.hudson通りへ曲がり、さらにIndianola.Aveへ曲がって左上に抜けるクランク状のルートを見つけてください。
次に二箇所の曲がり角を拡大してみてください。
Columbus, Delaware & Marion の有名なパーラーカーが行き来した通りです。
なんとなく線路が見えるようです。 SQVRってSequatchie Valley Railroadでしょ。アラバマとテネシーじゃなかったっけか
んでVisaliaはカリフォルニアのFresnoの近くでしょ。そりゃどういうこったい
貨物も92年に終了って言ってっけど。
http://en.wikipedia.org/wiki/Visalia_Electric_Railroad
パシフィック電鉄の残存する旅客サービスを完全に廃止させたのは、
ロサンゼルス都市圏交通局である。
交通局は1958年に結成、メトロポリタン・コーチラインズの他ロサンゼルスの路面電車とバスを運営するロサンゼルス・トランジット・ラインを買収した。
パシフィック電鉄の残存路線については、モノレールを用いた高規格化を試み、累積赤字と高規格化の前段階であることを理由に最後まで残ったロングビーチ線を1961年に廃止した。
しかし、交通局の計画したモノレールは、過去の高速鉄道計画と同様住民の反対に合い、結局実現しなかった。
「インターバーンメモリーズ」
1993年に発売されたCDで、この中の10曲目から13曲目までの4つがPEの録音。
1959年11月1日にワッツからロングビーチまでの区間で収録したものとの事。
形式は1801とあったのが、これはMTAになって改番された元の637、ハリウッドカーでした。
数ヵ月後の廃車を前にした最後の力走です。廃車後はオレンジエンパイア博物館に行ってる筈です。
モーターが50馬力×4個のせいか、良い音を立てて快走します。でもさほどスピードは出てなさそうな感じです。 イリノイセントラル鉄道とイリノイターミナル鉄道って因縁話がありそう。
シカゴ進出を狙う貧乏インターアーバン対、適時的確な投資で野望を打ち砕いた一級蒸気鉄道。
イリノイセントラル鉄道のシカゴ寄りが電化してるとは気付かなかった。
路線図見たらイリノイターミナル鉄道と面白いほど被ってる。
企業規模違い過ぎ。
イリノイターミナル鉄道が寝台車を投入しようとしたルートを5時間で走破する軽量ディーゼル特急を入れては、可哀想だよなあ。 メインストリートステーションが出来たとき、PEの電車は中央一本のポールだった。
これは3分から5分に一本の電車が折り返してゆくメインストリートステーションに「自動でポールを転向する仕掛け」が設置されていたからだ。
1910年高架線が駅の背後に作られたとき、表側からの線路は勾配がつけられ高架線へとつなげられた。
この時に架線はシンプルなものに改められ、ポール回しの必要性がなくなってポールを前後二本載せるようになった。
この理解、合ってますか? PEのトークンって意外と小さくて薄っぺらい。
一円玉より少し大きいぐらい。
これは乗り換えのときに使うものですよね? http://www.geocities.com/gatewaycityca/Arrowhead_Line.html
アローヘッド線。
美味しい湧き水が出る谷間だったそうで、飲用水を積んだタンク車が日に4〜8両も出荷されて市街地へと向かっていた。
タンク車といってもフラットカーの上にタンクを仮設したようなものなので、東部方面の貨物列車の写真の中に見つかる事がある。
なんと1960年までこの飲用水列車は運行していた。 ここ何人でまわしてるの?
ずっと独り言言ってるみたい たぶん4〜5人
確かにそれぞれが独り言状態だが海外鉄の懐古厨なんて元々孤独な趣味だから。
それにツッコミ入れると激怒したり粘着的にスネられたりすることがあるので慎重になってる。 人数少ないので参加してくださいです。
Ride the BIG RED CARS
最近買いました。写真の重複は少なめ。
記事の切り口が新鮮でかなり面白いです。
もっと早く買えばよかった。
幻に終わった市内高架線の完成想像図が載ってる。
現ユニオンステーションの構想前で、親会社SPとUPの
駅も移転する事になっているわ、そのSP/UPとPEの
高架複々線があるわで、真面目な絵なんだろうか? >>256
この書き込みから2ヶ月経過したが、まだHP上の動きが少ない。
本日運よく関東出張が入ったので熊田を襲ってきました。2両購入。
価格はアメリカと比較すると高めなので見るだけで帰る事も考えていたのだが、印象としては全て塗装済みで、よかった。
オークションのぼんやり写真に入札してジャンクを掴まされる無駄を重ねた経験から見ても、価格上乗せ分の安心感、
価値がありますよ。古い製品が多いので棒型モーターは各自載せていただく必要はありますが。
私はまだうーん、と悩み中の奴を後ろ髪引かれる思いで店を出てきました。
また数ヶ月してHP上で動きが無かったら、攫いに行くかも。 >>269
WRMのお土産売場でさんざ悩んだがリージョンフリーのDVDプレーヤーも買わにゃならん
という出費も考えて結局やめた。
ま、このあたりの商品は無くなりゃせんでしょ。2〜3年したらブルーレイでも出るよきっと。 DVDですがTransit Gloria Mundi Trolley and Light Rail Videos のPE物三部作は今注文中です。
大手と違って値引きするようなお店では取り扱いがないみたいですね。
リージョンフリープレーヤーは怪しい台湾製をオクで一台確保しましたので、私は気にしません。 まぁ次にアメリカ行ったときに買うよ
ダウンタウンの鉄道模型店でVIDEO&DVDs全品20%OFFだった
プレーヤーも現地仕様をディスカウントで買ってくれば無問題 >>270
256だけど、いいやつは委託リストに載る前に売れていくんだよ。
金曜閉店後に更新だから前週の土曜以降に出品するとして金曜閉店までに売れたら載らない。
トラムウェイでもPEの模型売ってたな、そういや。サンフランシスコの連接電車も置いてあった 1928年のロサンゼルスを舞台にしているので、
主人公が通勤するシーンなどここかしこにPEが登場します。
ロサンゼルスの駅の風景も出てくるけど、
サンバーナディーノ駅で撮影したとのこと。
http://en.wikipedia.org/wiki/Changeling_(film)
276です。映画の題名書き忘れた。
「チェンジリング」ね。
車両については自分はあまり知識がないので分からず。 1299は本物だよ。映画ではその他にバーニーカーも使われているけど、そちらのほうはゴムタイヤのレプリカだったと思う。
SLのほうもOERMで借りて来て、バーナーディノで撮影された。
因にデカプリオのエビエーター?でもPEが出てくる。 機芸出版のトラクションブックに詳しく書かれている。 OERMかWRMに「PEの××××号車をレストアしてくれ」って指定つきでドネートしようぜ!
1000万ばかし >>257
しかし、何でモノレールに反対したんだろう?従来の電車方式にこだわったのかな?
モノレールなら速そうだけど・・・ ロサンゼルス行ったけど、予想以上に軌道系交通整備されまくってて驚いたわ。
もしPE生き延びてても、結局は現状と大差はなかったんじゃないかと思ったり。
(廃止されるべきところは廃止され、今のレッドラインのように地下鉄化されるべきところは
地下鉄化されてるんじゃないかと…。車両も総入れ替えが数回行われてそうだし)
ブルーラインやゴールドラインの半路面区間、写真で見たPEと大差なく感じたのは漏れだけ?
そんなとこを小柄な電車が4〜6連で爆走。乗ってて楽しかったよ。
ゴールドラインの近年開業区間は時間なくて乗れなかったけど、次に行ったら乗りたい撮りたい。 今のメトロレールも、サンフランシスコのFラインみたいに、
旧型車だけで運行するライン作って欲しいな。
保存のプリンプかき集めても足りないか……。
……ニューオリンズみたいに、新車を復元車にしちゃうとか。
で、メトロレールは合理的ではあるんだけど、
街の顔になるようなものがないのが難なんだよね。
古典電車というのは十分シンボルになるんじゃないかなぁ。
少なくともFラインは大成功してるんだし。
>>287
Muniはケーブルカー持ってたというのもでかいと思うが。 PEは市電が狭軌で相互乗り入れできなかったのが痛かったんじゃないかな?
インターアーバンと路面電車が別個のものだった都市としてはシカゴがあるぐらいだから、別に関係ないんじゃないの?
http://www.erha.org/index.html
このHP深すぎ。へっぽこ英語力のせいもあるけどまだ30%も読めてない。 1902年から1912年あたりまでの10年間に起きた出来事を整理してゆくだけで大変だな。
今サンタモニカエアラインが翼下に収まった経緯について調べ中だが、経営主体の変遷について大混乱中。リース期間はいつ終わったのだろう。
インガルウッド線が元ATSF線というのは想像がついていたけど、この時代の縄張り争いの激しさはどうだ。
この時期にロサンゼルス市電に経営権を譲渡した区間がわずかながら見つかったけど、なぜなんだろう。
自治体の境界線が臭いと思うのだが、ハリウッド市がロサンゼルス市と早々に合併しているのにPEの縄張りのままだったことと整合性が取れない。
単に儲かるところは手放さなかっただけ? テキサスエレクトリックの凸型電気機関車って電車の車体を三等分し前後を取っ払って真ん中を残して造ったのかw
アンチクライマーはそのままで、連結器周りや台枠をいじりたくは無かったんだね。
窓の大きな機関車だなと思ってはいたが、電車の車体そのままだったとは。
この会社、市内はともかく郊外に出れば架線がカテナリーだったり1200Vだったりして、意外な高速志向路線だったのだね。 昔、吉川文夫氏の自作・自由形鉄道模型作品で
「オープンデッキのアメリカ形電車」というのがあったのですが、
プロトタイプが分かりません。どなたかご存じの方いらっしゃいませんか?
(当該記事は30年くらい前…1985-6年頃?…にTMSかとれいんで読んだ記憶があるだけです。
記事にはプロトタイプがることと、そのイラストが載っていました)
・オープンデッキの客車をそのまま電車にしたような形状。
(運転席はデッキの後ろにある)
・ダブルルーフの木造車。時代はかなり古い。
・いわゆる「展望車」の類ではない。
・路面電車ではなく、高架線で使われるような車両。
断片的な情報でもよいので、宜しくお願いします。 ボストン、シカゴ、ニューヨークの高架鉄道の最初の電車はドアのないオープンデッキだよ。
http://www.nycsubway.org/perl/show?7449
電化前の客車を電装したものだと思う。 >>294
片野正巳氏のNゲージの奴なら知っているんだけどなあ・・・。 >295
ありがとうございます。
探してたプロトタイプまんまじゃないですけど、かなり近い車だと思います。
ボストンやシカゴにも類型車が居たんですね。
「デッキ付きの電車」という題材に引かれ、DRGのET89や越後交通モハ209、
下津井辺りに関連してなんか引っかかってました。
ただ、ドイツや日本の事例は「電気機関車との兼用」「気動車の改造」なのに対し
アメリカのは「客車の電装」と全く事情が異なるのは興味深いです。 オレンジエンパイア鉄道博物館とサンペドロのREレッドカー行ってきたけど何か質問ある? いずれやるつもりだけどコンプリートには何年かかることやら。
OERMだけで1000枚以上、動画2時間近く撮っちまった
完全な形でなきゃ見たくないって言うのなら辛抱強く待ってね。 京都のN電がとってもいい状態で動態で生きてたのは嬉しかったねえ。日本人として 羅府新報特報第一号
四月七日(火)午後一時
南加陸軍当局七日発表 ドーネー並に
ローンデール両地域立退き布告発せられ
たるを以て両地域在住者は明八日(水)
より両地域の立退事務所に出頭の上
登録しなければならぬ.ドーネー、ローンデール
両地域並にその近郊在住者は来る十三日(月)
十四日(火)両日に亘りバスとPE赤電車に依って
サンタアニタのセンターに送られる筈 ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:SanPedro_to_SantaAnita.gif 何冊も持ってるぞ。
写真が主で読み込んでなど居ないが(汗
ややスレチだけど、米国の戦前の電鉄技術には敬服するものの
横剛性に欠けるブリルのトロリー向け台車は評価できない。
幅方向のサイズの制約回避ということだったんだろうけど。 末期の6thターミナルからロングビーチまでの前面ビデオを見ましたが、
沿線は驚くほど殺風景でした。アメリカの郊外ってあんなもんなのかな? LAは今はそんなでもないと思うけどね。
Sacramento Northernの廃線跡とか今も荒れ野原ばっかですよ
それどっかで見れますか? >>311
http://www.youtube.com/watch?v=ebboO52In1w&feature=related
日本で前面ビデオが世に出たのは約30年前(始祖は京王帝都)と記憶してますが
アメリカでは、それより20年も前に、こういう撮り方をしてたとは!
しかしブリンプの運転台には椅子もなく、装置や内壁も劣化してるっぽくて
労働条件は相当悪かったみたいですね。 ペンシルバニアの電車などにも共通するけど、アメリカの電車に乗務員室という発想はなかなか生まれなかったんだよ。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Chicago_Rapid_Transit_Company_4410.jpg
シカゴのLの古い車両。これで運転台付き。
http://www.chicago-l.org/trains/gallery/images/wood/cta390.jpg
これで運転台付きでこちらに来る電車を移している。展望車でも裏焼き写真でもありません。
http://2.bp.blogspot.com/_IPZX1n_gnIM/SoL3gsjnzqI/AAAAAAAAD9M/VzwxeeSQy0I/s1600-h/Budd-RDC_1.jpg
電車だけでなくbuddのRDCのような、電車よりも長距離も行く車両にも運転台が独立した部屋になることはなかった。これでも両運転台車両なんだけどね。
通常、地面から乗るための踏み台を車掌が持って後ろのドアで客扱いするため、最前部のドアは通らないという不文律が乗客の側にあったみたい。
電車の運転手というのは労働者としては最下層グループだったと見てよいと思う。
発言力などを見ると機関士のほうがよほど格上待遇だったのではないか。こうなると両者が同じ線の上にいるペンシルバニア鉄道の現場の雰囲気が知りたい。
PEの電気機関車は電車の運転手と兼任だったのだろうか。
なるほど、アメリカの電車には乗務員室が無いというのが、よく分かりました。
シカゴの旧型車は客車の電車化だと思いますが(キーシステムにも似たような
オープンデッキの電車が存在した)乗務員室という発想が無いから安直に改造に
踏み切れたのかも・・・ですな。 >>312
ぅぉぉありがとう!
PE関係の動画もここ最近で増えたんだね。堪能しますた。
欲を言えばこの先が見たかったけどね…ハンティントンビーチあたりの砂地を走るところとか。
けっこうスピード出してだんだね
一昨年OERMで乗ったブリンプはこの半分も出してなかった…。
線路がショボいんだろうけど
ブリンプもいちおうデッキが乗務員室みたいなかんじで仕切られてはいたけど…
カリフォルニアカーもみんな立ちっぱで運転してましたね
PCCやバーニーカー、KEYの連接ユニットは座ってたけど 逆に言うと、米国の電車を手本にした日本の電車が
乗務員室つきというほうに進んでいったのは何が理由なんだろう。
地下鉄の影響なのかな・・・。 日本もアメリカもクローズドキャブに進化してんだよ。
戦前のとかみたら日本だって真ん中運転台立ちっぱでHパイプ仕切りしかなかった路面電車タイプ
が多数派だったじゃん。よくて片隅式で
事故った写真で申し訳ないけどコンパートメントの仕切り方がわかるね。デザインが70s
でこの電車何で出来てんの。バルサ?
http://en.wikipedia.org/wiki/File:WMATA_CAF_5152_derailment.jpg 人口密度の差でしょう。
アメリカのインターアーバンには定員乗車当たり前でパーラーカーみたいなのが普通にいましたからね。
日本だと戦中戦後の大混雑の洗礼で、乗務員用の扉がないと業務に差し支えるという事になったのではないか。
確証はありませんけど、蒲原のような極細の扉さえ設けられたという背景には運輸省の硬直化した行政指導があるんじゃないかと思います。
片隅運転台から全室運転台へも改造の流れが各社に見受けられますし。
それに加え、終戦直後には皮肉なことに進駐軍兵士が
運転手に乱暴狼藉をはたらくケースがたびたびあったので
乗務員室への一般人の立ち入りが大きく制限されるきっかけとなった。
当時の写真によく OFF LIMIT EXCEPT PERSONNELSという文言が
運転室扉に書いてある車両がでてくる。 San Pedroの復刻版レプリカ車も、OERMのブリンプも、どっちも乗り降りは進行方向後ろ側のデッキからで、
運転席になる前方デッキは閉め切って事実上乗務員室にして運行してたけどね。
客室との間を仕切る引き戸はあけっぱなしだったけど。(笑
現役時代もそうやってたのかはわからないけどね。
>>318
運輸省の指導でなく、終戦直後の混乱期以降のラッシュ定常化が
原因だと思う。
世の中落ち着いたら今度は高校進学率が急上昇して、結局殺人ラッシュは
地方でも解消できなくなった。
戦前は利用者のムラが少なく用務客メインで、ピークがあまり極端で
なかった。
逆に北米なんかじゃ戦後のバッドRDCでも乗務員室デッキ兼用を
通しているね。
治安悪化とバンダリズム対策が重視されるまで日本より大らか。 RDCをWiki先生で調べたら、VIARailが2010年に6両更新修繕したのに吹いたw。
バンクーバー島内封じ込め運用やら、これしか使いようがない運用が
残っているお陰で物持ちの良い話だな。
エンジンは元のまま環境対策追加して全面修繕し、アコモはLEDや車椅子
トイレ完備に魔改造するようだけど、物理的に車椅子で乗れるんかあれw。 アメリカってぇ国はすごいね、終戦直後にこんなかっこいい車輌作ってたんだ…。
日本なんてまだキハ45000だよね… >>323
これは戦後の黄金時代の名車だから。
外国の技術者もこれが一つの目標だった。
んで日本でできたのが韓国のニイガタ動車なり台湾DR2700なり
国鉄キハ55。 屋根の上の集中式冷房ユニットに見えるアレはラジエーターだったんか
にしてもデュアルヘッドライトのひっこんだ処理の仕方とかデザイン秀逸だよね
阪急2000とか絶対パクってるわ(^_^;)
GMエアロトレインのほうが後?なんで退化 屋根のラジエータは台湾でも採り入れられたね
(前出のDR2700、そして改良型のDR2800) SP→PEの丸窓(Blimp)も魔改造されて現代に生き残ってたらさぞ楽しかろう。
たとえ電装解除されてようがコントロールキャブ化されてディーゼル列車の客車になってようが台枠だけしか残ってなかろうが
ないな(´・_・`) >>316
ドアの自動化が進んで、助手側での頻繁なドア扱いが増えたのが
全室化の本音だと思う。
ドア扱い頻度や乗降との交錯がさして問題にならない
東武優等車や無人駅対策が大事な路線は客用扉でのドア扱いが
残ったな。
逆に片隅運転台化をごり押しした国鉄末期以降の軽気動車じゃ、
ドアスイッチに辿り着けないための遅れが問題になってる。
あちこちにドアスイッチがあって、車掌が神出鬼没に
ドア扱いや発車合図する名鉄やJR四国はアメリカンで楽しい。 >>243
ビルグリメージ橋の下の中央よりにあるのは架線を吊ってたやつ? パシフィック電鉄の昔の映像とか写真を見ても、
停留所に安全地帯のようなものが一切無いのだが、乗り降りはどうしていたんだろう。
ハロルド・ロイドが出ている1924年の映像では、道の真ん中に立って
電車を待っている。
http://www.youtube.com/watch?v=uDqtgoznzQw
末期でもこれは変わらなかったんだろうか?
日本以上にモータゼリーションが進んだアメリカでは、
末期だと相当怖かったと思うけど(1924年でもかなり車が走っているが)、
このように近代化できなかったことが廃止の一因だったんだろうか。
名鉄美濃町線のように。 なんか的外れなこと言い出したスットコドッコイがおるな
アメリカとか今でもLRTだって路面インターアーバンだってクルマばんばんすっ飛んでくる車道の真ん中に線引いただけの路上から乗り降りしてんよ 例外を言い出せばきりがないが、おおむね334は正しい。
ただし、郊外へ直通するような系統は市内ではこまめに停車する事はなかったケースが多い。
専用のターミナルを周辺各社共通で維持していた。
ターミナルがない場合は歩道で待つケースがあった。
利用客が多いケースではヒューストン・ガルベストン電鉄のヒューストン市内が、
専用のターミナルを持たず、市内路面電車線を一周して折り返してくる運用だった。
路線は盛況で、編成は常時4連が当たり前だった。
で、鷹揚に路上に停車して客扱いをしていた。
木製のステップを各車前寄りにあるドアに置いて、貫通幌などないから4個も路上において。
道路側の設備としては、架線の吊り索に停留所であることを示す札がぶら下っているだけ。
乗客の列の背後では車が走っている。
まあ、そういう常識で生活していればそんなもんなんだろう。
電車が来るまでは乗客は歩道の切符売り場周辺でまっている。この辺は美濃町線徹明町の雰囲気が近い。
末期の新岐阜駅前の路上もそんな感じだった。横断歩道が青になると乗客が乗り込んでくる感じだったね。
現状のアメリカも交通量が多いのに路上で直接という所はさすがに少ないよ。 最初のほうと後半で言ってることぐちゃぐちゃだよね
長文で意味わかんねえって公害だなって思う >>335,336
日本では万葉線などに「電車のりば」とペイントしただけの停留所が一部に
残るが、アメリカの路面電車やインターアーバンではかつては安全地帯が無いのが一般的だったのか。
私はアメリカに行ったことがないので、現在のライトレールは分からなかったけど。
オープンデッキの運転台も今なら考えられないが(LAなど雨が降らないところ
ならともかく、そうでない都市もあっただろう)、現在の常識は通用しないね。
ブリンプもオークランドにいたときは、運転台側の扉はなく、金網があるだけの
準オープンデッキ車。当の運転手はどう思っていたんだろうね。 >>339
>オープンデッキ
英国では結構後まで運転台むき出し(幌みたいなのがあるだけ)の機関車が基本だったから、
米国でも短距離運転のインターアーバン車両は別にかまわなかったんじゃね? ★マインドコントロールの手法★
・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
↑マスコミや、在日カルトのネット工作員がやっていること
TVなどが、偏った思想や考え方に染まった人間をよく使ったり、左翼を装った人間にキチガイなフリをさせるのは、視聴者に、自分と違う考え方をする人間が世の中には大勢いるんだなと思わせる効果がある。 カリフォルニア州内で稼働してる動態保存車はドアのあるなしにかかわらずみんな開けっぱで走ってたよ。
現地行って乗ってみればわかるよ。
乾燥してて、空気がさわやか。冬も寒くない。
もうドアが開いてようがなんだろうが全然気にならない。昔もそうだったんじゃない。
SPブリンプの金網スライドドアはベイブリッジでの転落防止用に義務づけられたとかで。
NY高架鉄道のお古もってきたオークランドのシップヤード・レールウエイなんかはフルオープンデッキの
元客車スタイルだけど、これどこで運転してんだろね?
http://www.youtube.com/watch?v=riHeQszfLLA ディズニーランドの客車風と言えばいいのか、側面フルオープンで側壁の無い客車が堂々と営業に就いていた。
http://donsdepot.donrossgroup.net/slg310.jpg
ソルトレイクの遊園地と市街地を結ぶ路線の週末の増結車という感じだが、MTTTM編成にはなった模様。
乗客鈴なりで走ったという証言も。規制はないも同然だったのか。 >>343
それ、RIO VISTAのWestern Railway Museumに保存されてるやつだね。
後年(1950年代末期)に各列に扉だけはついたようだよ。今はドアありの状態で保存されてる。
比電化されてからはGEの44tディーゼル機関車に牽かれてたそうな。そのディーゼルもセットで
静態保存されてる。 ダウンタウンからロングビーチやアナハイムやサンタモニカへ関東の私鉄のような路線があったらいいな MTSにしろMUNIにしろ、あの乗車率の低さでなんでやってけてるのか疑問。
常時すし詰めの東京の私鉄はボロ儲けしてるのか。わからんよ そりゃ建設費全額公費負担で借入金もなし。返済の義務もなしだろ。
おまけに毎年の運営費も運賃収入で追いつかなけりゃ税金から補填されたり。
日本の大手私鉄が世界でも異常な状況に置かれているだけで、世界の常識では旅客鉄道は営利事業ではない。公益事業。 公益ってw
日本は自由資本主義国家だから、教育や福祉でもない限り儲からない事業は許されないよ
実質社会主義国家だった昭和の時代ならともかく…
タックスペイヤーとしての自覚があれば赤字の鉄道を漫然と放置する事を許さないのが当然 いや営利事業なのは日本だけで世界的には公益事業だろ
赤字≠不必要ではないから公的機関が維持してるんだよ
公共交通の維持運営については先進国の中で日本だけが本当に遅れてるな 日本の場合は、山に制約された日本の人口稠密度(旧郡部でも)と道路の整備度からして
鉄道が赤字なら間違いなくバスの方がローコストで同じ公共サービスを提供できるから
仕方のない面はあるべ
これが道路整備を禁止されてる山をモハユニがとことこ郵便運んで上がっていくスイスなんかだと
鉄道維持に公益性は明らかにあるわな
もちろんこのスレだから自動車会社がレントシーカーとして振舞った悪しき結末だと批判していいが
もうとっくに、赤字の鉄道=不要の判断が公益から見ても正しい状況に持ち込まれている サンフランシスコって電車バス安いし使いやすかったわ
きっと住んだら高い税金にうんざりすんだろうけどね ロサンゼルスからロングビーチまで1ドル50セントロサンゼルスの市営バスは50セント
税金で補填されていていることを利用しない富裕層は納得なんだろうね シカゴのインターアーバンやらディーゼルが出てきても放置だってのにかw
地域が合ってるだけいいじゃんよw ひとのやることを片っぱしから否定するだけの人間ってのはいるもんだな。 >>352
ブルーラインで1ドル50なの!?
PEは幾らだったんだろう。 OERMで走らせてるblimpの車内にあった料金表示器は最小単位が8セントだったかな。単行でも車掌が乗務して料金徴収してたから均一料金じゃなかったようだ アメリカなんて土地が余ってる国なのに、
なんでやたらと併用軌道が多いんだろうな
都心部を通れるから利便性は高んだろうが、
速度面では極めて不利だったろうに。 なんでかしらね。
車があんまし普及してなかった時代とかはそのほうが都合よかったんでしょうけど。 アメリカの草創期のライバルは駅馬車でしょう。それに無人の荒野にまず線路が敷かれてから街が始まるわけで、既存の道路というものがない。
都市初期の土地区画の碁盤の目で線路敷地が除けられていた形跡がほとんどと言って良いほど無いのは不思議。線路に隣接する区画は線路に背を向けて建築を立てればいいのに線路正面で建てておいて線路に文句を言う理由が私には判らない。
草創期のヨンヨンレイだって敷地をかすめれば相当に脅威を感じる筈。
ほとんどの都市で線路のルート変更をやった形跡があるね。ありがちなのがユニオンターミナル設置に伴うルート変更でストリートラン解消とか。無視されるほどの相当な田舎町で無い限りは、やはり土地は余っているんだと思うよ。 モータリゼーション初期の段階で
併用軌道解消で速度向上を狙ってれば
日本のインターアーバンのように
生存の目もあったんじゃないかと思うともったいないな。 なんかSP/UPなんかの長距離旅客とインターアーバンとトロリーがごっちゃに語られてる気がすっけど
…いいのか別に。
関係ないけどクルマが台頭する前のアメリカの鉄道天国ッぷりは本当にすごいね。
ニューヨークのブルックリンターミナルの写真とかクラクラしちまった。ウイリアムズバーグ橋を渡る7線もすげえ。 >>366
それらが今風のATCの類じゃなくて、せいぜいワイヤーで連動させるレベルの機械式の保安装置で管理されていたのが堪らん。あるいは目視運転頼りで保安装置なしとかw
東海岸のどこの街だっけ?フィラデルフィアだと思うのだが廃止になった路面電車の線路が復活を訴える市民グループの根気強い働きかけで撤去できずに残っている地区がある。
裏通りを単線で抜けたり、タイムマシンのような面白さがある。 【女性専用の寝台車両がある寝台特急あけぼのが廃止になるので大歓迎】
JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&list=PLZFU6ES8QfYprxusuhSXsAQcvu5y6y40q Sacramento Northernの1005号車がレストア終了、動態復活したそうだね。
ポール2本に1パンタ、と賑やかな屋根上のベイブリッジ渡ったクモハニ、金あればすぐ乗りに行きたいけどタイミングがよくないね PEの50型みたいな電車が堪らん。格好良い所が欠片もないのに合理的きわまる発想が堪らん。 む、無理をしなくてもいいんだぞ!
床下の狭い空間にエアブレーキ関係が収まっているのは判った。
コンプレッサーや制御器はどこなんだろう??
一見広そうに見える運転室は実は、放熱する機器だらけの炎暑地獄だったのでは・・・。
最近、戦前のセンターエントランスタイプの電車が好き過ぎて困る。 現物はとっくにないだろうけど、図面や写真ならWRMの資料室あるんじゃないかな。今度行ったら見てくるよ。
あそこの資料室はすげえよ。宝の山だよ。にもかかわらずいつも誰もいない。客は遊園地感覚で電車乗りにくる子供連れがほとんどだからね。 そいつは有難い、と言うか行けるなんて羨ましいな。
ペーターワッツとバーニィセーフティでアメリカのトロリーはつまらなくなった。
部分低床部を含むセンターエントランスカーの発想は素晴らしい。札幌市電A830のように扉はデカいが中にステップを隠してるような電車はよくない。
梁をぶった切る(未確認)無茶をしたから幅の狭い外吊ドア二枚なのだろうし、しっかりとした台枠があるからこその幅広い扉なんだろうけどさ・・・・w
攻めの姿勢が良いんだyo! 良くも悪くも大胆だよね、アメリカは。目的をはっきり形にするっていうか。
そのくせ肝心のところはものすげえテキトーだったりするから。そこがいい 日本だとセンターエントランスカーは京浜電鉄の101?だったっけ
あれはドア部分がせますぎて乗降時間の短縮効果が薄い
アメリカに範をとったけどもうひとつ大胆になれないキマジメな日本人
って感じが惜しかった いろいろ勉強した。へドリー・ドイル・ステップレスカーHedleyDoyleSteplesscarと呼ばれているんだな。検索でのヒット数が違う。
モータリーゼーションの深刻化の中で切られていったからには、どこかに問題を抱えていたのだろうとは思う。
しかしそれを具体的に指摘した文献にはまだ出会えていない。
SPが購入して翼下の三か所に分散配置し、モータリーゼーション初期で打撃を食らった他の二箇所からPEへ集中配置させる措置を取ったらしい。
本家本元ニューヨーク周辺の同類には幅広い窓の奴とか二階建てとか変な車両が見られるが、まだ把握し切れてない。
SPは見様見真似?で自社オリジナル車両を造っているな。PEでは170型と呼ばれている奴で、これが京浜電鉄101号の元になったんじゃないだろうか。
京浜101号の失敗は木造車なのでステップ付だった所にあるのではないだろうか。
このアイデアの重要な所はステップレスで、そのためのセンタードア配置なのだという点を理解しておらず、そのために鋼製車体なのだという点も判ってなかった。 PEの179はOERMに現存してたはずだな。サビサビのボロクソだが。サブマリンって呼ばれてたやつね。 PEの170型、ステップあるじゃんw
史料を漁っていて見つけちゃったよ。
ところでこの170型、SP時代の資料を見ているんだが、なぜドアが三つあると思う?
実は中央が入口で、左右は出口になっている。
車内に付け替え可能な手すりがついている。
中央の扉から入るとそこに車掌が陣取っている。ここで運賃を払うのだろう。
そこから車内の前か後ろの座席へと向かう事になる。
降りる客は、前方の客室からは前の扉、後方の客室からは後ろの扉しか利用できない。
つまり、センターデッキでは乗降客の動線が手すりにより仕切られており交差しない。ラッシュに効率よく対応する工夫だろう。
車掌は次の停留所が進行方向の右か左か、それに合わせて手すりを半回転させて切り替えていたかもしれない。
活躍時期から見て、前は白人後ろは黒人と言う暗黙の了解があったかもしれない。
オークランドの日本人街も走っていたが、さて、日系人はどのように利用したのやら。
こうなってくると京浜101号の車内が見たいな。 黒人白人じゃなくてSmoking compartmentとNon smokingて書いてあんじゃんよ。想像をさも確定のように語んなよ。 喫煙室が、州法で人種別隔離を明確に打ち出していない地域の隠れ蓑だってのは、調べると割とすぐに判ると思うけどな。
分煙するとして、時代から見て早過ぎるサービスだとは思わない?
実際はどうだったのかを確かめないとなんとも言えないよ。
そして現時点では喫煙室はマイナスの判断材料になると思う。 現車にしっかり書いてあるもんはお前さんの空想で曲げられないわな。なんぼ屁理屈ぶっこいても。 この問題について無知なあなたと議論する気はない。
アメリカの客室プランの中のスモーキングルームの意味については、ちょっと厚めの英文文献を当たれば記されている。これを知らない時点でどうかと思う。
SPは州法でジム=クロウ法を定め、保安官や州兵が日常的に客車に乗り込んで「市民の保護」に当たるなど差別の激しいテキサス州を根拠地の一つとする「この微妙な問題について経験深い」企業だ。
オークランドは大陸横断鉄道の建設に従事した中国人を主体にアジア人の比率の高い町として有名だった。
仮に1910年代末に分煙するとして、小さな電車の中を喫煙者と禁煙者の割合を1対1で区切る事は受け入れられるものだろうか。
私は以上の事を論拠に「可能性として」論じたまでだ。分煙であった可能性を捨ててはいない。
地域文化、企業文化と道具の使われ方を推察したに過ぎない。
知識があれば充分に推察できる事を、対象について書いた文章が無いから認めないというのは「バカの水掛け論戦術」という。2chで良く起きる不毛な事だ。
日常生活をいちいち記録する者は少ないし、細やかな差別の手口は後ろめたいからこそ文章に残り難い。
ただアメリカの鉄道の客室については大き過ぎる喫煙席という目安が従来から指摘されている。
運用がどうあれ、実物の趣味的な価値には変わりはない。
私は一等車も三等車も差別しないし、影の部分を背負った時代も企業も文化も車両も好きだ。人が暮らす所に影は差すもので、切り離せないからね。
後ろめたい部分の兆候を見つけたとて慌てて否定したりしない。可能性としてそのまま受け入れるだけだ。
あなたは私が可能性として挙げている事に激しい口調で反発しているが、鉄道車両は清廉潔白でないと気が済まない性質なのか?
戦前は、オークランドには大きな日本人街もあった。
あなたは文章で示さない限り、日系移民の日常生活についてもバラ色で染め上げてしまいそうだね。
ただ「苦労した」の一言で済ませ、日常生活を知ろうと言う勇気は無い訳だ。
海外に限った話ではない。日本の鉄道についても、深く深く深く掘り下げればどこかで似た様な問題に出会うはずだ。
性別や職業により乗車口が決まっている不思議。着席位置が決まっている不思議。
差別する側に居れば、ただの合理的な「サービス」であり記録の必要もない日常生活。
差別される側にとっても日常生活ならば何の疑いも持たない。微笑ましいエピソードとする記述者さえいる。
繰り返すが、この問題について無知で、なおかつ踏み込む勇気も無いあなたと議論する気はない。
スレの進行の正常化を望む。 よし、では日本人の強制収容や日系人部隊について語って正常化しよう こういう時の「無知」って大抵そう言ってる奴が重箱の隅つついて些細なことばかり知ってるだけなんだよなあ
自分が異常なのに、自分が相手に合わせるのではなく相手に同じ水準を要求する質7頭も悪い人間なことが多い
自分の知ってること、自分の持ってるものは全員知ってるし持ってると無意識に思ってるタイプ
んで自分は無知でバカな連中の相手をしてやってるんだと勘違いしてるけど、大抵白けさせて盛り下げることしかしない
(>>390がそうとは言ってない)
>>390
有名とかいうなら参考文献か出典をよろしく。Webページでもいいよ
日本国内では厚めの洋書なんて入手困難だけど、知らないとなどうかしてる
レベルなら当然大型書店なら置いてある位には有名だろう? >>390氏の書いた内容についてはなるほどと納得できるし興味深い
ジムクロウ法とかで検索しても60年代の公民権運動ばっかり前に出てくるんだよなあ
参考になるwebページとか教えてくれたら正直ありがたい >スレの進行の正常化を望む。
あれだけの長文投下してそういう放言できる
貴方の顔が見てみたいものだ 女性専用車に韓国人男性が乗れないのは民族差別です
日本人は乗れるのに >>396
10日以上たってアンカー打たれたから何かと思えば……
こんな超過疎スレで自演てなんのこっちゃ
何でもかんでも煽ってりゃいいってもんじゃないよ キチが超長文で襲ってくるから誰も書かなくなっちったな。あーあ。 長文基地外が延々独り言と自演援護繰り返してるかと思いきやさすがに「聞き手」がいないと黙るかw
逆ギレして自分がみんな追い出しちまってんだから世話ねえやなww ロサンゼルス行ってきたよう(^-^)/
なんか質問ある? おお、おかえんなさい
順に書いておくれ〜
揚げ足取る粘着キ○ガイが来ない程度に PEとOERM以外は端折っていいよね
LAメトロやアムトラック関係は他所に書くまとめたら上げるわ。
黒人白人基地外が来たらすぐ撤退する もうちょっと待っててねーまとめてるから。
あとね例の人種別コンパートメントの話ねあれも明確に答え出ましたから。OERMのキュレーターさんに聞きました資料も見せてもらいました。 まずねコンパートメント分けは喫煙/禁煙でまちがいなし。実車両内部にも表記あり。それも白人オンリーですと。
そもそも白人と黒人が同じ車両に乗り合わせるなんてありえないそうで、黒人は黒人専用列車が来るまで待て、と。黒人車両はいつ来るかわからないような状態で車両も古いボロいのがあてられてたらしいです。
じゃまたあとで 名鉄の車番表記書体はここの車輛の車番表記書体をパクったと聞いたが本当? 確かに古い電車にローマン書体はアメリカンな感じだが、名鉄のやつはマネしながらも
日本流にアレンジしてあるとは聞いた。なお旧営団も一応パクリじゃないらしい。
http://www.cufonfonts.com/en/font/8981/railroad-roman-1916 確かに古い電車にローマン書体はアメリカンな感じだが、名鉄のやつはマネしながらも
日本流にアレンジしてあるとは聞いた。なお旧営団も一応パクリじゃないらしい。
http://www.cufonfonts.com/en/font/8981/railroad-roman-1916 かつての日本の鉄道の塗装や車番表記のフォントは
アメリカ由来というか丸パクが多いわね 今週末にオレンジエンパイア鉄道博物館でお祭りだそうなのでage ほんっと鉄じじいは
認めない
謝らない
改めない
のクズ人間の見本だな
カメラ爺でも下から2番目の酷さだ まだ生きてるのかこのスレ
住人はインターアーバンと共にタヒに絶えたようだが ハーシーの板チョコを衝動買い。
デカくて厚いけど500円した。
まぁキューバには無関係なんですけどねw アイオワって何で営業続けていられるのかな。
中古の入換機買った方が安上がりだろうに。
取引先のいくつかは側線が突き抜けて非電化の他社線と結ばれているし。 中古の入換機買うより安く請け負ってくれてるんじゃないかねえ
線路はへろへろ、機関車は骨董品、きっと機関士もだろ アメリカの経済制裁のせいで、古いアメ車の聖地になってたのは有名だが、電車も古いインターバン
をだましだまし使ってたそうだ
https://www.youtube.com/watch?v=R7JyJSbb6eI >>427
今も路線自体は残ってて元スペインの吊り掛け電車が走ってる
ルポ↓
http://jougokei.web.fc2.com/cuba/hershey/hershey.html
動画に出てる電車も保存されてるみたいだね(故障で動かないそうだが) さすがに貨物は全線廃業か?郊外電車と貨物の組み合わせはかつての日本の私鉄にも
似てる。
ただこの距離で過疎バス並の本数はインターバンとはいえず、このままならあまり将来は
ないかもしれない。 ヘソライトは移動式で、編成を組んだのちに端部に取り付け、電線をプラグに差し込んでいた。
サウスショア鉄道もハンドルと電線が見える。
ペンシイのMP54も固定式のヘッドライト。
しかしSPのビッグレッドカーはオークランドやオレゴンでもヘソライトだ。
同じオレゴンでもオレゴンエレクトリックは屋根上
https://en.wikipedia.org/wiki/Oregon_Electric_Railway#/media/File:Oregon_Electric_train_passing_through_Albany,_Oregon_(3230126720).jpg
テキサスエレクトリックは如何にと見たらこうだよ!
https://4.bp.blogspot.com/-exUA35OOvW0/Tw4aTAc---I/AAAAAAAABOA/qdAqx34fv4o/s1600/rr4.jpg
屋根上とヘソと、両方ついてるんですが。何がしたいのだお前は。 NHKアナザーストーリーズでワッツ暴動、やるぞ。
PE廃線後に交通機関を失った街の話だ。 311さんの映像見ましたが 場所は異なれど 連結ふたりのりの玉電みたい
立って運転とか 途中で専用軌道にそれる とか 楽しかったです