結局のところIBM PC以外全部負け犬だけど? [無断転載禁止]©2ch.net
所詮
98もたった20年程度しか存在できなかったし
Macも別の中身が僭称してるに過ぎないし
APPLE][?
MSX?
88?
68?
AMIGA?
TOWNS?
何その泡沫ww 日本語処理したいだけのおじいおばあはワープロ専用機使ってたよ、次いでPC98じゃね
PC/AT互換機使ってたのは若い世代でWin95出る前は当時のフライトシムやベンチマーク目的の描画性能を要する利用が主だった
Win95やWin98でMS Officeがマトモに使えるようになってからPC98やワープロ専用機利用者がやっとPC/AT互換機に転向して来た
おじいおばあもインターネット使いたかったしねw 90年代はまだPC98との両刀使いが多かった時代だよ Excelでの文書がこんなに流行ってる現状からしてWin95からパソコンメインな日本語文字処理になったせいでもある
マウスでじゃなきゃこんな面倒な作り方が主流にならない
もっとまともな文書作成アプリを日本で定着させられなかった失敗を今でも引き摺ってる Microsoftが露骨に一太郎潰ししたからだな
富士通が一太郎プレインストールモデルを発売するって英断を横から邪魔した金の亡者の毛唐が悪い アメリカ政府がアメリカ企業に金積まれて日本のパソコンメーカー潰しにかかれば何やっても無駄だった
それを日本のパソコンメーカーが悪いと言い立てるキチガイが>>1なんだよ Intelが露骨だったな
日本の半導体メーカーを奴隷か植民地の工場ぐらいにしか思ってなかったのに基板素材やメモリーでシェア奪われて慌ててアメリカ政府を動かしたってのが真相でしょ この>>1はX68kをゲーム機と言い張ってたキチガイだろ
粘着の仕方が同じだ >>432
むしろジャップとかチョッパリとかがでっちあげた
国産パソコンとやらがゴミ未満だろ 真実を暴かれて慌てる>>1だったw
お前の自演は判りやすいんだよ >>434
というかこのスレ一人しか書き込んでないだろ
言うことで自演乙氏ね ワープロまで引っ張り出して「98がー!」をやりたいだけのワープワが>>1ですw
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◢◤ ◢◤ ███ 本家IBMのPS/2もPC/ATが標準になりすぎて普及せず
ひさしを貸して母屋を取られるである 巨星Aptiva墜つ。嫡男ThinkPadはさらわれ、未だ帰還せず 企業が負けた分、ユーザーが勝者でしょ
IBM PC互換機を使っていると最先端まで安く選び放題でソフトウェアや経験も無駄にならないで済む
これが規格独占だと企業が負けるとユーザーまで巻き込まれて負けて悲惨 OS/2ユーザー憤死。もはやフロッピーディスクをディスケットと呼ぶ連中はみんな屍になったのである OS/2って専用アプリが使われないからWindowsが安定して移行して使われなくなった、安定してるWindows扱いされてたOSだったからユーザーは気にせず移行しただけだったぞ
OS/2アプリを愛用してたのになんて聞いた事無い Windows 3.0でIBMとMicrosoftはの仲は決裂
次はOS/2と言い続けていた根暗メガネはWindows継続へと舵を切る
また、メガネは壁パンの武闘派カトラーを登用してNTを開発
両者の仲はもはや修復不可能。完全に決別することとなったのであった IBMはMicrosoftの傀儡だった
用済みになって捨てられて没落
Intelも同じ道をたどっている んな訳無い
ホストコンピューターでIBMがどれだけ利益上げて来たと思とんねん
PCはIBMホストを使って貰う為の端末や M$の傀儡はIBMだけど
インテルやAMDはM$の奴隷だな 互換機もMicrosoftのお情けで生き延びただけだからね 怒りに燃えるBlue LionがMSの首をとる展開はないんか・・・ >>431
NECは、Intel互換CPUを未来永劫作ってはならない、という不平等
要請を突きつけられた結果、CPUを作れなくなってしまっているら
しい。そんな足かせをはめられていたとは知らなかった。 あるときから、日本の半導体は急激に弱くなった。
メインストリームのCPUまで作っていたのに。
それには理由があった。それが>>453 今、アメリカが中国包囲網で半導体がーってやってるけど、日本企業はアメリカの身勝手さにあんまり協力する気はないのがまるわかり NECはMIPSのVR作ってたけど馬鹿営業の一言でSONYのPS1に採用されずに東芝にもってかれてたよ >>453
マイクロコードコピーするような知的財産守らない手法で勝てると思ってたのが間違い
そりゃ徹底的に叩きのめされる
あの時、最初からワイヤードロジックによる互換CPUで始めてれば、そんな制約受けて負ける事にもならずに済んだ
NECが暴走して勝手に開戦して日本の半導体全部巻き込んで敗戦 インテルが互換品作っても良いよ、と言ってたのに本家より性能が良いのを作ったから手のひらクルーしたんだけどな
そのあたりは知られてないんだな 20世紀のインテルは白人至上主義のヤクザ企業だもの
今も大して変わらんけどね 当時NEC PC-98からIBM Aptivaに乗り換えたおれは勝ち組? >>463
Aptiva…時期的なものかもしれないけど、富士通のDeskpowerやNECのValuestar(PC-98NX)に対するアドバンテージはさほど…。
古いAptivaはMwaveをどう捉えるかで価値が変わると思う。個人的にはSound Blaster乗っかってた方が嬉しかったかな。 >>463
デスクトップのPC/AT互換機でメーカー製を買ったことないわ。ずっと自作機だなー 「自作」の意味が変化し始めたのはPC互換機の頃からか 秋葉原Apple2クローンキットの半田付けの事だったな
半田付けしないで済む完成マザーボードを組み立てるのは単なる組み立て自作ではなかった
マザーボードの種類が増えたから組み合わせ選んで組み立てるだけで自作になったのかな 自作でなく自組とか言う人もいたけど、いまだにどう読むのか分からない 自炊だって材料はほぼ買ってくるんだし自作でいいと思うんだけどなあ スレ立てた奴は多分何も知らないんだろうけど、今のWindows機、5550はもちろん、PC/AT辺りとも互換性そんなになさそうだがなぁ
既にIBMが主導権握れなくなったATX以降まで時代を下げてみても、電源ですら互換性微妙だったりするし 当時80年代前半頃のプログラムはどのくらい動作するのかな いまだにIBM PC互換だなんてそんな馬鹿な話はないだろう 模倣品(互換品)にシェア奪われた時点でIBMの負け確定
本家()の意地で打倒98で頑張ったが、結局98を倒したのはVGA+486+Windowsの3点セットが動く互換品 そのWindowsの品質向上にはNECの存在が非常に重要な役割を果たしたという皮肉
NECは早々に互換機に合流してWindowsにしたい派、独自アーキテクチャを続ける派などあって1枚岩じゃなかったけど
NECの思惑なんて関係なしに98に拘る顧客が多くて結局Windows機と98アーキテクチャの2本立てするしかなかった 95年にインテルがマザボ規格のATXを、98年にMicrosoftがPCシステム設計ガイドのPC-97を提唱している
既にIBM PCは敗者だった
95年では機種別シェアトップはまだPC98
アーキテクチャ別ではシェアトップは互換機 NECはNX出すタイミングが遅かった
Windows95と同時ならもう少し早くWindows機一本に絞れてた というかH98を糞高で出してしまった時点で
もう駄目だなとオモタワ
それこそPC-H98S(ハイレゾなし)を
サウンドボードII相当の機能を加えて
Fxと同価格帯かそれ以下で出すべきだった
(無論Fxなんて出さずに&ADPCMを頃さずに) FH/FA/FEじゃないのか・・・
FCは無かった >>484
互換機もEISA(IBM包囲網各社)やMAC(IBM)で大コケしてるからH98をバカにはできないんだけどな
H98が載せてたNESAバスはEISAの開発にNECが参加してたこともあって、EISAの98ローカライズ+α的な側面もあったりするんだけど・・・
機能が特殊すぎてコストががが!って結果におわってる
でもSVシリーズやN5200シリーズにフィードバックできてるし後々のPCIやPCMCIAに通じる技術的経験が積めたんでNEC的にはNESAバスを開発した価値はあったのよ 大勢でやってればVLバスが出て来たように、生き抜ける多様性が生まれてくれる
多様性無しでは進化の袋小路に入って全滅する
トヨタが全方位戦略やってるように一社で多様性作るのがパソコン業界には居ないからなあ >>487>>488
結局ジャップランドにゃ
大企業様の押し付けなんかよりも
どこぞの馬の骨が作った俺規格がデファクトスタンダードになっちまう
カオスさが足りなさすぎたんだよ 保証って側面もあるんだろうけどPC9801シリーズは何かにつけて高価だったからなぁ
AT互換機は自己責任だけど9801に掛ける金をそのまま投入するとかなりのグレードの物が手に入ったし
あとはやっぱり解像度だろうな640x400な9801シリーズに対してVGAモニターで800x600が表示できたし
テキストメインならともかくWindowsに突入したらこの差はかなりデカかったと思う 自分の互換機は購入当初(80年代前半)から長いこと
ハーキュリーズの720x348だった。
そこから「VGA互換」になったのは
80年代末にVideo7 VRAM VGAを買ってから。 モニターの方もモノクロMDAモニターからアナログRGBVGAモニターに飛んだのかな?
EGAのカラーモニターを飛ばしてたと
3年ごと買い替えだと入るが6年ごと買い替えだと飛ばされるか
拡張EGAも解像度色々でマルチシンクモニターもどこまで高性能なの選ぶか悩ましい時期か
ソフトで漢字表示できる海外グラフィックカードに何が有るか探してたら、
まだ2DだけなGPU ATi16899-0を使ってたATi EGA Wonderが400ラインモニター向け25kHzだったそうで
752x410ドット64色中16色で24kHzモニターにも誤差の範囲で表示できそうでデジタルRGBをアナログRGBに変える簡易変換ケーブルで繋ぐとかしてれば面白く使えたかもしれん
EGA Wonder800+ではVGA解像度やSVGA解像度だけで25kHzは無くなったから袋小路な解像度だったがあえて400ラインモニター向けとは面白いのが出てたもんだ VGA(640x480)まではクソ使いづらいゴミだったけどSVGA(800x600)からは違ったな >>493
むしろゲーム(13Hモード)で重宝しただろ モード13hは解像度をSVGAやXGAと別名で言う時にMCGAともいうくらいでCGA拡張なIBM純正ビデオのモードであってVGAのでは無いので
VGAにMCGA互換が含まれてるから使えただけ
この手の画面モードの話ではMCGA以降の全てに含まれてるので別に特別にVGAでも使えた事を強調したりしない
VGAが普及した事でデファクトスタンダードにはなったが
640x480なVGAの低解像度モードと言うよりも、640x200なCGAに256多色モードを追加した
MCGA offered:
640 × 480 monochrome (mode 11h)
320 × 200 in 256 colors (from a palette of 262,144; mode 13h) マザーボード内蔵なビデオモードだな
CGAの拡張だけだから安く付けられたがSVGAビデオカードが安くなって独自ビデオカードが作られる余地が無かった
安くならなかったならDCGA兼用MCGAビデオカードなんかの出番も有ったかも知れんが
拡張EGAの時点で800x600なSVGA解像度にまで達してたので、
VGA互換カードにVGA解像度版の出番がなく最初からSVGA世代に達してた MCGAは性能的にも「オンボードの始祖」という立ち位置で良かったけど
VGAの次のXGAになると「IBM純正SVGA」以外の何物でも無くなっちまったな CGA,EGAのAはAdapterだけどVGAのAはArrayだからね
PS/2でCloseな規格にしようと思ったんだけどいろいろ失敗 >>500
けどPS/2がないとDOS/Vには繋がらなくなるんじゃないかと 当時、Windows用に高速高解像度グラボは出て来て普及する必然性が有ったから、
ソフトウェア漢字表示が問題無くなる結果は変わらんのでは
名前がVでは無くなったかもしれないだけで 製品化しなかったけどWindows386にEGA用日本語表示ドライバーあったしね PS/2が大成功したら、互換機市場はつぶれて、IBM様が提供くださるPCこそが至高
みたいな世界観だったかもしれず、DOS/Vの開かれた感じはなかったと思う。