昔のログイソを語ろう Part2
唐突に思い出したけどロバートウッドヘッドが来日して急きょ蕎麦屋(ログイン編集部の近くにあった春日家)で対談した回があったっけ
1987年前後だったと思うけど何月号だったのだろう 88年1月号だな。夢のRPGはもうすぐソバ!?って特集。 おーそれだそれだありがとう
春日家は数年前に廃業しちゃったらしいね
一度行っておけばよかった残念 >>656
創刊後3−4年間のLOGINはなんとコンピュータサイエンス誌だったんだよな。
何冊かは売ってしまったが手元に数冊残っている。
本文記事も興味深いが、広告が時代を感じさせる。
横山やすし・木村一八、林葉直子、武田鉄矢、タモリ…
FDDが15万円とか信じられんねぇ。
信長の野望はこのころからある。 >>660
そうなんよ
んで俺にとってのログインはあの頃のログインなのよ
すげー面白かったのよ
オランダ妻は電気ウナギの夢を見るか?なのよ
遊んだことないけど
アスキーがヲタ向け本流誌、ログインはすこし砕けて
この世界を一般の人に伝える架け橋になる、的な
コンセプトだったはず
だもんでコンピュータに限らずギークなもの全般を
取り上げてた >>661
月刊アスキーは技術誌で、ログインはコンピュータテクノロジーを様々な切り口で紹介する雑誌だった。
アメリカのソフトウェアハウスの取材、ゲイシ君のインタビュー記事、モータースポーツ裏語でのハンドヘルドコンピュータ利用、CATV曲を支えるコンピュータとネットワーク…。
今からするとどれもおもちゃレベルだったけど、当時は世界が変わっていくワクワク感があったな。
気がつけばゲーム&プチエロ誌にw
それはそれで面白かったけどさ。 スーパーコンピュータ専門誌のスーパーアスキーもあったな 伊藤ガヴィンがただのバカ扱いされてた頃が一番おもしろかった >>663
486互換機てスパコンだったのか(笑) 創刊号を読んでる、読むのは40年ぶり?
キャプテンシステム使えばBBS的なことができるんじゃ?みたいなのんきな記事がw ログインじゃないのだが
月刊アスキーでやってたロードテスト、どういうわけかマシンを完全に分解してたが
あれは自分らで本当に分解していたのだろうか?
それともメーカー提供だったのだろうか
当時からずっと不思議だった
なぜ基盤から全部品をひっぺがすまで分解する必要があるのだろうかという謎も含めて >>668
そんなことやってたっけ
長期ロードテストとかはメーカーから提供されてやってたと思う >>668
全機種そうだったという証拠にはならないけど
PC-9801の場合は部品一式を工場から取り寄せた、とのこと
パソコン創世記 - PC-9801の誕生
ttps://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/rensai/genesis/150/01.html 自分で>>673投げておいて何だけど
そのページの終わり付近に
>『ASCII』の目玉記事であるロードテストを渡部は長く担当し続けたが、
>「すべての部品を取り寄せろ」との無理難題に応えたのは、最初で最後、唯一小澤のみだった。
とあるから
普段は自分らで本当に分解してるとも取れる >>674
あーーーなるほど
その記事を素直に解釈すると自分らではバラしてないわ、確信した
工場からパーツ全部貰って並べてただけだ
抵抗の足とかすげーきれいで不思議だったのよ、自分らでバラしてたらこんなきれいにならんだろって
多少なり半田が残るもの
なのに何十とある全パーツの足がすげーきれいで
そもそも基盤から全パーツを自分らで剥がす意味もないし
組立工場からパーツの提供を受けてたのなら全部説明がつく
なんかすっきりしたw 小豆相場で業界をブイブイ言わせるベンチャー企業アズキー
アズキーのグイロン編集部に所属するヤンエグ杉肉 河野時代しか知らないので個人的に全盛期は河野だった 一人の編集者の仕事ぶりを4ページに渡って特集したこともあったな。
内輪ウケだけどおもしろかった。 河野 青柳 忍者増田か、河野 三宅 忍者増田か、河野と忍者増田以外の組み合わせは
わすれたけど、3人で車運転して全国のソフトハウスを探訪する企画
飯は車中のおにぎりやパンだけ、ほぼ不眠で車で走り回って、
忍者「さすがにもう2日寝てないのでしんどいですわその辺の空地で1時間でいいから寝ましょう」
河野「そうだなー」
1時間後「いやー1時間寝るだけでだいぶちがいますね!じゃあ頑張っていこうか!」
みたいなの、リアル中学校当時は笑ってたけどブラックなんてもんじゃねーな 掲載されてたプログラムOCRかけて打ち込んだんだが、動かん
旧ツイッター見たら、そのプログラム打ち込んだ人も動かない言ってたからどこかが間違ってるんだろうなぁ
後日号に訂正な部分掲載されててほしかった・・・ アホガキ「ママ、おしっこ」
て言うだけでぼけーっと突っ立ってなにもしようとせず
トイレに連れて行ってもらってパンツの上げ下げまで全部ママにやってもらうクソガキが
そのまま大人になったら>>688←こういう書き込みをする気がする BASIC部分なら直しようもあるが
オールマシン語だったらまあ無理w
タイトルさえ書かないという事は動かす気はあんまないんだろ
OCRもあんまり信用できない
MSXのSEEKをOCRで打ち込んだがチェックサムが合わない部分が頻発して一つ一つ手で直した
それでも一応動いた あ、人居てましたか
1985年No.2号掲載のZENASがそうですね
ふと、1番最初に適当にゲームを選んで打ち込んだのがオールマシン語でどっかに掲載ミスしてたのを選んでしまったという
そして1986年No.10号掲載のBAD DREAMを打ち込んで只今3周目の打ち込みミスの確認中
これは当時にテープログイン借りて遊んでた記憶があったので懐かしさに負けて打ち込んでます
オークションでもテープログインあまり見ないし、2万超えの品もあるようなのでOCRと訂正しながら打ったほうが早いかな?と考えたのですが最初に打ち込んでから1ヶ月超えました
チェックするのに物凄く時間がかかってちょっと後悔中 >>686-687
ゲーム会社訪問企画は月刊時代から続く定番企画だったな
記憶あいまいだが、確か企画を思いついたのがマタローで、
初期は裸の大将ルックみたいなので電車でまわってた覚えが >>686
アスキー末期は、働いてるのは三宅と大澤とアルバイトたち
他の男性社員がちょこっと働き女性社員は全く働かない
みたいな状況だったとか この甘ったれママっ子はチェックサムという単語すら理解してないっぽい
>>682
全然そうは思わないけど
終盤アスキーにトドメさしたのもあの糞だろ
アスキー飛び出して似たような雑誌発行したけどまったく売れず消えた
あれに才能なんかない
ただおちゃらけてただけの無能 全然違うだろ
西様のご乱心で突然クビになったからやむなく新雑誌作っただけ
西様の思いつき放漫経営は止まらずアスキーは結局破綻した
チェックサムの修正もあまりあてにならんものなんだよ
OCRでは8と0みたいに間違えやすいのも決まっていて
80 00 00 00 ... 80
こんなのを
00 00 00 00 ... 00
と誤読するとチェックサムは合ってしまいプログラムでのチェックを抜けてしまう
結局一行づつ目視で照合するしかないw >>695
よくそんなデタラメが書けるもんだ
ご立派 じゃあ小島が抜けたアスキーはなんでダメになったんだよw
明白な証拠だ >>697
は?なにが「じゃあ」だよ
そういうものの言い方は小学生あたりで卒業しとけよ、おぢさん
アスキーが傾いたのは西が時代の変化に追従できなかったから
小島が無能なのは自分で会社立ち上げて自由に作った新雑誌がことごとく
まっっっっっっっっっっっっっっっっっったく売れなかった時点で明白
小島はただの無能でしかない
時代の流れにたまたま合致しただけなのに、それを自分の才能だと勘違いして有頂天になっただけの無能
有能なら自分で立ち上げた会社で成功してる X68000のスターウォーズの記事で四谷のりぴーに
ルーク・スカイウォーカーの恰好させた上に
ペールゴミ箱を無理やりR2D2だってことで
ロープで引っ張って住宅街を走らせてたの
当時腹抱えて笑ったけど今思えばあれも酷かった バカ記事を何ページにも渡って特集するのはログインじゃなきゃできまいな。好きだけど >>695
一応西やんの言い分では銀行の人が色々焚き付けてたらしい A列車で行こうIIIの小冊子がなかなか面白かったの覚えてる
手元に残しとけば良かったな 1990年~1993年末しか読んでないんだけどそれ以前と雑誌のノリって違ったの? >>706
月間の頃はヤマログ以外はそれなりに真面目だった
ヤマログ手帳とか捨てた覚えないけどどっかいったな
「お父さんお母さんを大切に使おう」で笑った小学生時代 俺も89年から94年くらいまで読んだクチだけど
ログインを初めて読んだのは背表紙が俳句?かなんかの時で
ヤマログはその後継?にあたる奴の最終回の話だった
このーきなんのき、きになるきになるきになるきになる・・・って連続してて
「俺就職活動する時にはヤマログ率業って書きます」とか書いてたやつ
具体的に何年の何号かは忘れたけど ヤマログの最終回の時の「エレファントなんとか」っていうドレッシング?
結局そんなドレッシングは見つからずじまいだったわ 爺さんは言葉を端折るからな。
そんなでも相手は絶対理解してると思い込む悪い癖が出始める。 あの編集者たち今は何やってるんだろうな
とりあえず偉い忍者の増田さんはフリーライター
エロ編集者のステルス松本はウェブマガジンみたいなのの
ライターやってたよな
ステルス松本は、何をしに行ったかは忘れたが崩壊直前の
ロシアに行った事があると言ってたけど、それはアスキーとロシアの
教育省みたいな省庁が共同で行ったコンピュータ関係の
コンテストの取材だったと思う まんじゃにすだとぴょん太はちょっと前までようつべやってた >>717
ステルス松本は1990年頃だったと思うが歴史系の企画記事で
クビンカかどこかのソ連の戦車博物館に行って、案内係の
ソ連軍将校を無視してビビビビBMP3だぁーーー!!!
とかえええええSU100だーーー!!とか叫んで走り回ってた、
ってのを書いてた。それははっきり覚えてるんだけど、同じ時かな >>719
知らんけど今年はほとんどうpしてないやん >>720
ツィンメリットコーティング剥いで持って帰ろうとして怒られた日本人ってマッチーだっけ?
>>721
ああ、ツイッターと勘違いしてたわ
増田さん、YouTuberもやってたのね >>722
そんなのあったっけw窃盗やんかw
勝手に戦車とか装甲車とかの上に登って部品いじったり色々開けたりして
顰蹙かったってのは覚えてる
その後「こんにちは戦車です」とかいう名前の別冊付録出してたような >>723
あのころそんな事件があったんよね
クビアンカかどこかも忘れたけど
だから松本氏じゃないかも ログイン1985年12月号のリストログにグレアリングカースっていうゲームが載ってて
それの作者のホームページがかつてネットに存在した(今でもあるかも知れん)
そこに制作秘話みたいな記事があって、ログイン読み始めた子供の頃を思い出してちょっと涙が… ゲームといえば城攻め特化ゲーみたいなの作ってたけど結局どうなったの
顛末知る前に読むのやめた 野戦を題材にしたSLGはあるが攻城戦メインのものは無い、
無ければ作ればいいってことでライターの青柳が中心になって企画
3Dで城を再現するとか読者に協力を求め採用されたら黒鍬者
(戦国時代の工兵みたいなもの)ということでスタッフロールに入れるとか
最初は意欲的だったけど、次第にヘタれて見下ろし方2Dに仕様変更するとか
言い出して結局未完成で〆だった
企画進行中にちょうどバブル崩壊あたりとかぶったのも不味かったろうな どっかに委託するか初期8ビット機ならまだしも98VX以降の本格的なゲームを編集者メインで作るってのが無茶だったね
まあ委託するつもりで予算の関係でぽしゃったのも知れないけれども 初期のLOGINで、ローグのグラフィカル版作ろうぜって企画なかったっけ?
確か同じ号にレリクスのキャラグラフィック作成用のツールが載ってた記憶があるんだが・・・。 その頃小学生だから、親が買ってきたのを読んでたはずだがあんまり覚えてねえ… >>728
>>729
ポリゴンで城を表現するために386SX機以上のスペック推奨、
とかだったがユーザー数考えてVM/VX以降になった記憶。
人手も足りなかったんだろうが結局出てきた完成予想図が、
平面マップに凸で兵を表現してる初代信長かと思えるもので、
こりゃ駄目だ、と思ってたら案の定だった。懐かしいな。 >>686
あの企画はもともとプログラムオリンピックといって各ソフト会社から
ショートプログラムを投稿してもらって、それと同時にソフト会社を
紹介していく企画だったのが、参加社数が増加していくうちにソフト会社の
紹介→全国を巡ってソフト会社を探訪する企画に変化した。最初は1988年の
小島編集長時代で(確か小島自前の)プレリュードに新人のノダをつれて
全国を回る思い付き企画、翌年以降河野編集長に変わってステルス松本と
2人で鉄道などの公共交通機関オンリーで回る縛りを入れるとか、仮装とか、
そういう方向になった。河野が他の編集者2人と車で強行軍をした時は
忍者増田ではなく(当時増田は沢村と組んで電気街探訪をやっていたので)
田川と花塚で、河野が水戸黄門、田川と花塚がそれぞれ助さんと格さんの
コスプレをしてアスキー社用車でまわってた時の話だね(1990年)。
コスプレをした男3人なら車の方が手間と様々な誤解が無かったのだろうw
翌年はまた河野と松本に戻って相撲取りのコスプレで探訪したの覚えてるな。
93年以降は読んでないから知らん。 あの企画って小島の時のだったのか。なんか訪問する会社多くて何カ月もずっとやってた気がする
そしてそんなに面白くなかったし 青柳ういろうはKADOKAWAのおえらいさんになってたんだな
ニンジャスレイヤーが安かったから買ったら奥付に
発行人で青柳昌行ってあったわ
しかも写真をみると随分イケオジになってた笑 寺島令子の元旦那のイガラシって今何してんだろな
マイクロソフトにいたらしいのは聞いたけど 寺島は何年か前に同業の漫画家と再婚して今も漫画描いてる 宮地さんはファミ通文庫がまだエンターブレインから出てた頃までは
現役で編集してたよ、といってももう10年以上前だが
経緯と推定年齢(今年65歳の寺島令子より年上だったはず)からして
今KADOKAWAの偉いさんにでもなってなければ引退してるんじゃない? 宮地さんって女性でしたっけ?
確かオタク第一世代以前の女オタクで、墜落日誌で
同人誌をファンジンと呼んでからかわれてたような 墜落日誌、面白かったなあ。
PCが一番楽しかった時期の話よね。 >>743
女性編集ですね、ペンネームが白鳥ジュン
オタク五十嵐が寺島と結婚した後で寺島の担当編集になったんだったかな
チューリーちゃんも懐かしいけど男女関係なんてわからないもんだ
墜落日誌にマンションの頭金だかなにかを慰謝料で払った、と書いていたって
過去のスレで読んだ記憶がある 猫の話の増加とともに夫の人の話題が出なくなっていったな スレ立った当時の2ch用語だなw
おかげで雑誌ログインスレがあるの知らないままの人も結構いるはず そういえば19年前のスレか
あのころの2ちゃんねるは面白かった 子供がダンジョン飯というアニメを観てたんだが、墜落日誌でダンジョンマスターのプレイ漫画があったの思い出したわ
ああいうジャンルの黎明期かな?
確か島本和彦も似たの描いてたよね
ダンジョンマスターマラソンとか、
マゾの一人潜りダンジョンマスターとかの企画もあった
一人潜りは実は一番楽だというのを後年知ったが