昔のログイソを語ろう Part2
>>601
こんなんで金貰えたのか。いい商売だなw こういうギャグはログインだけに許されたオリジナリティー。
他の雑誌で同じことやってもなんだこの雑誌ふざけんないい加減にしろと叩かれるだけ。 何を得意げに語ってんのかしらんけど
その記事は面白くもなんともないな
ログイン好きだったけど、そんなのがのり始める前に読むのやめたわ >>575
タイガーマスクに電話インタビューしてた
タイガーマスクがマイコン使ってるってことで ログイン最初に買った号に、木をバックにして「このー木何の木気になるきになるきになる・・・・」
っていっぱい書いてあったページがあってビビってたが後から読み返したらヤマログの最終回だった
「ヤマログが終わって残念です、就職の時に履歴書にヤマログ率業って書きます、どうせわかりゃしないんです」
ってのでウケた "ダビスタ"こと"ダービースタリオン"の作者で
パリティビット社長の薗部博之氏が学生時代に作ったゲーム
PCゲーム雑誌「ログイン」に読者投稿プログラムとして掲載され
後にアスキーから市販ソフトとして発売されたゲーム
FM-7用ソフト タンクバトル (アスキー) 1983年
http://ameblo.jp/koorogiyousyoku/entry-12023020247.html 大場惑のSFショートショート「最終ゲーム」が印象に残ってるなあ。
究極のゲーム”ファイナル”が面白すぎて誰も仕事をしなくなるという内容。
”ネトゲ廃人”なんて言葉が生まれた時は、この小説のことを思い出したよ。 >>563
自己レスだけど、某サイトって実はYouTube。
>>582
大澤はホントにもう… >>583
世代から違うんやろな。我々団塊ジュニアはヤングだから
感性も若いのよwww
>>584
その頃から指数的には好景気に入る。73年から続いた不景気が
晴れそうな予感に世間はウキウキしてたんやろな。
当時子供だったから実感ないけど。 >>591
隔週刊はファミ通。ログインはジャマール(懐)と同じ
月二回刊ね。ヤマログが終わったのは月二回刊時代だよ。
>>622
おっ?なんや基地害? プレミア見れない
ブンデス見れない
CLEL見れない
代表も見れねえちきしょう
結果知らされて見れねえちきしょうクソったれ同和のクソ野郎地獄へ落ちろ
音楽聞けねえちきしょう
テレビ見れねえちきしょう
オシムは考えて走るサッカー
アンデションズはよく(十分に)考えて(タイミング計って)車のドア閉めて車(バイク)で通る嫌がらせ
同和のクズ共死ねクソ共がざまあみろ気違い共
ほれ気違い共もっともっとドア閉めろ通れ
それしか能のない能無し共がざまあみろ地獄に落ちろ。悔しいか、ざまあみろくたばれクソ同和
お前らの恐ろしさをもっと見せてみろ。そんなんじゃなんともねえぞ
袋とじ見たぞ。悔しいか、ざまあみろくたばれクソ同和
生きる権利もねえクズ共が藁地獄へ落ちろ
嫌がらせがエスカレートするのが楽しみでしょうがない。今それだけが楽しみだ。俺の生き甲斐藁。それだけ怒ってるってことだもんな藁
ラブホ行ったのがそんなに悔しいかざまあみろチンカス共が藁。思う存分楽しんでくるぞあばよ
椎名茉莉、知っちゃったよ。ラブホに来なければ知らなかったはずだけどな。サンキューお前ら藁
超美形。嬉しくてたまらん。お前らどうしてくれる?藁ほれ赤字分を取り返すために必死になれ
ピザ食ったぞ。羨ましいだろう?藁ざまあみろ
音楽聞いたぞざまあみろ
非人が美人
お前ら音楽聞かせてくれてサンキュー。それもお前らがドア閉めて通ってくれたおかげだ
テレビも見たぞざまあみろ
同和の悪口書けば書くほどドア閉めるってことは嫌がらせしてるのは同和だって証だ
とにかくドア閉めるクソ同和藁(とにかく明るい安村風)
深谷市東方の西と高橋か死ね
サッカーの動画見たぞざまあみろ
気違いなのを常識化させるのが集ストの狙い。多いほうが正しいと考える日本人に漬け込んだわけだ。例え悪いことしてても多いんだから正しいと錯覚するように。上手く法律の盲点を突いた嫌がらせだな。法律で取り締まれないことをイイことにやりたい放題
ラルクがライブやるのが悔しいかざまあみろ
メル友出来たぞざまあみろ悔しがれクソ野郎共藁 ☆ 日本の、改憲を行いましょう。現在、衆議員と参議院の
両院で、改憲議員が3分の2を超えております。
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。国会の発議は
すでに可能です。平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆
――――――――――――――――――― ヤマログとか何が面白いのか分からんかったな。
ジャンプ放送局とか月刊アウトとかで堀井雄二がやったことの数周遅れパクリ。
ログインが面白かったのは、83年から84年の時代を先取りまたはシンクロしたポップな情報誌時代。 創刊から1-2年は神がかって面白かった
それから何年もたってから書店で手にとったらただのエロ雑誌になってた
なんとも残念な気持ちになった ログインは言うほどエロス記事なかったと思うけどな
テクポリはどんどん袋とじに力入れて言ってたけど 最初は月刊ASCIIの編集チョが兼務してた
内容が固かった
小島編集チョに代わって化けた
だったような え まだ 本棚にあるけど
映画TRONの特集とかやってたよ 636がe-ログインを本気でログインだと誤解してしまったに1票 ツキニカイカンになる前のほうが面白かったのはたしか >>632
>>633
がびょぬのやで
確か、誰かが昔ログインに「○○の」って名前が好きって内容を送って来て、その返事にじゃあ「がびょ布」でって書いてたのが、凄い記憶に残ってる 編集部に三宅裕司が出入りしてたんだっけ
なんかアドベンチャーゲームの容疑者の一人になってたよね
死者は便意を催さないというゲームだったか >>650
編集部と言えば
潜入というか紹介記事でウルトラマンの科特隊のコスプレしてる編集者がいたね
誰だったのか?
「うっしゃあ!」のエル・ロリーニョ入野が登場するもっと前 唐突に思い出したけどロバートウッドヘッドが来日して急きょ蕎麦屋(ログイン編集部の近くにあった春日家)で対談した回があったっけ
1987年前後だったと思うけど何月号だったのだろう 88年1月号だな。夢のRPGはもうすぐソバ!?って特集。 おーそれだそれだありがとう
春日家は数年前に廃業しちゃったらしいね
一度行っておけばよかった残念 >>656
創刊後3−4年間のLOGINはなんとコンピュータサイエンス誌だったんだよな。
何冊かは売ってしまったが手元に数冊残っている。
本文記事も興味深いが、広告が時代を感じさせる。
横山やすし・木村一八、林葉直子、武田鉄矢、タモリ…
FDDが15万円とか信じられんねぇ。
信長の野望はこのころからある。 >>660
そうなんよ
んで俺にとってのログインはあの頃のログインなのよ
すげー面白かったのよ
オランダ妻は電気ウナギの夢を見るか?なのよ
遊んだことないけど
アスキーがヲタ向け本流誌、ログインはすこし砕けて
この世界を一般の人に伝える架け橋になる、的な
コンセプトだったはず
だもんでコンピュータに限らずギークなもの全般を
取り上げてた >>661
月刊アスキーは技術誌で、ログインはコンピュータテクノロジーを様々な切り口で紹介する雑誌だった。
アメリカのソフトウェアハウスの取材、ゲイシ君のインタビュー記事、モータースポーツ裏語でのハンドヘルドコンピュータ利用、CATV曲を支えるコンピュータとネットワーク…。
今からするとどれもおもちゃレベルだったけど、当時は世界が変わっていくワクワク感があったな。
気がつけばゲーム&プチエロ誌にw
それはそれで面白かったけどさ。 スーパーコンピュータ専門誌のスーパーアスキーもあったな 伊藤ガヴィンがただのバカ扱いされてた頃が一番おもしろかった >>663
486互換機てスパコンだったのか(笑) 創刊号を読んでる、読むのは40年ぶり?
キャプテンシステム使えばBBS的なことができるんじゃ?みたいなのんきな記事がw ログインじゃないのだが
月刊アスキーでやってたロードテスト、どういうわけかマシンを完全に分解してたが
あれは自分らで本当に分解していたのだろうか?
それともメーカー提供だったのだろうか
当時からずっと不思議だった
なぜ基盤から全部品をひっぺがすまで分解する必要があるのだろうかという謎も含めて >>668
そんなことやってたっけ
長期ロードテストとかはメーカーから提供されてやってたと思う >>668
全機種そうだったという証拠にはならないけど
PC-9801の場合は部品一式を工場から取り寄せた、とのこと
パソコン創世記 - PC-9801の誕生
ttps://jibun.atmarkit.co.jp/ljibun01/rensai/genesis/150/01.html 自分で>>673投げておいて何だけど
そのページの終わり付近に
>『ASCII』の目玉記事であるロードテストを渡部は長く担当し続けたが、
>「すべての部品を取り寄せろ」との無理難題に応えたのは、最初で最後、唯一小澤のみだった。
とあるから
普段は自分らで本当に分解してるとも取れる >>674
あーーーなるほど
その記事を素直に解釈すると自分らではバラしてないわ、確信した
工場からパーツ全部貰って並べてただけだ
抵抗の足とかすげーきれいで不思議だったのよ、自分らでバラしてたらこんなきれいにならんだろって
多少なり半田が残るもの
なのに何十とある全パーツの足がすげーきれいで
そもそも基盤から全パーツを自分らで剥がす意味もないし
組立工場からパーツの提供を受けてたのなら全部説明がつく
なんかすっきりしたw 小豆相場で業界をブイブイ言わせるベンチャー企業アズキー
アズキーのグイロン編集部に所属するヤンエグ杉肉 河野時代しか知らないので個人的に全盛期は河野だった 一人の編集者の仕事ぶりを4ページに渡って特集したこともあったな。
内輪ウケだけどおもしろかった。 河野 青柳 忍者増田か、河野 三宅 忍者増田か、河野と忍者増田以外の組み合わせは
わすれたけど、3人で車運転して全国のソフトハウスを探訪する企画
飯は車中のおにぎりやパンだけ、ほぼ不眠で車で走り回って、
忍者「さすがにもう2日寝てないのでしんどいですわその辺の空地で1時間でいいから寝ましょう」
河野「そうだなー」
1時間後「いやー1時間寝るだけでだいぶちがいますね!じゃあ頑張っていこうか!」
みたいなの、リアル中学校当時は笑ってたけどブラックなんてもんじゃねーな 掲載されてたプログラムOCRかけて打ち込んだんだが、動かん
旧ツイッター見たら、そのプログラム打ち込んだ人も動かない言ってたからどこかが間違ってるんだろうなぁ
後日号に訂正な部分掲載されててほしかった・・・ アホガキ「ママ、おしっこ」
て言うだけでぼけーっと突っ立ってなにもしようとせず
トイレに連れて行ってもらってパンツの上げ下げまで全部ママにやってもらうクソガキが
そのまま大人になったら>>688←こういう書き込みをする気がする BASIC部分なら直しようもあるが
オールマシン語だったらまあ無理w
タイトルさえ書かないという事は動かす気はあんまないんだろ
OCRもあんまり信用できない
MSXのSEEKをOCRで打ち込んだがチェックサムが合わない部分が頻発して一つ一つ手で直した
それでも一応動いた あ、人居てましたか
1985年No.2号掲載のZENASがそうですね
ふと、1番最初に適当にゲームを選んで打ち込んだのがオールマシン語でどっかに掲載ミスしてたのを選んでしまったという
そして1986年No.10号掲載のBAD DREAMを打ち込んで只今3周目の打ち込みミスの確認中
これは当時にテープログイン借りて遊んでた記憶があったので懐かしさに負けて打ち込んでます
オークションでもテープログインあまり見ないし、2万超えの品もあるようなのでOCRと訂正しながら打ったほうが早いかな?と考えたのですが最初に打ち込んでから1ヶ月超えました
チェックするのに物凄く時間がかかってちょっと後悔中 >>686-687
ゲーム会社訪問企画は月刊時代から続く定番企画だったな
記憶あいまいだが、確か企画を思いついたのがマタローで、
初期は裸の大将ルックみたいなので電車でまわってた覚えが >>686
アスキー末期は、働いてるのは三宅と大澤とアルバイトたち
他の男性社員がちょこっと働き女性社員は全く働かない
みたいな状況だったとか この甘ったれママっ子はチェックサムという単語すら理解してないっぽい
>>682
全然そうは思わないけど
終盤アスキーにトドメさしたのもあの糞だろ
アスキー飛び出して似たような雑誌発行したけどまったく売れず消えた
あれに才能なんかない
ただおちゃらけてただけの無能 全然違うだろ
西様のご乱心で突然クビになったからやむなく新雑誌作っただけ
西様の思いつき放漫経営は止まらずアスキーは結局破綻した
チェックサムの修正もあまりあてにならんものなんだよ
OCRでは8と0みたいに間違えやすいのも決まっていて
80 00 00 00 ... 80
こんなのを
00 00 00 00 ... 00
と誤読するとチェックサムは合ってしまいプログラムでのチェックを抜けてしまう
結局一行づつ目視で照合するしかないw >>695
よくそんなデタラメが書けるもんだ
ご立派 じゃあ小島が抜けたアスキーはなんでダメになったんだよw
明白な証拠だ >>697
は?なにが「じゃあ」だよ
そういうものの言い方は小学生あたりで卒業しとけよ、おぢさん
アスキーが傾いたのは西が時代の変化に追従できなかったから
小島が無能なのは自分で会社立ち上げて自由に作った新雑誌がことごとく
まっっっっっっっっっっっっっっっっっったく売れなかった時点で明白
小島はただの無能でしかない
時代の流れにたまたま合致しただけなのに、それを自分の才能だと勘違いして有頂天になっただけの無能
有能なら自分で立ち上げた会社で成功してる X68000のスターウォーズの記事で四谷のりぴーに
ルーク・スカイウォーカーの恰好させた上に
ペールゴミ箱を無理やりR2D2だってことで
ロープで引っ張って住宅街を走らせてたの
当時腹抱えて笑ったけど今思えばあれも酷かった バカ記事を何ページにも渡って特集するのはログインじゃなきゃできまいな。好きだけど >>695
一応西やんの言い分では銀行の人が色々焚き付けてたらしい A列車で行こうIIIの小冊子がなかなか面白かったの覚えてる
手元に残しとけば良かったな 1990年~1993年末しか読んでないんだけどそれ以前と雑誌のノリって違ったの? >>706
月間の頃はヤマログ以外はそれなりに真面目だった
ヤマログ手帳とか捨てた覚えないけどどっかいったな
「お父さんお母さんを大切に使おう」で笑った小学生時代 俺も89年から94年くらいまで読んだクチだけど
ログインを初めて読んだのは背表紙が俳句?かなんかの時で
ヤマログはその後継?にあたる奴の最終回の話だった
このーきなんのき、きになるきになるきになるきになる・・・って連続してて
「俺就職活動する時にはヤマログ率業って書きます」とか書いてたやつ
具体的に何年の何号かは忘れたけど