マハーポーシャの何か持ってた人いる?
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ケースだけ持っていましたが、いかんせんATなので
泣く泣くエンブレムだけ取って逝っていただきました。 マハーポーシャのPCの頃は486-Pentium全盛期。
秋葉原ではThinkPad230のCPUを換装して486DX4 100に改造する改造屋が作業費用10万取っていても
バカスカ注文があった時代。
改造済みのThinkPad230は230Rとしてクラスタクトから販売されたのだが、
なんともこれがマハーポーシャ新聞で、オリハルコンノートとベンチマーク対決した。
当時最新のコンパックやHinoteultora等の高級ノートよりは230Rは善戦したものの
オリハルコンには完敗。
IBM+改造屋チューンでさえも、マハーポーシャに敵わいという。圧倒的強さを誇っていた。
一方デスクトップ機は、IDEキャッシュコントローラを搭載して、Windows3.1が瞬時に立ち上がる仕様に
なっていた。これは現在のハイブリッドSSDと同じ原理で、HDDの低IOPSをキャッシュとコントローラで改善して高速にする仕組み。
が搭載されていた。このキャッシュコントローラは286を搭載していて、PC9801の世界ではVM以降のゲームが
まだ数多く発売されていて286がメイン機としても現役の時代でもあり、世の中を驚かせた。
PC屋としては優秀であったが、例の事件もあり、ファンからは惜しまれつつも閉店してしまった。 マハーポーシャ・スティッカ、つーか、2cm四方くらいのエンブレム持ってる。 >>455
これは良いな。Windowsが瞬時に立ち上がる 秋葉原でのビラ配ってる人の叫び方がなんか病的で変だなと
オウムの事を知る前からずっと思ってたな当時
その頃はまだ「いつも変な大声でビラ突き出してる人がいるな」程度にしか思ってなかったが
で、あれがオウムだったと知ってから
「ああ、だからなんか違和感あったんだなあのビラ配り…」
って後で思ったもんだったよ、当時から怖かったよアレ 当時配ってたチラシはまだどこかに保存してるはず。
PC-9801用ゲームのためにパソコンを買ってたから、
いくら安くても購入候補にはならなかったです。
Win95登場後だったら買ってたかもね。 Vision864のMS-Windows用ドライバが1995年2月1日版になりました。
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[0]で戻ります> DOSVケースは、今でも健在。Ryzenマザー入れて使ってる。
金属が薄いので加工しやすくて重宝してる。 ここで買うと洗脳ツールが入ってるなんていう噂あったね 一度だけ店にひやかしで入ったことあったな
商品ポップに20とか25って書いてあったのだけかすかに覚えてるから多分486SX搭載だったんだろうな なぜか買うときに大学名まで書かせてた
いま思うと勧誘なんだろな
コワっ 渡来猿のサイトをWebArchiveで調べるとmidi音楽データが一曲あるな、
歌詞ないけど適当に作詞してミクに歌わせるとかしてみるのも一興かも
trisal.co.jp/image/music/Mid2.mid マハポやグレースフル(だっけ?)は店内に入ったぐらいだったが、
関連のとんこつラーメンの店では食ったことあるな・・・
ドリンク無料になるからって住所名前書かされそうになった
今考えると怖い。 大阪日本橋でしか知らないけど、恵美須町駅を出たところで良くチラシ配ってたよね。
珍妙な格好してたって記憶は無いんだけど。
怪しいとは思ってたけどそれ以上ではなく、事件後、ため込んだ各種PC関係のカタログ、チラシを整理してて初めてマハポーシャだと気がついた。
「マハポーシャ通信」みたいなチラシを「第◯号」って継続発行してて、十数枚(十数種類)持ってて驚いた。
正直、安いって思ったことも無かったんだけど、安かったの? >>474
スペックの割に結構安いぞ、というのが当時の評価だったね
人件費ゼロだから安いわな、ってみんな納得してた 最近高校生が閉店になって店で、やっているのと変わらん あまり記憶にはないが、確か秋幅では異質な存在でそれ自体存在することが不気味
だった記憶がある。変な奴らが居るという噂のようなものかな。
国内的にはNECや富士通など一流メーカー製PCが乱立している中で、あえてAT互換機の
ショップブランドは買わないよなというのが当時の共通した認識だったように思う。
誰も立ち寄らないよなとは思ったが、安かったのかな、なんで未だ続いているんだろう
とは思った。 日本製のソフト(一太郎とか)が使いたいなら日本製のPCだったが
洋ゲ―とか新しいソフトが使いたいとか、CPUが速くて安いとかならAT互換
って時代だったと思ったけどな
日本製がSASIの時代にIDEだのSCSIだの言ってた
マハポは人件費がゼロ(修行だから)なので、その分安くできた とか
系列のグレースフルでIBMのHDD買ったりしてたな
知ってたら買わなかった 安かった マハポって油そばとアキバオーがある向かいだったっけ?
今は1階が狭い店内のクレーンゲーム屋のとこ
おでん缶の販売機のとこ 俺が行った時は中央通りの、段ボール肉まんがあったとこあたりだったような 俺はマハポでは買ったことないが、PC REVOでは沢山のパーツ買ってた。他の店の前で堂々とチラシ配る店員は異常に見えたが、激安だったから行ってた。宗教関係って知ってたら行ってなかったと思う。 オウム系は一時新宿にも店があったよな
ソルブレインズだっけかな?
店内で流れてる歌が凄かった・・・。 トライサルの歌は
いこうよいこうよトライサル♪
だったけど、
ソルブレインズは
永遠の可能性、組み上げろ、その腕で♪
とかいう歌詞だったっけw 従業員には割とまともな給料払っていたらしいね。
もっとも、いくら払おうと、お布施などでほぼ全てがまた戻って来る仕組みらしいけど。 アキバでゴーゴーレッツゴー!マハーポーシャ!って言いながらビラ配っていたのを覚えてる。
尊師以下幹部がム所にゴーゴーレッツゴーしたんだけどな。 PC持ってたよ
青い綺麗なエンブレムがついてた
捨てたけど記念にエンブレムくらいとっとけばよかったな フルタワーの筐体とPentiumのマザボ、CD-ROM+I/Fボード、COM/LPTボードは捨てたが
キーボード(メカニカルタイプ)、3.5インチFDD+ケーブル、AT電源、取説
はまだ手元に残っている。初めてのAT互換機だった。 HDDかった。かしかクワンタム。壊れたが普通に交換してくれた記憶有り。 しゅっしゅっ修行するぞしゅしゅ修行するぞ
ポアポアポポポア チー牛なんJ民さん、臭いのはカードゲーマーという設定を忘れて身だしなみのことをスレで聞き出してしまうwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
大根役者やね(ニッコリ) >>1
チラシなら持ってたような記憶がw
今思えば捨てなきゃよかったな。 PC買ったときについてきた3.5インチのFD、MS-DOSとWinows3.1だったかな?FDのラベルが怪しかった。 始めに断っておきますが私はオウム信者でもオウム信者にシンパシーを感じた者でもありません。
たぶんみなさんと同じような意見(麻原は欲にまみれた人間、オウムは悪)の持ち主だと思います。
しかし、これからお話することは実際に家であったことで、いまだに、完全には、信じられない
・・・というか、不思議な25年近く前の出来事です。
この事は私の友人だけにはなんとなく話していました。その友人が
「オウム関連の事ならまだ5ch等でよく論議されているよ。
君の体験したことをネット上にあげてみようか」
と言ってくれたので友人の助言をかりてこの事を話してみようと思い、文にしました。 私は佐伯と申します。(フルネームはごめんなさい)
15年程前から仕事で都内に出てきております。さて、実家の父の祖父
(つまりひいお爺ちゃん)は一般の私達から見ると実に変わった人でした。
私も詳しくはわかりませんがひい爺ちゃんは中国仙道密教というらしいのをやっていて、
私が小さい時にたまに「おもしろいものを見せてあげる」といって
ひい爺ちゃんの言うところの"気の力"を使って(気功?)
家の窓にかかっている長いカーテンを浮かせて幼い頃、わたしを驚かせ喜ばせてくれました。
その古カーテンは今では物置の窓にかかっていますが
かなり厚手で長く重いので静電気等などの仕掛けで浮くようなシロモノではありません。
それをほぼ床と水平になるまで(60度〜70度くらい)浮かせ持ち上げてしまうのです。
そして、不思議なことにひい爺ちゃんの言うことは必ず現実のものとなりました。 たとえば、日本にバブル経済が襲ったときもひい爺ちゃんはその7ヶ月くらい前から
「もうすぐこの国のお金は一度吹き上がったナベの泡のごとく消えてゆくことになる」
(その後のバブル崩壊、つまり”泡”という表現まで当たってた事にはさすがに私もたまげました)
日航機の墜落の3ヶ月位前にも
「空を飛ぶ乗り物が落ちて、大事になるゾ。それも一度ではない」
(つづいてその後、中華航空機墜落などの大惨事があったのでビックリした)
昔の神戸の地震の時もその前の年から
「国の西方で大地が揺れ落ちて多くの人に悲しみが襲いかかるから旅には出るな」と言っていたり、
一時期の米不足のときもその前年から
「国が冷え、米がなくなる。1年分位は買いだめしておきなさい」
と家族や親戚のものに言っていたり、猛暑での水不足など・・・。
小さなことから大きなことまでいくつもあります。 しかも、ひい爺ちゃんはほとんど睡眠なし(1日平均すると4,5時間睡眠)で生活しており、
寝るときも横にならず、座椅子
(よくお年寄りが使っている、背もたれのある椅子)で動かず目を閉じているだけでした。
食事も一日に野菜を中心として少量しかとりませんでした。
このような力はさることながら、100歳以上にもなるのにボケの症状も全くなく、
言葉も聞き取れるほどシッカリしており、杖なしで歩けるのには家族共々いつも驚かされていました。
さて、それらは前おきとしてこれから、昔に家のひい爺ちゃんから聞いた話をします。
ただし、いまだに私も半信半疑です…。 私は宗教にはさほど興味がなく、詳しく知りませんが、ひい爺ちゃんの話しによると
昔、戦前に大本教というのがあってそこの教祖に
”出口オニサブロウ”という人物がいたそうです。
話しによるとその出口オニサブロウという方と家のひい爺ちゃんは交友関係にあったみたいです。
(ひい爺ちゃんはそこの信者ではなかったそうですが、
私が家を出る前は出口オニサブロウと肩を並べてとっているモノクロ写真が実家にありました)
当時、その大本教は世界を裏から支配する組織の事や、世界大戦などが起きる事を予言・発表してしまったため
国家から大変激しい弾圧を受け崩壊、教祖たちは投獄へと追い込まれてしまったそうです。 以下、出口オニサブロウの事を私に話してくれたひい爺ちゃんの言葉から断片的にあげると、
「出口は大変な力を持っている人物じゃった。
しかし、イシャ(どうやら世界を支配する大組織?を指している言葉のようです)
の力と能力は並大抵のものではない。
普通の人間が何千何万と、かかっていっても勝てるような相手ではない。
・・・・・しかし、出口はわしだけにはこう言っておった。
わし(出口オニサブロウ)は多くの民のため世直しをしようと思ったが
完全な成功までにはいたらないようである。
しかし、そう遠くないうちにわしの意志を実現させてくれる人物が現れるであろう。
そのお方は世直しだけでなく、悪に染められた多くの人々の心を正せる偉大なる人物じゃ。
わし(出口)はそのお方にお会いできるまで生きてはおれぬだろうが、
お前(家のひい爺さんのこと)はそのお方を目にする事になるはずじゃ。と・・・・・」
とうてい私はこの話しを聞いていたとき、まさかこの先にあげるような出来事に
なるなどと想像すらできなかったし、しなかった。 オウムのサリン事件が起きて麻原が逮捕され、しばらくたったある夜。
「テレビを見たい」といって
(ひい爺ちゃんは今まで何故かテレビや新聞雑誌など全くといっていいほど見なかったのだが...)
夕食後の私のいる部屋へひい爺ちゃんが来た。
以下、その時の会話を思いだしてできるだけ再現してみます―――
(ちなみに祖父の事を小ちゃい爺ちゃん、ひい爺ちゃんの事を大っきい爺ちゃんと家族では呼んでます)
私「今、面白い番組はやってないよ。
どこもオウム真理教のニュースばかりやってるけど、いいの?」
曾爺「・・・・・・・」 しばらくオウム特集のニュースを見ていて....
私「まだやってる。早く、麻原も白状すりゃいいのに。
幹部たちはもう白状しだしたのにいつまで黙っているつもりなのかね・・・信者も信者だ。
ったく、でもほんとに、被害者はかわいそうだよね・・・大っきい爺ちゃん」
曾爺「・・・・この人物じゃ」
私「え、何が?」
曾爺「・・・・この人物が出口が言っておった人物じゃ!」
私「???!えっ?この人って・・・この麻原のこと?・・・これが前に話してくれた
出口さんの意志をつぐような偉大な人のこと?」
曾爺「そうじゃ!この人物に間違いない!」
私「?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!」
(この時ばかりはさすがに私も、ひい爺ちゃんもついにボケが始まったのか、
あるいは頭がおかしくなってしまったのかと真剣に思ってしまった) 私「だって!大っきい爺ちゃん。
こいつはサリン事件や殺人事件や国家転覆を企てたテロ集団のヤバイ教祖なんだよ!
シッカリしてよ!爺ちゃんずっと新聞やニュース見てなかったから知らないんだよ。
出口さんの言ってた人物は他の人だよ。こいつじゃないって!」
(と、当時の私はかなり息巻いてました)
曾爺「(目を閉じて)・・・このお方に間違いない。
お前にはわからなくて当然じゃ・・・出口もどんなお方か、見たかったに違いない・・・」
と言い残して自分の部屋に戻ってしまった。
わたしはそのニュースの続きを終始隅々まで見て、
どこにひい爺ちゃんが言ったようなことが感じられるのか探そうとしたが
全くもって理解に苦しむ・・・どころかサッパリわからなかった。
それからひい爺ちゃんの部屋へ行き・・・・・
私「大っきい爺ちゃん。さっきの話し、どうして?どういう事か聞かせてよ」
曾爺「・・・・・・あのお方(麻原の事)には敵、味方の区別すらない。
普通の人にはあの人物の内(?)なる真の姿は見えないだろう。
ただ心をカラにしてのみ、その光(?)が見れるようになる。
・・・・出口もかなりの人物じゃったが、あのお方とは比較にならない。
ただ、あのお方のみに確信を持ち、ついていけばよいであろう」
私「ついて行くって!こんな事件を起こした人に誰がついて行くの!
洗脳された信者はともかくとしても誰もあんな奴についてなんかいくわけないよ!
・・・みんなはほかの宗教や教祖の方がまだマシだっていってるよ。
・・・だってあのサリン事件やリンチ殺人の事実は何なの、元信者や幹部といわれている人たちの証言は何なの?
新聞やニュースで言われている事はウソだというの?」
(と、老人相手に私はまたも息巻いてしまった) 曾爺「今の世・・・・・真とよばれるものは偽であり、偽とよばれるものは真である。
すべては悪の壮大なカラクリじゃ、それ以外に真実はない・・・・・
どのような学者や知識ある者が考えようが、イシャがこしらえた囲いから抜け出すことは難しい。
イシャのカラクリを理解することは不可能に近いじゃろう。
真に理解しえている者も立ち向かえる力のある者もあのお方以外に存在しないだろう」
私「・・・?、じゃあ私たちはこれからどうすればいいの?どうなるの?」
曾爺「数十年後に多くのものたちが、真に気づかされるような大変動がこの世に起きるだろう。
それがあのお方を指し示すことになるだろう。
そして、必ずや大きな力を見せてくれるに違いない・・・・・・
しかし、それまでには多くの惑わせと苦しみが現れよう。
お前も騙されぬよう十分気をつけなさい」
私「???・・・」
(このあたりで、もうすでに私は何を信じていいかわからず、ぼう然としていたように思う)
曾爺「・・・わしは、もうすぐ行かねばならないだろう。
出口の言っておったあのお方をこの目で見れただけでも、
この長きを生きてきたカイがあったというものじゃ・・・・」
私「行くって?・・・・」
それから2日後に、ひい爺ちゃんは亡くなってしまった 不思議な事に亡くなる時もひい爺ちゃんはいつもの座椅子にかけたまま
静かに眠るようにして呼吸が止まっていたのです。
当時の実家にはひい爺ちゃんが大切にするようにといって持っていた
「日月ノ神ノ啓示」
と書かれた桐箱に入った昔の書物らしきものがあり、
(本当に残念なのですが、私が独立してから実家で保存していたその本は行方不明になっています)
内容は昔の言葉で表現されているので私にはよくわかりませんでしたが、
これはすべてのことが記されている神の書である、とひい爺ちゃんは言っていました。
私は今までのひい爺ちゃんをよく知ってるので言っている事がウソとも思えず、
なにか不思議なような・・・どうなっているのだろうかという感じです。
みなさんも信じてはくれないでしょうが(話している本人が完全には信じられないのだから)、
ひい爺ちゃんと私のあいだの昔の出来事です。
長文失礼しました。 1995年11月、Nifty-serveの掲示板に、次のような文書がアップされた。
1週間ほどの間を開けて2回ほど掲示されていたようである。
以下文書を引用する。
見やすいように行間を広くとったところがあるが、文字そのものは一文字も変え
ていない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています