宮下本人も、「聴かせる音楽」を作るつもりはなく、
「たれ流す音の流れ」を作るつもりだったのでは。

感情的なカタルシスより、肉体的なリラックスを与えるのを主眼としているから、
「さあ、音楽を聴き込もう」って姿勢で接するとなんだコリャだけど、
本人のいうとおり、「聴きこまず、意識せず、音量低めで」
流すとかなり弛緩できる。自律訓練法とか瞑想とかにはいいんじゃない。

「シンセだけだから楽器を感じさせない」→「意識が音源のほうにむかない」
つまり、自律訓練法の「受動的集中」がしやすいと解釈。


イーノとはまた違うアプローチだから、環境音楽で括るのも酷だよ。
本人も「音楽」ではなく、「音薬」といってるのだから、ミュージシャン的に評価するのは酷では。


CD店で同じコーナーに置かれる喜多郎は、
メロもアレンジもかなりはっきりしているから、細野のニューエイジ観とはあわなかったんじゃないかな。


と、最近ファンになったものとして最大限の弁護を。