俺も喜多郎がアメリカに進出した時点でそれ以降の曲への興味なくしたな
日本の自然の中で培われてきたシンセ音の引き出しが枯渇して使いまわしになってるか
西洋目線の変なオリエンタリズムが加味されてる気がした
その後グラミー賞受賞と聞いてもむなしかった

昔はこんなすごい音楽はないと思っていたのに
静かで単調な繰り返しにも心動かされたよ

でもこれはこの手のシンセサイザー音楽が抱える限界なのかもしれないと思ってる