>>22の続き
江戸後期、江戸前の柔らかい鰻が不足し、産地も尾久や千住、さらに手賀沼などへ移り、千住の鰻問屋が台頭した
皮が厚く固い鰻を東京の従来の好みに合わせるため、明治中期から後期に熱で蒸す事が始まった

それでも1939年に三田村鳶魚が「大きな鰻の方が好きで、本当の鰻食いから笑われる」と書いた通り、小さな鰻を尊ぶ風潮は続いていた

明治半ばに養鰻が始まるが、ハウス養鰻は昭和40年代からで、それまでは露地池養鰻
天然と同じく1年目の夏の鰻は小さ過ぎる
2年目以降の鰻が疎まれる東京では依然旬は秋以降