1967年段階で、16番が生きる道は、2つ考えられる。
@これまで通り自作者を育て、シコシコやっていく。
A米国HOを真似て、格安量産プラモデル販売の道へ行く。

勿論@とAを併存させて進める、事も理論的には可能だが、実際にはむつかしい。
16番創始者の山崎氏は、Aを重視したのでしょう。
ついでに、
1980年には「16番」を捨てて、米国の「HO」名称に、切り替えました、とさ。