50年以上昔の鉄模
つまり、1969年よりも古い鉄模の話、という事になります。 過疎スレ覚悟。 投稿意見に対する批判はOKだが、 投稿者者の人格に対する批判は禁止。 >>312 名無しさん@ 成程。このED75主要部の海老反りは、タマランですね。 https://i.imgur.com/k8dmlPF.jpg 転載元は、TMS,1990年1月ミキスト。 その転載元は、MR誌、1941年12月号広告。 (我らがヒロヒト大元帥が、真珠湾不意打ち攻撃を敢行した時です) 広告には 「die-cast body」と明記してます。 このVarney社製0-4-0サドルタンクが安くて(当時の日本円にすると物凄く高価ですが)、 大量に売れて、HOの拡大に貢献したそうです。 山崎氏は常に、 「16番普及の為には、精密高価な模型よりも、 誰でも気軽に買える、ペット的な機関車が必要だ」 と考えていたのですが、 これが、その思考の原点なんじゃないか? と愚考するわけです。 その熱望は、カトー製の 「16番ではない」、「HO」名称の日本型製品として、実現しました。 http://www.tcawestern.org/images/varney3.jpg ↑はVarney社製ですが、ワルシャート弁付きだから、後年の製品かも知れません。 重箱の隅をつつくような指摘で申し訳ありませんが、あの不意打ちは実際には筒抜けだったそうです。 上層部は事前に把握していたが戦意高揚の為にわざと不意打ちを食らったように演出して国内の世論を参戦へ仕向けたようです。 ttp://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU4/code11.htm ttp://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/NazisGermany/MartinBormann_toubou.html ttps://yoshiko-sakurai.jp/2001/08/02/3769 ttps://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/books-the-spy-who-went-after-the-gold-1312223.html ttp://gerard45.bloggertje.nl/note/14228/nederlandse-onderzeeër-kxvii-in-1941-opgeblazen.html 山崎氏の16番を普及させようとする構想には共感できますね。 一部の限られた人達の"高尚な趣味"から誰でもが楽しめる趣味へ果たした役割は大きいと思います。 「16番ではない」、「HO」名称の日本型製品といえば、かつて1970年代にトミーから香港製のEF58や イタリアのリマからも新幹線やL特急やバンダイからも新幹線が発売されましたがどれも短期間で姿を消しましたね。 当時の射出成型の技術ではブラスモデルを見慣れていて目の肥えた日本の鉄道模型愛好家の食指を動かすまでには至らなかったようです。 尤も、同時期に”高級品”とされていたダイキャスト製のメルクリンの製品でさえもディティールの再現においてはシュパーブライン等の日本製のブラスモデルに遠く及ばなかったわけですが。 >>314 名無しさん@ >あの不意打ちは実際には筒抜けだったそうです。 ↑ 私には、真珠湾不意打ちが筒抜けだったのか、どうか、を判断出来ませんが、 仮に筒抜けだとしたら、我がヒロヒト大元帥君は、何処にも居るポンちゃんだった事になりますね。 >山崎氏の16番を普及させようとする構想には共感できますね。 >一部の限られた人達の"高尚な趣味"から誰でもが楽しめる趣味へ ↑ 私の大雑把な把握では、「山崎氏は16番を精密化しろ」のような意見は書いていません。 「ロストで着飾った虚飾の模型などやめとけ」 と考えたのか? 「16番国鉄型など、どの道蟹股なんだから、精密化すればするほど蟹股が目立つだけ」 と考えたのか? は解りませんが、 こういう考えは、 中尾豊氏とは違ってると思います。 本棚を整理していて、ふと TMS、1994年11月号から、 TMS、1995年4月号まで連載された、 伊藤剛氏の記事"平田町界隈"を久しぶりに読みました。 内容は伊藤氏が子供だった時から、第二次大戦までの、 名古屋の鉄模事情です。 技術屋が本職の伊藤氏ですから、 私には難しい技術的説明もありますが、 それは僅かで、全体的に面白いです。 TMS、1995年1月号P87に、 「昭和初期」は、「モケイヤと言えば、一般の人にとっては 模型飛行機の材料を売っている所」 という文があります。 戦後も1950年代後半は、私の回りでは似たようなもので、 模型飛行機(紙の機体+ゴム動力)は、 模型屋ばかりでなく、 文房具屋や駄菓子屋にも置いてありました。 しかし、鉄模は文房具屋や駄菓子屋には、絶対置いてない。 鉄模(EB電関)は多分、 模型飛行機の10倍の値段がしたんじゃないかと思います。 Oゲージ国鉄2B1型(自由形SL)製作記事の流れ。 C59か何かを2B1型(自由形SL)に変えて作る記事は、 戦前の人達に好評だったらしい。 OゲージでC59を作るには、Oゲージでは通過曲線の問題でかなりむずかしい。 そこで、それを2B1にしようとする考えだ。 @多分カワイの販促雑誌"模型鉄道"に出た酒井喜房氏の記事から始まると思う。 山崎氏がこれを褒めていた。 A戦後は、朝日屋の"科学と模型"1948年3月号から荒川嘉男氏が、連載で 「新鋭B621型蒸気機関車の作り方」を書いてる。 B"模型少年"1949年3月号から難波敏夫氏が、連載で「B61蒸機の製作」を書いてる。 この記事は1949年12月時点で難波氏が亡くなったため、 雑誌編集部が酒井喜房氏に続きの執筆を依頼したが、断られた。 CTMS,No.24,25,28(1952年9月、10月、1951年1月)で、 PFL生氏が「国鉄型蒸気機関車の詳細製作法」と題して、 Oゲージの国鉄近代型2B1型の記事を書いてる。 この当時はまだTMSと酒井喜房氏は関係があったので、何らかの示唆があったかも知れない。 DTMS,No.146(1960年8月)で、「Oゲージ国鉄型アトランをかこんで」 という記事があり、PFL生氏の記事に触発された、向山真司氏作の2B1が紹介されている。 但し、製作記ではない。当時の私は良く解らないが 「どうもOゲージ国鉄型アトランは古い人には有名らしい」と感じた。 ETMS,No.770(2007年8月)頃から連載された、戦後日本製品史の中のどこかに、 カツミのOゲージC62に関連して2B1の製品解説があった気がする。 >>316 あの連載は読みました。興味深い記事でした。 戦前の鉄道模型の事情に関してはTMS500前後の日本鉄道模型小史やとれいん98号辺りにも掲載されていました。 >戦後も1950年代後半は、私の回りでは似たようなもので、 >模型飛行機(紙の機体+ゴム動力)は、 >模型屋ばかりでなく、 >文房具屋や駄菓子屋にも置いてありました。 80年代でも似たような状況でした。他に100円のプラモデルもありました。 現在でもイオンモールなどの大規模ショッピングセンター内にある昔の駄菓子屋を模した店舗で紙袋に入った模型飛行機が売られている例があります。 数年前まではポンポン船も売られていましたが製造元の業者が生産を終了(廃業?)したそうで最近では見かけません。 >しかし、鉄模は文房具屋や駄菓子屋には、絶対置いてない。 >鉄模(EB電関)は多分、 >模型飛行機の10倍の値段がしたんじゃないかと思います。 鉄模は高級品だったようですね。カツミのB型電関のセットでも当時は高根の花だったようです。 >>317 アトランはショーティーの蒸機の定番だったようですね。 戦前に完成品として販売されていた定番商品ともいえる関電機の蒸機はC51等、1Cの車輪配置でしたが、何故か自作派には2B1が好まれたようですね。 構造上B型電関の動力を流用するのは困難かもしれませんが作りやすい事や曲線通過が容易などの理由が好まれたのでしょう。 >>318 名無しさん >現在でもイオンモールなどの大規模ショッピングセンター内にある昔の駄菓子屋を模した店舗で紙袋に入った模型飛行機が売られている例があります。 >数年前まではポンポン船も売られていましたが製造元の業者が生産を終了(廃業?)したそうで最近では見かけません。 ↑ 「大規模ショッピングセンター内にある昔の駄菓子屋を模した店舗で紙袋に入った模型飛行機」 は、知りませんでした。 でも今の子供は紙袋に入った模型飛行機など興味ないんでしょうね。 私(小学生)に買えるのは、せいぜいゴム動力+紙+木の飛行機でした。 と言う事は、多くの小学生は、本当はOの電関買いたいのに、 手持ち金の関係で、泣く泣く飛行機を買っていたのかも知れません。 何しろ鉄模は電関だけでなく、 それとほぼ同価格の電源装置や線路が必要ですから。 >アトランはショーティーの蒸機の定番だったようですね。 ↑ このアトランなんですが、 酒井喜房氏が元祖なんだか、よく解らない事があります。 酒井喜房氏→TMSの他に、 大阪の"科学と模型"誌は32mmゲージ「B62」の作り方を1948年3月号から連載してるようです。 まあ、当時の雑誌は、他の雑誌を適当に真似るのは当然だったのかも知れません。 >私(小学生)に買えるのは、せいぜいゴム動力+紙+木の飛行機でした。 >と言う事は、多くの小学生は、本当はOの電関買いたいのに、 >手持ち金の関係で、泣く泣く飛行機を買っていたのかも知れません。 >何しろ鉄模は電関だけでなく、 >それとほぼ同価格の電源装置や線路が必要ですから。 運転会等で昭和30年代に幼少期を過ごされた方にお話を伺うと当時は廃棄されたテレビの変圧器を流用したりモーターと歯車と車輪だけ買ってもらって車体は自作したという話があり皆さんは苦労されたそうですね。 今の視点から見るとエッチング板を切り抜いて組み立てるだけでも大変なのに往時の苦労が偲ばれます。 >酒井喜房氏が元祖なんだか、よく解らない事があります。 >酒井喜房氏→TMSの他に、 >大阪の"科学と模型"誌は32mmゲージ「B62」の作り方を1948年3月号から連載してるようです。 >まあ、当時の雑誌は、他の雑誌を適当に真似るのは当然だったのかも知れません。 文献に残っていませんが戦前に酒井氏以外にもアトランの車輪配置の機関車を模型化した人はいた可能性はあります。 あくまでも推測ですが、終戦直後で模型メーカーは進駐軍相手に商売を始めた頃で愛好家達は入手できる部品が限られていた当時、スケールモデルよりは手軽に作れそうなB型電関やアトランの製作は当時の潮流だったのかもしれません。 同時期のモデランド誌や模型とラジオ誌や子供の科学誌、学生の科学誌、科学画報誌等の工作記事にも類似の題材を扱った例があるかもしれません。 当時は趣味としての鉄道模型には電関に代表される実物とは異なる単純化された模型としての鉄道模型を志向する流派と実物に忠実な模型を志向する流派(スケール派)があった可能性が伺えます。 やがて経済成長に伴い豊かになるとスケール派が大勢を占めるようになった可能性があります。 21世紀になってもJAMで往年の三線式を展示するグループがいたり、はぐるまやのような専門店があったりBトレインショーティーがシリーズ化され売れていた事から単純化された模型としての鉄道模型を志向する流派も一定数いることが伺えます。 >>320 名無しさん >モーターと歯車と車輪だけ買ってもらって車体は自作したという話があり皆さんは苦労されたそうですね。 >今の視点から見るとエッチング板を切り抜いて組み立てるだけでも大変なのに往時の苦労が偲ばれます。 ↑ その分、今では歯車と車輪だけ買う、というのはかなり困難と思います。 日本敗戦から15年たった(60年前)模型屋には、まだOや16番のSL用クランク動輪を売ってました。 60年前よりはずっと裕福になった、2021年、SL用クランク動輪はほとんど売ってないですね。 今流行ってるのは、模型屋が製造したキットや完成品に、細かな部品を貼りつける、 精密化なんじゃないでしょうか。 >>322 私の考えでは、 「PFL生」というのは、 TMS編集部員、実態的には山崎氏、中尾氏、赤井氏の3人です。 雑誌の記事が集まらないと、仕方なく編集部員が一般投稿せざるを得なくなる。 しかし毎号山崎、中尾、赤井、の投稿では体裁が悪いので、 「PFL生」を使いまわして、一般投稿記事を装ったんだと思います。 一般投稿記事が多ければ、読者も「一つオレも記事を投稿しよう」という気持ちになるでしょう。 他にも「安井酉次郎」などという執筆者名も実名なのか? どうか? 怪しい部分がある。 私には余り良い習慣とは思えませんけど。 なお「PFL生」の「P」はパセンジャー、「F」はフレート、「L」はロコモティブ、の略号と思いました。 >>321 >その分、今では歯車と車輪だけ買う、というのはかなり困難と思います。 現在でも水道橋の店では歯車と車輪を売っているようです。歯車だけなら東急ハンズ等でも売っているようです。 >今流行ってるのは、模型屋が製造したキットや完成品に、細かな部品を貼りつける、 >精密化なんじゃないでしょうか。 そうですね。以前は工作派といえばフルスクラッチやエッチング板から作る方でしたが、最近ではディティールアップのパーツをつけるキットバッシュも含めるようになっています。 尤も合運等でJORCの公開運転を見るとOゲージ以上のゲージではまだまだ工作派が健在なのが伺えます。16番やNゲージでも極少数ではありますが工作派が健在なようです。 >>323 322氏ではありませんが長年の疑問が一つ氷塊しました。ありがとうございます。 ところでもう一つ疑問があるのですが『PFL生』の生とはどういう意味なのでしょう?中学生等の生徒を意味する語彙なのでしょうか? >>324 名無しさん >水道橋の店では歯車と車輪を売っているようです ↑ 車輪は、そこそこの技術があれば、作れると思います。 しかしSL用クランク付き動輪となると、グンとむずかしいです。 現在の模型屋さんは、付けくても走れるような SL用の外見を精密化するためのロストワックス部品は、盛んに売ってるのに、 それが無くては走れないような、SL用クランク付き動輪は、あまり売ってはいない気がします。 模型屋の側から見れば、 「そんなもの買う客は居ない」 という事で、それも尤もな事なのでしょう。 >以前は工作派といえばフルスクラッチやエッチング板から作る方でしたが、 >最近ではディティールアップのパーツをつけるキットバッシュも含めるようになっています ↑ えっ、そこまでいっちゃったんですか。 まぁTMS読んでいても 「〇〇型製作」 なんて記事があっても、読み進むと「〇〇型製作」というのは、 実は 「模型屋さんが製作した〇〇型キットキットを、 私はハンダで組み立てました」 という記事なのが解って、まああり得る話かな? と。 >『PFL生』の生とはどういう意味なのでしょう ↑ 昔は自分を相手より低く見せるために、「生」という文字を添える風習がありこれに依るんだと思います。 例えば 「尊敬する山崎先生へ。 ・・・・ムニャムニャ・・・・・鈴木生より。」 みたいな形式ですね。 探したら、文例がありました。 TMS,No.26, "凸電通信" 、"高級モデルノート"p78に再録。 「安井さん、長らくご無沙汰・・・・ムニャムニャ・・・・剛 生 拝」 「伊藤剛様・・・・ムニャムニャ・・・・例の処で、モデルをサカナら談じましょう 安井 生」 今どき自分の名前に「生」を添えるなんて、 文人気取りの嫌味な感じは受けますけどね。 でも、伊藤氏や「安井」氏のような何世代か上のインテリ階級の人達には、 ごく自然な礼儀だったのかも知れません。 >昔は自分を相手より低く見せるために、「生」という文字を添える風習がありこれに依るんだと思います。 そのような経緯があったとは存じませんでした。勉強になります。 以前一人称として『小生』を使っていましたが由来を知らずに使っていました。 >>327 私も中学生の頃は、 学校の国語教科書より、 TMSの方にもっと難しい高級(?)な言い回しがあるので、 TMSから大人用の国語を学び、お馬鹿さんな教養をヒケラカシてました。 もう忘れちゃったけど下手したら、片思いの彼女へのラブレターに 「小生は・・・・ムニャムニャ・・・・鈴木生より」 などと、書きかねない危険な状況でした。 そういえば10代後半の頃敢えて難しい言い回しをしたりする人が周りにも少なからずいたようです。 当時はそれらを言い表す適当な語彙が無かったようですが最近では存在するようです。 ttps://dic.nicovideo.jp/a/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85 昔TMSには電車などの箱型車体を組み立てるのに、 「イモ付け」なる言葉がよくあった。 中学生読者の頃は意味が解らなかった。 これは出来上がった側板と妻板を直角に接合するのに、 「糊しろ」とか「半田しろ」を使わず、板のコバとコバを直接突き合わせて接合する方法です。 簡単正確な方法だが、強度はやや弱い。 しかしそれを、何故「イモ付け」と言うのか? 鉄模と関係ない板金工作の本を見ても「イモ付け」という用語は出て来ない。 或いはブリキ屋さんなんかの、現場用語なのだろうか? 最近鍛造についての説明の中に、鍛接(溶接普及以前の接合技術)の説明があり、 その中に、長さ30cmくらいの2本の鉄の角棒を、つなげて、 長さ60cmくらいの1本の鉄の角棒する方法があり、 その中に、 「芋接 (Butt welding)」 という項目があった。 "機械工作法講話 2 鍛冶・板金工及製缶" p70 この辺が「イモ付け」の語源かも知れない。 しかし 鉄模でも最近は「イモ付け」なる言葉はあまり聞かないし、知らない人も居ると思う。 >>331 >鉄模でも最近は「イモ付け」なる言葉はあまり聞かないし、知らない人も居ると思う。 電子部品の半田付けでは下手な半田付けを「イモ半田」と呼んでいますが上述の「イモ付け」別の概念かもしれませんね。 www.kogadenshi.co.jp/2015/02/16/イモ半田でしょうか/ >>332 、 >>333 私も「イモ半田」という言葉は初めてしりましたが、 その、(半田付け)職人のはんだ付けblog の人は、 「イモ半田」=「下手糞なハンダ付け」の意味で使ってるようですね。 私は鉄模用語の「イモ付け」=「突き合わせ接合」は、 鉄模以外では使われない用語なのか? にちょっと興味がありました。 なお、"特集シリーズ・ミキスト"の中の「TMSコンサイス」の中で、 「イモ付け」という技法は接合力が弱いので、戦前の1/30模型の時代には使われなかった、 と赤井氏が書いてます。 >>334 三文講釈師のゴミレス鈴木によれば 940年前位から鉄道模型があるらしいです。 https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/gage/1478175809/257 257 鈴木:2016/11/14(月) 16:01:58.55 ID:kBA/Qokm 1080年代だったか?のミキスト(号数忘れ)で、 「完成品にちょっとディテール付けて、ウェザリングして、好みの号車番号書いた程度で、 『自分の模型になった』とか言われては困るのである」 と書いたのがあった。 どの模型を指しているか? は書いてなかったが、 私は「松本氏の巨大なHO米国ブラス模型コレクションの事を指してるな」と思った。 >>331 建築関連でも使用される類似の語彙があります。 芋付け よみ:いもつけ 鴨居、敷居などの材をほぞなしで釘留めた物。 www.architectjiten.net/ag03/ag03_145.html 芋継ぎ いもつぎ 平面に対して直角に平滑に取り付ける単純な接合法。平継ぎ又は単に「いも」ともいう。芋留、芋矧ぎも同じ。 wp1.fuchu.jp/~kagu/search/regist_ys.cgi?mode=enter&id=54 芋継ぎ(いもつぎ) 2つの部材を平滑に仕上げただけで、ドン付けで接合すること、もしくは接合方法。 芋継ぎは手抜き仕事のようだが、芋継ぎできちんと仕上げるのは、きわめて難しく高度な技術が要求される。 www.kenchikuyogo.com/101-i/010-imo_tsugi.htm >>334 >「イモ付け」という技法は接合力が弱いので、戦前の1/30模型の時代には使われなかった、 >と赤井氏が書いてます。 イモ付けでなければ製作の困難な事例もあるのではないでしょうか? 例えばドックサイト等のサドルタンクの肩の部分は実車はリベット止めのようですが、あれは半田付けの場合、半円状の半田しろは困難ではないでしょうか? satoyama.in/auto/sharyo/auto30.html >>336 >芋付け >鴨居、敷居などの材をほぞなしで釘留めた物。 >http://www.architectjiten.net/ag03/ag03_145.html ↑ これは知りませんでした。ありがとうございます。 鉄模以外にも色々使われているのかも知れませんね。 確かに「イモ付けでなければ製作の困難な事例」もあると思います。 念の為赤井氏が書いた文を正確に引用すると、 「1/30華やかなりし昔は、イモヅケなんてトンデも無い技法であって 正に邪道呼ばわりされていたもの。 あまり強度を必要としない個所など0番でも相当使う人がいるようだ。(中略) 16番ではこのイモヅケがすべての部分にわたって使用され」 です。出典は"特集シリーズ12ミキスト"の、TMS1950年7月号ミキストの欄。 この"特集シリーズ12ミキスト"は各ページに、ページ番号が書いてない、という実に困った本です。 調べたところ、 サドルタンクと云わず、 1938年頃の記事、松本正二筆、初心者向け1/30のBタンク(箱型タンク)も、 煙室胴前端と煙室鏡板の接合は、 どうもイモ付け(単純付き合わせ接合)らしいです。 >>338 三文講釈師のゴミレス鈴木によれば 940年前位から鉄道模型があるらしいです。 https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/gage/1478175809/257 257 鈴木:2016/11/14(月) 16:01:58.55 ID:kBA/Qokm 1080年代だったか?のミキスト(号数忘れ)で、 「完成品にちょっとディテール付けて、ウェザリングして、好みの号車番号書いた程度で、 『自分の模型になった』とか言われては困るのである」 と書いたのがあった。 どの模型を指しているか? は書いてなかったが、 私は「松本氏の巨大なHO米国ブラス模型コレクションの事を指してるな」と思った。 松本正二氏筆、"1/30規格四輪タンク機関車の作り方" は大阪の"科学と模型"誌、1938年6月号辺り、p102 に出てます。 下記はそのp107のボイラー図です https://i.imgur.com/G5uXrZZ.jpg 上段の円内の図は、煙室胴と煙室鏡板のイモ付け、と私は判断します。 但し下段の缶側面図の右側・火室寄りは、イモ付けでない可能性もありこれは判断しかねます。 記事の文としては、「この図の通り作れ」 というだけの素っ気ないもので、 一般的に昔の雑誌記事は、不親切なのが普通です。 >>340 三文講釈師のゴミレス鈴木によれば 940年前位から鉄道模型があるらしいです。 https://hanabi.5ch.net/test/read.cgi/gage/1478175809/257 257 鈴木:2016/11/14(月) 16:01:58.55 ID:kBA/Qokm 1080年代だったか?のミキスト(号数忘れ)で、 「完成品にちょっとディテール付けて、ウェザリングして、好みの号車番号書いた程度で、 『自分の模型になった』とか言われては困るのである」 と書いたのがあった。 どの模型を指しているか? は書いてなかったが、 私は「松本氏の巨大なHO米国ブラス模型コレクションの事を指してるな」と思った。 >>340 貴重な資料をお持ちですね。紹介していただき、ありがとうございます。 黎明期の国内の鉄道模型の歴史を紐解く上で重要だと思います。 掲載されているのはライブスチームでしょうか?円内のネジは水面計の代用で斎藤製作所の現行製品でも水面計の代わりに上限にネジがあり給水時に外しておいてその穴から水が流れ出るまで給水するようです。 それにしてもかなりの工作力を要求されそうですね。 そういえばアスターのライブスチームのボイラーの缶胴の鏡板も『しろ』がなくロウ付けされていました。一応圧力試験では問題ないようです。 >>341 >940年前位から鉄道模型があるらしいです。 奈良、平安時代には既にろくろ、ロストワックス、青銅器という蒸気機関の製造に必要な要素技術が揃っていました。 また蒸気タービンの原型であるアイオロスの球は紀元前に存在していたそうです。 史実より1000年早く東洋発の産業革命が起きていたかもしれませんね。 ちなみに奈良時代には乾漆像という漆と麻布を組み合わせた繊維強化プラスチック(FRP)の原型も既にありました。 >>342 名無しさん >ライブスチームでしょうか? ↑ ライブスチームではなくて、電動式です。 戦後のTMSに、 「戦前は蒸気機関車はライブスチームで作るのが普通だったのだが、 松本氏は電動式蒸気機関車を広めた」 と解説されていた記憶があります。 松本氏は戦前"科学と模型"のコンクールで上位を取った後、 同誌の編集室で仕事をしました。戦後は京都の模型屋さんになりました。 >アスターのライブスチームのボイラーの缶胴の鏡板も『しろ』がなくロウ付け ↑ そうなんですか。アスターライブくらいの大きさになれば、 重ね接ぎで作られてると、何ぁーんとなく思っていました。 >>343 提示された図が部分的だったので電動式だとは思いませんでした。 以前、TMS(No.331 1976年 1月号?)に電動とライブの両方を兼ね備えたパシフィック機関車を進駐軍に脅されて売ったというエピソードが掲載されていた件や 現存する店舗のショーウィンドウに飾られている機関車にはライブスチームも含まれているのでてっきりライブ仕様だと思っていました。 works-k.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/06/19/img_6825a.jpg works-k.cocolog-nifty.com/page1/2010/06/post-f889.html >そうなんですか。アスターライブくらいの大きさになれば、 >重ね接ぎで作られてると、何ぁーんとなく思っていました。 全ての機種が同様の構造かどうかは不明ですが、 ある程度厚みのある(2mmくらい?)の銅板を鏡板に使用しているボイラーの鏡板にはフランジ状の『しろ』がないようです。 >>344 >機関車を進駐軍に脅されて売ったというエピソードが掲載されていた ↑ TMS(No.331 1976年 1月号p49 に、 「進駐軍マニアの目にとまり、脅迫されるがごとく強制的に買い上げられて」 と書いてあります。 進駐軍マニアはピストルつきつけたわけではないし、 彼らは当時の日本人より10倍くらい金持ちだったから、 結構いい値段だったのではないでしょうか? その値段、例えば500円とか判ればいいのですが。 ただ 買い取られてしまった日本のマニアとしては、 こっちは「売りたくない」と言ってるのに、 脅迫されるがごとく買われてしまった事が、とても悔しいのでしょうね。 もしそういうエゲツない、米国将兵の所業が普通にあったとしたら、 日本の刀剣屋や、陶器磁器屋とか、諸々の文化財や「お宝」を売る店は、 似たような被害を受けたかも知れませんね。 検閲があったので記録には残っていないだけで実際にはあったのでしょう。 ironna.jp/theme/332 ironna.jp/article/1926 ironna.jp/article/1819 www.afpbb.com/articles/-/2946474 本土復帰以降の沖縄でさえこの有様、終戦直後は推して知るべし。 1972年に沖縄が日本復帰して以降、在沖米軍基地から派生する米軍人、軍属とその家族による刑法犯摘発件数は累計で6052件(沖縄県警まとめ、今年9月末現在)。 そのうち殺人や強盗、強姦(ごうかん)、放火など凶悪犯罪は581件となっている。 www.okinawatimes.co.jp/articles/-/650949 裁判権放棄の「密約」今も www.jcp.or.jp/akahata/aik18/2018-08-18/2018081801_05_1.html 「脅迫されるがごとく強制的に買い上げられて」 というTMSの文は、中尾豊氏の筆かと思いますが、 具体的にどういう脅迫があったのか?はっきりしませんね。 「もしそれを拒否したら、お前はこういう不利益になるぞ」 という文言が。 米国将兵が支払った値段がハッキリしてれば、いいのですが既に無理。 名古屋の井上豊氏は似たような状況になり、 「同じ模型をもう一台作りますから」 と言って相手の了承を取ったようです。 ウォーカー氏は中部地方の産業界を統括するかなりの権力を持っていたようでしかもこちら側から(一種の賄賂として)贈呈を提案したようですね。 dda40x.blog.jp/archives/52043997.html dda40x.blog.jp/archives/52044057.html dda40x.blog.jp/archives/52044060.html dda40x.blog.jp/archives/52044234.html dda40x.blog.jp/archives/52044253.html ブラスモデルの歴史 14分頃にはあの方が出演 www.youtube.com/watch?v=Qnw7BNk46-0 PFMのDon Drewのインタビュー 25分頃からサウンドシステムに関して言及 MME S01 E09 - Making Brass Model Trains www.youtube.com/watch?v=e9dQVqqZVmg 機芸出版社の本 g-gauge.world.coocan.jp/MAGAZINE/KIGEI.html 少年技師ハンドブックの田口氏と山北氏 mmlnp.exblog.jp/22474332/ The Art Of Brass 真鍮の芸術について ... ... 人類は歴史上、交通手段を小型化し、若者を喜ばせる玩具としてきました。しかし、鉄道の時代が到来して間もなく登場した鉄道模型のように、広く人気を博したものはなかった。この「機関車」は、「移動する機械」という意味の新語で、古めかしいおもちゃは一掃され、その模型が人気を博した。引っ張る必要のない移動手段が発明されたことは、交通手段の飛躍的な進歩であった。そして、目に見えない力で動く小さな汽車に子供たちが驚けば、それを作った人間もまた、同じように魅了されたのである。こうして、子供も大人も楽しめる新しい趣味、鉄道模型の世界が生まれたのである。 この新しい趣味は、最初の製造業者の先駆的な努力によって発展してきた。アメリカでは、ライオネル社やアメリカン・フライヤー社の鉄道模型は、愛好家なら誰でも知っている。やがて、他の模型メーカーの列車も登場し、第二次世界大戦の雲行きが怪しくなってきた頃、HOという新しい縮尺の模型が発表された。 これは、1フィート=3.5ミリという正確な縮尺で、従来の電車の87分の1の大きさであり、標準軌の4フィート8インチからわずか16.5ミリに縮小され、まさにリリパットの国への驚くべき縮尺であった。そして、第二次世界大戦が終わると、HOスケールの鉄道模型が主流となり、世界中の愛好家の心を捉えたのである。 さらに戦後は、日本が鉄道模型の市場として、また後には輸出国として台頭してきたのです。戦前から熱心な鉄道模型の愛好家がいたが、その数はさらに増えた。戦前から熱心な鉄道模型愛好家がいたが、今やその数は増え、アジア最大の模型愛好家の集団となった。マルコ・ポーロがアジアの驚異を目の当たりにして驚いたように、鉄道模型を作る人もいて、占領軍もそれを買い求めるようになった。 日本人が鉄道模型を自作したことは、驚くことではなかった。日本人は、西洋式の玩具や装飾品を作って輸出していたので、小型化には長けていたのである。また、外国人の愛好家に対する売れ行きを見て、鉄道模型を輸出すれば儲かると判断したメーカーもあり、新しい市場が生まれそうな気配があった。 しかし、50年代前半、海外からの注文が入り始めたころには、それがどのようなものであったかは分からない。しかし、需要は飛躍的に伸びた。現在では、アメリカ、オーストラリア、西欧諸国をはじめ、世界各国の趣味家に何十万台もの真鍮製鉄道車両が愛用されていることを、輸出業者は誇らしく思っている。 本書で紹介する熊田商会も、そのような企業である。その品質と豊富な品揃えは、世界中のホビーファンから高く評価されている。K.M.T.ラベルは、0スケールの2フィートもある大型電気機関車からHOスケールの2インチにも満たないレイルスピーダーまで、様々なモデルに貼られているのだ。その数は1000を超え、さらに増え続けている。直営2工場と指定下請け工場で、平均して2週間に1個のペースでフル生産している。もう生産されていない鉄道模型はコレクターズアイテムとして、手に入れるたびに高値がつく。 本書では、これらの希少な作品に加え、K.M.T.レーベルの真鍮製鉄道模型の数々を紹介します。各写真は明確に識別され、関連する製造データが添えられています。本書の制作にあたっては、KUMATA & COMPANY LIMITEDに多大なご協力をいただきました。本書が鉄道模型を愛するすべての人々に歓迎されることを強く願っています。模型店、趣味人、コレクターなど、この精密で小さな世界と密接に関わっている方々の生活を、どこまでも豊かにしてくれるに違いないのです。しかし、出版社として、ひとつだけ懸念があります。この本に掲載されている輝かしい鉄道模型の数々は、ある読者にとっては、自分の趣味である鉄道模型の収集に、より一層拍車をかけることになるかもしれません。しかし、それが喜びとなるのであれば、私たちは有罪を認めます。 著者について ... . 熊田精一氏(株式会社熊田製作所代表取締役)は、競争の激しい鉄道模型製造の世界で成功を収めている実業家です。成功には、知性と判断力の融合が必要だが、ビジネスが先祖代々から続く家系であることも、決して悪いことではない。 熊田氏の場合、この3つの要素が十二分に満たされている。彼は、60年以上にわたって繊維を扱ってきた有能な東京商人の家系である。そして、その家系は、現在でも株式会社クマタアンドカンパニーの一部門として、テキスタイルを扱っているのである。 鉄道模型への興味は、鉄道模型に夢中になった少年時代までさかのぼることができる。東京商科大学を卒業後、最初に就職したのは大手輸出企業の玩具部門であった。 そこから鉄道模型の製造会社の経営者になるまでの道のりは、まさに論理の連続であった。輸出貿易を知り、独立し、1950年にニューワン製作所の鉄道模型の輸出を開始した。やがて、他のメーカーの製品も扱うようになり、販売する製品の品質を保証するために、最終的には製造の分野にまで踏み込んでいったのである。 鉄道ファンにとって、クマタ・アンド・カンパニー・リミテッドの名前とK.M.T.レーベルは、いまさら説明するまでもないだろう。本書は、その名を知らぬ人はいないであろう。この本には、一人の男の手によって生み出されたユニークな鉄道模型が紹介されている。 本書は、熊田氏のビジネスにおける才能を視覚的に証明するだけでなく、もうひとつの驚きに満ちている。本書は、鉄道模型の世界での彼の人生を綴った回想録という形をとっている。 それは、成功するために意志を持って働くビジネスマンのまっすぐな物語です。しかし、その中に著者の楽観性とユーモアのセンスが感じられる。短い文章ではあるが、読んでいて楽しい。熊田氏の文学的才能が、事業の重圧に阻まれ、これまで開花しなかったのは残念である。一日も早く、再び筆を取ることを期待したい。 100年くらい前、Storchenbein(コウノトリの脚)と呼ばれる自由形のジャンルがあった。 www.youtube.com/watch?v=726_anEIVIQ www.youtube.com/watch?v=yHnu0eEj7iM 日本最古の鉄道模型ってどれかな? 幕末に帝政ロシアのプチャーチンが来航したときに船上で実演した蒸気機関車模型か、 ペリーが幕府に献上した蒸気機関車模型か、佐賀藩の精錬方で製作された蒸気機関車の雛形だろうか。 9.5mm 河北氏 昭和9年発表 BB型電気機関車 後にTMS32号、昭和63年4月号に掲載 8ミリゲージの流線型ディーゼル列車“サンビーム号 昭和16年 伊藤氏作 TMS20号に掲載 郵便切手大の機関車 軌間10ミリで縮尺は1/150 水上氏作「ラジオと模型」(少年文化社)昭和24年2月号に掲載 C59形 池末弘氏 TMS205号(昭和40年7月号)掲載 C58形 TMS386号(昭和55年4月号)に掲載 平石氏は,TMS226号(1967年4月号)で6250,8550,4030,247号(1969年1月号)では2800,8800,281号(1971年11月号)では2120といった古典機を発表され,295号(1973年1月号)でC57 長谷部氏の8620(345号(1977年3月号)),小川氏の古典機と客貨車(369号(1979年1月号)) 電気機関車の古典機としては,宮崎氏がED17をTMS349号(1977年7月号)で発表 plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/?PageId=1&ctgy=9 1955年マルサン商店 C62蒸気機関車 ブログ11周年 〜 鉄道ブリキコレクションから ameblo.jp/porsche356a911s/entry-12769378483.html うちにメーカー不明の3線式35㎜ゲージのEB58+有蓋車+無蓋車が残ってるわ 親父の遺品で、親父が子供の頃買ってもらったものらしく走らせてる写真もあった EB58の塗色は青大将色で、茶色より見栄えが良かったからと言ってた 線路もあるけど錆び錆びで、モータ?は回らなかった RM MODELS1999-4月〜7月にかけて「EB58物語」という連載記事があり、EB58は各社の定番商品だった事が伺える。 車体下部にKTMという表記があればカツミ製、他に宮沢等数社が生産していた。 戦後の日本における三線式Oゲージの時代は20年程度だった。 plaza.rakuten.co.jp/koshinongauge/diary/201901130000/ ameblo.jp/koho-fujikawamayu/entry-12010221366.html www.ne.jp/asahi/bunkasyo/hagurumaya/hagurumaya/omake02/eb58old.html 『子供の科学』目次の通時的分析から見る鉄道模型の周縁 ――テキストマイニングの社会学的利用5― 本報告は鉄道趣味の研究の一環であり、鉄道模型に注目して趣味を支える背景構造を考察する ものである。鉄道模型に関する社会学的研究として、辻(2008)の先行研究が挙げられる。辻は 模型と科学について論じる中、敗戦という外在的要因によって戦闘機や軍艦が雑誌から姿を消し、 とりわけ特定のコーホートに属する趣味人において、結果として鉄道が主役に位置付けられたと 指摘する。本報告では、代表的な少年向け科学雑誌『子供の科学』の目次の通時的分析を行い、 この点を実証的に検討するとともに、当該雑誌における鉄道模型の周縁の状況を、模型と実物の 違いに留意しつつ確認する。 jss-sociology.org/research/89/pdf/365.pdf カタログ等 hoseeker.net/lit.html hoseeker.net/pacificfastmailinformation.html hoseeker.net/fulgurex.htm 修理 www.trains.com/ctt/how-to/restoration-repair/ 雑誌バックナンバー trainlife.com/pages/model-builder-magazine-archive TMSバックナンバー www.morii.jp/railmodel/magazine/TMS/index.html 古い製品 ho-scaletrains.com/category/locomotives/page/2/ 鈴木老いぼれg3(後期高齢者)は 実は鉄道模型持ってないエアゲージャーなので 信用しないようにしましょう。 鉄道模型趣味 1950年9月号(No.24)2B1アトランチック国鉄蒸機の詳細製作法(1) tplibrary.seesaa.net/article/456806105.html 鉄道模型趣味 1950年10月号(No.25)2B1アトランチック国鉄蒸機の詳細製作法(2) 鉄道模型趣味 1951年1月号(No.28)2B1アトランチック 国鉄型状の詳細製作法(3), PFL生, 「電車と機関車の工作」に再録 鉄道模型趣味 1957年1月号 (No.103)アトランチックを作る 鉄道模型趣味 1957年11月号(No.113)蒸機作品発表 私のアトランについて 鉄道模型趣味 1966年1月号(No.211)ライブアトランティックを語る 鉄道模型趣味 1978年9月(No.364)アトランVSミカド・6600と9700を作って(1) 鉄道模型趣味 1978年10月(No.365)アトランVSミカド・6600と9700を作って(2) 亜鉛ダイキャストの経年劣化 www.trains.com/ctt/how-to/restoration-repair/what-is-zinc-pest/ 戦前のライオネルの凸型電関の修理 www.trains.com/ctt/how-to/restoration-repair/lionel-prewar-locomotive-parts-give-this-electric-new-life/ 蒸機好きが 高齢者に媚び諂って、詐取するのって この辺りの古い模型ですょねぇ? 結構お気楽に遊べるね、1970年代の製品は。 アダチのナメクジ、よく走るね。牽引力も十分。 ディテールがあっさりしているのも私好み。 良く 知ってるねぇ、骨董模型をさぁ 詐取した遺品? >>373 私も持っております。小学生時分にお年玉で買いました(笑) 高校生時分、中村の客車キットにハマって()バイトの稼ぎで ボチボチ買い集めているうちに長編成を組めるようになって C58やナメクジに10両編成牽かせたりして愉しんだものです。 >>373 カツミダイヤモンドシリーズの後期販売品、C59、C62、C60、テンダーが重くウエイトが軽いのは困りものだが、廉価版安達製品との兄弟機。 ダイヤモンドシリーズと廉価版安達製品は炭水車がダイキャスト製で厚みがあり、重かったね。 四半世紀以上後に他社から発売されたダイキャスト製の炭水車は注型圧力が高圧化されたらしく薄肉化されていた。 ダイヤモンドシリーズのC62はC59の炭水車を流用していたり前照灯がパイプだったりプラやダイキャスト製の部品を多用していた。 1970年代はダイキャスト製の文鎮DD51やDD54、ホワイトメタル製のEH10、プラ製EF58等、量産方法が模索されていた時期だったようだけど、 窓枠や縁の厚みやディティール表現がイマイチで当時は本格的な普及には至らなかった。 今日は全員いたよ アイスショーに女の戦い方が分かっている 要するに >>261 あーらら お巡りさーん ダサすぎ推しだったらアンチのクズ アスリートが選ばれてるとジェイクの株... IDなしだから なんとなくなるみたいなマグカップだったのにこの運転手がどんな状態だったらアンチになり 日本人の50代60代の前半に霊感商法のターゲットが若者の方が 美少女の幻覚をかけ合う系になってそう まぁいつもそうやろみたいな話を繰り返すだけ そんなんだから心配すんな 小洒落たアパート借りれるからな 過去の人全て馬鹿者は無理 人気はあったよね なんか変 ネイサンてクワドないと一生意識変わらなさそうだからそういう気質は一般人の犯行だった read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる