鉱山では意外と垂直方向の坑道が多い。だから廃坑探索は非常に危険とされているわけです。
廃坑を紹介するHPでも、底まで光が届かないような深い竪穴がよく紹介されております。
またまたラピュタですが、冒頭のエレベーターで深層まで降りた技師たちの描写はその点、正しい。
また深層にも鉱物が見当たらない所が絶望感を際立たせています。あんなに直径の大きな竪穴がなぜ出来たのかは判りませんw

貝島炭鉱の良書には、かなりのページ数を割いて筑豊炭田が掘る傍から埋めていた事情を解き明かしてくれます。
筑豊炭田の炭層は水平に近いそうですが浅く、地表が水田として利用されているため水抜けが起こると大変な補償額となってしまう。
だから掘った傍から埋めて空間を潰してゆかねばならなかった。それをキッチリやる会社では大きなボタ山は出来にくいが、サボる会社はどんどんボタ山を積み上げてしまう。
事情は農民にバレてますからボタ山の成長具合が会社の外から評価されていたらしい。
水田のすぐ下は、良い炭層があれど難しくて手を付けられなかったとも言います。
倒産寸前の会社は浅いところの手つかずの良い石炭をガッと急いで掘って漏水をそのままに経営者が夜逃げなんてことも、末期にはあったらしい。
だから、同じ筑豊地域で農民と炭鉱はとにかく仲が悪かった。
戦後に選挙になると鉱夫のほうが票の数が多いので、自治は荒れ模様になりがちであったとか。
閉山となり鉱夫が去ってしまうと議員の顔ぶれも変わる。筑豊炭田は地域の歴史として伝承されてはいるが、住民構成の変化も知識として抑えておくべきかと思います。
夕張でも実は同じなのですが。農民は世代を超えて根差すが、鉱夫は定着しない。

なぜ夕張にセサ500?というところまで戻りますが、狭い谷間にボタ山が造れないから、遠方の土取場から運んでいたのでしょうか。
どうせ運ぶなら水で流しこみやすい火山灰?発生したボタの処理はどこで?この辺は謎です。
(地域によりボタ=ズリ、ですが今は用語の違いは無視してます。)

貝島の本でも、蒸気機関車が水田を行く。機関車の関係者と耕作をする人々の間には利害の不一致がある。廃線跡を巡るにしても、状況は知ったほうが良い。
ただ漫然と鉄道模型を走らせるよりも、裏の事情を深く知ったほうが面白いと思うのだ。