[鈴木g3蒸機好き出入禁止]【HOn3-1/2 HOm】1/87 12mmスレ【HOj HO1067】 -12- [無断転載禁止]©2ch.net
シレジアは沼だねえ。 18世紀以降のドイツ史を学ぶはめになった。 特に大モルトケ率いる参謀本部が鉄道を駆使して戦局を有利に運ぶことなど、世界史の授業で居眠りしていたんだろうなと思うほどの学習量。 世界史で扱う内容はほぼ全て飛ばしますね。 シレジア山岳鉄道はオーストリアとの開戦を予想したプロイセンが建設したもので、両国の国境地帯に沿ってプロイセン側を貫くあたりに嫌らしさが光る。 いざ紛争が始まれば、プロイセン側は国境に沿って進退自由な陸軍に潤沢な補給が加わる。 プロイセンとオーストリアに挟まれた位置にあるザクセン王国は当時、どちらの味方に付くか態度が明確ではなかった。 ザクセンとしては最近軍事大国化が目立つプロイセンには反感があり、昔から大国で格上のオーストリアに味方する可能性は高いと言えた。 プロイセンとしては小国ザクセンは個別に占領するとして、仇敵オーストリアには軍事的な優位を保ちたい。だから直接国境を接するシレジア地方で優勢を得る。 この構想は大当たりし、普墺戦争によりプロイセンは短期間でオーストリアを倒すことに成功する。 プロイセンはザクセンはもちろんドイツ南部諸邦までその影響下に置くという、ドイツ統一に向けた戦略目標を達成。 そしてこの時、同じドイツ言語圏としてオーストリアからは領土割譲や賠償請求の類を求めなかった点が潔過ぎて凄い。将来の同盟を予測していた。 さほど間をあけず今度も格上の筈のフランスに鉄道を整えて挑み、倒してプロイセン=ベルリン主導によるドイツ帝国が成立する。 仏語圏とは将来も同盟できないとして、フランスにはドイツ語話者のいるアルザスの領土割譲を要求して揉めまくる点がまた凄い。ここに第一次大戦の導火線は仕掛けられた。 シレジア山岳鉄道は、普墺戦争という第一次大戦の一つ前の段階の戦争が成立に深く関わる。 普墺戦争の戦後、長年の宿敵であったオーストリアとの緊張関係が緩んで平和な場所になったシレジア地方では観光産業が発達し始める。 折から鉄道電化技術が熟成してくると、ベルリンから距離も近いシレジア地方は格好の実験対象となる。 適度な勾配と曲線があり、適度な輸送量があり、さりとて幹線ともいえない。 (戦後のベルリンとウィーンを最短距離で結ぶ重要幹線は旧ザクセン領域内を通る平坦線が確保され、シレジア地方を経由しない。) 草創期の電気機関車はベルリン近辺でちょっと試験をしたら、続々とシレジア地方にやって耐久試験を受けるという流れに。 電化設備も標準化が進み、いまメルクリンの緑色の架線柱と言えば誰もがボンヤリとは見当がつくであろうアレもシレジア地方で確立された。 第一次大戦で架線が金属回収の対象となるなど停滞もするけれども、戦間期はいよいよ本格的な電気運転が始まる。 その消滅は第二次大戦末期。 ベルリンに南方から迫る赤軍集団が、シレジア地方に襲い掛かる。 脱出する避難民で大混乱の中、出来る限りの機関車を引き揚げたものの、電化設備もろともシレジア地方という土地を失ってしまう。 ポーランド国鉄の下で長く非電化線として過ごし、かなり時間が経過してから直流3000Vで再び電化されつつある。 その架線柱の一部はソ連に奪われそこなったドイツ国鉄のものが再利用されているというから、驚きです。 >>525 鉄道の軍事利用なら現在のロシアによるウクライナ侵攻にも影響あるし、 日本の東京大阪のルートも無関係ではない。 鉄道の軍事利用や、軍部絡みのルート選定なんてよくある話。 似ていることよりも違うことを見つけることの方が、この場合は興味深いのですよ。 よくあることで終わるのは惜しいことです。 ついでですけど日本国内で軍事絡みの路線変更の例は例外的と言って良いほど少ないです。 免許申請の際に軍事的価値を入れるのは行埋めみたいなもの。現小海線の佐久鉄道すら軍事的価値を申請書類に上げてました。 軍に見解を問うのもお約束みたいなものですが、意見を受け入れた例は極めて少ない。要塞地帯であろうが構わず線路は通る。 鉄道忌避伝説と同類です。当時の当たり前の手続きの当たり前に流されていた実情まで検証せず、額面通りに解釈していては不味いわけです。 余計な連投ですけど日本の軍部に鉄道利用の重要性を強く叩き込んだ事件がこの、シレジア地方の先進事例。 感銘受けすぎて指導を仰ぐ先生をフランスからプロイセンに変えるぐらいでした。 しかし政府に対するプロイセン参謀本部ほどの影響力は、遂に日本の軍部は得ること叶わず。 その辺まで深読みしてほしいな。日本でよくあることではなく日本ではかなり無理であり、しかし日本軍部が手本にしようとした海外事例です。 大モルトケはその長い履歴の中で鉄道会社の重役を務めるという軍人としては異色の経歴の持ち主。 そこで、活用すればナポレオンが確立した戦術を上回ることができると確信し、シレジアで実行した。 モルトケの孫弟子の様な日本軍がどこまで師に迫れたのか。まず日露戦争が検証対象でしょう。 全て同じことに見えるのならば、それは観察力不足。 まず時系列に並べ思想の伝播を調べて当事者の視点や知識を再現する。 その辺まで深掘りしてほしいなぁ。全て同じに見えてしまう前に。 GE44t www.militarynewbie.com/wp-content/uploads/2013/11/US-Army-Locomotive-Davenport-Besler-TM-55-1279.pdf 80t、670 hp www.militarynewbie.com/wp-content/uploads/2013/11/US-Army-Operator-and-Unit-Maintenance-Manual-Locomotive-Model-B-B-160-and-160-4GE747-A1-TM-55-2210-224-12.pdf USATC TM55 1268 www.chartertoconductor.com/wp-content/uploads/2019/06/Operation_and_Maintenance_of_Diesel_elec-1.pdf www.liberatedmanuals.com/TM-55-2210-223-12.pdf www.liberatedmanuals.com/TM-55-2210-223-24P.pdf もう少し日本の鉄道が痛めつけられていたら間近に見る機会もあったのでしょう。 ルクセンブルク国鉄の戦後復興はこういう機関車であったらしいです。 ノルマンディ上陸で車両は根こそぎドイツ国内に引き上げたところにバルジの戦いが起きて、国土荒廃の極みであったと言います。 ベルギーとか自国のことで手一杯。復興できないんなら併合しよか?などと言い出す始末。英は同情的で自国製戦時型を贈ってきた。 東側ソ連占領圏で作り過ぎたドイツ戦時型蒸気がバーゲンセールをしていたのを見ざとく見つけ、まとめ買いしてようやく一息ついたらしい。 そう思うと本土決戦を回避できたことは行幸なのでありましょう。 シレジアの電化線を調べていたら、上越線とのシンクロが気になった。 言われてみれば当たり前の事だが、例えば1923年に生きる人間は伝達に多少の時間差があれど、日も独も同じ情報に接している。 それはいつの時点でも同じで、最新技術は世界のどこでも同じように新しく、未来のことは全く判らない。 上越線は1910年代初めには夢想から具体化へと動き始め、1920年代には予算がつくに至る。 つまり具体的に考え始めたころには国鉄に碓氷峠しか電化区間はなくEC40型しかない状態。 想像してみると面白いが手持ちの駒がそれしかない状態で、先人たちは清水トンネルが前提の路線計画を練り始めていたのです。 気宇壮大と言いますか、結果が後からついてくると言いますか・・・。どんな機関車が走ると想像していたんでしょうか。 1920年代前半はドイツでもサイドロッドを持つ電気機関車が当たり前であった。最後の新造機は何年になるのだろうか。 高速機であればブフリー式が幅を利かせている。1938年製造のE19型で遂に頂点に達し最高速度は180キロになる。 1930年代半ばのE44型でようやく、ようやく吊りかけ式が実用になり急速にロッド伝導を過去のものとしてしまう。 そう思うと同じ1930年代半ばに量産に移したEF53型というのは、世界最先端に喰らいつこうとしていたんでしょうか。 日本がロッド伝導式電気機関車を碓氷峠に封じ込めることに成功?したのは、ただの偶然であったのかもしれない。 東海道線電化時は1920年代の初めの事で、この時にロッド伝導式電気機関車を輸入機に含めなかったのはなぜだろう。 そんなの優劣が頼む時点で判っていたというのは、後知恵ではないか。超能力の類だ。 ハイスペックなED54型を注文したように、東海道線にもサイドロッドを持つ電気機関車が来ても何らおかしくはない筈。 1926年前後というのは、吊り掛けが勝つというには早過ぎる。世界的にそういう年です。 ED41型は、たまたま碓氷峠用であっただけ。 狭軌の台枠内に収まらない大型電動機を持ちサイドロッドで伝導する、1067mm幹線用電気機関車。有り得たんじゃないかな。 そう思うと、Be4/6に国鉄ナンバーをつけて遊ぶのはアリかなと思えてきます。 D型軸配置ながらEF級に匹敵する牽引力を持ち、大きな動輪で速度で優位に立つ旅客列車牽引機。 先従輪もあるけど、重過ぎるかな。EF53型が存在しない、並行世界の日本。 秘められた旅路 ローカル線をめぐる という本がある。以前も触れたかもしれない。 書名を確認したら、著者がご存命でびっくりした。97才でしょうか。 昭和31年の刊行で「ローカル線」という言葉が使われた最初のころのものではないだろうか。 いつごろから、何年ごろからローカル線という言葉を当たり前のように使うようになったのだろう。 戦前の文献では見た記憶がない。 過疎の進行とともに多用されるようになった言葉ではないだろうか。 本の話だが、全通前の大糸線訪問記が好きだ。しかも南線も北線も両方とも訪れているのがうれしい。 確実にC12牽引の経歴怪しい木造客車に揺られた体験記であり、しかしながら文体は平易で読み易い。 大糸線へのC56の進出は全通後らしい。 ほかの「ローカル線」も合わせて読むと異国を旅したような気分になる。 今の姿から見ると、駅長がいた時代があったことが信じられないような駅が出て来ます。 >>535 サイドロッドが国内で普及しなかったのは欧州でも既につりかけ伝動への過渡期だったのだろう。 1920年代に電機を輸入したけど当時、本国の電化すら進んでいなかったのに英国製が多かったのは 海軍の保有艦船を制限するワシントン海軍軍備制限条約で英国を懐柔しようとして英国製電機を大量に輸入したのが原因で それらは欠陥機で苦労させられたそうだけど、そのおかげで技術陣の技術が向上したという。 ktymtskz.my.coocan.jp/yuge/hidaka6.htm アメリカ製の電機が優れていたので手本になった。 ktymtskz.my.coocan.jp/yuge/hidaka7.htm >>537 > 今の姿から見ると、駅長がいた時代があったこ>とが信じられないような駅が出て来ます。 交換設備(信号扱い)があったり貨物扱いのポイントがあったら基本駅長が必要だったんじゃない? あくまで停留所じゃなくて“駅“扱いということで。 高知の路面電車に新地線という支線があった。 御免線の知寄町二丁目から南へ、途中に停留所はあったんだろうかというぐらいに短い。 存在は知ってはいたが、目的が判らなかった。 土讃線開業まで桟橋線が高知の主な外界への玄関であったことを知り、ひょっとしたら他の船会社がこちらにも埠頭を設けたかな、と漠然と捉えていた。 ふと気になって米軍作成地図を見ると、新地線の終点の前の海は浅瀬であり大型船など入れない。 その代わりに稲荷新地という四角い土地に建築がある。 ははぁ・・・遊郭か。 戦前の都市にありがちだが風紀を乱す遊郭は郊外の誰も好まないような土地に隔離する政策があちこちで見られた。東京の吉原に倣ったのだろう。 米軍地図を見ても遊郭以外は湿地帯の記号があるばかりで、さぞ日が暮れたらネオンが目立つことであろう。歩いて帰るなど御免被りたいところ。 道理で戦時中に不要不急線に指定されるわけで、空襲後に料亭が市中に移転した戦後は誰も顧みず忘れられた。 名古屋の中村電車も遊郭目当ての客で賑わったとされるが、終点に遊郭しかない路線というのは珍しいのではないか。 稲荷新地、宮尾登美子さんの小説の舞台ではなかろうか。 天北地方 行ったことがない。天北の荒涼とした風土と炭鉱鉄道の物悲しい雰囲気が好きです。 夕張地方などと異なり、セキ3000型同等の車両がほとんど見られない点が面白い。 天塩炭鉱、留萌炭鉱から南はセキが活躍する地域であり、天北地方とは石炭産業の有り様が大きく異なった。 天北地方は石炭埋蔵量は膨大なものの炭質が悪く、他地域の産炭と同じ取引はできなかった。 コークスに加工するか、地元で暖房用に活用するなどして消費された。だからあまり遠方へは出荷されなかった模様である。 荷降ろし設備がセキ対応ではないのでしょう。冬季など荷降ろしには相当苦労した筈。 輸送中に石炭に含まれる水分が凍結して積荷が岩のように一体化してしまうそうなんである。ツルハシが必要だ。 セキですら厳冬期には車体の鋼板に冷やされガッツリと張り付いてしまい、ホッパーを開けても塊が塞いで落ちてゆかなくなるという。 外から扉をガンガン叩いて落下を促すことになり、吹きっ晒しの高架線の上で大変な重労働であった。叩く音が周囲に響いたらしい。 無駄に時間も喰うので、室蘭港には車体ごと反転させるカーダンパーが整えられた。 その末裔であるホキ2500型の荷扉には、丸い凸模様が一定間隔でついている。いた。 積荷が凍結したら丸を狙って叩きなさいという意味がある。 しかし活躍場所は暖かく、冬季に叩いて回る作業員が必要になったことは無いようだ。 更新車ホキ2000型は扉の構造が変わり丸はない。部品交換されたかホキ2500型からも消えた。 セキの名残で面白く眺めていたものだが過去のものになったようだ。 セキ1000型とセキ3000型で扉の補強の本数が違うのは、叩かれる事への対応でしょう。 ホキ2000型で扉が厚くなったのは、叩かれる懸念がないからでしょう。箱の中は空洞と思います。 いったことがないのにえんえんかたれるぼくはすごいです 日曹炭鉱専用線の記述で一つ腑に落ちない部分があった。開業を危うくさせた登龍隧道の件です。 wiki等によると危険だから隧道内部を木枠で補強せよということになり、それが間に合わないので峠越えの別線を急遽建設したという。 すごくないですか? 地図を見ていても、この隧道がどこなのか全く判らない。ふつうトンネルポータルの前には切通があって、樹木が生い茂ようが判る筈。 開業間もない時点での米軍撮影の航空写真では隧道へ続く路盤がよく判るが、それが現在のグーグルアースでは全く判らない。 しばし眺めていてふと思う。この隧道、要りますか??? 登龍峠越えなど仰々しい名前だから、明確な高低差のある地形があると思い込むじゃないですか。現地は川筋から隣の川筋へと低い尾根を越えているだけ。 なぜ、隣の川筋へ移動させるのだろう?谷は緩く広がるのだし最初から目指す鉱区へと川筋を遡れば良い。 以下憶測です。 日曹炭鉱のある谷間の下流側に、豊富(とよとみ)温泉という温泉郷があるのです。この温泉は石油試掘中に発見されたものだとか。 つまり温泉のある一帯は、かつて鉱区が設定されていたという事。 どういう法人が試掘に当たったのかは判らないが、隣接鉱区の日曹とは折り合いが悪かったのではないか。 ライバル日曹の申し込みに対し、うちの土地は通さん!とか子供じみた対応をしたのではないか。 困った日曹は豊富温泉のある谷間を避けて、隣の谷間から遡って具合の良さそうな場所で緩い尾根一つ越えなくてはならなかった。 急遽決まったのだろうか。隧道は大変危険な状態のまま竣工検査を迎えダメ出しを喰らう。 低い尾根とはいえ、隧道を切り通しにしようとすると大変な土量の工事となる。 木枠で補強せよというのだから内壁は剥き出しで、風化が進んだ岩石が主体と想像できる。 崩落の危険は大きかったと思われる。操業開始までの間に木壁の厚みだけ削って拡大せねばならない。 間に合わないので尾根を越えてゆく線路を敷いて、芋づる式に9600型をおねだりしたら貰えてしまった。 この辺りは検査でダメ出しをした役所の温情を感じさせます。アメとムチです。 検査時に大枠の話は出来上がっており、9600型投入を前提に隧道を迂回する線路の設計ができたのでしょう。 開業時点で余っていたのは9200型や8100型の筈で、まだ9600型のおねだりには早過ぎます。 このような経緯を経て開業した尾根越えの路盤跡は、現在のサロベツリフレッシュロードで間違いないと思います。 現在の道路は鳥t家部や幅など若干手を加えたと思われるが、勾配はそのままではないだろうか。短いとはいえ蒸気機関車には厳しかろう。 道路(線路)の片側に、所々にかなり大きな掘削の面があります。西の端では完全な切り通しとなっている。 これが、突貫工事で土を運び去った後に出来た斜面なのでしょう。 9600型を前提に勾配を設定し、人海戦術で切り通しを作る。如何にも北海道の開拓地らしい粗っぽい仕事です。 日曹天塩炭鉱で撮れる石炭の品質は低く、コークスに加工するか家庭用燃料にするかしか用途が無かったという。 そうなると、9600型は何を燃料に動いていたのだろうか。機関車用の高品質な石炭を他の炭鉱から購入していたら面白い。 低品質とはいえその何十倍もの石炭を採掘し運べば割に合う計算なのでしょう。 なるほど、陽に当てるとしばらく出て来ないが日陰のままだとすぐ湧いてくるのか マジで害虫だな なんでじっしゃ板でやらないんだろう。 無知がバレるから? >>545 小学生時分に “ザ・ガードマン” 見てたら9615号機が出てきたのを 今更乍ら思い出しました。 日曹って旅客営業してたの? 客車は居たみたいだけど 専用線一覧に記載があり時刻表にないので、美流渡などと同等の扱いでしょう。 ただここは31系客車がいたんですよね。なんと珍しい。 9600の譲渡が早かったことと併せ、「当局の格別の計らい」、悪く言えば癒着を疑っておりますw 当時の記事でも、ここまで出かけて写真の一葉でもあれば上出来のような扱いの路線です。 情報が少ない。 10日前から、網走番外地が公式から無料公開されてます。 クライマックスはご存じですよね? ザ・ガードマンもそうですが昔のドラマは鉄道を舞台にした大掛かりなアクションに挑戦してきました。 今はCGですらやりませんね。それだけ鉄道が生活から遠ざけられたか、それとも子供が真似するという類の自主規制か。 アニメじゃ脱線転覆させてたりするから、生活から遠ざけるだの子供云々だのは的外れだ >>552 難しいことを言いたいだけなんだろうけど、結局は 面白い企画を思いつく人がいるかどうか、ってだけじゃね? 日曹の記事はキネマ旬報蒸気機関車誌の18号D51特集が代表的なもの。 しかし割と最近の、鉄道黄金時代シリーズの7、ニッポンの蒸気機関車9600にも、掲載誌の傾向から機関車主体ですが記事はあります。 ただ判らない事は、どちらも汽車クラブ名義の記事なのですが滞在時間が異なる。片方は一泊しているのに他方は一時間の滞在。 ちょっと面白い謎ですが、長時間滞在の記事の方は国鉄で移動しているのに対し短時間の方は自動車の機動性に触れており、別の訪問機会なのだとわかる仕掛け。 自動車を使うと効率も上がりますが、同時に何かを失っているような気にもさせられる記事でした。 うれうぼくはかっこいいです …小学生だって、もうちょっと中身あること書けるぞ 日曹炭鉱ネタ続き。 HO641X-C5-10という、昭和39年撮影の航空写真を見て欲しい。 登龍峠を含む区間だが日光の状態がよくて地形の凸凹が把握し易い。 開業に至る峠超え区間の切り通しがまばゆく白く輝き、いまの道路に多くの路盤が転用されている。 この写真の白眉は、旧線の路盤もかなり追跡できる点にある。米軍撮影よりも表現が良い。 豊富市街地側から下エベコロベツ川沿いに遡る線路だが、豊富温泉の手前で支流(名称不詳)に入ってしまう。 この支流を越えたところからすぐに新線が旧路盤から別れる。 斜面を大きく削り高度を上げ、やがて大きな切り通しとなって峠のピークを越えてゆく。 一方で旧路盤は川沿いに進み、やがて隧道に入る。反対側の出口も読み取れるため追跡は容易だ。 問題はその、隧道のあるべき場所にある不思議な地形です。 アリジゴクの巣のような漏斗状の穴が、五つぐらい並んでいる。 これ、竣工検査時に予見された隧道陥没の痕跡じゃないか。 補強もしないまま放棄後から約20年、リアルに陥没してる。地表面に影響が出ない崩落もありそうだ。 隧道の南側出口の位置も驚きだ。 新線は旧線南側出口の切り通しを埋めて、旧線線路敷を越えている。 これで新旧線の高低差が、大まかだが把握できる。この高低差を勾配でつないで新旧路盤が合流する地点は遠い。 この航空写真を見ていると、なぜ面倒な峠越えをしたのか全く判らなくなる。 新しい仮説は、線路が迂回している間の下エベコロベツ川の湾曲が酷いことに注目する。 線路を真っすぐ敷こうとすると何度も橋梁で渡る羽目になる。地形は平坦なようだ。 おそらく湿地帯、氾濫原であり、さらに冬季の凍結など考慮したうえで線路は敷けないと判断したのではないか。 すれがしずむまでがまんしたぼくはえらいです 人に見られたくないなら書くなよ、気でも違ってんのか またやっちまう。 オクで相場に著しく低いと感じる模型を見るとお節介で、ギリ相場より下かなと思う金額で入札する『遊び』 本音で言えば要らないんスけどw で、時間まで、誰か上回る入札をしてくれないものかと手に汗握り見守るという・・・・。 一種のギャンブルだが、負けても模型が手に入る。 ●蒸気機関車 88622 若松 キット 79616 倶知安 キット C59/C60 戦後型 キット C55・9600・8620・C59・C60 完成品各種(MODELS IMON) 鹿島参宮鉄道(関東鉄道)竜ヶ崎線4号機(アートプロ) ●ディーゼル機関車 DD16 三菱大夕張 DL-55(アートプロ) DE10 キット(WesterWiese) ●電気機関車 EF66 キット・完成品各種(MODELS IMON) EH500(アートプロ) ●客車 14系14形寝台客車・24系25形寝台客車(MODELS IMON) 丸屋根旧型客車各種(WesterWiese/FAB) ●気動車 キハ82系(FAB) ●電車 103系(アートプロ) 711系(FAB) ●貨車 タキ1900・タキ35000(FAB) タキ2000・タキ9900(HOKUSEI WORKS) (公式発表のない型式を除く) >>559 そう言う人がいるから結果として値段が上がってくるんだな。 結局欲しい人なんて数少なくて>>559 みたいな人が相場を操作しているだけ。 それは資力の裏付けのある度胸の足りないあなたの、八つ当たりでしょう?w オークションは安く買える場所ではない。自由市場だよ。自由を楽しめ。 >>563 買わずに相場を引き上げる貧乏人の楽しみ方なんですね。 それも投資の一種なのかな? 相場など動かしようがない事もご存じない。 ただ妥当な落札価格に届く金額が用意できないあなた自身の問題なのに、他人を悪者に仕立てて憎しめば問題が解決すると思っている。 オークションに参加するでもない。ただひたすら無駄な時間を八つ当たりに費やすw 憐れみしか湧いてこないよ。おやすみ。 >>565-566 > 相場など動かしようがない事もご存じない。 価格の吊り上げは相場を動かしていることに他なりませんよ。 更新されるであろう金額を入札する貧乏人は、 時間が無駄に有り余っているようですね。 覆されなきゃ俺が安く落札できている簡単なことさえ、理解できてない様子。 怒りと嫉妬で頭が回らなくなっているんだろうねw 日曹は本当にネタの宝庫ですね。 簡易軌道と平面交差していたことは間違いなく、交差部から南が一足先にに廃止となり北の僅かな区間だけが取り残された。 しかし国土地理院地図上ではともに軌道の記号で区別はない。片方は762ミリ馬力で片方はセキも入るというのに・・。 このため日曹専用線に支線があったと誤認する文章がいくつか見受けられた。 こんな馬力線に資料など少なく、きちんと地図を見た証でもあるが。 平面交差の写真が見たいが無理というものだろう。通る車両の格差が大きいので1067ミリ側のレールにフランジウェイはない筈だ。 ウマが通るために枕木の敷き詰めはあっただろうが、トロッコは1067ミリのレールを乗り越えていただろう。 数年で交差部から南は廃止になるが、原因は峠で崩落が起きた事らしい。 現地は固まりきらぬ泥岩の様な土質で侵食されやすく脆く崩壊しやすい。日曹専用線はそこに隧道を掘るという企てに無理があった。 炭鉱のある土地はうまい具合に地質が違う。 簡易軌道で、国鉄線と連絡が絶たれたのちも営業が続いた例って他にあるんだろうか。 しかも長い路線の南北が廃止となった後の中間部だけ。 日曹の残存区間は本当に記事が見当たらないので運営は想像するしかないが、行政の記録では運行停止状態と考えるしかない。 馬力線はトロッコの所有権が曖昧で、自家用の馬で勝手運行がまかり通るらしい。 この残存区間は沿線農家が廃線を活用し続け、地図測量者の現地調査では営業線と認められ日曹専用線と同じ地図記号で記録されたのではないだろうか。 地名が判らないが行政の記録、認識とは一致しなさそうだ。さて、本当に線路が撤去されたのは何年のことなのだろう? 木曾森林鉄道でも公式の廃線後にも数年運行し続けた作業軌道があると聞く。国鉄との接続が絶たれても奥地ではひっそりと知られず生き延びることがあるわけだ。 >>569 > 日曹専用線はそこに隧道を掘るという企てに無理があった。 >炭鉱のある土地はうまい具合に地質が違う。 地質が違うから炭鉱なわけで、 地質が同じなら全部露天掘り地域か、炭鉱自体が存在していないことになります。 なんか勘違いされてる様だけど、一番上にあり続けても平気で書き込むからね?w 書きたいときに書くけど常に書きたいわけではない。当たり前でしょ。 嫌がらせになると思い込んだか、現時点でソコに異様な拘りを見せておるのは約一名だけですし。 ≫579 まあ、違うことを推定するのは当たり前です。地質図を見ると断層が南北方向に走ります。 地質図を探さないと、推論が仮説にならないんですよ。 あなたは既に地質図をご覧になりましたか?未見であれば、常識を元に推論を述べている事になります。 私はソコから一歩でも、たとえ半歩でも先へ進みたい。 >>572 でした間違い。 トンネルが崩れることを指摘されたことだけで、そこから、坑道掘りらしい炭鉱との間に断層など地質に影響を及ぼす要素があると推定できたのなら、大したものだと思います。 でも私はそうではないので、地道にデータを集めるしかないのです。 >>573 勘違いされるような実績を積み上げといて、今さらその言い訳はなぁ… 以前同じ話が出た時はだんまりでやり過ごしてた(話してるのが二人いたから?)から、今回のは単なる意地っ張りだろ?w 資産価値ZEROというチャンネルが最近制作した、紀州鉄道不動産50年史というプログラムをご存知か。 磐梯急行から掘り起こした老作で、不動産業界の調査人が「会社の全面協力の下に」作ったという点が資料性の高さを示す。 どうも、蔓延る噂を断つには本当のことを洗いざらい明らかにすより上策はないという、紀州鉄道の悲鳴にも似た意向を感じる。 今回明らかになった三部目では株主がさらに入れ替わり役員構成も変わったことが明らかになっている。 鉄道趣味側からの調査ではなかなか難しかろう。 不動産の話ばかりではあるけど、現状の認識をアップデートしておくには便利です。 [北海道の殖民軌道 聞き書き集 今井啓輔著]という本に、日曹炭鉱専用鉄道と平面交差する軌道についての非常に詳しい記事があった。 その内容は驚くよりほかはない。 また、実は私は「日曹豊富炭鉱」と認識していたのだが、それが誤りであることも判った。[日曹天塩炭鉱]が正しい。 その点についても述べたい。二つの問題の原因が絡み合うので同時に扱いたい。 宗谷本線豊富駅を起点とし、途中豊富温泉を経由しつつ向かう日曹鉱業専用鉄道の終点は「天塩炭鉱」。 一方で専用鉄道の途中駅[駅逓]から接続する762mmの専用鉄道の終点にあったのが「開発当初は豊富鉱山、後に改め赤松炭鉱」。 日曹炭鉱専用鉄道はしばしば、豊富炭鉱鉄道と呼ばれていた。 事情がよく判らないのだが、豊富では炭鉱の名前を被らせたくはなかったのか。 芦別では同じ地域に三井芦別と三菱芦別が同時に存在していた筈ですが、豊富では隣接する鉱区が「三菱豊富」と「日曹天塩」と別れた。 三菱は3年余りで操業を諦め撤退し、その後に赤松なる事業主が引きついて赤松炭鉱と名を改め昭和28年、操業再開する。 つまり三菱撤退の時点で豊富炭鉱を名乗る存在はなくなるのだが、だからといって日曹天塩が改名するわけではない。 豊富炭鉱鉄道と多くの人に認識されていた専用線の終点にあるのは「日曹天塩炭鉱」。 日曹天塩炭鉱専用線の建設時点では植民軌道「幌沼線」が全区間営業していた。全通は昭和11年のこと。 この幌沼線も名称の変化が多くてややこしい。 全区間通しての客貨は少なかったのか、昭和23年に南半分が先に廃線となる。しかし北側は植民軌道沼川線として営業継続。 南半分も、軌道は撤去されなかった。どうも行政が関与を止めたのが昭和23年ということらしい。 道路もないし、沿線住民による台車の運行は続いたのではないか。 いよいよ撤去されたのが昭和27年のこと。 翌昭和28年に操業を始めた赤松炭鉱は、日曹線との平面交差部から赤松炭鉱までの間の廃線敷を利用して線路を再敷設し運行再開。 植民軌道は馬力で機関車は入らないのに対し、赤松炭鉱専用線は最後はガソリン機関車が入ったそうなので線路の造りが違うのだろう。 昭和38年ごろまで赤松炭鉱専用線の線路は残っていた。 以上、まとめでした。 >>579 模型と関係ない話をダラダラと書いて、まとめまで書くぐらいなら、 実車板の方にまとめだけを最初から書くようにしてくれないか? >>581 別にいいじゃんか。どのみち放置スレなんだから。 ここに書かれてアンタにどんな迷惑がかかってると言うの? >>582 鉄道模型板で鉄道模型と関係ない独り言を書かれて上がってくるのは猛烈に迷惑。 放置スレを勝手に使っていいとかいう自分ルールで動いてるやつは、生きておらんで良い >>582 放置スレッドで遊ぶという建前はともかく、 板違いが非常に迷惑。 これだけスレッドがあり出会わずに済むことに何の苦労もしないのに、わざわざ訪ねてきて非常に迷惑というストーカーがいるんです。 どうかしてる。 >>586 上がってきちゃうからね。 荒らしを正当化するキミはどうかしてるね。 あ、どうかしてるんじゃなくてそのままで、 そのものなのか。 >>587 占拠してるおじさんがageてるんじゃなくて、 文句言ってるストーカー君がageてるんですョ。 その通り、ストーカーがわざとアゲるんですよ。 私は出会いたくない人と出会わない様に沈めておりますよ。 >>589 誰にも見られたくない文章を過疎スレに貼り付けるキチガイってのはもう知ってるんで そろそろ成仏しろ なんかageられるから見つかるとか思ってるようだが、専ブラ使ってると どんなに沈んでても書き込まれたのがわかるんだよボケ つまりお前がやってる対策()は完全に無駄、今後も度々殴られる運命だw その言葉そのまま返すw お前には俺を止める具体的な手段がない。 お前らに具体鵜的な手段がないことを知らしめることも、俺の目的の一つだ。殴ったことになるのか?w ストーカーの手口をドヤ顔で明かすバカって、なかなかないよなw 手口には興味などないんだよ。当たり前だから。 棲み分けるという、このような場所を使うためのイロハのイが判らないお前のために、お前は棲み分けを学ぶまで続けるしかないんだよ。 一方、俺は書きたいときに書くだけだ。 俺が下げているのは、棲み分ける知恵のある人とは共存できるから。 だからスレを上げる行為は、この場所全体を楽しく使う基本がわかってない「荒らし行為」なわけだw 俺は俺が書かなければ誰も顧みない廃物に誰も読まなくても構わない日記を書いてるだけ。この場所に無害。 お前は棲み分けのルールを無視する荒らし。 立場が判ってないようだが。 蒸気機関車 MODELS IMON … 79618倶知安キット C57−4次 C59・C60戦後 9600・C55完成品各種 アートプロ … 鹿島参宮鉄道(関東鉄道)竜ヶ崎線4号 電気機関車 MODELS IMON … EF66 EF30 EF58 EF81 完成品各種 FAB … EF62キット EF63キット ディーゼル機関車 MODELS IMON … DF50 完成品各種 アートプロ … DD16 三菱大夕張DL-55 新潟臨海鉄道DD55 鹿島臨海鉄道KRD5 WesterWiese … DE10キット 客車 MODELS IMON … 14系寝台車 24系25形寝台車 35系 FAB/WesterWiese … 32系 35系 丸屋根旧型客車各種 電車 アートプロ … 103系 FAB … 711系 MODELS IMON … 流電52系2次原形 自由形2軸田舎電車 気動車 FAB … キハ81・82系 アートプロ … キハ40系各種 貨車 MODELS IMON … ワムフ100 コキ50000 セラ・セフ1 FAB … タキ1900 タキ35000 HOKUSEI WORKS … タキ2000 タキ9900 ↑ ageたのはストーカー君ではありません。 只のバカです。 >お前には俺を止める具体的な手段がない。 えーと、いつ俺がお前を止めると言った? そこまでお前のことを考えてくれてるとか勘違いしちゃったの?w まあ衝撃の事実()を知ってしまって、狼狽えて口数が多くなるあたりは面白かったよw アートプロ製UT17Cコンテナ、日触物流仕様も完売 http://artpro.jp/ アートプロから続々発売されるJR系貨車とコンテナ。今回は日触物流仕様が 完売となった模様だ。残るは関西化成品輸送一種のみ。早くも選択肢が なくなったことになる。背景はやはりJR系コンテナの販売好調か。 IMON のプラ製コキ50000 も発売がアナウンスされ、成長が約束された カテゴリ。機関車を含め今後の展開が楽しみ。 芋ワムフ100型の発売予定が2023年8月と出て来てます。 ワムワムフ(ややこしい)をスルーしておいて正解であったか。 御幾ら万円??涌網線を再現したいんですよ。 9600型にワムフ一両でもう決まるじゃないですか。 天賞堂9600型にワールド工芸ワムフが今出番が多いエースなんですけどね。 天プラ9600型の黄色警戒帯付など最高の組み合わせです。 でも汚しが難しい。黄色が煤煙で汚れている有様というのは、私の腕では手に負えない。 レモン色のような警戒帯で走っていらっしゃる。 芋の9600型で、警戒帯仕様は出てくれないものか。SF仕様を即金で買うぞ。 難しい表現こそ塗装済み完成品で出してほしい。 芋の関係者様、芋だなんて言って悪かった。製品化してくれたら芋だなんて二度と言わない。 12mmの9600型は二両、持っている まず珊瑚初回製品。軸固定の世代で位相も怪しいかもしれない。 随分昔に走らせる努力を諦めてストラクチャ状態。業を煮やして芋9600型を買ってしまった。 同形式の並びは活きた鉄道を感じさせて、大変に好ましいからでもある。 芋ワムフは特定番号ではないようだ。助かる。 これで12mmでも遊べるのだが、贅沢を言えばもう少し小さな半径で遊びたいなあ。 >>179 再度掘り起こし失礼します。 本日たまたま、名古屋の鶴舞図書館に寄ったら、見つけました。 中日新聞社刊の “せとでん100年” を。 前回(>>519 )は探し方が悪かったのかな?・・・タワケなので。 まっ(笑) それは兎も角、18ページにありました! 雨宮製蒸機の写真! 前梁にバッファが付いているから、1925年(国鉄の自連一斉導入)より前かな? サイドタンクが無いのがちと違和感。 どのみち入換・工事列車専用ゆえ、ウェルタンクだけで間に合ったのかな? それと、煙室扉にナンバープレートが無いようです。そういえば写真の説明には “1号機” とも何とも記してありませんでした。 いずれにしても、長年探し求めていた実車写真を見れたのは嬉しいです。 >>600 お役に立てたようで、なにより。 全国レベルで見ても関心を寄せられないことではトップクラス。 どうも、出力的にセルポレー式同等を求めたような気がしまして、瀬戸電鉄史は書き換えが必要な気もするのです。 もう書くまいと思ってはいたが、イモンワムフ販売記念。 かーーーーっ貨車で十万超えて来ましたかw しかも特定番号。ワムやトムの特定番号は形態のバラエティや考証も気配がない、ただの量産品のレタリング違い。 しかしワムフは製品案内を見るに個体差を表現して来ているらしい。 すでに述べた通り涌網線が狙いな訳ですけど、そうなると選択肢は一つだけ! (他の選択肢の使い道が残念ながら私には判りません・・・・w) 十万越えに体が震えておりまする。貨車一両に十万超え!特定番号の究極のワムフ! >>602 > 十万越えに体が震えておりまする。貨車一両に十万超え!特定番号の究極のワムフ! Nにしとけば震えもおさまるよ、きっと。 >>602-603 ハゲオクで十六番のカワイ製品探す、という手もあるw 震えたいから、もう買っちゃったよw ずっとずっと震えが止まらない。震えさせておくれよ涌網線! 伊勢竹原駅に行ってきました。駅名に心当たりある人は古典的名著、シーナリィガイドを隅から隅まで読んだ人ですね。 いやいやいや、名松線の駅の中でも当時の面影を色濃く残す駅じゃないですか。 写真が多い伊勢田尻駅などは、移転と宅地開発で現存率ゼロどころかマイナスですからね。 伊勢竹原駅は素敵な駅舎が、国鉄ローカル線の駅舎が現存しているのです。 貨物側線があったので信号扱い室の凸部付きで、それが現存。これ貴重なんじゃないでしょうか。 書籍に写真は一枚だけですが背後の商家も建築現存。ただし廃業して長いのか看板がもう読めない。 側線に山とつまれた角材ですが、その書籍写真に映らない外側には木材会社が今も事務所を構えています。 さらに・・・・線路を挟んで反対側の廃屋二棟は鉄道官舎ではないですか? 保線区があったそうですが、国鉄時代は配置された駅員の数が多かったのですね。 もし鉄道官舎だとしたら、廃屋とはいえ現存しているのは極めて珍しい筈です。 天北地方に珍しい石炭車がいると聞き尋ねてみました。 その形式を、セサ100型といいます。 明治39年にアメリカから輸入されたもので、当初の形式をホテセ10型と言います。 数年前に英国より輸入されたホテセ1型と比較のために12両が輸入されたもので、試験の末量産化は見送られ明治44年、夕張地区の某炭鉱へ払い下げられました。 ここで私有車としてコピーされ総数60両余となったところで、鉄道省のオテセ9500型へ仕様統一が図られることとなり大正6年、全車両が道東へ移動します。 昭和15年、天北地方に天塩鉱業所が開所するに際し当時残存していた38両が移籍し今日まで活躍を続けているのであります。 国鉄線で戦後まで増え続けたオテセ9500型、のちのセキ1型の一党とは全長も積載量も何もかも異なり、特にカーダンパーに対応できないことから石狩平野からは引退し、天北地方に封じ込められています。 セサ100型は、台枠こそ鋼製ですが床も側板も木製のまま。これは厳冬期に水分が氷結することで石炭の荷下ろしが難しくなることを抑制するため敢えて車体更新は見送られ続けてきたからです。 木製部分は現在も炭鉱付属の製材所にて修繕が行われ整った外観を保ち続けています。 本車両の特徴はその塗色にもあり、ひときわ鮮やかな丹色に彩られています。 これはセキ1型の一党との区別を容易にするためと言われておりますが、雪中も、また盛夏にも鮮やかな石炭列車は一見の価値ありと思います。 この塗色はトキ25000型に影響を与えたとも言われます。 天北地区にてセサ100型が封じ込められつつも残存できた理由として、産炭はカロリーが低いが無煙であることで知られ、現地で主に暖房用として消費されることで遠隔地への出荷がほぼ見られないことが挙げられます。 ブログの作り方も知らずにこんな所で目が滑る長文垂れ流すしか能がないボケ爺さん 哀れなもんだね ※裏話 リオグランデナローの800型ドロップボトムゴンドラの台車をTR41型辺りに交換して9600型に牽かせてやりたいという、具体化のための作業でした。 ドロップボトムゴンドラは満州鉄道にはあったらしいが、なぜか国鉄は採用しなかった。 サンプル輸入ホテセ1型と量産化オテセ9500型の間には数年の開きがあり、加えて形状は大きく異なるようだ。 日露戦争が邪魔だが、リオグランデナローのコピー車両を間にねじ込むことは充分に隙があろう。競作の上不採用とすればいい。 アメリカは貨車を一両だけ頼むというコピー前提の商売はすまい。製造最小ロットの1ダースは流転の果てに安住の地を見つけて欲しい。 石狩平野では国鉄セキの圧が強過ぎて追い出されるだろうが、道東や道北では格安の中古車として買い手はつくのではないか。 戦後は老朽化の為、汎用無蓋車に仕事を奪われ数を減らして行く。しかし無蓋車は底板が開かないため荷降ろしは人力に依存し、大口取引のある顧客からは評判が悪かった。 石狩地区の閉山ラッシュで鋼製セキに余剰が出来たため、天塩鉱業所の末期には側線で十両に満たぬ数が荒れた姿を晒していた。 しかしその逆風の中でもセサ114とセサ129の二両だけは荷降ろし設備の関係から良好な稼働状態を維持し続けており、もはや古典車両に属する紅色の運炭列車がカラープリントに納められている。 国鉄線直通はさすがに取り消されており、豊富駅の外れにある荷主の貯炭場までの間を月に一往復程度の出番であった。 昭和47年の閉山までこの二両はかろうじて稼働状態を保ったという。保存車両はない。 一時期は黒石病とまで持て囃されたブラックストーンズ社、今はHPすらないんだね。 ドロップボトムゴンドラの中古価格が高騰している。 夕張鉄道セサ500型。 北海道の炭鉱の構内掘りでも坑道を埋め戻すのですね。 鉱山では鉱物を取り去った後の空間を埋め戻すことが多いという事が、私には面白い。 地中にアリの巣のごとく古い坑道がそのまま放棄されているものだと思い込んでいた。ジブリのラピュタに出てくる鉱山町の描写はその点、少々怪しい。 鉱脈を取り除いた後の坑道と、鉱物を運搬する坑道は明確に別の存在のようだ。 鉱脈を取り除いた空間は切り端などと呼ばれて坑道と区別されていることがある。 だから鉱山夫が働く空間は、坑道ではないという事になる。 運転手が小さな電気機関車を走らせているようなトンネルが坑道なのです。 坑道は補強が入念にされているなど、ある程度は永久構築物を目指している。 しかし切り端はいつ落盤が起こるか判らない危険な場所です。 鉱物が層を成している状態を鉱脈と呼びますが、火山を由来とする金属資源になると上下方向が多い。 高熱の地下水が割れ目を移動し資源を貯めてゆくと仮設されています。 炭層のような植物遺体でも、褶曲作用などで斜めか垂直に近い状態になることもある。 またまたジブリの鉱山をやり玉に挙げますが、最新作でもラピュタの飛行石でも、鉱脈という概念が全く無いようなのでご注意を。 土中に散在しているらしい飛行石はどうやって結晶になったのでしょう?? 鉱脈は縦方向が多い。鉱山では重力を活かして鉱物資源を効率よく集めたい。 だから縦方向の鉱脈から少し離れてエレベーター付きの縦坑で一旦真っすぐ最下層まで降りて、下から上へ掘り上げようとします。 足場が要りますから、掘った傍から埋めてゆく。地中に壁状に存在する鉱物資源が下から廃土と置き換わってゆくようなやり方です。 鉱山は鉱物を外へ搬出する一方で、同じような体積の廃土を中に運び入れておるわけです。そのイメージはなかった。 鉱山では意外と垂直方向の坑道が多い。だから廃坑探索は非常に危険とされているわけです。 廃坑を紹介するHPでも、底まで光が届かないような深い竪穴がよく紹介されております。 またまたラピュタですが、冒頭のエレベーターで深層まで降りた技師たちの描写はその点、正しい。 また深層にも鉱物が見当たらない所が絶望感を際立たせています。あんなに直径の大きな竪穴がなぜ出来たのかは判りませんw 貝島炭鉱の良書には、かなりのページ数を割いて筑豊炭田が掘る傍から埋めていた事情を解き明かしてくれます。 筑豊炭田の炭層は水平に近いそうですが浅く、地表が水田として利用されているため水抜けが起こると大変な補償額となってしまう。 だから掘った傍から埋めて空間を潰してゆかねばならなかった。それをキッチリやる会社では大きなボタ山は出来にくいが、サボる会社はどんどんボタ山を積み上げてしまう。 事情は農民にバレてますからボタ山の成長具合が会社の外から評価されていたらしい。 水田のすぐ下は、良い炭層があれど難しくて手を付けられなかったとも言います。 倒産寸前の会社は浅いところの手つかずの良い石炭をガッと急いで掘って漏水をそのままに経営者が夜逃げなんてことも、末期にはあったらしい。 だから、同じ筑豊地域で農民と炭鉱はとにかく仲が悪かった。 戦後に選挙になると鉱夫のほうが票の数が多いので、自治は荒れ模様になりがちであったとか。 閉山となり鉱夫が去ってしまうと議員の顔ぶれも変わる。筑豊炭田は地域の歴史として伝承されてはいるが、住民構成の変化も知識として抑えておくべきかと思います。 夕張でも実は同じなのですが。農民は世代を超えて根差すが、鉱夫は定着しない。 なぜ夕張にセサ500?というところまで戻りますが、狭い谷間にボタ山が造れないから、遠方の土取場から運んでいたのでしょうか。 どうせ運ぶなら水で流しこみやすい火山灰?発生したボタの処理はどこで?この辺は謎です。 (地域によりボタ=ズリ、ですが今は用語の違いは無視してます。) 貝島の本でも、蒸気機関車が水田を行く。機関車の関係者と耕作をする人々の間には利害の不一致がある。廃線跡を巡るにしても、状況は知ったほうが良い。 ただ漫然と鉄道模型を走らせるよりも、裏の事情を深く知ったほうが面白いと思うのだ。 全て鉄道模型の肥やしになること。 誰よりも鉄道模型のことを書いておるのになぜ下げる必要があるのかね?w 宇都宮ライトレールのNゲージ鉄コレ走行セット、辛抱たまらんので手を出してしまった。 久しぶりのNゲージである。あまり手を広げずテーブル上のグルグルを楽しむのみとしよう。深みにはまるほどのものではない。 とはいってもトミックス、極端に短い鉄橋や大きな築堤など心くすぐるアイテムがいつの間にか充実してるんだよねえ。 システム上、複線間隔が広過ぎるので単線の田舎電車風に落ち着きそう。名鉄馬面電車買っておくか。 バスコレはなんとなく、手にしたら裏切られる予感がしてるけど。交差点は、そこは手動ではなく遠隔操作そして自動で切り替えてくれよ。 自動運転になれば欧米市場でもファーラーを駆逐できることでしょう。 自動車はそのうち赤信号やコンビニ駐車場で充電とか、車線変更もできるようになるんじゃないかな。ミリ単位で位置を把握する技術さえあれば、道路側に無加工でも何とでもなる筈。 市街地でこまめに充電すれば50cm走れるだけの性能でも構わない。高速道路を再現したい奴はおらんだろ。市街地がにぎやかになった時に手を伸ばすとしよう。 手を出しては一方的に裏切られたような、こちらの期待が激しすぎたのが悪いのだけれども、 Nゲージとは良い関係を築けずにいる。 マグマの通り道は縦だけじゃなくて横にも走るよ。 坑道を埋めるのは、ズリ捨てと、崩落防止の意味もある。 特に収穫率の低い採掘鉱山だと、収穫量よりズリの量が多い。 長い立坑は、底まで一旦落としてから下層のトロッコで運ぶ方が便利だからという場合もある。 トロッコ巡りだけじゃなくて、近くに資料館あったら、寄って勉強した方がいいよ。 麓に鉱口があって上に貼っていく場合、最下層 のトロッコをかつようしたいから、 上の段から最下層まで穴を通して、最下層で積み込んだ方が楽だし。 で、採掘の終わった段は埋めてその上に新しい段を作っていく。 別子銅山か、軍艦島とその周辺の資料館見てきなさいよ。 ブログもSNS垢も作れないIT音痴でこんなところに電波長文を垂れ流すのが生き甲斐の哀れな痴呆爺さん 模型の事も語れず内容についてゆけないお馬鹿さんw >>一般常識ではなく、私も各地の展示を見ることを重ねて資料を読み込んで得た結論ですよ。 あなたのいうことは概ね正しいが、上から目線過ぎると思いました。せいぜい同レベル。 >>618 >あなたのいうことは概ね正しいが、上から目線過ぎると思いました。せいぜい同レベル。 推測による間違った思い込みご多くて、実は 割と間違っていたり底が浅いレベル。 >>612 >筑豊炭田の炭層は水平に近いそうですが浅く、地表が水田として利用されているため水抜けが起こると大変な補償額となってしまう。 >だから掘った傍から埋めて空間を潰してゆかねばならなかった。それをキッチリやる会社では大きなボタ山は出来にくいが、サボる会社はどんどんボタ山を積み上げてしまう。 地権は地下まで及んでいたはずじゃ? 浅い石炭層を簡単に掘り進んで他人の土地まで行くのか? あと、炭田で水抜けなんて起こしたら坑道水没で死人が出る事故になっちゃうから、そんな簡単な話ではない。 >掘った傍から埋めて空間を潰してゆかねばならなかった。それをキッチリやる会社では大きなボタ山は出来にくいが、サボる会社はどんどんボタ山を積み上げてしまう。 石炭を選別した後のボタはどうしても発生するし、埋め戻しのためにボタが必要なら、積志ゃの返送でボタ運べばいいだけ。 やらないのは必要がないか、費用の問題。 あと、単純に土で埋め戻しても漏水ならば簡単にはとめられない。 コンクリートで壁を作るなんてわけでもあるまいし。 (コンクリでも漏水は起きる) トンネル工事の話を読むと、崩落、漏水は大変。 鉱山も一緒。 炭鉱火災も怖かったらしいが、そこはあまり深くは知らない。 >>621 炭鉱火災は可燃物あるしふんじんばくはつもあるな。 炭鉱火災じゃなくて坑内火災。 ≫620 表面の所有権と鉱区は別で他人の土地の下をどんどんほっちゃいますよ。 岐阜県で、戦時中の亜炭鉱山が市街地の真下にあって大問題になったぐらい。 そして筑豊炭田で大規模な水抜け事故、実際に何度も起きてます。 貝島の専用線の目的の半分ぐらいは、埋め戻しの砂を運ぶこと。 砂を運ぶ貨車はワールド工芸から製品化されているぐらいですから、ぜひ調べてみて。 鉱山の展示ですけど、多くが坑道の脇に凹みを作って人形を収めて展示にしている。 少し考えればわかるけど、商品価値のあるものが坑道の脇にあるわけがないw 見せやすい様に展示スペースを作ってくれているわけです。 足尾銅山だと思いますが、かつての鉱脈の縦方向の空洞を展示して見せてくれます。 鉱夫の足元までズリで埋めて、鑿岩機が頭上というか、斜め上を向く。 そう言う作業空間を見せてくれる数少ない場所でした。参考になれば・・。 鉱山の話ばかりしてどーなんじゃ、と言う意見もありますが、たとえホッパーしかレイアウトで表現しないとしても、その背景をどれほど深く知ることができるかどうかは私にとって死活問題に近いんですね。 なぜこの無蓋車の側板は板3枚で、こちらは4枚なの??そういう事が全く気にならない人と気がついてしまう人の差がある。 それは1067mmに気がついて仕方がなくなることと方向性は全く同じと思うのですけど、自分は気にしないから他人が気にすることは許さん!と言う人が必ず出てくるw そういう性質の人も呼び出して晒しあげられたら、とは思います。密かにw ブログもSNSも作れず交友関係もなく独りで長文を垂れ流すしか能のない末期高齢者が 発狂して誰も読まない汚物みたいな長文を連続で垂れ流してるね この爺さん早くくたばればいいのに >>623 最近あった土地ごの陥没も含めて、陥没は近年土地が開発されて 住宅地になった後にも地下水で土砂が流されて空洞が広がった挙げ句。 埋め戻しの土砂は選別が終わった後の残り滓を使える。 ボタ山っ、あれ全部ゴミだよ。 >>624 >鉱山の展示ですけど、多くが坑道の脇に凹みを作って人形を収めて展示にしている。 >少し考えればわかるけど、商品価値のあるものが坑道の脇にあるわけがないw >見せやすい様に展示スペースを作ってくれているわけです。 少し考えればわかるけど、 坑内にも待避所や休憩所、事務所も必要なんですよ。 特に深部だときゅうけいのたびに外に行くのも面倒だから、そう言ったスペースを作る。 鉱山だからって、鉱夫の作業スペースだけあればいいってわけではありません。 >足尾銅山だと思いますが、かつての鉱脈の縦方向の空洞を展示して見せてくれます。 石見銀山とか見に行ったことある? 一円電車とか見に行ったことある? 誰も読まない割に反応があるw >>628 誰もあなたを否定してませんよ。全て網羅しないと負けなんですか?w 何で対抗意識を持とうとするんでしょうか?誰に勝つつもりなんですか? 相手が複雑な事柄を全て網羅しないと見ると、相手を挑発した様な文章を書く。 これってすごく無駄なエネルギーだと思います。平易な文章って書けないんですか? 私はあなたを試していますけど。 本当にどーでも良いことかもしれませんけどボタ山は大手企業の手によるものほど宝の山。 企業の採算ラインに乗らない事が捨てられる条件なので、炭住の住民は今夜の煮炊きの燃料を得るためにボタ山に登る。 子供や老人が燃料探しをするのは貧しい炭住ではお約束の光景であり、農民から見れば理解不能。 企業や政府の公式発表だけ見ていると、色々取りこぼします。 政府や企業からはゴミの山であり、危険な場所に無断で侵入する泥棒が後を経たない状態です。 本当にどーでも良いことかもしれませんけどボタ山は大手企業の手によるものほど宝の山。 企業の採算ラインに乗らない事が捨てられる条件なので、炭住の住民は今夜の煮炊きの燃料を得るためにボタ山に登る。 子供や老人が燃料探しをするのは貧しい炭住ではお約束の光景であり、農民から見れば理解不能。 企業や政府の公式発表だけ見ていると、色々取りこぼします。 政府や企業からはゴミの山であり、危険な場所に無断で侵入する泥棒が後を経たない状態です。 以上、ボタ山については蛇足でしたね。企業にとってはゴミであり、埋め戻しの材料であるという点は正しい。 金属鉱山では回収する事もないので、さらに価値は上がる模様です。 廃鉱山の坑道から漏れ出す廃液の泥は高濃度の金属元素を含む事があって、要するに有毒なわけですけど、最新技術で資源として再処理に回され処理されるそうな。 新技術がゴミを宝にするのです。 >>629 いい加減な推測を断定口調で書き込まれているから 訂正を入れただけ。 対抗意識で誰に勝つつもりなんですか? >>630 平易な文章で長文の間違った推測を断定口調で 書き込まれると、あなたは世間に対する害悪ですね。 >>633 石炭と違って金属鉱山は回収に資本と技術が必要になるので、鉱山の採取カスから一般人が金属を拾い集めるのは多分無理。 ゴミの山から金属類をあさる「都市鉱山」の話と感動していないかい? >廃鉱山の坑道から漏れ出す廃液の泥は高濃度の金属元素を含む事があって、要するに有毒なわけですけど、最新技術で資源として再処理に回され処理されるそうな。 鉱山から流れ出す廃液じゃなくて、鉱山から有価金属を 取り出した後の廃液垂れ流し方が主な問題じゃね? 廃液をさらに処理して金属を回収する目論見はいろんなところでなされてはいるが。 推測と分かっているのにケチをつけたい、病的な人ですねw 金属鉱山からの回収はもちろん、専門業者ですよ。 全部事細かく書かないと、勝手に間違いだと決めつけて何か付け加えようとする。病的ですねw 今までの文章で間違いの部分って、ないよなあw この人、何か追加情報を付け加えているだけで、それを自分では訂正って思っているわけ?病的ですねw 他人とうまくコミュニケーションできないとか言われてませんか? >>637 推測していることが間違い、妄想、課題解釈。 >>638 オマエがやっていることで、おまえのことじゃん。 あーこれは頭の病院行き確定ですわ もちろん強制力は無いんで、おまえには何もできないとかいう勝利宣言()は要らないよ?w >>640 オマエは気狂いだと勝利宣言してるの? おまえには何もできないとかいう勝利宣言してるの? 自分のこと言われてんのに、気付かないふりして誤魔化す奴って居るよねw てか続きはもういいの? 見られたくないから見せつけるに転換したものの、元々どうでもいいことだから飽きちゃったの? 鉱山系の疑問があるならばこんなとこに垂れ流さないで それ系の板行って素直に質問すればいいのに。 丁寧に質問すれば、ここ以上に詳しい人がもっと親切に教えてくれるよ、きっと。 1番の目的は、12mmスレを占拠されるとイライラして邪魔したくなる人を釣り上げる事ですからね。他所という選択肢は最初からありません。 1番の目的は、12mmスレを占拠されるとイライラして邪魔したくなる人を釣り上げる事ですからね。他所という選択肢は最初からありません。 本音バラされて開き直っちゃったかー まあ所詮その程度のクズよなぁw まったく。 そんなことしか言えない輩を生み出してしまったガニ●タ変形規格は 即刻世の中から抹殺しないとな。 >>650 まぁこの人は死にかけたスレッド見つけては妄想垂れ流しているだけの人だからね。 これが12mスレッドだとしたら、12mmは 鈴木がゲージ論垂れ流すしか話題がないってことになっちゃう。 12mm に話題がないなんて、とんでもない。 某メーカーが丸屋根客車のバリ展を行っているが、そのうち食堂車の一部が 予約開始後1週間で完売の勢い、戦前の優等列車志向のモデラーは実物通りの 編成が組めると狂喜している模様。EF53、EF58、C53、C59、C62 といった かつての大型機関車に光が当たっているらしい。 当方事情がよくわからずイマイチ話題についていけてないが。 このほか、EF66、EF30、DD16、79616、14系客車… 最近の発売ネタだけでもいろいろあるんじゃないの? 煽ってすまん。できれば眼を向けたくないよね。 >>652 自分が買うのかどうかもわからない、発売数量もわからない車両の 完売情報で煽るくらいしか話題がないの? あいかわらず12mmの話題だけでは話が続かないんだね。 すまん。いくつかは買いましたが。 煽ってすまん。このネタになると必死になるね、ガニ某は。 買ってないことにしたい。広まってないことにしたい。 丸屋根客車食堂車、私が買わなくても完売になっちゃったんだけど。 >>654 何両くらい買ったの? 嘘じゃないんなら写真でも見せてね。 >>655 生産量次第の話ですね。 >>654 何両くらい買ったの? 嘘じゃないんなら写真でも見せてね。 >>655 生産量次第の話ですね。 おいおいおい、12mmの話題を始めるなよ。 俺が一番阻止したい流れだぞ、これw >>658 オマエに従わなきゃならない理由はない。 >>658 ちゅうか、ここって12mmのスレッドだろ。 キチガイの思う壷にならないようにキチガイが行動するという 常人から見れば笑うしかないという状況w 常人だと思うのなら覗かなければ良い。 わざわざ覗きに来て一言言わずにおれないという、異常な心理の持ち主は常の人ではない。 効いてる効いてるw で、引越し先は決まりましたか? 負け犬さんw >>664 ガ◯マタNゲージは楽しいですか? Nゲージャーのバ閑西人さん。 IMON の D51 完成。戦時型に偏っているような。 標準型は 170 人吉と 241 追分しかない。半流よりも少ない。 (半流は 1 青森、4 追分、42 延岡、70 追分の4種) 地域も偏在。本州は 1 と 1076、いずれも青森区のみ。ちょっと極端か。 続編はあると考える方が自然だろう。 デゴイチの象徴たるあの集煙装置。中央西線をモチーフに数機種出ても おかしくなさそうだ。その頃には一時期話の挙がったキハ181系なども 加わり、今とは全く違うシーンを見せてくれたりなんかして。 ちょっとした妄想でした…! C62が出てからやろ 何年先になるかわからんけど IMON新サイトになって、製品化予定の頁は消えたの? 毎年出る出るのプラ35系客車はどうなったん? 疑惑しかない鍵オタ そうだよなw 「俺のお盆時期の労使紛争を知らないのかな >>670 >C62が出てからやろ >何年先になるかわからんけど TがC62で12mm市場に参入する時のために敢えて控えているとか 58 2024/02/06(火) 19:25:22.91ID:g/Tym0er0 >>57 そんなことで当方の書き込みが減ると思ったら大間違い。 とは言え、IMON のオハ35系。単にプラ製品の一言では片づけられない 出来栄えも期待できるか。縫い目、と言って悪ければ繋ぎ目の質感。 これまでの16番製品、いや真鍮完成(殆ど見なかったりするが)にも 見られなかったリアリティ。プラ製品は特に嵌め込み窓廻りにどうしても 安っぽさが出てしまうが、これも見栄え的に抑え込むことが出来れば 新たな客層を掴むか。IMON ブログにはそのあたりを拘った記述も。 read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる