[鈴木g3蒸機好き出入禁止]【HOn3-1/2 HOm】1/87 12mmスレ【HOj HO1067】 -12- [無断転載禁止]©2ch.net
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvvv:1000:512:----: EXT was configured キット、パーツ等だいぶ手に入りやすくなりましたし 待望のプラ客車も・・! 楽しんでまいりましょう。 【注意事項】 他規格批判スレッドではありません。 他規格(16番、13mmなど)に対する批判や否定的な書き込みは厳禁です。 また他規格狂信者の荒らし煽り行為は徹底無視でお願いします。 借景がしたくて、模型を何両かと線路を少し持って山の中へ。 初挑戦でしたけどかなり難しいね。結局一枚も撮ろうと思えなかった。 RMライブラリ日車標準形。 トミックスの例の製品から、君は何を改造して何を作る?するための本でしょう! もちろん一言も触れてないけれど、出版社か編集者か筆者の「圧」を感じるw 東京ディズニーランドの鉄道の、スティルウォータージャンクションにあるカブースが、リオグランデウェスタン鉄道のショートカブースの実物だと知って驚き呆れてる。 最も前所有者がいて、そこで窓配置など大改造を経ているためオリジナル部分は台枠以下しかないとも言われておるが。 にしても、あの名車両、数々の製品化に恵まれ、私も持っているあのショートカブースの実物が東京にあるというのは凄い。 >東京ディズニーランドの鉄道の、スティルウォータージャンクションにあるカブースが、リオグランデウェスタン鉄道のショートカブースの実物だと知って驚き呆れてる。 アメリカにあれば準鉄道記念物に指定されても良いくらいですね。 どうかな?車体は原型を留めてないよ。近いのは七軒村カブースなんじゃないか。これをモデルにしたのか。 多分、遊園地に引き取られた時にすでに木造部分は原型を留めていられなかったのだろうと思う。 小さな電気機関車が好きで、十数両に達した。気に入らないものや重複まで含めると50両に届くんじゃないだろうか。 不思議なことに内燃機はあまり好きではない。これは良い製品が昔から少ないためだろう。電気機関車と比べ差別されている。 蒸気機関車も良い製品が少ないと思えて、あまり粒が揃わない。 様々な機関車を一堂に並べて楽しい。これから片付けるのだが、それが憂鬱で憂鬱でw やはり塗装まで終えた完成品に限るね。キットは珍しくても何箱あっても無力だ。 もう9月なのに日記つけてるけど、まだ夏休み終わってないの?w インドネシア精糖線に二人目の配信者が現れたみたいだ。 まだ登録者も閲覧数も伸びていないけど、私のように世界中から観に来るのだろうと思う。 保線シーンを扱う一本に、通称ジンクロでレールの歪みを治しているシーンがあった。 至って簡単な構造ですし見当はつくのですが、実際にじんわりと圧をかけてゆく所は初めて見ます。 かつては日本の鉄道でも普及して、地方鉄道や軽便鉄道でも見られたであろう光景。 急勾配で有名なピラトゥスの登山鉄道、保線用に随分と立派な車両持ってるのね。 そりゃそうだ、線路から架線まで一台で何役もこなすスーパー重機。 RUSTに出てくる地下鉄道が面白い。 自分でプレイしていてはPCの性能が追いつかない事と到底奥地にまで潜入できないので、兎田ぺこらのプレイなどを見ながら楽しんでいる。 廃墟感の汚れが素晴らしい。 1950年台のグレートノーザンアイアンオアオペレーション、という動画がupされている。 あの、天賞堂製品の数々が動いてる動画・・・・・と思って貰えば良い。 特に080、ヤードゴートの動画に目を奪われてしまう。 第一世代ディーゼル機も今の作風ではなく、アサン青箱に見えてしまうのはフィルムの画質の荒さ故か。 昔は良かった。 そして、こんな国と戦争したらアカンよ。 仕事〜が忙しい〜い。 鉄道のことが脳裏からすっぽ抜けるぐらい忙しかった。 今我に帰ったw こちらが真の自分?w DRGのE71型が新規製品化されるけど、欲しい。 電気も機械も、現代の視点から評価すると未熟な時代に、素晴らしいアイデアを豊富に盛り込んだ完成度の高さ。 喩えればからくり人形。茶運び人形のようなもの。第一次大戦前の傑作機。 油冷式抵抗器の放熱器を車体の両側面、室外に露出させている点が素晴らしい。 空冷ではないらしい。液体が、しかもとても熱い流体が流れる配管ですよ。それが放熱フィンだけで室外に出ている。 日本でも交流電気機関車の初期に油冷式の機器を用いているけど、ラジエーターは機械室内おそらく天井付近だと思う。 さらに日本の蒸気機関車のエアブレーキ関係は圧縮時の発熱を除くために、何度も往復する放熱管を露出で設けている。 でも気体ですからね。液体とは比重が違う。ドイツでは風雨に晒されて、よく何十年も壊れなかったな。 ドイツがどのようなジョイントで配管同士をつなげていたか全く手掛かりはないが、プラスチックはもちろん合成ゴムも未熟な時代です。 フェルトぐらいしかパッキンの素材は無い、筈。どのようなアイデアで熱い油の液漏れを防いでいたんでしょうか。 シルエットを見ると床下、両台車間にバッファーがついている。 両台車を通常の連結器類似の方法で結び牽引力を伝えるとともに、上に乗る機械室は牽引力に関係しない。 推定だが片方の台車の芯皿は一点に固定するピボット、他方の芯皿は多少の前後左右動を許容する平面なのだろう。 それはよく見られる方法なんだが、床下に古典的なバッファーが丸見えというのが過渡期を感じさせて面白い。 台車には機械室が乗り一体化して首を振る。これを称してミニクロコダイルという広告を見るけど、さすがにそれは商業主義ではないか。 レーティシュ鉄道を差し置いてというのもあるし、クロコダイルはメルクリンが与えた綽名でしょう。 メルクリン以外がDRGのE71型をミニクロコダイルと呼ぶ例が見つかったけど、腑に落ちないものを感じる。 台車に機械室が乗る理由は、まだモーターの小型化が追い付かないのでしょう。 日本でいえばEC40型など碓氷峠の初期の電気機関車が同世代。モーターが台車内に収まらない。 モーターは空冷用機器を必要とするので、台車と共にモーターと空冷機器が首を振ることは合理的と言える。 モーター小型化の歴史も、よく判らないんだよね。 ドイツの電気機関車史を見ていると、吊りかけ式が最終回答、決定版であるかのような記述を見る。 モーターが十分に小型化軽量化して初めて、その重量の半分を車軸に託し振動に耐えることに成功しました、という感じ。 超大型多極モーターを台枠に乗せることから始まり。ロッドがやがてブフリー式のような伝達方式へと変わる。 でもブフリー式は高コストなのか一部の急客機に限られ、貨物用を中心にロッド伝導が洗練する。まだ台車にモーターを内装できない。 さらにモーターの小型化が進み、ついに通常の台車内に単純な構造で収まりましたよ、というのが吊りかけ。 日本との違いは、ブフリー式などから類似の、車軸に巨大なモーターの荷重を載せない方式が何十と試されたこと。 この中に今の日本で普及したカルダン駆動式の種が含まれる。中空軸など種類が多過ぎて一つ一つ挙げられない。 複雑で高価な方式を嫌になるほど試して、その後に、当時の感覚としては超小型、軽量で頑丈になったモーターによる吊りかけ式が決定版として出る。 ここで日本とヨーロッパで新技術の順番が逆転している。(戦後のアメリカは新技術開発から脱落している) 戦前日本の電気機関車は幹線用大型機としても欧米から見ればインターアーバンサイズに留まるので、いきなり吊りかけている。 欧米から見ると路面電車サイズのような小出力のモーターを六個も使ってEF級に仕立て上げていた。当時の欧米にモーター六個ってそんなにないよ。 そして戦後になって狭軌に合うカルダン類似方式の開発へと向かう。だから吊りかけ式には旧式という印象が強く刻み込まれてしまった。 おそらく国鉄の新性能電車、旧型国電という分類方法が決定的な影響を及ぼしたのでしょう。 しかし欧米、特にヨーロッパでは吊りかけ式は最終回答のようなものなので、取り上げ方が違うのではないだろうか。 ドイツでは吊りかけ式の電車は1980年代まで製造が続いた筈です。 日本の電車では吊りかけを止めることはコスト増に勝るメリットがあったに違いなく、それは高速走行時に貧弱な線路への追従性を高めることではなかったか。 では「現時点」で、吊りかけを忌避する理由は何だろう? 60kgレールなど重軌条の通勤電車が、部品点数の減少により一層の低コストになりはしないのだろうか。昔のような歯車の音がするのだろうか。 ひょっとして近鉄って面白いのか?旧型車の時代が気にかかる。 特に伊賀線が、あまり類例のない経過を辿って面白い。 伊賀線の貨物列車が盛業していた時代に飛びたい。 伊賀上野駅では国鉄の非電化の貨物側線に電化された伊賀線が挟まれていた様だが、電気機関車でどこまで入換したのだろうか? RMライブラリ淡路交通にて、瀬戸線の蒸気機関車の借り上げに触れていますね。短期間のことゆえ淡路側で撮られた写真が無いのは当然でしょう。 よく読むと1920年5月製造の機関車を1922年に借りており、ピカピカの新車だけれども瀬戸線側では必ずしも必要とされていない。興味をそそります。 セルポレー式の廃車も1922年ですし、この年に瀬戸線の完全電化が成ったのでしょう。 よくいわれるセルポレー式不調説ですが、やや誇張が過ぎている可能性があります。 本当に不動ならば1903年の開業時点で大問題になり、その時点での蒸気機関車の借入記録が無いのは不自然です。 瀬戸線開業時点では、時刻通りに運行できなかったかもしれないが営業運転が不可能なほどではなかったのではないか。 その後の1913年に休車、1918年に復活というのも整合性がある筈です。 1913年は「二つ目玉」の登場時期に重なり、ネジ式連結器のついたグループがセルポレー式の使用停止を可能にした。 復活というのが、謎ですね。電車も貨物も共に運行本数増加で客貨分離が行われたのだとしたら面白い。1918年に実施した例は他にあるのだろうか。 瀬戸電はその後ホギー車の増備など陣容強化が著しいので、旅客数は大きく伸びていると思います。 貨物輸送量も、デキ200型を購入するほどですから伸長著しい。車両の内容を見る限り著しい成長路線であったわけです。 1913年に貨車を電車牽引にしたのちも、現状の輸送量の伸びっぶりから見て蒸気動車は解体せず温存することになった。 案の定、1918年には電車が足りなくなりセルボレー式稼働再開。 でもセルボレー式が不調であることに変わりはない。そこで1920年製造の「二つ目玉」が貨車牽引のため50馬力モーターになっています。 同年には雨宮製蒸気機関車を一両追加することに。 で、なぜ1922年に蒸気動車と蒸気機関車がお役御免になるのでしょう????デキ200型の投入は1927年です。 1921年に地方鉄道に変更になっている点が、鍵なのかなと思います。 うろ覚えですが軌道法では、一両しか貨車の牽引は許されない筈。閉塞もないしブレーキ力も小さい。 そのため50馬力の二つ目玉も、その力を充分に活用できていなかったのではないでしょうか。 地方鉄道になった瀬戸線では単車が数両の貨車を牽く貨物列車が走り始め、セルボレー式は牽引力不足で運用から外れたのではないでしょうか。 その状態で1921年から1927年までを過ごし、さらに貨物の増加の気配がするのでデキ200型を入れて二度目の客貨分離を図った。 これで車両の移り変わりの説明になったでしょうか。 1913年から1927年までの十数年間、かなり、場当たり的といいますか、応急処置を重ねているように見えますが・・・・w 後のモ560型とデキ200型のまとまった数の投入で瀬戸線は面目を改めたわけで、その二両が揃って解体され失われる秋は悲しいものです。 伊賀線の上林駅と比土駅の間で、ため池の脇を通過する。路線内でも屈指の風景に、目指した人も多いのではないか。 車で行くもんじゃないね。酷い目に遭った。 上林駅から線路沿いの道を進むと堤の下に車が数台止められる小さな平場がある。 ここを通過してはいけない。駐車して徒歩で先へ進もう。 えっ・・・・車で進みたいって?いいだろう。 南へ進むと、池側が垂直に水面に落ちる、車一台分しか幅の無い道になる。その道が急角度で曲がってる。もう後悔しても遅い。 農地側が一段高く石積みの壁が仕上がっており、本当に車一台の幅しかあなたには与えられない。 やがて踏切に出るが、道路は線路に対し鋭角に斜めに横切り、その踏板は車一台分あるかどうか。 想像して欲しいんだが、線路と道路の交わる角度は30度ぐらい。かなりの鋭角だ。 それぞれが車一台分ほどの長さしかない木角材が数本、道路の方向に合わせてカクカクと位置をずらしてレールの間に並べられている。 つまり、カクカクの部分だけ幅が足りない上に、端部が遠めに見ても腐ってるのが判る。 よほどの小型車でない限り、レールの間にタイヤが落ちる予感がする。絶望。 踏切の手前に転向スペースはなく、先ほど来た道をバックで戻るしかない。これが生き地獄か。 グーグルアースで見て欲しいんだが現地は耕作地が放棄されており、荒れて印象はかなり異なる。およそ人が訪れる場所ではない。 この区間には第三種踏切が二つ連続するが、特に上林駅から南へ二つ目の踏切は、線路を越えた地点から先が山林へ戻っている。 踏切までアプローチは出来るが、線路を越えた先へは徒歩でも侵入は難しいと思う。道のような凹みはわかるが、道だと理解したくない。 私は一歩も入る気がしなかった。この森の側に面した警報機も光っているのだろうけど、列車通過中に灯具が見える角度に人は入れそうにない。 無用の空間に向く警報器に、「超芸術トマソン」という言葉を思い出してしまった。 ちなみに電車は速度を落とし、警笛を鳴らして通過するようだ。警報機が鳴るとはいえ遮断機の無い踏切が二つ連続するからか。 もっと南側の、線路も峠を越えて古都地区にあるため池の縁を伊賀線が通る。 きつい勾配に加え通行量の多い車道が遠ざかり、モーターの音も聞こえるに違いない。 でもこちらは接近できる道が無さそうだ。車道どころか細道さえ無さそう。200mは藪を進まないと堤まで出られそうにない。 電車から見るとかなり良さそうに思えるんだか、堤からは何が見えるんだろう。 この辺りは詳細な地図に道があっても現地に存在しないことが多く、耕作放棄地もあって過疎を感じる。 しかし堤には藪はなく、年数回の草刈りがしっかりと行われているのでしょう。そういう機会しか踏切を利用する人は現れないのではないか。 問題の堤も草刈りは万全で、ということは道がある?? >>383 >日本との違いは、ブフリー式などから類似の、車軸に巨大なモーターの荷重を載せない方式が何十と試されたこと。 1980年代後半に鉄道ファン誌で「スイス電機のクラシック」という連載があり、試行錯誤の様子が解説されていましたね。 「鉄道ファン」の1987年4月号で、「スイス電機のクラシック」を書いている加山昭氏によると、スイス国鉄の技術陣 はCe6/8 II型の設計審査にあたり、 斜めロッド・ドライブ方式では高出力の動力伝達には不適であるとの判断を下し、複雑なスコッ チ・ヨーク方式を採用したとしてい bワす。 とbアろがこの判断bヘ根拠のないもbフとわかり、III型からは斜めロッド・ドライブ方式が採用されたそうです。 hirodas.com/swiss/gotthard06.html >欧米から見ると路面電車サイズのような小出力のモーターを六個も使ってEF級に仕立て上げていた。当時の欧米にモーター六個ってそんなにないよ。 そういばミルウォーキー鉄道EP-2(バイポーラ)は回転子が車軸にあるダイレクトドライブでした。 >日本の電車では吊りかけを止めることはコスト増に勝るメリットがあったに違いなく、それは高速走行時に貧弱な線路への追従性を高めることではなかったか。 >では「現時点」で、吊りかけを忌避する理由は何だろう? ばね下重量が軽減されるので路面追従性が向上するだけでなく、軌道破壊が抑えられるので保線周期を伸ばすことができることも一因ではないでしょうか。 >60kgレールなど重軌条の通勤電車が、部品点数の減少により一層の低コストになりはしないのだろうか。昔のような歯車の音がするのだろうか。 鉄道総研では上述のダイレクトドライブの現代版が試験されていたそうです。 歯車が不要で静かになり整備が軽減されるそうです。 CDプレイヤーやレコードプレイヤーだけでなく、最近は電動自転車にもダイレクトドライブがあり、輸送機関連ではダイレクトドライブ化が波及しつつあるようです。 xtech.nikkei.com/dm/article/HONSHI/20060730/119684/ バイポーラは心に刺さります。 メーカーは成功だと自己評価し、事実長命でした。 車体更新までして使い続けたのはミルウォーキーの貧乏な台所事情も関係するのでしょうけど。 でも、同類の機構を採用した会社はないという不思議。 これが東海岸、ペンシィかNYCに現れていたら、もっと広まったか、あるいは欠陥も認められたか。 模型も持っていますけど、良くて大物車、悪口でムカデの様な足回りが堪りません。異様な構成の車体もあって決して格好良くはないw 貧乏ミルウォーキー、バイポーラ運用区間では単線に見える橋梁がガントレッドであったりします。橋の前後は通常の複線なのです。 橋梁は単線幅で架ける。そこまで貧乏を極められるのかと感心します。 余裕がないからこそダイレクトドライブならではの歯車による減速機構が不要なので歯車の摩耗、交換もなく、整備が比較的楽だったことも長命だった一因かもしれませんね。 東海岸の鉄道会社では余裕があったので他の車輛との互換性の乏しい方式の機関車は広まらなかったのかもしれません。 今の時代ならパワーエレクトロニクスが発展しているのでダイレクトドライブは再び脚光を浴びる可能性もあります。 例えば、タルゴのような左右独立車輪で軌間可変式の動力分散式の車輛を実現しようとすれば事実上、他に選択肢はなさそうです。 バイポーラを取り巻く事情はかなり複雑です。 技術資料が大変に少ないのですが、以下の仮説を考えています。 まず長命の原因はミルウォーキー鉄道が、電化区間に対し自家発電を行い、電化区間に近接して水力発電所を持つがゆえに原価で電力を供給でき、効率の悪い電気機関車を許容できたため。 電化区間はロッキー山地であり、豊富な雪解け水を比較的簡易な導水管の工事で発電に利用できたらしいんですよ。 発電能力の限界と送電線を設けないことでロッキー山中でも電化区間は二か所に分かれておりました。 効率の悪さ。 バイポーラって何かわかりますか?電動機の回転子が二極であるということです。 これおかしいですよね。モーターは三極以上なければ回転をはじめることが困難になるはずです。簡易な工作教材のモーターでもスイッチで回転し始めるのは三極から。 二極の教材は、回転軸を指で回さなければ始動しないはずなんです。回転子と固定側の磁石の位置の問題です。 機関車の動輪は動きますよね。バイポーラだって動輪の上下動を板バネで制限し支えています。 磁力は数センチでも距離が変わると大幅に減衰します。動輪の回転子と車体側のコイルの距離関係が変動すると、まともに走れません。 ですからバイポーラ、車体側のコイルは車両進行方向に限られ、動輪の上下には(車軸が上下するがゆえに)何も設けられないのではないか。 バイポーラの二極モーターは、動輪が一回転する間に二回しか出力を発揮できません。回転子が二つしかない、それが180度の位置にあるのです。 この甚だしい出力の凸凹が、多すぎる動輪の数をもたらします。 バイポーラには動輪が14個もあります。これはなぜか。 電動機一つ当たりの出力が小さいことと、位相をずらすためではないか。 車輪は空転しますので、走行中にモーターの位相はバラバラになるでしょう。 位相がずれますから、360度を14分割したようになり凸凹は均されて、機関車としては歯車の音もなくスムーズに走る。 でも、起動時は??? 起動時には、たまたま停車時に最大出力を発揮しうる動軸が14軸の中にいくつあるのか?という問題になります。 下手すると1割強しか力が出せないこともありうる。そうなると、空転します。 起動時には多くの動輪が空転し、最大出力になる場所で停止、多くの動輪の足並みがそろったところでようやく加速を始めるのではないか。 初動時はゴンゴンと連結器に響く出力の凸凹があり、やがて位相がズレて巡行体制になる。 以上を踏まえるとバイポーラ、電力効率は恐ろしく低かったはずです。特に起動時は発電所に負担を強いたことでしょう。 他社では相手にされないかと思います。 >>390 起動すれば問題ないということ? アメリカの駅間距離を山手線レベルでイメージしてるの? >バイポーラって何かわかりますか?電動機の回転子が二極であるということです。 かつてマブチミニベビーという指で回すと回転を始めるモーターがモーターがあったことを思い出しました。 >これおかしいですよね。モーターは三極以上なければ回転をはじめることが困難になるはずです。簡易な工作教材のモーターでもスイッチで回転し始めるのは三極から。 >二極の教材は、回転軸を指で回さなければ始動しないはずなんです。回転子と固定側の磁石の位置の問題です。 ↓英語版のwikipediaのEP2のリンクを辿って2極モータの記事を読んだところ、以下の下りがありました。 The 'bipolar' term refers to the stationary field of the motor, not the rotor. The rotors often have more than two poles, three for a simple motor and potentially more for a high-power motor. A two-pole rotor has the disadvantage that it is not self-starting in all positions and so requires to be flicked to start. en.wikipedia.org/wiki/Bipolar_electric_motor 「バイポーラ」という用語は、回転子ではなくモータの静止磁界を指す。回転子は2極以上あることが多く、単純なモータでは3極、高出力モータではそれ以上ある可能性もある。 2極の回転子では、すべての位置で自己始動しないため、始動するためにフリック操作が必要であるという欠点がある。 回転子は整流子を介して励磁されるので3極以上あった可能性もあるのではないでしょうか? 以下引用 このシステムの複雑な点は、サスペンションの移動に伴ってアーマチュアがフィールドに対して上下に自由に動けるようにしなければならないことである。 現代の4極モーターでは、上下極のポールギャップが変化し、おそらくアーマチュアがポールピースに当たってしまう(サスペンションの移動量は一般的なポールギャップよりはるかに大きい)。 そこで、比較的古くからあるバイポーラモータに戻すことにした。ポールをアーマチュアの側面に配置し、平らな垂直面を与えることで、アーマチュアがポールの間を自由に上下することができたのである。 このモーター設計は、当時の基準から見ても比較的効率の悪いものであったが、これらの機関車は、効率を重視して設計されたというより、安い水力発電の電気をふんだんに使って、 そのパワーと運搬能力を発揮するために設計されたものであった。 どうだったんでしょうかねえ?私にも判らないんですよ。電気関係は苦手なんです。 動いた、長年よく働いたことまでは判りますが、短所など語れるほどの確実な材料はないんです。 この機関車ほど不思議な存在は見当たりません。ミステリアスです。 バイポーラモーターの英語版記述を見ると、予想は近いんじゃないかと思いますけど。(車軸の動きや水力発電との関係など) 確かに回転子が多極であれば、起動に心配は要らなさそうですね。 モーターは軽量小型小出力でょうから、12軸(先従輪ありました。)もの動軸の説明もつきます。 「バイポーラ」というカテゴリーに多極の回転子が含まれるのか、という点が判らない。 マブチFA-130は永久磁石(磁界)が一組相対していて三極の回転子ですよね。 ケース側の磁界が一組で相対している事なら際立つ特徴ではない、と思う。でも電気機関車のような分野では巻き方が違うのかもしれない。 二極回転子にありがちな死点?があるということ自体がおかしい。たとえ12軸あっても最終的な解決ではない筈です。 いつかはC53型蒸気機関車のように起動不能になる。C53型だって理論上言われるだけで滅多に起きてない模様ですが。 二極の回転子を束ねればいいという原始的で野蛮な発想が、できるものだろうか。 色々記事を読むうちに謎は深まりました。NYCのSクラス電気機関車もバイポーラだそうで。 前から見ても横から見ても凸型という、戦前のブリキの玩具に好んで遊ばれた逸品です。 今までこの機関車を追いかけて来ませんでしたが、「急加速と減速が可能で」 「コミューターレールに理想的」だそうな。 オマケに動輪は四つらしい。旅客専用らしいですけど。 私にとってバイポーラは失われた遺物扱いなんですよ。 >>394 疑問点をダラダラ書くんじゃなくて、 どっかの質問箱に投稿して、回答もらってからまとめだけ書き込んでくれない? 言葉足らずだったかね。 私にとっては判らない機構は趣味の対象なんですよね。 結論だけ寄こせという人は単に趣味が合わないのだから、他のスレで楽しめばいいと思うよ。 特に機械要素で判らないことは多く、頭で空想は出来ても実際にモノを見ても、結果と一致すると思えず納得がいかないことが多い。 これが半導体のようにモノを見ても動作が全く判らないと興味の対象ではなくなる。 BASICなら興味があるが二進数の羅列になるとヒトには読めなくなるようなものか。違うか。 「今の有り様が勝ち残る前に試された、無数のアイデア」などというものは大好物ですね。 閃きの高揚感から他人の発明に負けて顧みられなくなるまでの物語が好き。バイポーラも熱っぽく語るGEのエンジニアが居たんでしょうねえ。 結論を急ぐ人とは本当に反りが合わないので、私を相手にしないで。私は結論ではなく物語を求めています。 違うだろ こうやって過疎スレ占拠して適当にダラダラ書いてりゃ そのうち誰かが構ってくれると思ってやってるだけだろ?w 独りでやってりゃ日記といわれw 反応があれば妬ましがられw マイペースの邪魔がしたいだけの人よりは生産性は高いだろうね。 お前は価値を削るマイナスの人。 そして 1/80・16.5mmの HOゲージプラ完成品は益々増殖し続ける♪ あ、別に生産性も求めてないわ俺。 俺の求めない価値においてもマイナスなお前、なw アメリカの鉄道について大して詳しくない私が、ミルウォーキー鉄道と聞いてまず 連想するのが、"ハイアワサ"のしんがりを飾る流麗な展望車。 小学生時分、とある鉄道図鑑でハイアワサの後ろ姿の写真を見たとき、てっきり あれは気動車がこっちへ向かって走ってくる場面、と思っていた(笑)。 それにしても、その"スカイトップ・ラウンジ"客車と、EP-2形電気機関車、 まさか同じ会社の所有物だとは…どうにも信じがたいですね。 >>394 >「バイポーラ」というカテゴリーに多極の回転子が含まれるのか、という点が判らない。 >マブチFA-130は永久磁石(磁界)が一組相対していて三極の回転子ですよね。 >ケース側の磁界が一組で相対している事なら際立つ特徴ではない、と思う。でも電気機関車のような分野では巻き方が違うのかもしれない。 >二極回転子にありがちな死点?があるということ自体がおかしい。たとえ12軸あっても最終的な解決ではない筈です。 >いつかはC53型蒸気機関車のように起動不能になる。C53型だって理論上言われるだけで滅多に起きてない模様ですが。 >二極の回転子を束ねればいいという原始的で野蛮な発想が、できるものだろうか。 「バイポーラ」(二極)というのは回転子ではなく、固定子が二極だったのでしょう。固定子が二極でもマブチFA-130と同様に回転子が3極であれば起動可能です。 www.youtube.com/watch?v=kPUt-3PBcp8 www.youtube.com/watch?v=ijQ44aXdyxc >>400 日記を見せびらかすのが趣味なんだろってのはとっくに指摘してるんだが 今さら何を焦って取り繕ってんだw スペインは鉄道が撮影禁止で、テロもあったので極端に動画が少ない。 の、はずだったんだが最近見つけた前面展望動画で衝撃。 PC枕木などが標準軌への改軌前提になってる! スペインの広軌は標準軌の差が微妙に小さくてレール固定ボルトが干渉するから、三線軌道自体が難しいとか聞いたことはあるのね。 だからPC枕木のレール固定用ボルト穴が、広軌のレールの内輪に未使用の穴が開いている。 近鉄名古屋線とスケールが違う、すごい準備工事だよ。 >スペインの広軌は標準軌の差が微妙に小さくてレール固定ボルトが干渉するから、三線軌道自体が難しいとか聞いたことはあるのね。 イベリアゲージは1668 mmなので標準軌とは233mmの隙間があるので三線軌道は十分可能で実際にそのような路線も存在する。 commons.wikimedia.org/wiki/File:Track_gauge.svg >近鉄名古屋線とスケールが違う、すごい準備工事だよ。 近鉄名古屋線の時代はまだ木製の枕木を使用していた。 国内でも青函トンネルの3線化の時には予めPC枕木に準備されていたので比較的短期間でできた。 >>407 近鉄名古屋線もしゅうとうに準備はしてあって、 伊勢湾台風で前倒ししただけだしね。 難しさの評価はそれぞれなんだろうけど、レール底面幅が150mm近いところで233ミリの差というのは充分に狭いと思うよ。 枕木に固定する犬釘やボルト類を二組、約80ミリ~90ミリの間に納めねばならない。 JRのPC枕木を見ていても、同じものを40ミリじゃ無理でしょう。 スペインではPC枕木の幅を全て使い切り、金具類を互い違いに納めているみたいだ。 木枕木でレール取付位置を端に寄せたり材自体の幅を広くするのは無理だろう。 同じく動画ではポイントフログを一体鋳造していた。 いわゆる弾性ポイントではないらしいリードレールの関節部は痛々しいような狭苦しい収まり。 まあ、その難しさの評価は人それぞれであることは認める。 大阪窯業セメント伊吹工場専用線を発展させて小さな電鉄の幻影を見ることは出来るか。 ないものは無いんだからないんだろう。uruseee! 岳南鉄道のように、迷惑施設地元民対策として専用線を北に伸ばして旅客営業を始めさせる。上武鉄道のような感じになるか。 ベルトコンベアに並行させて、鉱山直下の集落まで伸ばすか。 スキー場開設を見据えて旅客営業を始めるが、スキー場直結は集落の反対を受け500mほど土産物店の間を歩かされる。 専用線は1952年開業、スキー場は1956年開業。 1956年に専用線の車止めから200mほど真っすぐ延伸。未舗装の県道を踏切で斜めに横切る。当時バイパスは存在しない。 周囲の地形がせり上がる中で、掘割の底のような立地。終点「伊吹山駅」は上野集落の南の縁にある。 機回し線はなく棒線にホーム一面のみの終点で、数段の階段を上って小さな駅本屋と県道に面した広場がある。 当駅から東海道線に接続する「近江長岡駅」まで、途中に「工場前」「高番」の二駅を置く。いずれも棒線で交換設備無し。 総延長は3.9キロしかないミニ私鉄。途中で堂々とセメント工場内を横断し、左右から背の高い工場建築と荷扱線に挟まれる。 地元への見返りなので、工場が操業している間は廃止の心配はない。 開業から昭和50年代までは冬季スノーシーズンには大盛況で、昼間はピストン輸送をしていた。 北陸道の延伸で遠方のスキー場に客を奪われて衰退がはじまる。それでもバブル期までは、冬季の賑わいは健在であった。 全盛時の冬季に走る客車列車が白眉であろう。国鉄から借りた61系の四両編成。 先頭に立つはもちろん「いぶき」号。蒸気暖房はないので室内の座席をいくつか外して火鉢がおいてある。 近江長岡駅の国鉄駅改札を出て徒歩百歩、機回し線のある伊吹電車の近江長岡駅は狭いが人で溢れている。 一日リフト券と往復乗車券がセットになったものが飛ぶように売れている。 シーズン時には毎時一往復の客車列車に混じり貨物列車も走る。(機関車が足りねーよw) シーズン以外に走る電車は一番長いもので15m級という、ミニ電車の小世帯。 終点まで約10分。終点では到着後ただちに工場内から別の電気機関車が来て近江長岡方へ連結される。 そして出発後、ポツンと取り残された電気機関車は工場内の機関庫へ戻って行く。 どう考えても「いぶき」が四両、要るな・・・w 冬季だけ近傍の会社から借りてくるとか。そうなるとED14型などと言う可能性も。 旅客営業時にスキー場経営とセットで、乞われて近江鉄道が大阪窯業セメントと半々で資本参加したとしよう。 元々天王寺駅で勾配を上り下りしていたロコ1100型が転属したりして。 現実では近江から上田を経由して銚子鉄道へ譲渡された超小型電車は、伊吹山で大切に使わせてもらおう。 末期にはスキー客も激減。インターチェンジから近いのに駐車場が足りない。東海道線に乗ってスキーに来る人もいない。 長距離列車が減り、スキー道具を抱え米原駅の跨線橋を渡って隣のホームへ乗り換えを強いられるという面も嫌われた。 終日、全長10m程度の小さな電車が往復し続けるだけ。 果ては午前と午後の一日二往復。やがて工場は操業を止め、電車も走らなくなった。数年してスキー場も閉鎖された。 主要なキャラクターは鉄コレで揃う点がいいね。阪和の入換機だけは贅沢か。なぜ製品化されないのだろう。 >>410 >木枕木でレール取付位置を端に寄せたり材自体の幅を広くするのは無理だろう。 京成の馬車軌から標準軌への改軌は木枕木でやったんじゃなかったっけ? 車庫線なんかの後回しにされる部分では、差が少ないのを 逆に利用してそのまま改軌前にゆっくり走らせて凌いだり。 >同じものを40ミリじゃ無理でしょう。 太さ何ミリの犬釘を使っているのかと。 まあ軌間センターをシフトさせた方が楽かもしれないけど、ホームのある日本では難しいかな。 西濃鉄道ですが、しばし考えた末に絡むことは無いと判断しました。 出来る限り史実を利用しながら嘘をつきたいことと、資本関係とノウハウの問題。致命傷が電化。 近江鉄道、伊吹山スキー場を実際に経営しておりました。ですから嘘は部分的なものになります。 1950年代半ばに地元集落が保障として鉄道を求め大阪窯業セメントが専用線を現物提供すれば、有り得た話だと思います。 10年経過してしまうと観光バスの時代になります。 次に西濃鉄道の株主の問題。金生山周辺で石灰採掘業を営む企業が西濃鉄道の主要株主です。 大阪窯業セメントの立場に立ってみてください。なぜ輸送ルートを同業他社の影響下に置かねばならないのか。 金生山系企業の接近(出資)を、とても強く警戒すると思います。 近江鉄道は滋賀県最大の私鉄であり、50年代には既にコクド滋賀営業所のようなものです。さらに電化の経験が長い。 大阪窯業セメントから見ても非常に魅力的な相手です。西濃鉄道との競争力の差は比較不能だと思いますよ。 地元住民から見ると、戦前から軽井沢などで実績あるコクドの名刺の価値は重い。実際に営業開始に至ってますし。 最後の致命傷ですが、西濃鉄道は勾配も緩く無煙化の時期も遅く稼働状態のB6型を後世に残せたほどです。 専用線がある時代のいつであろうと、彼らが伊吹山を訪れても何もできることがありません。 ところで最近の西濃鉄道、ダークサイドでイイ味出てますね。ピンク色のDD451型には驚きました。 >>414 西濃鉄道は旅客営業もやってたよ。 小さな電鉄の幻影そのまま。 残念なのは小さすぎて話題になることすら少ない。 ttps://youtu.be/Y0xJbyOOLw0 懐かしくて、涙が出そうなほど。 これこそが小学生時分に私の見ていた"瀬戸電"だ。 ガソリンカーくずれの2221,2222がまだ元気だったから、昭和45〜47年頃か。 この当時、緑色の"一般車"にはドアエンジンが無く手動扉だった、 オール2両編成…否、単行運用もあったぞ…の懐かしい瀬戸電。 緑色が明るく感じますね。 瀬戸線は不思議な路線です。単に孤立した路線なら他にもあるが、保護?している大手私鉄が当時超貧乏であるケースはない。 それなのに全区間複線の都市近郊路線だというアンバランスさが堪らない。 わずか3両の蒸気動車で始まるとは、想像の限界の向こう側にある。 瀬戸線が独立したまま。 さらに旧名古屋鉄道と愛知電気鉄道が合併せずに共に大手私鉄扱い。(この世界軸では旧名古屋鉄道はそのまま在り続けるので説明しづらいw) 名古屋に私鉄が、近鉄含め四社という世界観は魅力的。果たしてパノラマは自然発生するか?w >>418 > 瀬戸線が独立したまま。 どうかな? 確かに現状の瀬戸線(栄町〜尾張瀬戸)なら独立採算でも十分成り立ちそうですが 史実を見る限り、名古屋市交通局(地下鉄)との関係は避けて通れません。 場合によっては栄乗り入れどころか、大曽根から都心寄りは存続できたか否かも 危なかったのですから。 事実、地下鉄名城線計画時に瀬戸線の大曽根以西を廃止して地下鉄に乗り入れる と云う案も検討されていたとか。 (ま、その煽りで名城線がもし3ft6in・架空電線式で造られたら? と仮定するのは それはそれで面白いのですが。笑) > さらに旧名古屋鉄道と愛知電気鉄道が合併せずに共に大手私鉄扱い。 > この世界軸では旧名古屋鉄道はそのまま在り続けるので説明しづらいw) もし、現名鉄の岐阜・犬山方面と、豊橋・知多方面とのスルー運転がなかったら 名古屋の都心近くに、阪急梅田or南海難波級の大ターミナル駅が二つ要りますね(笑)。 尤も地下鉄鶴舞線のような事例は、たとえ旧名鉄(名岐)と愛電が別会社であっても 東京メトロや都交通局がやってるように“三社直通”で無問題でしょうが。 > 名古屋に私鉄が、近鉄含め四社という世界観は魅力的。果たしてパノラマは自然発生するか?w それより、近鉄が今の枠組み(大軌・参急が伊勢電を取り込み名阪間を結ぶ)に ならなかったら?という可能性を私は妄想したくなってしまいます。 伊勢電を大軌系でなく、旧名鉄(名岐)もしくは愛電が取り込む可能性を。 旧伊勢電区間が史実通りの“近鉄名古屋線”ではなく“名鉄伊勢線”だったら? まっ(笑)もしそうなると名古屋近辺云々よりも、津〜松阪〜宇治山田の辺りが スゴいことになってそうですが。 旧名岐プラス伊勢電鉄というのはとてつもなく魅力的ですよね。 竹鼻線から養老線の接続もおちょぼ稲荷経由で実現一歩手前であったとも言いますし、濃尾平野各地から伊勢神宮へ直通しうる。 で、サングウキュウコウが上手く行かないとなると、京阪系名古屋急行に融資してくださる銀行も出てくるわけですよ。 もうカオスですが、名古屋急行は金山へ乗り入れて愛電と親和性が高い計画だとも言われます。 ボタンのかけ違いで、現実と全く異なる勢力地図に。 日本の鉄道模型はまた周回遅れ カトーがOO9の蒸気機関車を突然リリースした原因は、中華製国際資本バックマンがOO9で攻勢をかけていたから、なんですね。 半世紀もの時代遅れな製品しか無いPECOには対抗しうる術が一つしかなかった。カトーにOEM供給を乞うたわけだ。カトーも勝算ありと見た。 それぐらいバックマンの製品群は充実してるぞ。 で、バックマンのラインナップを見ていたら凄いものを発見。 ループ式の引っ掛けカプラーに磁石を仕込んで遠方でのハンドフリーのアンカプリングを可能にしている。 しかもNEMポケット採用の単体パーツがあって、つまりNゲージの一部製品にもソケットで装着可能。 ナックルカプラーと信頼性の高さは比較できる材料が無い。でも左右動のナックルより上下動のループタイプの方が合理的に見える。 知らない間に大きな動きがあった、のかもしれない。 琴電長尾線の最終目的地が面白過ぎる。本気であったのだろうか? 年代を調べると国鉄高徳線の建設開業が遅すぎる。高松電気鉄道による高徳間の開業は可能であったのではないか。 ケース1 あるいは白鳥本町まで開業してしまい、首尾よく吉野川河口を済ませた阿波電気鉄道とのミッシングリンクの開通に挑む。 接続し高徳電気鉄道となる。同区間の国鉄線の計画は棚上げ。 しかし、戦時買収は免れないでしょう。高徳型買収国電に与えられる形式は何だろう。電気機関車もあるのでしょうね。 ケース2 阿波電気鉄道が育たない場合。 白鳥本町まで開業後に、国に買収される。国鉄の手により残り区間の建設が行われる。 現実の高徳線との交差部分から高松駅側は、国鉄の手により建設される。 志度線の戦中の営業休止区間は存在しない。 高徳線の旧高松電気鉄道区間の車両限界は広げられ、戦後まもなくから17m級旧型国電が入る。 徳島電化も比較的早く、電車の無い県という汚名?はない。 史実ではおそらく高徳線が具体化したことから長尾以遠への意欲が失われたのでしょう。 しかし、予算がつかず、そして国は私鉄建設を促し開業後に必要あれば国有化するつもりであったなら? 高松と徳島の間の流動は、どれぐらいあったのだろう? 四国面白い。改めて調べると面白い地方ですね。この先のJR線は大変ですけど。 人口や経済規模と比べての私鉄の元気さが良い。 Delay and Block と言うyou tubeのチャンネルが面白い。 数日前は元SPのSD9に現役機がいると言う動画で、よくもまあこんなに汚い機関車をそのまま使うものだと恐れ入る掟破りの汚さ。 SPは機関車が汚いことで有名でファンの間でお株を下げていたのだけれども、その元SPである事がわかる程に塗り替えてない・・・。 SP時代のナンバーすら隠せていないパッチワーク修繕。 地上作業員の定位置だけは整備されているし、黄色の反射帯は法令によりやむを得ず?つけたものだろう。 このチャンネル、翌日に取材した鉄道の貨車の脱線を目撃して現場よりレポしている。 面白い団体だ。 海外の鉄道模型ショーの映像ばかり見てる。 ホーンビィがTTを初めていますね。やはりというかマラードが看板商品。 手にした感じは想像するしかないけれども、ちょっと興味はある。 OOの様なトイライクな遺産はなく、Nゲージほど省略されてはいない感じはする。 ホーンビィのTTスケール展開はPECOと連動しているようだ。 PECOは現時点で貴重な独立資本大手で、生き残りに懸命ですね。 ホーンビィの台所事情を調べたら、旧東ドイツなどを地盤にTTで商いを続けているようだ。懐かしきDRの新製品があるとは思わなかった。 だから今回のイギリスへの展開も、製造ラインというか設計手法は全く同じだろう。 TT120という名前を付けている。これが実は凄いことになると思う。 イギリス型鉄道模型で、量産品で初めてゲージとスケールが一致するんじゃないでしょうか??という話。 ホーンビィのHPではその件に一言も触れてないけど、大昔からある英国型TTゲージはゲージとスケールが一致しなかった。 (英国流に3mmスケールと呼ぶらしい。存在感はない。) イギリスの媒体も特に触れてないようだし、ホーンビィの宣伝動画でもそれっぽい下りは無さそうだ。 EMゲージだと思うが、ごく一部の人以外には一致など特に重要なことではないという事か。 凝り性に寄り添う姿勢を見せたら、一般大衆を遠ざけてしまうのかもしれない。(どこの国とは言わないがw) 大手国際資本による新スケール展開は常に「ちゃぶ台返し」を目的とする。 OOゲージもNゲージも自社他社交えて長い間に製品が出過ぎており、どんな売れ筋製品にも有名な先代があるという熟した市場。 先代製品との差別化が難しくて売れるものが作れない。 しかし、新スケールならば、流行言葉でいう処の「ブルーオーシャン」になる。 ホーンビイは新規展開リスクをカバーするためもあろうが、イギリス型をするに避けて通れないメジャーな売れ線を初動でぶつけてきている。 ブルーオーシャンにはリスクもありますが、売れ線を押さえて市場を長く支配し続けることができます。 熟しきったOOに新規参入を図るヘルヤンが、ロンドン地下鉄という超マイナーで未開拓なニッチ路線を選んだのと、鮮やかな対比を見せます。 なんで気にしてるかというと、「日本市場」の問題を考えてしまうわけ・・・・。 日本は世界でも大きな鉄道模型の市場だけれども、熟したスケールとゲージが寡占状態にあり、いわゆる「レッドオーシャン」状態にあります。 つまり、ブルーオーシャンを開くだけの資本力のある存在が海の外からやってくる可能性は、実はあるのです。 突然大攻勢をかけてきた中華製HOスケール12mmが売れ線を日本企業より先に抑えてしまうという可能性も、あるのではないでしょうか。 ストレートにバックマンブランドで、「夢見てきたプラ製HO日本型」が店頭に並ぶ可能性です。 そうなると面白いと思います。ブラスモデルのイモンや、所詮ミニカーのディアゴとは訳が違います。 ホーンビィTTの見本を見る限り、中華製だからなどと言って侮っていると負けると思います。(何に?w) 問題は為替ですよねえ。 >突然大攻勢をかけてきた中華製HOスケール12mmが売れ線を日本企業より先に抑えてしまうという可能性も、あるのではないでしょうか。 >ストレートにバックマンブランドで、「夢見てきたプラ製HO日本型」が店頭に並ぶ可能性です。 是非やってもらいたいですが、日本市場は規模が欧米よりも小さく、バックマンは天賞堂の下請けなので客の機嫌を損ねるような真似は迂闊にはできないでしょう。 とはいえ、500系新幹線は欧米ではバックマンブランドで販売されているようですし、 業績不振や後継者難の日本企業を傘下に収めて事実上子会社化することで日本企業に成りすまして参入する可能性はあるかも。 試算すると、1形式毎に金型が1千万円かかるとして、蒸機は下回りの部品をある程度流用できるので主要な形式を揃えようとすれば仮に20形式で1憶5000万? 電機も主要な形式で旧型電機の場合には台車や動力を共通化しても20形式で1憶5000万?ディーゼル機関車はDD13、DD51、DE10、DF50、DF200の5形式で5000万はかかるでしょう。 蛇足ながら、エッチングとロストワックスのブラスモデルであれば金型が不要なので1形式毎の初期投資は100万円以下に抑えられます。人件費の安い国で組めば1輌3万円以下も可能でしょう。 できてないことはできない合理的な理由があることはごもっとも、なんだけどね。 欧米全体ではなくイギリス市場との比較。人口比から見てイギリス市場が日本よりも大きいとは思わない。それに2本以上に成熟し切った市場に見える。 天賞堂とバックマンの資本を比べるとバックマンの圧勝。比喩するならばカトーとホビートレインの関係に近い。 カトーはドイツ型などホビートレインが現地窓口である間は利用するが、いつでも関係を切れる。 バックマンはいつでも天賞堂との関係を切れる立場にある。いわゆる日本国内の下請け構造ではない。 ホンビィTT120の展開を見ると初動で大型蒸気二形式、ディーゼル一形式しか出してない。 20も出すのに5年以上かかるのではないか。その間の投資が一億五千万なら正直言って安過ぎる。その十倍でもイケるんじゃないでしょうか。 ブラスモデルは一部の人にしか広がらない。 ちゃぶ台返しのターゲットはNゲージであり、生産量が多くなければ成り立たない。 トミックスもカトーも5年で十億ぐらい使ってると思うんだけどね。 まぁ、現に出来てないことが大切だね。 しかしホーンビィTT 120も今年本格スタートだ。そういう実例があるから考えたのですよ。 >トミックスもカトーも5年で十億ぐらい使ってると思うんだけどね。 売上高の推移を見ると金型を内製する企業において年間2憶の投資というのはあながちあり得ない数字ではなさそうですね。 K社売り上げ 30億5,100万円 (2006年5月期) 40.8億円 (2011年) 55.5億円(2020年) www.tokyo-cci.or.jp/sansei/chizai100/sekisuikinzoku.pdf www.itmedia.co.jp/business/articles/2102/05/news040_2.html 現にないってことは何か見落としがあるんだろうし、有無で議論しても始まらない。 ただ、黒船来航(元寇かもw)の可能性はゼロにはならないし、外国が日本を見落としているわけでもないという事です。 既存市場に入るのならば既存規格を選ぶのは当然です。日本企業が海外に製造委託する例はあり過ぎるほどある。 でも、既存市場の制圧は無理です。同業者が多過ぎ、歴史が長過ぎで新参者にチャンスはない。 大きな資本は既存市場を破壊する覚悟で、新しい規格で来る筈です。 そういう意味では日本の現状はスキが丸見えだとは言えるかと思います。別に油断してるわけではないでしょうけど。 元はと言えば、蒸気機関車はイギリスに限るよねえと動画を漁っていたことからどうしてこうなった。 B6型は見る角度を選ばず美しい。 英本土で探せば、パニエタンクと呼ばれる一党が特に好きです。日本で採用例が無いのですけど。 Pannier tankってカタカナ表記だとパニアタンクが一般的では? ネイティブの発音だとパニエにも聞こえる 確かに、鉄道ファン紙かと思いますがバーニアタンクとあった様な? 動画ですとパニエって聞こえました。ワンパニエとか。 以前から好きなのですけど、模型はすぐに粗探ししてしまうので怖くて一両も持ってません。 アスターがライブスチームを出した時は転びそうになりました。転んでおけば良かった。 >動画ですとパニエって聞こえました。ワンパニエとか。 アスターの説明書にもパニエと書かれていました。 >転んでおけば良かった。 以前、中古で10万円くらいで売られていたのを見ました。 ヤフオクに出品される時もあるようです。 10万は商品としては安いですね。私には高いw アスターはビッグスケールですが設計センスが良いのか、一番破綻が少ないように見えます。 様々な色を纏い、かなりの数が輸出されたみたいですね。今もイギリス国内で検索すると店頭在庫が見つかりますが、なかなかいいお値段で・・・。 あの機関車は繊細で固着して動かなくなる場合があるようです。 www.mylargescale.com/threads/aster-pannier-lockup.92776/ 蒸気機関車は原理的に低速からの引出しに強い。蒸気の膨張に関わるからだとされる。 とはいうものの、小型のライブスチームの走り出しの弱さは定評?ありますよね。 実物とは異なる重量や走行抵抗と出力のバランスの悪さかと思いますが、低速の弱さは明らか。 小型ライブスチームの動画は大抵、物凄い勢いでぶっ飛んでゆきます。 眺めていると、走り始めを手で補助していることも多い。 大きさの多少の違いでは、走行抵抗の元となる軸受けなどの数に大差がないからじゃないでしょうか。 ヨーロッパの安いマシンオイルには、経年変化で琥珀のような硬い塊となるものがあります。 以前、中古品を輸入したら足回りが化石のように固められていて大変な目に遭いました。 透明な琥珀のようになった油分を針先で刺して割って、歯車の歯の一枚分だけ廻して次の琥珀を取り除く。 動輪が一回転するまでこの作業を続けました。前オーナーは動きが渋くなるたびに物凄い量を注油していたみたいです。 だからたっっぷり注油して放置すると、大変なことになることもあるかと思います。 HOサイズでは過剰な注油品を見ること自体が稀ですけどね。 >蒸気機関車は原理的に低速からの引出しに強い。蒸気の膨張に関わるからだとされる。 >とはいうものの、小型のライブスチームの走り出しの弱さは定評?ありますよね。 >実物とは異なる重量や走行抵抗と出力のバランスの悪さかと思いますが、低速の弱さは明らか。 >小型ライブスチームの動画は大抵、物凄い勢いでぶっ飛んでゆきます。 起動時の抵抗が大きいのは二乗三乗の法則により仮に大きさが1/10になればシリンダーの容積は1/1000、車輛の重量は1/1000、接触面積に比例する摩擦は1/100で エンジン出力はシリンダーの容積に比例するので1/1000なのに摩擦は1/100で相対的に摩擦による損失が増えます。また、シリンダーの単位容積毎の表面積が10倍になるので放熱による凝結も増えます。 したがって、起動時にシリンダーが温まるまで出力が低い状態が続きます。また、一般的に動摩擦の方が静摩擦よりも小さいので動き出すと摩擦抵抗が減ります。 >眺めていると、走り始めを手で補助していることも多い。 車種によっては弁装置の簡略化のためにスリップエキセントリックやスリップリターンクランクを採用している車種もあります。 これらの車種は逆転器を備えておらず、停止した状態での弁のポジションによっては自己起動ができず、押した方向に進みます。 昨日上げられた凄い動画がある。列車通過を線路内に放置したカメラで撮るアイデアは古典的だが機材と着想が凄い。 カメラ部が小さいと思うのだが視点の高さがレール面と同じか、やや高い。 踏切の踏み板とレールの間の隙間のような距離感でレールに寄せている。 鉄のレールと車輪は変形しないため常に点で接している、知識では知ってはいるが実際には見たことがないその点が見える! 列車通過時に映像はスローとなり、鉄の車輪が点のシルエットを見せて次々に通り過ぎてゆく。 後半でレールが沈み込むような、いわゆる弱い線路で撮るところなど巧みであるし、さらに焦点浅く車輪に接近してゆく。 YouTubeにしては長編だが最後までとても楽しめた。 きょうは、ユーチューブのどうがをみました。 おもしろかったです。 戦前ドイツの電車や客車貨車は緑色が多い。 ところが模型は製品により濃淡様々な緑色があって面白い。 規格好きなドイツだけれども緑色の多様さは不思議だ。同じ形式でも模型メーカーが違うと、色調にかなり差が出る。 全体の傾向としては、大柄な客車に黒ずんだ、灰色のような緑色が多い。 小さな車両にはライトグリーンと呼んで差し支えないような明るめの緑色が目立つ。(もちろん真逆もありますよ) これは、実物のトーンがバラバラで、製品化する模型メーカーのアレンジの手が入っているんでしょうか? 我が国の気動車の青色のように褪色し易いのか、あるいは塗り替えの間隔が長いので昔の緑色がいつまでも残っていた? 常にドイツとは犬猿の仲であることで有名なイギリスがまた、濃淡様々な緑色が大好きなんですよね。 蒸気機関車も緑色は多いし、戦後のディーゼル機関車など妻板の警戒色以外は深緑が定番。 (同じ姿形で地の色が青色の車両があるけど、何だろう?) でも模型製品の緑色のバラツキは異なる鉄道会社や時代でも、ドイツほどでもない。不思議不思議。英国性塗料は昔から品質に優れており・・・まさかね。 どういう事が理解できないけど、模型にすると英独でほぼ同じ色調に見える緑色の製品がある。 平和な時期に同じ塗料メーカーから購入したか、色見本帳に互換性があったか。ドイツ人が英国製塗料を用いたか。 塗り替えの間隔の長さで先日面白かった動画が、最近撮影のアメリカの貨物列車にロックアイランド鉄道塗装が混じっていたもの。 よくある形式番号付近だけ小さな長方形で塗り替えて、あとの大半は錆びようが構わずラクガキまみれで放置という奴でしょう。 それにしても限度があろう。何十年前の廃業会社だ?ということで撮影者も大騒ぎでテロップまでいれていました。気持ちは判る。 アメリカ人の美醜の感覚が判らん。 日本は高温多湿であり保存車両も朽ちやすく、一般に現役車両のメンテナンスも熱心かつ丁寧で、つねに綺麗に見えます。 色の識別にはカラーピッカーが便利 Datacolor ColorReader カラーマッチングツール CR100 manuals.plus/ja/datacolor/cr100-colorreader-color-matching-tool-manual Nix Mini 2 カラーセンサー測色計 note.com/zaganearwisroly/n/n1395de200aab kanimcilegon.kemenkumham.go.id/web/63478etistytosty142889 Palette Pico(パレット ピコ) www.swtoo.com/pico/ >>444 何が言いたいのか分からんので、短くまとめてくれる? 短くまとめると結局>>443 ということ? ここは過疎スレを乗っ取った小学生(なみの知能の大人)が日記を書く所だからw 小型電気機関車の電動機の強制空冷って何が採用理由なのかな。 ED22凸型はコピー機まで含めて例外なくブロワーがついている模様だ。その実質的なコピー機である名鉄デキ300型もブロワー付き。 しかし英国製遠鉄ED28型は立派な台車を履いているのに強制空冷ではない。 三岐鉄道の電気機関車にもブロワーがない。と言うことは東武の電気機関車にもついていないのか。秩父はどうなんだろう。 電車用台車を履いていると、強制空冷の証である電動機と車体を繋ぐジャバラが取り付けられないのだろうか? 東芝戦時型は両方あるけれども、強制空冷は省略されているのだろうか? 国鉄電気機関車のブロワーの音は大したものだが、私鉄機では珍しい音なのかも知れない。 ED22型のコピー機である名鉄デキ370型にはついている筈なのだが、聞いた覚えがない。そもそも稼働しているのを見たことがないが。 >>448 自動車(オートバイ)のエンジンは空冷と水冷があるけど、 決まりなんかないけど? オートバイはね。 電気機関車の決まりを考えているんですよ。決まりというか自然放熱の限界はどの辺りであったのか、ですけど。 大正時代に輸入された英国製電機は故障が頻発したそうだけど 送風機を備えた車種もあったみたい。 ktymtskz.my.coocan.jp/yuge/hidaka6.htm 私鉄の譲渡後、軸重軽減のために送風機を撤去とある 西武では線路に合せて軸重を軽くするため、主電動機を冷す送風機を撤去し空気圧縮機を小形のものにするなどの改造を行なったので出力はかなり減ったが、 外形は運転室に窓を増設した位で殆ど変っていないのは嬉しい。 ktymtskz.my.coocan.jp/yuge/hidaka3.htm ありがとうございます。 無くても何とかなりそうな部品ですので、改造で失われることもあったんですね。 私は単純に長距離で連続した負荷が加わるときに、モーターの焼損を防ぐための装備だろうなと考えています。 ですから私鉄転属にともない外されることは納得できます。 アメリカのインターアーバン用電気機関車の組立図を見ると大抵ついているようで、ED22型もメーカー標準仕様だったのでしょう。 三岐鉄道のED22型は以前床下の写真を撮りまくっているんで、移設時の復元かと思いますが送風ダクトがついているのが判ります。 日本車両によるコピー機にはあるのか、蒲原の電気機関車が気になります。 スキー場に移設したときに台車だけ撮った画像はネットで見つかったのですが、データが荒くて拡大しても全く判らない。 東濃鉄道では機関車も電車も同じ台車だけどモーターの型番が違う。 東芝は、「判らないことがあればGEに聞け」みたいな部分が結構あるので略していない可能性はあると思う。 調べるには松尾鉱業の準同型機を見るのが良いのだろうが・・・・遠い。 台車の車体の間にカメラを突っ込むような撮り方をしないと判らない部分なのでネットでは判断できない。 性能表には出てこない部分ですので、気になります。 >>452 空冷エンジンの自動車も飛行機もあるよ。 >>452 > 自然放熱の限界はどの辺りであったのか、ですけど。 運用にもよるし車内に熱がこもらないよう作業状態の改善の意味もあるし、 機械部品の寿命を延ばす意味もあるし、メンテナンス性を考える部分もある。 >>455 知ってますよ、というか前提ですよ。456も基礎知識に近いかな。 問題は有無ではなくて、外観では同じ形態に見えるのになぜ?という部分です。 太平洋戦争中の戦闘機で型式も外観も全く同じに見えるのに液冷と空冷があったら、中身はどうなってるのと思うでしょ。 幹線用の電気機関車に必要な装備であることも判りますw どうも、私が判らず興味があることを把握できないヒトが苛立ってコメントをつけていてくれるような? 何百字も重ねて余計な可能性を潰せば読まないだろうし第一書きたくない。塩対応ごめんね。 >>460 同情します。 面倒くさいでしょうから、あなたは最初から、 一字も書かなくていいよ。 わざわざ読む方が面倒くさいんだよねw 書く方は好きな時に書き散らして反応ゼロでも一向に構わない。 それを待って読んで返事書く奴の1割ぐらいしかエネルギー使わないんじゃないか。 反応ご苦労様です。 >>460 >どうも、私が判らず興味があることを把握できないヒトが苛立ってコメントをつけていてくれるような? >何百字も重ねて余計な可能性を潰せば読まないだろうし第一書きたくない。塩対応ごめんね。 素朴な疑問でも調べてみたら奥が深い理由があったりするので興味深いです。 知的好奇心を刺激されます。 >>462 大丈夫、全部読まなくてもレス付けられる程度の内容だからw >反応ご苦労様です。 嬉ション乙 工業製品はどんな分野でも、性能を極めると似てくるものだろうか。 たとえば航空機は発明されたときが最もバラツキが大きく、さまざまな試みが花開いてから時間経過とともにどんどん似てくる。 第一次大戦や戦間期は「間違い」「駄作機」が量産されて、最も楽しかった時代だ。 冷戦期になると、用途が同じなら形状は似てくるものだと旧東側が言い訳をしていたが。 遠鉄ED28型が面白い。何にも似ていない。役に立つので駄作とまではいわれないが追従する存在はない。 滅茶苦茶な形に思えるがメーカーの同時代の他の海外事例と並べてみると、違和感は若干薄まる。 まだ手探りで電気機関車も正解がいくつもある時代。ED28型に将来性を夢見た設計者もいたのだろう。 決して奇をてらっていたのではなく真面目に考えた正解のつもりであった筈だ。 優劣と正解が定まった後世から見ると、なんでこうなった?という扱いになるのが面白い。 試行錯誤の時代にたまたま、未来の正解を掴んでしまうことがある。それは当前の事として扱ってはいけない。 日立ED15型は先輪がない。ED16型に先輪がついたときに日立は悔しがったというが本当だろうか。 EF級の三軸台車ならば先輪が必要になるのだが、ED級ならば要らない筈というのが日立(と英国)の見極めだった。 鉄道省は慎重な姿勢で事に当たったため、国産第一世代電気機関車はいずれも保守的で拡張余地の大きな造りになった。 EF級は戦後EF58型まで基本的な構成を変えずに出力増強できたし、ED16型は後継こそないが様々な試験に使われた。 もし国産第一世代がED15型類似であったなら、どうなった事だろう。結果的に鉄道省は良い判断をしたと思う。 設計されたその時点の正しさと後世の評価は違う。後世からは正統と見做されない機械が私は好きだ。 造っているときは正しさを疑わないが、いざ余所と競争させてみるとダメじゃんこれ、という機械。 だから遠鉄ED28型の強烈な外観は面白い。決して正解ではなさそうなんだけど、こうして今も形がある所が良い。 近江ED31型だって、全面的に正しいと思って作っていたんでしょうねえ。間違いを作る奴はいない。 なんで模型板に書くんだろう。 実物の板で書くほどには詳しくないからかな? 模型作ってからこっちに帰ってきてね。 >>465 read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる