瀬戸線の歴史の前半分、瀬戸電気鉄道の経営内容は判らないですね。
当線に限らず被合併企業の歴史は語られ難い部分があります。社史は、しばしば、自らに都合の悪い事実を書き残しません。
それは会社にとっても編纂の意味を揺るがしかねない問題ですので、社史編纂の外部委託が進んでいるわけです。
一昔前は、社史編纂室といえば窓際の象徴のようなポストでしたけど、派閥と縁を絶ったような立ち位置でなければ歴史の記述は不可能でもあります。恨まれても左遷のしようがない。
名鉄の社史も例外ではなく、最新のものほど「よく書けているなぁ」と思ってしまいます・・・・w
時代を経れば当事者への聞き取り調査も困難になるわけで、時間との戦いです。

話は変わりますがモンスター経営者のいる会社の歴史は難しいですね。
まず社史の類がまともではない。代表例が西武鉄道。西武が本当の意味での普通の会社になる目安は、社史を刊行できるかどうかに懸かっていると思います。
外部のライターから散々貶められた内容を会社自ら筆を曲げすに記録として残せるか。
越後交通も同じ。田中真紀子が大株主である間は「お父ちゃんの悪口」など不可能でしょう。
こうしている間にも、たとえば電化工事の当事者などはどんどん鬼籍入りしてしまいます。
裏返せば、社史を多数読むことで、外部から判る事象との差異があれば、そこに組織や経営の歪みを見出すことは可能になってきます。
不都合な経営者の存在ごと素っ飛ばすような社史が、他社の事例ですがあるようですよ。
朝日新聞社は、他社による戦前の大見出しの刊行を妨げました。軍国主義を煽った当事者そのものであった歴史が暴かれることを嫌ったためです。
新聞社は同族経営やワンマン経営が多くて、社史は面白い読み物になりがちだそうですよ。
メガバンクも社史編纂できるのでしょうか。旧行の対立が噂される「みずほ銀行」の歪みをどう客観視して残せるのか。

戦史編纂も筆の曲げ具合がいかようにも調整出来て、歴史家の注目の的です。
日露戦争の戦史は誰も責任を問われることがない総花的なものであり資料として信用に値せずと、司馬遼太郎から嘆かれておりました。
その司馬も自ら関わったノモンハン戦役の研究ではソ連側資料の欠落により判断を誤っております。
太平洋戦争の戦史を防衛省が編纂しておりますが、負けた戦争だけあって客観視には努めているようで研究者からも一定の評価を得ているようです。
しかしこれも、アメリカ側の戦果報告書との甚だしい食い違いがしばしば見られるようで記述の難しさを感じさせます。
アメリカは無批判に前線の報告を受け入れて真偽の検証を怠る傾向が強くあり、問題を引き起こしてもいます。南北戦争の戦史編纂でまだ南北間で揉めてるという噂も。
外国の戦史はどうなんでしょうね。
歴史認識の基礎資料となる自国の戦争の客観視を許さない政治情勢の国は、危ういです。

話が大きくそれました。
瀬戸電に戻りますが、今なぜ全く別の話にそらせざるを得ないかというと居場所の問題で名鉄社史を参照できないストレスがあるからであって・・・・・・w
ただ名鉄社史ですが昭和33年版よりも百年記念事業版のほうが踏み込んだ内容になり、これが部外者の編纂関与による影響かどうかは判断しかねますが名鉄社内に何らかの原資料があることを示します。
資料検証の立場から見れば昭和33年版の編集で丸ごと省かれた部分がもしあれば、「行間を読む価値」が出て来ます。