矢板線問題
米軍撮影の戦後間もなくの航空写真で新高徳駅付近を見ると驚くよ。
三角線の路盤がほぼ出来上がっている。出来立てなので白く目立つ。
たぶん、東北本線鬼怒川橋梁が爆撃されることを懸念したのでしょう。未成に終わったためかほとんど取り上げられないので、知名度が低い。
現在の土地区画からも痕跡に乏しく、おそらく敗戦後速やかに復元されたのだろう。

矢板線は、最後の区間をなぜ建設したのだろうか。
東武日光線建設の件は公示などで当然知っていただろうし、下今市駅付近で東武線と平面交差するという交渉さえ始まっていたかもしれない。
時間的に微妙に前後して、もう矢板線全線開業も近いというときになって東武鉄道から平面交差を申し込まれたのかもしれない。遅いよ。

温泉街となった鬼怒川からは想像し難いが、下野電気鉄道の建設目的は鉱山にある。
結果論的に言えば足尾のように鉱脈にたどり着けなかったらしいが、付近は成功した鉱山も多い。
矢板までの建設に踏み切った理由は、今市から高徳までの間に面倒くさい川が三つもあったから以外にないだろう。河原を見ればいずれも相当な暴れ川であることが判る。

下野電気鉄道は、根拠はないが沿線鉱山の成功を信じて疑わなかったのではないか?すべて上手くいかなかった結果を知る私たちが断罪することは不可能だ。
少量の貨物輸送なら日光線に接続した軽便鉄道で充分であったはずだ。しかし実際に営業して軽便鉄道の限界を知ったことだろう。
1067mm鉄道への輸送力強化を目論見、しかし、三つの川に架けた橋梁が障害となった。
軽便鉄道の橋梁が耐えられるはずがない。しかし架け替え費用は高額なものになった。
そこで、橋を架ける必要がない矢板までの建設を検討したら、そのほうが安上がりだった。
(橋梁の工事費用はとてつもなく高価なものだそうです。)