もしも、平安時代に鉄道模型があったら
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もしも、平安時代に鉄道模型が存在していたら、どうなっていたかを、想像してみるスレです。
みなさん、どんどん書き込んでください。 紫式部とか清少納言(←時代合ってたっけ)が歌にする? どうじゃ麿の弐百壱系体質改善車は?
侘寂の味わい深き物でおじゃろ、それに引き換え
関東管令の持参したヨ弐参壱あれはなんじゃ?
貧相な鈍色に南瓜色と胡瓜色の帯締めとは
東者に鉄道模型は無理でおじゃるなぁオホホッ
こんな会話もあるのだろーか?(W
>>7
くろがねの二条(スジ)留め置きたるを、ちひさき車の動くさまいとをかし。
秋の葉の商人たいそう携えたる品も、をたの民挙って求むるに、枯れ葉の落ちる間に、儚く消えゆ。
谷保の市の栄えるさま、孫氏のかしらの如く輝くものなり。
>>11
加斗の匠や富の匠の作る物は良いのだが明国よりきたる蟻の匠のはなあ 嘉藤城邦の出来の声、蟻塚必衰の理を表す。
「蕨家にあらずんばヒット商品にあらず。」
「おごれる蕨家はひさしがあらず。ひとへに春の世の夢の如し。」 蟻の京阪8000に描かれている絵は、現代…いや未来絵巻になるのか? バスコレ:牛車コレクション
建物コレ:町の長屋とか。シクレは鳳凰堂
人コレ@:十二単の平安美人と付き人
A:光源氏と女君 富士見の平等院や法隆寺がバカ売れの悪寒
>>22
ペリーが持って来たり佐賀藩が作ったりしてるな 日本では実車より模型の方が歴史あるといふことやな。 この時代は、風呂に入ってはいけない日とか、髪を洗ってはいけない日とかあったらしいから、
鉄道模型を走らせてはいけない日とかも、ありそうです。 >>27
その日は陰陽師 安倍晴明のみが許されるといふことじゃ さふいへば、奥州の江刺にありける藤原の里にて走行会をいたせば、今様平安鉄道模型絵巻のごとくなりまするな >>24
爺江無の東寺、比叡山延暦寺根本中堂、紫宸殿も出しそう。 富井鉄区の匠 発売予定速報高札
鉄道むすめ @:小野小町
A:瀬戸朝日
B:鴨川燕
七十一の司 広告限定発売
平安京の夕日 @:鈴木馬寮
A:青毛馬
B:茶川菓子司
C:牛車萌葱塗装
D:牛車茜塗装
E:駄馬小屋
F:清水寺
シークレット:???? JR蝦夷、JR藤原、JR源氏、JR朝廷、JR平家、JR太宰府
そういえば、関西鐵道の鐵馬には平家物語の馬の名前をつけていたらすい。 平安時代に鉄道模型があるなら、鎌倉時代や戦国時代にも鉄道模型があるんだなw >>37
戦国時代頃、茶道ならぬ鉄道が大成されたんだろうが。
お前は歴史の時間に何を勉強してきたんだ >>39
応仁の乱の遠因も山名氏と細川氏が平安の世から伝わるHOか新興の12mmか揉めたのが元だという説もあるな >>40
いや、足利義政が銀閣で16番をマターリと楽しみたかったのに、日野富子が
高利貸しで儲けた金で旦那に12mmを買ってしまったのがそもそもの始ま
り。これで義政は完全にプッツンしてしまって将軍職を放り投げてしまった。
鉄子ならぬ富子からすれば1/80と1/87の違いなぞわからん。せっかくの
好意を無にされた富子は銀閣の鉄糢を全て捨ててしまったそうだ。 >>43
なるほど
義政は平安貴族の真似して箱庭鉄道作りに熱中してたから今更12mmに変えたく無かったんだろうな Nゲージが最初に登場したのはいつ頃だっけ?
ポルトガルの宣教師が持ってきたんだっけ?
誰か教えてくれ >>45
平安時代末期に奥州藤原氏が京の16番に負けない庭園鉄道をということで毛通寺に作ったとされる >>47
平安時代の場合むしろ女のほうが屋敷の前に車両を並べて御多を誘っていたんだぞ >>43
異説として、日野富子が、旦那義政の鉄道模型を楽市楽座に売り飛ばしてから、様子がおかしくなったという研究もあるようだな。 菅原道真が太宰府に左遷されたのは、随に工房を持っていた「蟻製作処」の
遣隋使を廃止した道真に対する嫌がらせだったそうです
屋敷に終端無線路を敷きて走らせぬと思ひぬるも 方いと悪しといふことなれば 二間先まで敷きたることいと苦苦し 鎖国中の佐賀藩で蒸気動力の機関車雛型が作られました。 >>54
色黒きなり。
白河法皇が熊野参りを始めた理由が、熊野大社にある貸しレイアウトでの運転会だったと言われている。 俗に"熊野の蟻詣で"ともいわれますな。やはりNゲージャだったのでせうか。 義経って、
(1) 蒙古に渡って成吉思汗になった。
(2) 蝦夷地に渡って機関車になった。
の二説あるけど、どっちが本当? 教えて君でスマソ。 何だか妙に納得してしまう・・・千利休の死も中古模型の売買トラブルだろうか。 >>7
> 紫式部とか清少納言(←時代合ってたっけ)が歌にする?
清少納言は、榊原温泉に行くときに乗るんで近鉄特急のファンらしい。
案外、爺のコレクターだったりして。 >>58
いや、真相はこう。
秀吉はブラスキットを素組して、ピカピカに磨いてからプライマーだけ
吹いて完成直後、塗装前のあのなんともいえない充実感にひたって一人
悦に入っていたそうだ。
家康に自慢してやろうと床の間に一晩置いておいたら、利休が勝手に
真っ黒に塗ってウェザリングまでしちゃったそうだ。その道の人から
見れば利休のウェザリングはわびさびの究極の姿なんだが、万事派手
好きの秀吉からすれば単に汚くしてる様にしか見えない。激怒した
秀吉は利休に切腹を命じたそうだ。 >>11
おや、関白殿の弐百壱系が止まっとりますな。
からくりが軌条に引っかかって動けなくなっている様は、
まるでひっくり返った亀の如く。いやいや流石は明国産、実に風流ですなぁ。
それに比べて某の持参したるヨ弐参壱系。
華美な装いこそ皆無なれど、此れまで何の支障もなく走っておる。
此れは武蔵国・鶴ヶ島の加斗の匠がつくりし逸品。
その様は某の腰に提げたるものの様、質実剛健を尊ぶ東国武士の心意気の表れ。
尤も関白殿の『風流』を解するのはなかなか難儀のものですからなぁ。
束厨と酉厨の対立はこれが発端だったという
>>60
黒古代流の本流は瑞西の急峻な山岳鉄道信仰。
英知王なら代表的な莉理婦人なり露湖なり、絵夢なら
美毛もよし。絵濡なら小鳥を探してみるもをかし。
代名物がなんとなく色っぽくなってしもうた。 御所の鬼門に紙成之待元が有。裏鬼門に商社京都模型。
かつての栄華はどこに orz 戦国時代の武家の目標「上洛」とは、梅小路を目指すことだったはず。 でも、信玄や謙信は埼玉県の狭山湖のあたりでウロウロしてましたよ。
30年ぐらい前だったかな。 ちと遅いが、大化の改新は1/30(国粋派)と1/35(国際派)のどちらを皇室が採用するかで藤原氏と蘇我氏が揉めたのが原因だったと聞いているが、他にも原因があったんだ。 >>70
その頃、後北条家は大宮と神田・秋葉原の制圧に成功したという。 江戸堂の荏原亜腐炉守は将軍に、未だどこにもない逸品です、と
数々の模型を献上した。
しかしそれらは蓮塵なる素材を使っていたため次々と変形し
怒り狂った将軍は亜腐炉守を打ち首の刑に処したそうな。
で、献上された蓮塵模型は武士達の試し斬りの的と相成った… てつはうで名だたる丸井武蔵守、乙線路の詔を出したるも未だ姿も見えず
乙線路の先達もあらまほしき事なり そういえば庶民の間で一時流行った
万代屋の美伊列車短縮はどうなった? すさまじきもの 顎の外れたる電機 奥に引き込みたる台車 長すぎる麓後 暖かき地の荷四景似護潟 扉違えたる鴎 色の黒き小町 発売日に近付きて暦違えたるは いとすさまじきものなり 明國より渡来した蟻有限公司謹製の四伍伍「垢兵衛」
栄華も束の間、下野國面茶野町富社謹製、灰色の草鞋(わらじ)を履く
「上品質垢兵衛」と「上品質黒羽」の大群来襲により落城…
某年師走〜正月の出来事じゃった。
因みに同じく蟻謹製であられる四八伍垢兵衛は、既に各地へ散り難を逃れるも、
赤黒の模様剥がれたりとて修復の術をめぐり、
蟻教信者会合開きて議論交わすもいとをかし。
>>79
儚き命に見えし蟻四伍伍「垢兵衛」 富井下野守「垢兵衛」の遅れたるに良く代役を果たせる 後に富井「垢兵衛」を交えたるに世の人 「イイ赤備え」と評せり >>80
〜907年が唐、907〜960年が五代十國、960年〜宋におじゃりまするな
西鉄が出ぬのは菅原道真が流されたる太宰府に通じる故のことであろうか? >>82
九州の一地方鉄道の分際で「西日本鉄道」などと戯けたことを申すからじゃ
さすがは「日の本最大の乗合牛車会社」と申すべきであろうか
それにつけても西鉄は
蟻弐千系と一哩弐百形しか完成品がないとはの
翁の経済的組立模型の阪神通勤車にでも面を仕込んでおけば
それがしのやうなうつけが挙って品を求めるというに… >>82
道真公の政敵、藤原時平は鉄摸に興じているとき感電事故をおこし39才の若さ
で死亡した。
そのとき走らせていたのが西鉄の電車だった、という噂が都でたち、それなら
道真公の祟りに違いない、と皆信じるようになった。
以来、西鉄の電車を作るにも遊ぶにもおはらいが必須となった。
ところが、一休さんの時代(三代将軍足利義満のころ)、悪徳業者の桔梗屋
がおはらいの済んでない西鉄車両を「おはらい済」と偽装して販売した。
丁度同じころ、この車両を嘗めてお腹をこわす人が続出した。明国製の塗料
が原因で祟りとは関係なかったのだが、一般の鉄摸ヲタはすっかりビビッて
西鉄の車両を買わなくなってしまった。
詳しい事は、機藝院の特集草紙「あな楽し哉、鐵道雛型」所載の「京都
市電北野線縁起絵巻」に書いてあるよ。 保元の乱は、源氏と平家による鉄道模型利権争いと
摂関家の鉄道模型製品化の承認争い、
皇室の鉄道許認可権の争いが原因だったそうな。
平安時代に鉄道模型があっても、実際の鉄道がまだ無いから…
どうかなぁ 加糖五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を享け滅せぬもののあるべきか ほほっ、飛梅とはのぉー。山陽道はちと風流でおじゃるな。
じゃがの、東海道は将門之首級じゃ。
東北・秋田は蝦夷の酋長アテルイ、
長野・北陸は木曽義仲、
九州は磐井国造。
皆、朝廷に仇なす怨霊どもを鎮める為の路線なのじゃ。国家鎮護の鐵道なの
ぢゃ。 ところで動力はどうするよ
コンセントなんかないぞ? >>90
実は全部鉄コレ
線路だけ引いて車両は手押し
いとをかし >>90
陰陽道に通じた者のみが動かせるということぢゃ 牛車を漆塗りで仕上げたいけど、毛筆と空気筆ではどちらが仕上がりいいですかね? >>95
御主の腕前にもよるが、ド素人なら緑最大社の空気入り缶詰をお勧めしよう。 このスレ速落ちだと思ってたけど持つなー
みんな頭良い? 小町の色は灰色にけりないたづらに
いつのまにやらながめせしまに
富井の司「加藤の造、小町殿は地黒ではないぞえ。宮路真緒でもあるまいに。」
加藤の造「C62で手一杯で....ああっヘタこいた〜♪」 菅原道真は唐の模型の造りの悪さを日頃から嘆いておったそうな。
そこで朝廷に意見して、唐の模型を輸入しないようにしたのじゃが、それが有井と結んでいた藤原氏の逆鱗に触れ、
道真公は太宰府に左遷となったのじゃ。 >>103
道真公は知恵者であらしゃります。
それゆえ太宰府にても風洞実験を続けられ、門鉄除煙板というような美しく
効果的な技術の基礎を確立なされたのはご存じのとおりでおじゃるよ。
ただ、惜しむらく平安京の貴族のほとんどは道真公の空力基礎技術や
参気筒位相平衡の提言を表面だけしか理解してあらしゃりませなんだ。
一応の成功例と認識されている鷹取造の試御参試十三ですら....。
道真公の技術の一部は公の没後ひそかに大陸に伝わり、天竺から中近東を
経由して現在の独逸に到達。
後には流線形蒸気やヴィッテデフとなって欧亜大陸の東西で
花開いたのでおじゃる。ほっほっほ。
現代語訳で読む:週刊 平安京桜小路大納言機関区絵巻(一)
「蒸気機関車基礎技術概論」 ------ 民明書房 刊 ----- 各地の百鬼夜行の物共も遂に滅びたる げに風の前の塵と同じ
近頃の百鬼夜行は「おはね」ばかりでつまらぬ
昔はその名にたがはず「おゆ」「まに」「おろね」「すろ」「まし」「すはふ」・・・
さらに昔は「まいろねふ」「まろねろ」「すいて」・・・ >>106
蝦夷の地へ赴く北斗星はそれでも「尾櫓羽根」や「蘇紫」、「尾羽根」も「櫓疎路」「櫓出湯越冬」と多彩ではないか? >>99
いや、さふとも言へぬ
時に、万葉仮名もどきが見受けられるが、意味をなさぬ羅列じゃ。 _/ ゜\_
‖┏━┓‖
‖┃平┃‖
‖┃安┃‖ __∫
‖┃鉄┃‖ l_≪_l〉 >遊びゆへおほらかにな
‖┃模┃‖ _φ(-∀-)
‖┗━┛‖ \\⊂l_)
⊆≡≡≡⊇ ( ̄( ) ) 旦~ロロロロ >>108
>さふとも言へぬ
さうとも言へぬ
例へば、「挿入」の「挿」なら「さふ」だが。 >>90
雷神様の正体は高木豚殿なりと聞ひておじゃるが…。
それもいとおかし。
つか、ここに書き込んでる奴らって、
まさか平安時代に鉄道模型が無かったなんて本気で思っていないよな? >>112
「いざ、あげむ」でいいじゃないか。
そもそも「あげまつらん」って、なんだ?「奉らむ」からの類推で作ったのか? >>115
アヒャヒャ聞こえぬでおじゃるー(∩゚∀゚)
「枕バネの草子」(女流文学者:青列車少納言)
☆☆はスハる。明星。
「二つ星は下段寝台を座席がわりにして飲ま飲まイェイ。明星(金星の意味)は風情がある。」
注釈:まさに581&583系夜行の描写である。
よばひぼしをたになからましかば、まいて。
「夜這い星(一説には開放寝台の意)ではオタがいなきゃいいんだが、
ウザくてしょうがないので食堂車でしばらく楽しむことにする。上級客
しか入れないマイテが接続ならいいのに。」
注釈:ここに解放寝台利用女性客減少の一因がかいまみられる。 論理矛盾もはなはだしいスレだと思ったが、
意外と支持されてるんだな。
おまえら頭いいんだから、2ちゃんやめて働けよ。 桓武の帝が平城京→長岡京→平安京と遷都した理
由として、鉄道模型を広々と走らせられる地を求
めてたといふ噂が…。
帝のお膝元だからである。
敬して遠ざけるのである。 >>122
今上の帝からの製品化許諾がなかなかおりないらしい。
上意にかなう作り込みができるのは富井の司か加藤の造か
はたまた... >>124
宋の国より来りし黄色がかりたるものはなんじゃ? >>125
宋×
嘘○
じょうきをいっしており、けんとうにあたいせぬとぞなむ、
進言たてまつらむ。
(菅原道真公:蟻蒸気中華買いません:遣唐使廃止論) >>126
それを平有井守利行が宋の慘駄漢と貿易をはじめたのでおじゃる 徒然なるままに日暮らし線路に向かひて、模型を鑑みるでおじゃる。 >>129
皆と連れ連れに、日暮氏が線路を並べて模型を走らす
(現代語意訳)
>>132
与謝蕪村って何時の人だか知っているのか? 中宮定子様も鉄であったようですな。
かつて清少納言とのやりとりとして
香炉峰のジオラマを所望なされたとか。 部屋一面線路を広げ悠々と走る鉄道模型、いとをかし。 伝教大師・最澄が遣唐使で唐に留学したのは、日本で鉄の総合大学を開く為だったよな。
彼の地で撮り鉄・乗り鉄・収集鉄・記録鉄・組合鉄等をマスターし、帰国後に比叡山延暦寺
という鉄ヲタ総合大学を開山するが、当人の留学期間が限られていた為、鉄模学部が弱点だった。
一方同じ船で留学した弘法大師・空海は恵果和尚という唐で最高の鉄模職人に師事し、
完全な形でマスターし、帰国後高野山に鉄道模型の専門大学を開いた。
最澄は鉄模学部の弱点を補うために空海に協力を求め、空海も唐製のフルスクラッチ真鍮模型
を貸し出したり、最澄の弟子を受け入れたりと協力していたものの、返却されてきた模型が
ボロボロになってたり、作風を明らかに剽窃されたりと言った理由で両者の関係は
冷却化したんだったかな。 >>139
で、それは南海のエヌゲージがなかなか出ない理由に関わりがあるのか? >>140
叡電だって過渡の匠の「雲母」しかないでおじゃろ? >>142
光源氏曰く、「須磨は寂しき左遷の地じゃ。つд`)シクシクシク」だそうな。 年末のお歳暮に垢兵衛と苦露葉詰め合わせを献上と思ったが、絶望的か…。
>>139
あっ、それで空海のつくった学校を機藝種知院といったわけね。 >>146
そうだっけ?いや、そうだったかも知れない・・・
水車でロープを巻き上げるケーブルカーが実現していた可能性は如何でしょう? 河川に面しているんなら基本的に水運の方に利があるだろ >>151
疎水のインクラインの様な物はあったかもね。 あさかぜが
吹きしあかつき
さくら散る
みずほのくにに
富士はそびゆる >>156
(訳)
風に吹かれて桜は散りつつも、富士山の雄大な眺めは変わらぬ、日本の夜明けだなあ。
もしも、平安時代に鉄道模型があったら
うち、もしもは無いの
平凡な鉄道模型だからね。 加藤の司が作りし磐越物語
塗りがひどうて2ちゃん京雀がようさえずること....
かしこきあたりはどのように思し召しあらしゃり
ますことか 磐梯微意取抄邸にも及ばぬ仕上げとは >磐越物語
加藤の司も職人の離脱で質が落ちたものよの
富の造や蕨にも付け入る隙が生じましたな 加藤の司
豪華寝殿造東邦急行製作と発表
寝殿造の寸法が話題におじゃるのぅ
しかし他が詰まって東邦急行どころではなかろうに
蕨の造
東邦急行とな(ガッツポーズ)
これで出御位置がどうなるかでおじゃるよ ホッホッホ 春はあけぼの。やうやう青くなりゆくEF65は
少し明りてクリーム色1号だちたる帯の細くたなびきたる。 蕨の造
出御位置の郎党に紅を差させ、金飾いかにも匂へるが如し
訳:D51のロッドに紅を塗り、金の飾りでNIOEのようだ >>167
驕れるものも久しからず・・・おや、これは磐越物語ではありませんでしたな >>180
江戸時代であれば平賀元ないがおるでおじゃる 平安時代に鉄道模型が在ったなら当然、電気が存在するので街には街灯が明るく庶民を照らしてる。
もちろん無電・電話も存在することになる。
国内統一が早まって後の早々に開国、近代化してる日本になる。 限られた中に色々盛り込む文化は有ったから、蒔絵の手箱開けたらパイクになってるとかはアリそうだけど、
流石に牛車ゲージだろうな・・・ >>188
HGで牛がフルアクションだからいいやね
>>178
無論紙じゃ。それをかつては武蔵国や駿河国の匠が仕上げておじゃったのじゃが、
惜しいことに双方とも亡くなられたのじゃ。
何しろ、帝や公家の乗る御車を模型で作るといえども、絵師や蒔絵師等の巧の腕も必要になるからの。
それらを府で一つで再現できる匠であったのじゃが、惜しいことをした。 >>188
いやいや、模型の牛が引く馬車鉄道ならぬ牛車鉄道になるでおじゃる。 せっかく作った車両やジオラマが度々の戦火で焼失し、
それをまた作り直すの歴史の繰り返しですね
それが本当にあったら重要文化財とか国宝になってる鉄道模型とかがあるのかw
博物館にも立派に展示されているのを想像すると笑う 鎖国の前の南蛮貿易の時代にぜんまい仕掛けの時計やオルゴールが伝わった
そうです。当時の物は殆ど現存していないそうです。一方で正倉院の宝物には
1000年以上昔の品々が保管されています。 左遷された菅原道真が
唯一心のなぐさみにしたもの
それがのちの南福岡電車区と小倉工場だったという その頃、東国の平将門は大山・下北沢にGMストアを築き、「作る楽しさ一杯」の旗印
の元、関東一帯の民鉄車両を模型化したが、940年に藤原Bコレに討伐され、首だけ
が秋葉原のビルの一角に飛び去った伝承を後世に残した。 >>200
切腹でおじゃるか。
東人の野蛮さにも困ったものでおじゃるのぉ。 麻呂たちが四季折々に細工を施した自慢の御車蒔絵箱を皆で持ち寄り、繋げて楽しむでおじゃる。
のちのモジュール式である・・・ 取り敢えづ、レスをざっと詠み連ぬれば、レスの方々、本にカノッサの屈辱のやうでであらしゃいます。 光源氏って、幼い女の子見ていちいち泣くイメージあるんだけど、まぁ、いくらなんでも模型見て泣いてた
なんて史実は残ってないよね。あと、お近づきになったおなごと模型で遊んでたの(それとも自重の方向)?
俺古文の時間まともに聞いてなかったからwサーセンw。てな訳で教えてえろき人。
イトヲカシ(・∀・)イトワロシ(・Α・)ぐらいしか頭に入ってない。 >>213
世の模型に興じる者らは、やはり光源氏の反応や顔色を一種の選考基準にしていたらしい。
(似ていたらその感動のあまり泣き即お買い上げ、そうでもなかったら無反応)
ちなみに父・桐壺帝も今でいうNゲージャーであったが、克美や天賞や世界といった金属製の
車両にしか眼中になく高級志向であったためついていけず、自身の過渡や冨を貶された事、
さらには桐壺帝が占い師(< ヽ`∀´>)の「そのうち明国製の鐵収集の箱買いにも走るニダ」「日本の
皇子がそれでいいニカ?」との予言に親子間不信不仲が日増しに酷くなり、やがて臣籍降下された。
「様々な女性関係と鉄道模型」については残念ながら史料は残っていない。しかし、鉄道模型が原因で
不仲になったという話は無かった模様。
ただ、特筆すべきは、かつて亡き母君に似ているとして慕った藤壺(まぁ、そんなに模型に興味はない
が別に毛嫌いするでもなく普通に対応していたらしい)の姪・女三宮(正妻とされる)とは、結婚して
みれば結局短縮列車(今でいうBトレ)だのゼンマイ仕掛けの玩具(列車チョロQという説濃厚)だのに
走る「お子ちゃま」である事に失望、降嫁の決断を下したばかりに、「わしが育てた」と周囲に言って
憚らなかった紫の上(ちなみにゲルマン舶来車派だったが、源氏の嗜好を決して侮る事はしなかった)が
ショックで末病に倒れて、六条院の栄華にも次第に影が射し始めた。
やがて源氏自身がかつて父桐壺帝を裏切ったように、女三宮の密通が発覚する。一度は女三宮と
その愛人の柏木(蟻派)に怒りをつのらせ、閲覧手記にも名指しで「樹脂桶厨」等と罵倒する日々の源氏
であったが、生まれた子ども(薫)を見て、これが若い日の罪の報いであったことに気づかされる。
(修正や補足あったらよろしく。ちなみにWikiを少し引用した) 麿は福知山の217系の頭に“E”って付けるでおじゃる! 四十年勤め上げた會社を退職し早二十年、何やら張り合いの無い日々を送る内、大學生 の孫に「退屈しのぎに遣って見たまへ」と
勸められた弐チヤンネル。當初は「こんな電腦掲示板、何たる幼稚加減」と莫迦にしてゐたものの、 遣つて見ると存外に面白ひ。
華やかな色彩の髪と目を持つうら若き乙女に「ゆとり乙」と何度と無く罵られるにつけ、食ふや食はずやで慌しく過ぎ去つた學生時代が自ずと思ひ返され、
「戰爭さえ無ければ、小生もこのやうな青春が送れたやも知れぬ」 と獨りごちることも屡々。
すつかり虜となつた今では、孫の部屋から白銀色の電腦計算機をせしめては書齋に篭もり存分に「祭り」を堪能する毎日を送つている。
下手の横好きとはいえ「繼續は力なり」の言葉通り、最近では画面破壊画の回避 や複写転載の管理にも慣れ、「好きこそものの上手なれ」を座右の銘として
弐ゲツトに勵んでいる。
同年代の友人達が癡呆や重い病に惱まされるなか、老いて尚矍鑠として外線會に向かえるのも、ひとえに弐チヤンネルのおかげかと思えば、再三に渡る
「半年ROMつてろ」の罵り文句も、何やら「まだまだ死ぬには早いよ」と言われているようで愉快極まりない。
ひとつ間違えれば自らが乗り込んでいた機體と同じ名前を持つ固定ハンドル名に出會える日を樂しみにしつつ、今日も画面に向かう。
それでは、弐壱九ゲツト。 鉄道日記
男もすなる鉄道もけいといふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年(承平四年)のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に購入す。
いづれの御時にか、女御、更衣あまた鉄模いぢり候ひたまひける中に、いとやむごとなき顔にはあらぬが、優れてキットをつくりたまふありけり。
初めより『我は』と思ひ上がりたまへる御方々、めざましきものにおとしめそねみたまふ。
桐壺の更衣の國鉄一○一系のいとやむごとなき出来にあらば、帝聞こし召してコントローラー買いさせたまひて桐壺を召させて走らせたまひける。 「あい判った、皆まで言うな。わしはお主の軍勢に合流しょうぞ」
「か・・かたじけない、紀之介」
「何の、佐吉。我ら同じ釜の飯を喰ろうた言わば兄弟同士。礼など要らぬぞ。
しかしな、佐吉。金吾の奴だけは目を離すなよ。きやつは内府に勧められて
最近は、かなりの16番を揃えておるようじゃ」
「何!亡き太閤様があれほど嫌ろうておった『蟹股』をか!」
「そうよ、口先では『太閤様が仰せの如くふぁいんすけーるに勝るものは無いよの』
とほざいておるが」
「紀之介、さすれば金吾が館にて遠目に見た、あの気動車やら客車は・・・」
「うむ、我らの目を欺くため13mm軌条に台車のみをスゲ換えたのを見せたのじゃ
その何よりの証拠に、あの時ヱスエルは1台も無かったであろうが」
「おのれ!金吾」
「まァ、待て佐吉。きやつ根っからの小心者。内府に尻尾を振りながらも
本心は太閤様に背くのもちょっと怖いのかも知れん。
そこでだ、わしが金吾の陣のすぐ側に布陣してな、きやつがヱスエルやら
他の車両すべてを改軌したかどうか見張ってやるつもりじゃ」
「おお、頼むぞ紀之介」
「任せよ、佐吉」 >>226
>
×ふぁいんすけぇる(笑)
○ふぁひんすけへる(笑ひ) ペリーの来航時に幕府に献上された機関車に昌平坂学問所の河田八之助(河田興)が
乗ったらしい。乗るといっても座席はなく模型の客車の屋根に乗ったらしい。 本物の鉄道が走ってたらどうなるんだろ?
方替えとかとかえらい事になりそうなんだがw 見よ、麿の牛車の雛形を。帝がお持ちの 牛車よりも贅を尽くした、金、銀、玉をふんだんに使ったものじゃ。
どう動くかじゃと。最初はごきかぶりで引かせようと考えたのじゃが、あやつは足がはようわりには力がなくていかん。なにより女人に嫌われるでの。そこで、かぶとむしの出番じゃ。 一等、高位の貴族
二等、貧乏貴族、高位の武士
三等、貧乏武士、庶民
荘園から都へ送る農産物を乗せた貨物列車が収穫期に運転。いつもは二、三等のみの旅客列車も、國使着任の際は一等寝台連結。
なんと言っても、庭園レイアウトが楽しそう。
「曲水の宴」は歌を詠んだ短冊をLGBに載せて…。 大納言、貨車をあまた繋げて、列車交換などして遊び給へり。 唐で作らせていた模型が高値になった癖に塗装や造形が悪くなりつつあったから >242
ありがとうございます。やはりそうだったんですね。そして国風文化が広がったんですね。その影響は そういや日本て鉄道模型の方が実物の鉄道より早く持ち込まれたんだよな。 >244
平将門がそれを見て驚き、本物の鉄道路線を東国に広げ、直流1500Vと交流2万V50Hzで電化した。京都の中央政府は直流1500Vと交流2万V60Hzで電化した。そして1000年たった今でも統一されていない。 源頼朝が源義経を討った理由は何ですか。また奥州藤原氏を滅ぼした理由は何ですか? 貴族は50系+ED75という趣のある客レを好んだが、質実剛健の武士はそれを嫌い701系を大量に送り込み滅ぼしたのさw >>247
客車列車そのものに郷愁を感じるのは同意なんだが50系に趣はちょっと... >247
701系は鎌倉武士だったんですね。でも交流電車だから鎌倉には帰れませんね。奥州に骨を埋めろということでしょうか やがて江戸幕府が新幹線を使い天下統一。しかし蝦夷と琉球は未開で四国は… 高知時代は栄えた試しがないので土佐と言って下され。 平清盛が兵庫港を開いて日宋貿易を始めた理由は何ですか。 蟻製品を売った利益で外国型HOを買おうとしたから
その頃鹿ヶ谷の貸しレでは平家打倒の陰謀が… >260
源平合戦が起きた理由がわかったような気がします。歴史教科書に記載すべきですね 光源氏はNだけではなくHOを武器に出し入れをして宮中の女官たちを天国にいざないました >>260
コヒや束を蔑ろにして倒壊や酉や九ばかり製品化するように・・・ >263
それが平原打倒のきっかかけですか。
しつもん
源頼朝が北条政子に頭が上がらなかった理由は何ですか? 車両ばかり持ってても、レイアウトは政子のものだったから。
しつもん
菅原道真が太宰府に左遷されたのは鉄模の純国産主義を主張し、
宮中で蔓延っていた蟻製品とコレクショントイを入手できなくなった
有力貴族の怒りを買ったからですか? そのとおりです。恨みを買うことを恐れた平氏の棟梁の政策は>259のとおりです。
しつもん
なぜ794年に都を奈良から京都に移したのですか? >267
成り上がりの平清盛殿じゃ。あやつ、貴族の真似をしおるからこうなるのじゃ
しつもんは>266 まさか平安時代に鉄道模型が無かったなんて本気で思っていないよな?
ぜんまい駆動の駕籠なら政子も喜ぶだろう >>666
ウグイス色の103系が量産体制に入るのを記念したから >273
>266ですが、ありがとうございます。
しつもん
今年の大河が「平清盛」になったことがこのスレにどんな影響を及ぼすか 貴族社会から武家社会へ移行する時代の過渡期なので
平安時代がこのスレとともに過去のものになりかねない
武士による鉄道模型趣味が発表される可能性が出てきた 天皇が愛人に生ました子供が偉そうにした時代なので
元国鉄車輌が瀬戸内でブーム >しつもん
>なぜ794年に都を奈良から京都に移したのですか?
遣唐使によって安価な中華製モデルが大量入荷し、貴族は争って「編成もの」
に手を出しました。
そうなれば大規模レイアウトが当然必要です。
そこで狭い奈良よりも広壮な屋敷を建てられる京都に移ったわけです。
ただし中華モデルの低質さが段々と問題視され菅原道真により中華の
輸入は一旦途絶えます。 >288
ありがとうございます。
しつもん
「春はあけぼの やうやう白くなりゆく山ぎわ…」と書いたお姉さんは何を見たのでしょうか >>277
その最たるものが島流しの憂き目にあい宇部小野田に落ちた省電モハ(クモハ)42
彼の地には今もかつての新快速の眷属が細々と生き残っているといふ そうやって必死になって探してるおまえのほうが頭おかしいと思うぞw m9 もし平安時代に鉄道模型があったとして、電源はどうするんだ?
平安時代なら、まだ電池も無いぞ。
それに、模型があるということは、実物が存在するってことだよな? 日本の幕末は、欧米から贈られた模型だけが存在し実物が無かったんだが… もしも日本が、実際に平安時代から鉄道が存在するほどの工業大国だったら、第二次大戦なんて余裕で勝ってただろうな。
超大型爆撃機「富嶽」を大量産してアメリカを火の海に\(^ー^)/ >>297
核兵器を大量生産して、世界征服さえも出来そうだな。
新幹線なんて時速800`くらいで運転されてただろうな。 もしも平安時代に鉄道模型があったら、300ゲット!・・と言ったかも
知れないぞ。 イメージするのには画像が必要だろ。ほれ
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平家専用病客車6両セット
富士川の戦いの後に使用された編成を忠実に再現しました。 >>311
ひらぎ姫いとをかし
みやこ姫もいとをかし >>294
鉄道模型といっても電気で走るとは限らない。
既に鉄の精錬技術は確立されていたし、糸巻き戦車のような構造でくじらのひげのぜんまい仕掛けで走行する模型があっても不思議ではない。
お湯を沸かすための青銅器は既に存在していたし、シリンダーを作るためのろくろもあったので模型蒸気機関車だって当時の技術で作れたかもしれない。
実物に目を向ければ当時は牛車があったので何らかの簡易軌道上を走らせれば鉄道の原型と言えなくもない。 古代アレクサンドリアのヘロンの発明したアイオロスの球という一種の蒸気タービンがあったらしい。
ttp://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/canal6/history_steam_engine.htm 本日のお宝 平安時代の鉄道模型
1 10 100 1000 10000
-1000000000
いえああああああああああああああああああああああああああああ >>297
> もしも日本が、実際に平安時代から鉄道が存在するほどの工業大国だったら、第二次大戦なんて余裕で勝ってただろうな。
驚くべきことに蒸気機関を製造するための要素技術は既に奈良時代には伝来していた。
精密鋳造に不可欠なロストワックス鋳造法は奈良時代には既に伝来していたらしい。(実話)
ttp://f-j-rosuto.art.coocan.jp/rosutotowa.html
また、樹脂と繊維を組み合わせによる軽量で強度を得る複合材の原型は乾漆像として伝来していた。
ttps://www.eonet.ne.jp/~kotonara/dakkatukanshitu.htm
ttps://www.eonet.ne.jp/~kotonara/mokusinkansitu.htm
8世紀末には青銅を精錬する技術やピストンやシリンダを作るためのろくろも既にあったので東洋発の産業革命が奈良時代に起きていても不思議ではなかったかも。
実際には国内で蒸気機関が作られたのは佐賀藩の精錬方の田中久重らによる蒸気船の雛型の製作で1000年以上待たねばならなかった。
ttp://asait.world.coocan.jp/kuiper_belt/canal6/history_steam_engine.htm
ttp://www.isc.meiji.ac.jp/~sano/htst/History_of_Technology/History_of_Steam_Engine/History_of_steam_engine01.html
1500年以上前に蒸気機関の原型は開発されていた。
ttps://cool-hira.hatenablog.com/entry/20140221/1392931116
ttp://ktymtskz.my.coocan.jp/S/eleki/machin1.htm
アレクサンドリアの図書館とムーセイオンの破壊は人類の損失だろう。産業革命が1000年早く起きていたかもしれないのに。 牛車が貴族の乗り物だったから、牛車の模型も発売されるよな >>288
>なぜ794年に都を奈良から京都に移したのですか?
794年に遷都したのは奈良からではなく長岡京から 今は昔、竹取の翁といふものありけり。 野山にまじりて竹を取りつつ、鉄模の材料に使ひけり。 >>295
>日本の幕末は、欧米から贈られた模型だけが存在し実物が無かったんだが…
佐賀藩で蒸気車の雛形が作られた記録がある。
鉄道博物館にレプリカが展示されている。
他に愛媛の宇和島で小型の蒸気船が作られたと司馬遼太郎の「伊達の黒船」に書かれていた。 >>322
>長岡京遷都
784年→ナヤんでシっぱい長岡京と覚えます
たった10年で平安遷都になった理由は「風水が悪い」とされてますが、
桓武天皇が早良親王の亡霊に「宸襟悩まされた」のが原因だと、「怨霊説」
のセンセ方は言ってます。 阿弖流為率いる蝦夷の地は50系レッドトレインの牙城だったよな タイムカードは運行管理者は誰か?
自分は楽しいけどね
別に関係無く出てきた
母親がいないからアンケートに参加してから心配しよ 新作は出るけど大抵クソゲで売れずにスケート連盟が望む理想のフィギュアの人気で言うならともかく、パパ活をアテンド その後パパの会社の系列と徐々に変わったのね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています