さて、昭和16年太平洋戦争が開始されるや、使い場がなく、結局大本営直轄の南方軍予備という名目で、上海付近でブラブラしながら待機、17年4月フィリピン戦線で上陸以来苦戦する16D、65BSを助けるため、5D,18D,21Dの精鋭師団の選抜歩兵連隊と共に増加派兵が下命されると、
 「今度こそ一巻の終わり」と、青菜に塩の部隊は力なくしょぼくれて、上海からフィリピン戦線に向かったが、このときのバターン第二次攻撃には、日本軍は強力なる砲兵団、航空部隊を準備、本格的な立体攻撃を実施したため、大阪師団は軍主力の一翼となり、ビクビクしながら進むうち、米比軍が勝手に白旗をかかげて降伏してくれ、またも停戦成立。
 
 初めての勝ち戦に有頂天になったオトボケ師団の将校は、まるで自分たちだけでバターンを占領したような大ホラを吹きまくり、郷里の大阪では号外が出る騒ぎになった。
 大本営でもこの第四師団の戦力と使い方にはよほど困ったと見え、その後あれほど南方各地で陸軍が苦戦しても、この師団はついに激戦地に使用されず、もっぱら後方基地で待機。終戦は、タイ国バンコック付近で休養中に迎え、復員が開始されるや全員が血色の良いはちきれそうな元気さで帰国、出迎えた、やせ衰えた内地の人々を驚かしたという。