>>161
またも負けたか♪京都九連隊♪

【関東】
米21連隊長ヴァーベック大佐の報告
「21連隊は1944年11月5日、強力な敵と交戦した。敵は第1師団57連隊(佐倉)、49連隊(甲府)及び第1連隊(東京)の一部、及び砲一門を持つ第1師団の砲兵の一個大隊以上である。
敵と交戦した者は、その見事な戦闘振りによって感銘を受けた。向う見ずな攻撃、無益な犠牲や一般に戦術の初歩に反した行動は見られなかった。敵の最も顕著なる特徴は射撃の特殊的なこと、あらゆる武器の使用の統御にある。敵の射撃は例外なく最大の効果を発揮する瞬間まで抑制されていた」
戦後大佐(W・J・ヴァーベック)が東京に来て第1師団長片岡中将に会い、57連隊(佐倉)の善戦を称賛した。
リモン峠でよく戦って死んだ兵士に対し、これ以上よき供え物はないと思われる。
レイテ戦記(中)36~40頁

【関西】
京都16師団の戦闘振りは、友近軍参謀長(愛媛県出身)をはじめ多くの上級兵団の不満を買った。
水際陣地よりの早期後退、カトモン山の放棄は、航空作戦実施中の南方総軍をがっかりさせた。(昭和19年10月)31日付電報で、ペリリュー島の敢闘(水戸、高崎連隊)を引用しつつ、方面軍の作戦指導を避難しているくらいである。
レイテ戦記(上)327頁