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てめえだろ贅六

▽今村均大将(第八方面軍司令官、宮城県出身)
『我が日本軍はペリリュー(水戸2連隊)、アンガウル(宇都宮59連隊)精神を見習え』
▽チェスター・ニミッツ(アメリカ太平洋艦隊司令長官)
『精強14師団(水戸2連隊、高崎15連隊)の戦闘部隊が配備されたペリリューの日本軍は、無益なバンザイ攻撃は行うべきでないとされ、守備兵の一人一人がその生命を有効に生かすことになっていた』
▽スミス中将(アメリカ遠征部隊指揮官)
『太平洋で相手をした敵指揮官中、栗林忠道(長野県出身)は最も勇敢だった』
▽蒋介石(中国戦区連合軍総司令官)
『わが将校以下は、日本軍の熊本113連隊(九州・龍兵団)あるいは小倉114連隊(九州・菊兵団)が孤軍奮闘最後の一兵に至るまで命を完うしある現状を範とすべし』
▽W.スリム中将(英国第十四軍司令官)
『宇都宮214連隊(弓兵団)の大胆さと最後まで戦う勇気とは驚嘆すべきものがあった。一連の果敢な行動は史上、稀にしか見られないものであった』
▽ジョージ・マーシャル元帥(アメリカ陸軍参謀総長)
『レイテの東京第一師団(千葉・佐倉57連隊)は日本の師団の中でも最強のものと思う』
▼ダグラス・マッカーサー(南西太平洋軍総司令官)
『レイテ島の上陸(vs 京都16師団)は他の戦線と比べるとよほど楽だった』
▼イギリス軍の謀略ビラ(ビルマにて)
『強い菊(九州福岡久留米)、龍(九州福岡久留米)、弱い安(関西京都)』
▼岡本岩男少佐(岡山県出身、弓兵団参謀)
『安(京都53師団)は恐ろしく戦意のない素質の悪い部隊です』
▼田中稔中尉(福岡県出身、小倉114連隊)
『大阪、京都出身の兵士たちで編成された祭兵団と安兵団の両師団は、北ビルマの戦線で弱兵の見本のようにいわれていた』
▼古瀬正行さん(久留米18師団、長崎県出身)
『大阪とか京都の兵隊は途中で会ったけどその場でビンタですよ。「こん、ばかたれが」っていうような状態だったですからね、うん』
▼向江松雄さん(鹿児島145連隊、鹿児島県出身)
『大阪なんかな、「またも負けたか8連隊」ち、大阪なんか言いおったっじゃっどんな』
▼伊藤桂一(三重県出身の戦記作家)
『日本の軍隊がもしすべて大阪兵団のようだったら…どこかの国に、よりみじめな状態で隷属せざるを得なくなったかもしれない』