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東亜のヘタレ三兄弟♪


【朝鮮】
米軍はペリリュー島の日本軍(水戸2連隊、高崎15連隊)の闘魂にあきれはてた。全員玉砕するであろう。捕虜などは出ようはずはないと予想していた。
ところがこの島には軍属として、日本軍に雇用されていた設営部隊がいたが、その大部分は韓国人であった。
島の高地の麓や、山腹に五百もの洞窟を構築していたが、戦闘が激化するにつれ、それらの三百名もが降伏してきたのであった。
(光人社『聖書と刀』39頁)

【京都】
京都16師団の見習士官の軍医「どや、この戦争はとても勝てん。死んでも無駄死や。ここらに隠れてたら米(べえ)さんはきっと来る。みないっしょに降伏しよやないか」
生きて虜囚の辱めを受けず、を金科玉条として服膺すべき帝国軍人としては、あり得べからざる言葉である。
フィリピン他の戦場で軍医が患者、衛生兵と共に投降した例が多い。しかしこの見習士官のように、敵上陸二日目にそれを言い出した例は他に聞かない。
(中公文庫『レイテ戦記(中)』109頁)

【大阪】
(大阪第4師団)と同じ大阪編成の第34師団は湘桂作戦で、第68師団はシ江作戦でそれぞれ辛酸を嘗めている。
第68師団では「御身大切」という兵隊用語が、一般の師団より特別なニュアンスで使われたが、シ江作戦のとき将校、下士官、古参兵の入院(仮病)が相ついだ。
消極的、合理的な出動拒否である。
(新潮文庫『兵隊たちの陸軍史』282頁)